週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

ごめんねばかり言っている

 

 

最近の東京は雨が続いている。

洗濯物は、部屋に干していて、土曜日からほしているから四日目だ。なかなか乾かなかったけど今日が来たならさすがに乾いてるだろう。

部屋干しのにおいがする。布のにおいと、湿気のにおいと、柔軟剤のにおいが混ざっていて、すこしつめたい、そして嫌いではないにおいだ。これは、生活のにおいだ。

 

 

 

 

部屋に湿度が溜まると、エアコンから「ポコ、ポコ」という音がしはじめる。

窓をあけると解消されるのだが、特に夜に寝るときなどは窓を開けると寒いので

「ポコ、ポコ」という音に耳を澄ませて、聞いているのか聞いていないのかよくわからなくなるころに眠りにつく。

 

 

 

 

 

大学生のとき、一人暮らしをしていたときに、布団を移動させてベットの上ではない場所で寝ていたことがよくあった。

 

 

 

よしもとばななの『キッチン』に影響されたときは、台所に布団をしいて寝た。はじめてよんだ時から本当に大好きな本だった。「冷蔵庫のぶーんという音が、私を孤独な思考から守った。」冷蔵庫は本当に音が鳴っていた。なにかの作業をする場所のあたたかさがある気がした。

(最近、キッチンのコンロの下に座って、インスタントラーメンを食べた。なんか、よしもとばななの『キッチン』のことを思い出すなあとそのときもちょうど思った。わたしも、死ぬときはキッチンで死ぬという考えをもつのも、悪くないかもしれない。)

 

 

 

 

橋本紡の『流れ星がきえないうちに』を読んだときは、玄関に布団をしいて寝ていた。別に好きな本ではなかったなと今思い返すとそんなことを考えるけど、たしか、主人公の女性が玄関に布団を敷いて寝ていたことがやけに印象に残っていた。朝は玄関の外の廊下の音がかすかに聞こえた。となりの人が家を出る音。そしてすこし寒かった。台所で寝るよりも結構続けていた記憶がある。

 

 

 

 

 

静かだけど、何かが生きているみたいに動いている音が、きらいじゃないのかもしれないなと思う。寝るようとするとき、は何もしないから音が聞こえてくる。そんな夜に、明け方に、わたしはいろんなものの音を聞いた。

なにかに安心して寝たくて、理由をつけていろんな場所で寝たっていいんだな、と思う。

誰かと寝るのもいいし、ひとりで寝るのもいいし、薄着でものすごくあったかくて重い布団に押しつぶされながら寝るのもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は誕生日だった。

朝おきたら友だちひとりとおとうさんからおめでとうとラインがきてて、昼間に別の友だちからもラインがきて、夜になったらおかあさんと、また別のともだちからラインがきてた。

いつもと変わらず朝起きて、準備して仕事をしていたから忘れそうになったけど、そんな連絡をもらえるということはいくつになってもうれしい。しかもみんな連絡をくれた時間がバラバラで、時間をおいて嬉しさが毎回湧いてきた、これはなんてお得なんだ!と思った。

 

 

 

 

 

 

 

今日は18:00に仕事が終わって、本屋によって今日発売の欲しかった文芸誌を買って、読みながら電車にのった。

 

 

 

 

「スピン」という季刊誌が大好きだ。

4回、3月・6月・9月・12月に発売される河出書房新社の文芸誌で、今日は第3号の発売日だった。スピン、というのは本についている紐の栞のことで、『日常に「読書」の「栞」を』というコンセプトでこの雑誌を発行をしている。

ちなみにわたしは創刊号から買っているのだが、創刊号をかったとき、はじめてすべて連載小説の第一話が載っていることに、とてつもなくわくわくした。創刊号の雑誌を買ったのは、生まれて初めてだった。

 

 

 

 

もともと文芸誌を買うのは好きだが、分厚かったり毎月買って一生懸命読まないといけなかったりすると、わたしはそれができないのでもったいないなあと思っていた。同じ河出の「文藝」という文芸誌と、翻訳小説などが載っている「MONKEY」は好きなので時々買っているが、毎回ではない。

大学の図書館には、毎月全大手出版社の文芸誌が並んでいて、わたしはそこにいることが大好きだったが、社会人になると、なかなか図書館などにも頻繁にいけないし、時間もそんなにない。

 

 

 

 

「スピン」は発行のタイミングも、分厚さも、連載小説やエッセイや書評などの割合もすごくいい。内容もかなりわたしの好みだ。第16号限定で発売されることが決まっているのもいい、終わりが近くて短いものを一生懸命追いかけることがわたしは大好きだ。(終わりが遠くて長い「ブレイキングバット」と「ベターコウルソウル」もどうにかしてみたいと思っているのだが。ちなみにこれらが見たい理由もスピンにベターコウルソウルがこの世で1番面白いドラマだ、という寄稿があったからだ。)

装丁も良い。紙にもこだわっていて紙質の表紙や、目次も毎回ことなった紙が使われている。

紙をみているだけでうっとりできる本なんてなかなかない。

しかも330円だった。こんなに安くていいんだろうか、といつも思う。でもありがたい。こんなに楽しくてうれしくて、時々涙がちょっとでるようなすてきなことばのかたまりが、330円で、わたしのものになるんだ。

 

 

 

 

 

いつもいったん、エッセイや読みやすいものをすいすい読んでいって、連載小説をじっくりと、ときには時間をおきながら読んで追いかけていくことが好きだ。

いま「スピン」のなかで特に気に入っているのは尾崎世界観と、藤沢周連載だ。

 

 

 

 

 

 

 

今日は永田敬介の「ディズニー」というお笑い芸人のエッセイをよみながら最寄り駅につく。

こんな人の、こんな気持ちはいつもどこかで必ず生きていてほしいような文章だった。

カバンの中にいれると折れたりしてしまいそうだったので、左手で本をもって電車を降りる。

おなかにしょったリュックの上の部分のポケットをあけて右手で定期をとりだして、改札を抜けた。ホームから地上に出ると、もう雨は降っていなかった。すこし肌寒い、雨上がりの夜だった。

 

 

 

 

誕生日だからケーキをかって帰ろうと思った。

家から歩いて10分弱のところに20:00までやっているケーキ屋さんがあって、歩いてそこに行った。

 

歩道を歩く、本を読んでいたのできょうはイヤホンを外している。

 

 

 

 

ケーキ屋に入る。正面に透明でおおきなショーケースがあり。その中に数少なくなったことがわかるケーキがいくつかおかれていた。開店時間のころには、ここがもっとたくさんのケーキで埋め尽くされているのだろうと思うと、その場所でケーキを選ぶ人がいることが急にうらやましくなる。今度は昼の時間に行こう。

 

 

 

バナナパイという看板商品と、期間限定のあまおうとせとかのタルトでまよった結果、後者を選んだ。わたしはフルーツが好きで、タルトも好きで、期間限定も好きなのだ。

カードで支払いを済ませる。

 

 

 

ポイントカードつくりますか?

 

…じゃあ作ろうかな、お願いします

 

500円ごとにポイントが付くんですが、毎週火曜日はポイント二倍なのでふたつ押してきますね

 

あ、そうなんですね…うれしいです

 

せっかくだからね、これ25ポイントたまると500円サービスになるからね

 

わかりました

 

大丈夫?袋いらない?

 

うん、そのケーキの箱のままで大丈夫です、家近いので

 

そっか、じゃあどうぞ、ありがとうございました

 

 

と、店員のおばちゃんがにっこり笑ってそういった。

 

 

 

 

歩いて家に帰る。

時間は19:00ころなので真夜中ではないが、夜に歩くと今月の頭頃によんだ川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』を思い出した。

とてもすてきできれいなことば埋め尽くされた小説で、わたしは圧倒された。とても好きな本になったなあと思う。

 

 

 

最初の1ページ目が大好きで、なんかいも繰り返し、繰り返しよんだので、言葉を覚えてしまった。周りにひとがいないのを確認してから、わたしはその言葉をくちずさみながら歩く。

 

 

 

 

 

「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思いだしている。」

 

 

 

 

 

わたしの声で、きれいなことばが再生される。自分の口から出たものが、自分の耳から、またわたしのなかに入ってくる。

わたしは、そうやってことばを大切にしているんだ。だれのためでもなく、自分のための、自己満足でしかない、行動なのに。

 

 

 

 

 

 

 

家に帰って、ケーキを冷蔵後にいれる。

服を着替えて、手を洗って、ラジオを流して一息つこうとする。

今日はお昼のお弁当を朝家に忘れてしまったので、それを夜ご飯に食べる。

そのままでいっかとおもって温めずにお弁当をたべる。昨日の夜つくったつめたいカレー味のから揚げもまずくない。お誕生日おめでとう、とラインを送ってくれた友だちに、「今日お誕生日なのに家にお弁当忘れてきちゃった」とラインをしたら「お誕生日にもお弁当つくっててえらい」と言ってくれた。たしかにそうだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近ひとりでいるときに、「ごめんね、ごめんね」と口癖をいってしまう。

自分の失敗を思い出して、嫌な気持ちを少しでもさせたのではないかと思われる人に対して、ごめんね、ごめんねと言ってしまうのだ。ひとりで言っている。ずっと。

 

 

 

 

 

わたしは今週の日曜にも自分が最悪すぎて泣いてしまった。

わたしに目の前で泣かれた相手は申し訳なさそうにしていた、大丈夫?無理しないで、自分をせめないで、と優しい言葉をかけてくれた。

 

わたし、あと二日後に27歳なのに、自分が嫌いでいつも泣いている、とわたしが言う。

年は別に関係ないよ、とその人が言った。

 

 

 

 

そうかなあ、誕生日がくることは好きだけど、年をとるたびに自分の不完全さ、足りなさをどんどん感じてしまうなあと思う。

時間と比例して、自分は豊かになっていくものだと、昔はそう思っていたのに、素敵な経験をたくさんして、素敵な大人になれるんだと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強道具や、最近読み始めた美術史の分厚い本、積読にしている直木賞の分厚いが美術史のものよりかは分厚くない本、公共料金の支払いの紙などが雑多におかれたそれほどきれいではない机の上のデスクランプを灯して、パソコンの起動させる。

 

冷蔵庫からケーキをもちだしてパソコンのとなりにおく、お湯を沸かして紅茶も淹れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケーキを食べながら、文章でも書こうかなと思いはじめて、わたしはこのブログを書いている。

でももうじつは文章のここまでくるとケーキはほとんど食べ終わって、イチゴだけがひとつ、残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の思う素敵なおとなになれないのは悔しくて悲しいきがどうしてもしてしまうけど、こうやってすこしずつ、何かを読んだり、書いたりしながら、せめて、せめてわたしの記憶が、なにかのことばとともに残っていきますように、と願いながら。また次の誕生日まで。

 

 

 

 

ねこがいちごを狙っている

 

 

 

 

 

 

白湯しか飲めない

 

 

何を食べたらいいのかわからない日がある。

何を食べたらいいかわからない。

わからなくて、わからなくて、わからない。

 

食べたいものがない、とかでなく、

本当に何を食べたらいいのわからない。

 

 

帰りの電車に揺られながら、そう思う。

今日はとても暖かかった。

 

 

ラジオを聞く。

誰かの言葉が聞こえていて、

わたしは聞いているようで聞いていないようで、

 

 

帰りにコンビニに寄る。

家になにも食べ物がないから、

なにを食べたらいいかわからないがとりあえず食料を買う。

 

家にかえって冷凍食品をたべる。

おなかが満たされて、でもなにもわらかないままだった。

 

 

 

白湯を飲む。

暖かくて、なにでもないものが喉を通るのを感じると、なぜか安心する。

 

 

 

 

今日は苦しい。

誰かに何かを話したくても、わたしはわたしの気持ちも、考えもなにも言葉にできない気がして悔しくなる。そして、悲しくなる。

 

わたしにはなにもない。

わたしはからっぽで、なにもない人間だと思う。

わたしの意見はペラペラの薄いなにかで、

なにかでしかないから、

そこからなににもならない。

 

ひとがわたしの意見をどうでもいいと思う、わたしを面白みのない、魅力のない人間だと思う。メンヘラだと思う、イタイやつだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはずっと自分が不幸でいればいいとも思う。

自分が幸せになって、だれかの小さな不幸や世界の大きな不幸に気が付けない人間になってしまったらどうしようと思う。

 

 

 

 

 

わたしは誰よりも幸せでありたいと思う。

わたしは幸せに生きたいと思う。幸せに、わたしの思い描く一番の幸せな人間になりたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

わたしはずるくて、怖い生き物だと思う。

希死念慮は一生消えないのかと不思議に思う。

どう生きていったらいいのかわからなくて、これからもどうやって生きていけばいいのかわからないからだと思う。

そしてその答えが一生でないことを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日会社に着ていく服をどうしようと考える。

わたしは気が付くと明日のことを考えていて、

でもほんとうはあしたのことなんて考えたくない。

 

さっき時計をみたときから、もう20分も経っている。

 

 

 

 

 

 

わたしは、ずっとわたしの話ばかりしている。

わたしはずっと、わたしが被害者みたいな顔をしている。

 

 

 

 

 

 

好きな本や映画を見て、もしくは音楽をきいて生きている。

好きな言葉をわたしはかみしめて、たくさんかみしめて、涙がでる。

 

この涙はとても安い気がして、苦しい。

わたしはこの言葉をよいと思って、なにができるんだろうと思う、

なにもできない。わたしだけの言葉たち。わたしだけの。

 

 

 

 

 

だれかがわたしをすぐに抱きしめてくれればいいのにと思う。

どうして自分で自分のことを抱きしめられないんだろう。

悲しいときに、だれかすぐにわたしを抱きしめてくれないかと思う。

でも一緒に泣かないでほしい、わたしのせいで泣かないで、わたしのせいで嫌な思いをしないで、わたしのせいでかなしくならないで、お願い、お願いだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな小説やエッセイの言葉を自分で読み上げて携帯で録音して、自分の声で何回も何回も繰り返し聞いている。

わたしの言葉ではないのに、わたしの言葉みたいに聞こえる。

わたしは案外、自分の声が好きかもしれない。

 

 

わたしの言葉でないということを隠している、でも気が付いている。

気が付いているのに、やめることができない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。そうですね、三束さん。なんでもないのに、涙がでるほど、きれいです。

『すべて真夜中の恋人たち』

 

 

 

タバコを吸うヤツら

 

 

わたしがタバコを好きかどうか、ということはまるっきり置いておいて、タバコを吸うヤツらの姿は、なんだかんだ愛おしさを含んでいる、とわたしは思っている。

最近は吸う場所もかなり少なくなってきていて、分煙が進んでいたり、喫煙所が減ってきたりしてるとは思うから、喫煙者は生きにくい世の中なんだろうなと思う。

肩身が狭い中、みんなで灰皿の前に集ってタバコを吸っているひとたちをみるとなんかちょっと、面白さとかかわいさをかんじてしまう。

朝、自分の家をでて駅まで歩く間にファミリーマートがあって、ファミマの横に灰皿が置いてあるのだが、毎日2,3人男性が集まって朝からタバコを吸っている。しかも毎日毎回同じ人ならわかるが、ぱっと見そういうわけでもなさそうだ。

その姿をみていると、家族に注意されて家では吸えないんだろうか、とか思ってなんだがおかしく感じてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝起きてかならず一本の煙草を吸うことにしている人の生活を思い描くと広々とした気分になる。屋外で煙草を吸うというのは、その季節ごとの空気を吸い込むことだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔は1番身近にタバコを吸うのはお兄ちゃんだった。

母もキッチンの換気扇の下でよく吸っていたが、家族にはバレないように吸っていたようだ。ちなみにバレバレだった。どう見ても灰が落ちっぱなしの時があったし、急にキッチンに行くとびっくりしてタバコの火を消す母に遭遇したりしてたが、いや、隠すの無理あんだろ、と思ってた。お父さんはタバコが嫌いだったし、兄に吸うなと注意しておいて自分が吸ってるのが気まずかったっていうのも多分あんだろう。

 

 

 

 

ちなみにわたしには兄が2人いるが、長男の方だけがタバコを吸っている。(いやわからん、けど次男は少なからず私の前では一度も吸ったことはない。)

 

 

 

わたしは次男との関わりでは、今までの人生で嫌な想いをしたことが一度もないと確信を持てるが、長男にはこどもの頃はいつも嫌な気持ちにさせられてた気がする。

 

次男とは全く、ほんとにほんとに一度も喧嘩をしたことないが、長男とは数えられないくらい喧嘩をした。年を重ねるにつれて、仲が悪かったので長男とは会話自体が減っていたけど、小学生の時、わたしがもうなんかめちゃくちゃ悔しくて泣きながら兄にランドセルを投げつけたことと、言い合いになって家から出てけと言われて(なんで?兄は家主でもなんでもないのに)すごい寒い冬に玄関の外で泣きながら数時間立っていた(幼かったのでどこに行ったらいいかわからなかった)記憶だけなぜか鮮明に覚えている。

当たり前だが、女だし年下だったのでわたしはめちゃ弱だった。このあいだお兄ちゃんがいる友だちとたまたま家族との関係の話をしてて、小さい頃の兄との喧嘩はボコボコにされちゃうよね〜っていう話をした。これは兄妹あるあるなのではないだろうか。

わたしはいつも言い負かされて泣いていた。

 

 

 

子どもらしい喧嘩ももちろんあったけど、未だに思い出すと嫌な気持ちになる思い出もある。人のせいにするなという感じかもしれないが、結構私の自己肯定感の低さはこの長男に由来してるところが少なからずあると思う。容姿とか、見た目的なところを一通り散々否定された。趣味とかもキモいと言われていた気がする。わたしは嫌な思い出ばかり覚えているのが悲しすぎるし根暗すぎるなあ。

 

 

 

 

お互い大人になって(いや長男はわたしより5歳も上だが…)、ここ2、3年くらいで最近やっと長男をほんの少しだけ受け入れられるようになった気はする。

あんまよく覚えてないけど、大学生の頃までは確実に嫌いだった。結構存在が苦しいレベルだった。

 

 

 

 

かなりわたしの卑屈フィルターがかかってたような気はするが、大学の友だちはみんな素敵な家族の中で育ったよ、みたいな感じの子が多くて、まあ最低限うちみたいに問題を抱えてる感じではなかったのであんまりちゃんとまわりに悩んでることの相談とか、話もできなかった気がする。

いやでも自分と違う環境の家族の話されても困っちゃうよねえ。

 

 

 

 

大学生のときにバイトしていた居酒屋の店長に、まあまあ仲良かったから話してみようかなと思って自分の家族の話をわりとほぼ全部話した時、多分悪気なくだと思うが、結構それ終わってる家族だね、とハッキリ言われたのを覚えている。(ハッキリ言い過ぎじゃないか?)

 

長男もそのころはまだ中学の時からの反抗期が一生おわんないんじゃないかとわたしは思うくらい(結局14,5年くらいは反抗期だったんじゃないか?と勝手に思ってる)だったし、ちょうどそのとき次男の病気もあって、たしかに家の雰囲気は終わっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子ども3人がまだ実家にいた頃、兄2人が広い同部屋で、わたしは小さめではあったが1人部屋を与えてもらっていた。

わたしの部屋にはベランダがついていたのだが、タバコを吸うときは長男はわたしの部屋のベランダで吸ってた。

でも兄の部屋にもベランダはあった気はするが、多分お父さんの部屋から見える位置だったからだろうか、わたしの部屋に来ていた。

 

 

 

わたしの記憶では長男は未成年の時からタバコを吸っていたような気がする。長男はとにかくかっこつけ男だったのだ。タバコを吸ってる俺、、、イケテルナアみたいな感じでタバコを吸い始めてたと、わたしは思ってる。

 

 

多分わたしの部屋に来るときは比較的機嫌がいい時だったと思う。

コンコン、とノックをして、その時だけわたしに頼み事をする。

「タバコ吸っていい?」

断れもしないので、勝手にどうぞ、とわたしは言った。

 

 

 

 

お兄ちゃんはたしかアメスピのオレンジか黄色…を吸ってた気がして、長州小力と同じ銘柄なんだ的なことを自慢されたことがあるが、それって自慢になんのか?長州力じゃなくて小力の方かよ…。まあその時はたしかにテレビをつければ長州小力が出ているみたいな時だったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話は変わるが前にタバコをめちゃくちゃ吸う人と付き合ったことがある。

まあ正直ヘビースモーカーってどっからなんだろ?とは思ったけど、その人も自分でも馬鹿みたいに吸ってるって言ってたから、

めちゃくちゃ吸う人という認定をしてもいいだろう。

 

 

朝起きたらまず布団の中でタバコを吸って、ご飯を食べたらタバコを吸って、どっか出かけて帰ってきたらタバコを吸って、飲みに行けば酒を飲む時間以外はタバコを吸って、トイレ行ったらタバコ吸って、風呂出たらタバコ吸って、寝る前にタバコ吸ってた。

ひとつのアクションにつき一回の喫煙、みたいな人だった。充電満タンのアイコスを2本持ち歩いてて片方切れてももう一本で吸えるようにしてた。でも紙タバコも1日1本は吸っときたいかな、と言っていた気がする。

いや、思い返すと普通にめちゃくちゃ吸ってんな。

仕事中よく我慢できんね?と言ったけどタバコのことを思い出さないようにしてると言っていた。

 

 

 

基本的には電子だったというのがかなりデカいが、わたしはその人のタバコをそんな嫌に思ってなかった。外の喫煙所とかでタバコを吸ってるのを待つ時間も別に苦じゃなかった。

ほんとに時々、タバコを吸えるごはんやさんを探すとなったらそれが多少だがめんどかったくらいだろうか。

 

 

タバコを吸ってるのを見てて、へえ〜すごいな、といつも思ってた。何がそんなにあなたを夢中にさせるの?そんなに吸いたいってすごいよ、と謎に感心していた。

 

 

その人の人生のベストタバコは、シンガポール?マレーシア?だか忘れたがどっかそこらへんで現地の人がいれた死ぬほど甘いチャイを飲みながら(チャイってインドにしかない?多分とにかくスパイスの入った甘いミルクティー)全然整備されてない道の傍でふかした紙タバコらしい。それはありえないくらいうまかったそうだ。いいじゃん、その思い出。ずっと大切にしてくれ、とわたしは思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

小学校と中学校の時に通ってた地元の小さな塾の講師は、みんな面白いくらいことごとく喫煙者で、授業と授業の休み時間になるたびに塾の入り口の看板があるところでタバコを吸っていた。タバコ吸ってる所に行って質問したりすることもあった。そんなときはその人たちはタバコを吸いながら質問にこたえてくれたりしていたのだ。

そのうちの1人(算数・数学の先生)がわかばを吸ってて、「わかばはな、安いんだよ」と言ってたので、あぁ〜こんなに頑張ってうちらに勉強を教えてくれているのにこの人は薄給なんだな…そして薄給のなかでもやっぱりタバコは吸いたいんだな…となぞに子どもながらに思ったりした。

今思えば小学生の前でも普通にめちゃくちゃタバコ吸ってたが、親から苦情とか来なかったんだろうか。

あのときの講師たちはなんかみんなキャラ濃くてウケたな〜、なんであんなキャラ濃い人間が集まってたんだよ、そういう採用の仕方か?

いまとか何してんだろ、と思うとちょっと笑えてくる。うちらはほんとクソガキだったのに、勉強を教えてくれてありがとうって感じはする。

 

 

 

 

 

 

 

まあ別になんも考えずに吸っているんだろうとは思うが、吸わないとソワソワして、イライラしちゃうなんて、。、たばこの箱にもたばこは体に悪いです、てきなことが書かれているのもウケる。まあ一応一般的な嗜好品なのにまさに依存って感じで、タバコを吸い続ける人がたくさんいるのはものすごく不思議なことだ、とわたしは思ってる。

 

 

 

 

 

 

友だちととある邦画を映画館で見た後、友だちが映像として出てくるタバコの量(頻度)と、映画の内容の良さは反比例するという説があるという話をしていた(わかんないけど邦画だけの話だったかな?)。

そのときに見た映画は、もうまさにゴリゴリの邦画の雰囲気満載の映画で、たしかに主人公がエモい顔をしながらしょっちゅうワンルームのアパートの換気扇下でタバコを吸っていた。いまその映画のタイトルをググってみたら、映画のポスターさえも主人公がタバコを片手に持っていた。

 

 

 

たしかにタバコで作品の中の全ての曖昧なニュアンスや世界観を表現してしまうのは愚かだとは思うが、

逢坂剛の作品でバカスカとタバコを吸う奴らはとてつもなくかっこよく思えたし、どんぐりと山猫で山猫が一郎に巻きタバコを勧めるのもなんだかおかしかったし、ノルウェイの森のタバコもドライブマイカーのタバコも、ちょっと思い出しただけで伊藤沙莉が吸ってたタバコも、姫野先輩とアキくんがタバコを吸うのもわたしは全部好きな気がする。

 

 

 

 

 

 

マルボロは女の子の吸うタバコじゃないよね」 

「どれだって変わらないわよ。どれも不味いんだもの」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母はもうだいぶ長いこと(多分予想では15年くらい)タバコを吸っていないようだが、わりと最近(おととしくらい)にタバコ吸いたくなることないの?って聞いたら正直あるよ、とは言ってた。マジ?こんなに長いこと吸ってないのに?

 

 

 

 

 

ちなみにわたしは心がグレていたときはタバコを吸ってみたりしたけど(王道のグレ方だよ)、全然ハマらなかったなあ。

夕闇がyoutubeで1週間アイコスを吸ったらハマるのか?みたいな企画で、まんまとハマってて喫煙者と化してたけど、わたしは2ヶ月くらい吸ってたけど全然もう今吸わなくてもいい。1日の量とかもあんだろうか。

 

 

前の会社の同期と飲む時は、仲良い男の子たちはみんな飲み会の途中で外に行ってタバコを吸ってて、一本もらって吸ったりしたこともあった。そうやってみんなと話すのは嫌いじゃなかったよ。タバコの吸い方教えてくれてありがとう。

そういえば最近もらいタバコは良くないみたいな本を読んだけど忘れちゃったな。

 

 

 

 

まあわたしがそんなにタバコに嫌なイメージがないのは、まわりの吸う人がそもそもそんなに多くないということと、吸っている人もマナーを守って、非喫煙者を気にかけている人が多いからなんだろうとは思う。狭いところで紙タバコをばかすか吸われていたら流石に嫌かもしれない。

 

 

 

 

 

 

寝られない夜、深夜にこっそりベランダでタバコを吸ってみた。(賃貸のベランダでタバコ吸っちゃダメ?だと思います)。

タバコの良さは、まあ正直わからなくはない。何もない時間を、タバコを吸う時間にできる。

 

 

 

 

 

まだ若かったのにそんな美味しいとも思ってなかったんだろうな、とにかくお兄ちゃんは家のベランダでタバコを吸っていた。

 

わたしにも反抗期はあったけどお兄ちゃんはわたし以上にいろんなことに反抗していて、ここには書けないけど色々やらかして、機嫌を損ねるとわたしにあたって、わたしはほんとにお兄ちゃんが怖いし嫌いだし一緒の空間にいるのも嫌な時もあって、ほとんど口を聞かない期間もあって、それでもいつもカッコつけて生きてた気がするけどわたしからしたらめちゃくちゃカッコ悪かったよ。でもそれがお兄ちゃんだったなと思う。

 

 

 

 

わたしの部屋のベランダで、お兄ちゃんがひとりでタバコを吸う背中を、わたしは何故か見てしまうことが多かった。

わたしはそのときは純粋に兄がタバコを吸う意味がカッコつけ以外にほんとに訳がわからなくて、なんでタバコなんか吸ってんだろ、と思ったけど、わたしも心が荒んだ時にタバコを吸ってみようとなったから、なんかそんなわたしと変わんない理由があったのかもなあ。カッコつけでタバコを吸うのも別に悪くないのかもしれないし。

 

 

 

お兄ちゃんは、夜の実家のベランダで、口から出る白い煙と暗い空を見て、何を思ったんだろう。

「一本いる?」

とたまたま一回だけ言われて拒否した(これも未成年の妹にタバコを勧める俺かっこいいとか思ってたのかもしれない)、あの時わたしは高校生だったが、試しに吸ってればなんかお兄ちゃんに共感できたのだろうか、

 

 

 

 

と、わたしも自分の吸うタバコの煙と、ずっと上にある空を見て思った。

 

 

死ぬ言葉と生きる言葉

 

 

少子化問題とか、同性婚は社会が変わってしまうと首相が言ったこととか、社会の中での人の生き方について考えるニュースが最近多いなと感じる。

ここはわたしの意見を自由に発したい唯一の場所だとおもっているので。不快なきもちになりそうなリア友(これって死語?)のみなさんは読みたくなかったらとばしてくださいね。

 

 

 

(どうでもいいがこの間「新譜」という言葉をさらった使ったときに、あれこれって死語なのかな?と思った。わたしたちが中学生のときはウォークマンipodで音楽をきいてたので、CDの発売日に(もしくは前日に)CDショップでCDで音楽を買うことが当たり前だったが、いまはサブスクで解禁されるからCDとかそういう文化自体が廃れているし、新譜という言葉は現代には合っていない…?とふとどうでもいいことを思った。どうでもいい、という言葉を二回使った。)

 

 

 

 

 

 

 

わたしは時々、女であることはたまらなく嫌になる。

生理がきてお腹が痛い、子孫を残すという気持ちがマジでない、反出生主義のこともわかる気がする、子孫を残すための体ってキモい、でもそれが生き物なのか、種の存続のために我々って生きてんの?男、女というくくり、怖い。子孫を残すことが前提の分け方なきがしてしまう。

 

NHK不定期でやる「植物に学ぶ生存戦略」という妙にくだらなさを含んだ番組が大好きだが、植物もしぶとく生きて子孫を残そうとしてるのだと考えるとちょっとした恐怖を感じる。

 

 

 

 

妊娠するのも怖いし子どもに責任を持つのも怖い、わたしが産むんだよ、いのちを。

自分が生きていて嫌なことってたくさんあって、どうやって生きて行ったらいいかわからないことばかりなのに子どもを導くことなんてできないと思っている。

という話を新婚の男友だちにしたら(そんなこと新婚の人に話すなよ)、一緒に学んでいけばいいんじゃない?とど正論を言われた。わたしは性格が悪く、最悪な人間なので、この人が本当に羨ましいと思ったし、妬ましいと思った。

 

 

 

 

おととし?くらいにラインを消して友達が減った、と思う。

 

自分が一緒にいて楽な人を取捨選択した結果かなとは思うが人と出会っていろんな価値観を教えてもらえる機会は減ったんだろうなとは思う。

それでもやっぱりあまりに違う価値観は疲れてしまう。

というか嫌な気持ちになることもあるのでわたしが勝手に拒否をしたのだ,

わたしは幼いな、と思う。

 

 

大学の友だちは集団になるときつい。もちろん、そのひとたちは何も悪くないのに。

みんな大手企業に勤めて、当たり前のように彼氏彼女がいて、もしくは作る努力をしていて、結婚したいという気持ちがみんな一律にある感じがある。ゴールに向かっている感じが、わたしに劣等感を感じさせる。そもそもわたしはみんなみたいに優秀じゃないしね。

わたしもそういうゴールが幸せなのか?と考えることはよくある。正直そうなれたらほんとにいいなと思う、こともある。から彼氏本当に必要なのか正直わかんないという状態で今の人と付き合ってる(それって最悪か?だれかが自分のことを好きという事実に安心して甘えてしまっている、最悪かも)。でも、それに完全に染まることもできずに、一歩引いて考えてしまう。周りの影響だと思う。自分の意見がぐらぐらしているのがわかる。

完全にそれを否定できない自分もいてもどかしい。自分らしく、自分に自信を持った生き方をしたいのに。とにかくわたしは自分に自信がないし、まわりからの目も気にしてしまう。かっこいい生き方をしている人間だと思われたいのだ。ダサすぎる。

 

そういう恋愛とか、結婚とかの話ばっかなのも、何も話したくなくなるので、わたしは好きな本や映画の話や、最近こんな面白いことがあってさー、という話ができる人とずっと酒を飲んでいたい。いまの話をたくさんしたい。

そういう恋愛や結婚などの将来の話も全く聞きたくないということではないので、話してもらったら聞くけどそればっかになりたくないってだけだ。わたしの我儘ではある。

 

 

 

 

むかしからあんま結婚願望がなかった。というより法律婚への憧れが薄い気がする。誰かと一緒に暮らしていくことの憧れはある。好きな人と一緒にいたい気持ちだけがある。それを叶えるのが一般的には法律婚ということに、ずっと疑いを持ってる。それが本当に1番幸せなのか?と疑ってしまう。

でも事実婚法律婚ではあまりにも恩恵が違いすぎる、めんどくさいから法律婚してしまおう、そっちのほうが楽だから、となりそう。

なんとなく結婚はしたくないけど、色々考えてパートナーと納得した上で結婚できるのが1番いいと思うけどな。

オードリーの若林が結婚して、若林だけはわたしの味方だと昔から思っていたからか(すいません、信者なやつで…)、結婚っていいのかなって思ったこともあった。

去年あちこちオードリーで森三中がでたときに、若林のいまの奥さんが夜に明日のお弁当を詰めていてそれをみて「恋愛っていうより生活だ」と思ったから結婚した、という話がとてもよかった。わたしも誰かと「生活」がしたいよ。って純粋に思ったのは、わたしの中の願望がすこしだけわかった気がしてよかった。

 

 

 

 

でも結婚したとして名字を変えるのもなんか、まあ絶対に嫌とかじゃないけど変えなくていいなら変えたくない、なんで女性が変えなきゃいけないんだろうとは普通に思うな。

でも実際別姓が許可される法制度ができたとして、そこから社会の受け入れ方が変わっていくのはまた時間がかかるんだろうなと思っている。

わたしは仮に結婚したとして、別姓にできるなら別姓にしたいなと思う。自分の今の名前わたしはだいぶ好きだし。

そういう選択肢を当たり前のようにするには当たり前のようにそういう選択をする人がたくさんいたほうがいいと思うから。

力になりたいよ。

 

 

 

親が昔に使っていたのを聞いたことがある言葉、「主人」「家内」という言葉ってじわじわ嫌な言葉だなと思った。

主の人って何?家の内の存在って何?普通にキモいよ。

岸政彦がおさい先生(この呼び方もリスペクトとかわいさがあって好きだ)のことを連れ合い、と表現してるのはいいなと思った。結構そういう人って最近いるよね。

連れあってるんだもん、相互の関係がある。

でもこの表現もいつかはよくない言い方だと言われたりする日がくるんだろうか。

 

 

 

 

 

 

結婚式とかにも憧れが全くと言っていいほどない。そもそも華やかでキラキラした服を着るのが本当に苦手だし、その上人に注目をされるのなんて嫌だし、披露宴で昔の映像とか流されたり、昔のことを回顧しなければならなくなったら最悪だと思う(そんなことあんまない?最近の結婚式事情わかんない)、わたしは自分の過去がトラウマで大嫌いなのに。

ウエディングドレスとかもどちらかというと着たくない。どうせなら自分の好きな服を着たい。かっこいいパンツスーツとか。わたしはそっちの方が好きだ。

 

 

着飾ることはほんとに苦手で成人式はどうしても着物を着たくなかった。が、うちにはおばあちゃんが残してくれた綺麗な着物があって、母親はわたしにそれを着せたがった。わたしは着たくなかった。おばあちゃんや親の気持ちを考えろと怒られた。

そして母親は成人式当日まで髪を伸ばすことを強要した。わたしはそのときはショートにしたくて髪の毛を切りたかったのに。

 

成人式当日に着付けと髪のセットが終わって、美容院ではなるべく化粧を濃くしないでくれと懇願した。髪も派手にしないで、お願いします。ほんとに嫌なんです、と母の目を盗んで美容師に伝えた。でも気がついたけどここは母の行きつけの美容院だった、今思うとホラーだよ。

そもそも美容師と話すのも苦手なのでセットしてもらっている間も本を読んで現実逃避していた、と思う。たしか遠藤周作を読んでいた。わたしは、自分がきれいな格好をしてうまれた感情よりも、本をよんで学んだことを大事にしたい、大事にしたいよ、と思うとなんだか泣けてくるよ、なんでだろう。

 

家に戻って家の前で無理やり写真を撮らされたが、綺麗な着物を着ることも、切ることを諦めさせられた髪も、全部嫌でわたしは家の前で涙目だった。

 

 

親戚に写真を送るのに、なんでそんな顔をするんだとまた怒られた。撮られた写真のわたしの顔は酷かった、だって2秒後には泣いてるだろう、みたいな顔をしてほんとに悲しそうにわたしが写っていた。こんなことをして親は楽しいんだろうか?と思った。母親はわたしをずっと責めた。

でも笑えなかった、ひとつも嬉しそうな顔ができなかった。なんでわたしの成人式なのに嫌なことをしないといけないんだろうと思った。

女だから髪を伸ばして、髪を結いて、着物を着て成人式に出ないといけないの?と思うと価値観を全て押し付けられている気がして嫌だった。とにかく悲しくて、つらかった。

でもその価値観を大事にできない自分にも嫌悪感があった。そのころから特に、わたしはわたしがどう思ってどう行動するのかが正しいのかわからない気がしている。

 

 

 

地元の友だちに会って、久しぶりに会う友だちとかもいて少しだけ元気は出たけどもう全部が嫌になったので同窓会的なものもひとつも出席せずにその日の飛行機で北海道に戻った。北海道にかえって、一人暮らしの自分の家に帰っててわたしは安心してまた泣いたのを覚えている

 

 

 

 

 

結局自分に子どもができたとしても、親からもらった価値観でしか自分は子どもを育てられない、という話を聞いたことがある。残念ながらそうなんだろうなとわたし自身も思う。

いくら反面教師にしていても、わたしは今の両親に良いことも悪いことも教えられた、そのうえでわたしという人間ができているのは間違いない。

わたしみたいなひねくれネガティブ自己肯定感低い人間をわたしが生み出してしまったらどうなるんだろう…と思う。

 

 

わたしらしく生きる、という方法がずっとわからなくて、ずっと時間だけが過ぎていっているかんじがある。

そうして過ぎていった時間を後悔する未来が待っているような気がして怖い、あのとき頑張ってひととかかわっていれば、彼氏をつくっていれば、結婚していれば、子どもを産んでいれば、とか思ってしまったらどうなんだろう。わたしは、わたしが正しいのかずっとわからない。

普通のレールに片足が載っていて、でもただの本当の普通ではいたくない気持ちだけがわたしをもやもやさせる。もうすぐ27歳になる。ずっと自分の過去を後悔し続けていているまま。答えがほしくて、わたしの進むべき道があってほしいと、願っているまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

100分de名著というテレビ番組が割と好きなので、毎回ではないが見ることが多い。

年始に「100分deフェミニズム」という特集をやっていたので録画をしてみた。

東京大学上野千鶴子とか、『海をあげる』の上間陽子らがでていて、フェミニズムについてそれぞれが思う名著をあげて解説する100分の番組だった。(通常は25分の番組が4週にかけて一冊の名著を紹介している。25分×4回で、100分。だから100分で名著。)

 

 

 

女性の権利の歴史とか、男性についてはホモソーシャルとかについてもかなりわかりやすく説明していて、とても興味深くおもしろかった。

男性はこれをみてどう思うんだろう、とものすごく興味があって、感想を聞きたいのだが押しつけがましく思われたらいやだなと思って(こういうところがわたしの悪いところだと思う)、まあ…せめても…と思って父に(父も100分de名著は時々見ているし、上野千鶴子らのことについても知っているから)、年始にやってた100分de名著おもしろかったから見てみて…と言ってみた(まだ見たかどうかわからない)。

 

 

 

体を使って起こることは甘く見ないほうがいい、ということをはっきり言っていたことがかなり印象的だった。

例えば代理出産についても、自分の体を差し出して、それが自分の意思だったらいいんじゃないか?という司会のバービーの質問に対して、「他人の身体を使って自分の自由を実現すると言うことの怯えは捨てられない」と研究者である彼女たちははっきり言っていた。短期間で見れば自由意志だったとしても、長期的にみて、語り直されると身体の関係は違う語り口になるのだ。

 

 

性的同意の難しさについても語っていて、わたしも本当に自分自身でも難しいなと思う経験がある。確実にあるなと思う。わたしですらあるならこの世の中には腐るほどあると思う。それを男性たちはどのくらい知ってるんだろうか?

 

中絶の権利は国際政治の争点。と上野千鶴子ははっきり言った。素晴らしいと思った。

アフターピルの市販化もまだ認可されていない。自分の経験からもどう考えても完全に他人事じゃないとわたしは思う。

 

 

女性たちが性暴力を語るようになった年代に、「わたしはこのような体験があった」という語りに対して、聞いた女性たちが「それはほんとうですか?」という反応をすることなく、それはあったと事実として認めたと言う話をしていたときはテレビを見て思わず泣いてしまった。

痴漢とかわかりやすいものだけでなく、性的にいやな思いをしたことがない女性なんでいないんじゃないの?当たり前だけど。だから、そちらから誘ったのではないか、とか取るに足らないことなのではないか、とかいう意見がでることなく、女性同士で連携ができるのだ。昔も、今も。

 

 

 

 

 

 

セックス ができるかどうか、をその人と付き合うかどうか判断基準にしてる男性に出会ったことは割とある。逆に付き合ってみたけどセックス をする気が起きなかったから別れた、と言う人も見たことがある。もちろんすべてのひとがそういう考えだとは思っていないけど。そういっていた人がいた、という事実だ。

特に男は本能的に子孫を残したいから、そう言う目線で見てしまうのはしょうがない、と言ってる人もいたな。

 

このことに対して、言える言葉は難しいけど、わたしは人と付き合う前に、この人とセックス できるから付き合おうかな、とかあんま思ったことはない。もはやそういうことが全くできない人、でも全然付き合えると思う。得られないものもあるかもしれないが性的なことで嫌な思いを絶対しないもの、と思う。性的同意で悩むことはあるし、これからも嫌な思いをしそうな気もどうしてもしてしまう。わたしのことをただただ抱きしめてくれればいいんだよ。本当にそれでいいなと思う。

セックス する、しないではなく、intimacyが大事、みたいなことを言っていた外国の男性のスピーチを思い出した。男性の「right to sex」についての話だった。

友だちがTwitterリツイートしてて、純粋にその感覚いいな〜と思った。素敵なスピーチだった。

 

 

 

 

だれかと一緒にいたい気持ちが近年生まれてきてるのは、寂しいからだと思う。

でも実家にいるのは嫌だから、わたしの話を聞いてくれて、話を聞かせてくれて、好きなテレビ番組を一緒に見てくれて、面白かった本の話ができて、一緒に散歩をしてくれたり、綺麗な夕日を見てアー綺麗だなーとぼーっとしたり、季節の美味しいものを食べたりしてくれるひとがほしかった。

 

ほんとは同性の友だちと一緒に住みたかった。一緒に住めるなら済んで欲しいと思ってた。セックスのこととか、恋愛のこととか考える必要ねーしな、とかも思ったし。

でも難しくてよくわかんないなと思うこともある、正直に…。わたしはシスジェンダーヘテロセクシャルではある。恋愛感情は男性に抱く、というのは実際そうだ。

 

まあ一緒に住みたいよ、とわたしが誘える同性の相手はみんな人と住むとかそういうの無理だわ…というひとか、彼氏がいてわたしと住むという選択肢は全くない人だった。そもそもそんなことを誘える人自体が少ないけど。

だから彼氏を作るっていうのが1番簡単な方法なのか?とも思う。それってどうなんだろう、とまたもやもやしてわたしは自分の行動に自信がもてなくてよくわからなくなる、という繰り返しだ、最近は。

 

 

 

 

Twitterで、「誰かとお付き合いすると、結婚するか、別れるかの2択しかない」みたいなツイートを見た。

もっとあるだろ、てかあってくれよ、とわたし自身は思う。けど、言いたいこともわかるよ、なんか。

でも同性愛者の人たちはこういう普通(と思われている)ツイートの中にくくられていないと思うとわたしはかなしい。だって結婚するという選択肢が0%だから、じゃあ別れるしかないのか?となる。そんなことはないでしょう。現行の法制度のせいで誰かの幸せがなくなってもいい世のなかであってはいけないよ。

現実的に見ても他の選択肢も実現できるような世の中になって行ってほしい、と思う。

 

 

 

 

 

でも結局わかんない、自分のことばっか考えている自分も、何もできない自分も。そうやってまた時間だけが過ぎていくのを、わたしはなぜか俯瞰でわたしをみているような気もする。どういうことなんだろう。おわり。

 

 

 

お題「高校生の自分に読ませたい本」

 

わたしはわりと知的好奇心がある方だと思う。

結構どんな時でも世の中のいろんなことを知りたい気がするし、常に何かを学んでいたいと言う気はする。それはいろんな自分の引き出しがあるほうが人の助けになるんじゃなかろうかという気持ちと、純粋に知らないことを知るのは面白いという気持ちの二つがある。

だからわたしは本を読んでるみたいなところもあるし、人に何か教えてもらうのも好きだ。新聞を読むのとか、Twitterでいろんな記事を読んだり、いろんな意見を見るのも自分に何かしら蓄えられてると思える。

 

文系脳なので文学的なことや、美術とか歴史とか、哲学的思想とか社会学とかに惹かれてしまうけど、理系的なものももっと知ったら面白いんだろうな〜と思っていろんな勉強ができたらもっといいのになあと思ったりする。

何かを知ることが、いろんなことにつながると思う。いろんなことを知っていた方が、いろんなことに理解ができやすい。ざっくり言うとジャンル問わずいろんなことがわかるひとになりたかった。

 

 

自分の意見も言いたいし、人の意見も聞きたいと思ってる。でもそれが時と場所によっては人を嫌な気持ちにさせてしまうこともあると知ってからうまくは言えないことが多いが。どうしても杭が出てしまってる風に見える時がある、そしてその杭が出てること(浮いてること)を恐れなきゃいいのに、自分を肯定できない自分がいる。

知ってることを振りかざすような人にもなりたくない。

 

 

基本的に議論が好きなので、大学のゼミとかもどちらかといえば好きな方だった。みんなの意見とか質問とか興味深かった。しかしわたしは研究室の中では積極的な方ではなかったし、みんな頭良くてすごいよ…って感じでみんなの話をなるほどなあと聞くことが多かった、議論に参加できていたかはかなり微妙である。

 

 

自分の発表で、卒論執筆しはじめていろいろ難しくて悩んでる時に、先生にボロクソ言われて泣かされた時はもうゼミ発表なんて一生しねえよ!くそが!と思ったが、院生が慰めてくれて心を立て直したこともあった、まあ今思えばこれはいい思い出な気がする。笑

(言っておくとこの先生はわたしの指導教員ではなく、指導教員がサバティカルでいなかった期間に臨時で来ていた近くの女子大の先生だった)

 

 

 

 

ただ天邪鬼なのか勉強しろと言われるのはめちゃくちゃ嫌いで、わたしの家は結構親に勉強をしろと言われてきた家庭だったけど、小学校の時はわざとテストで悪い点を取ったりしていた。

算数のクラスで少人数教室になったとき、勉強が苦手なひとたちの方のクラスに行ったりしていた、そっちの方がわたしにとっては心地よかったりするのだ。スローペースな勉強が好きだった。みんなのびのびとしてたまに教え合って、そんな雰囲気を小学生ながらもその時のわたしは感じていたと思う。

 

 

高校生の時もやる気出した時とやる気出ない時のテストの点数の差は結構あった気がする。親にもまたわりかし小言を言われた。そのたびに勉強することが嫌になった。けど多分ある程度には勉強してたんだと思う。ギリギリ赤点は取らなかったし、いつでも上位に行けるように保険をかけていたところはある。

 

そのころは特になにかに強制されることがとにかく嫌で、校則も破って、スカートも短くして、髪の毛も染めて、ネクタイゆるめて第二ボタンを開け放って(開けてた、ではなく、開け放っていた。笑 今思うとなんであんな開け放ってたんだろうと思う、シャツはちゃんと閉めた方がいい)、いつも遅刻して、体調が悪いと嘘をついて保健室で授業をサボって、というかなり今思えばダサい感じでわたしは高校生だった。不良や問題児とかそこまで振り切れなかった、ダサく抵抗していた高校生。

もっとのびのび勉強できればよかったな、わたしの問題だけど。

 

 

 

でも正直わたしにダサくなくて輝いてた時期なんてないとは思うけどな。

 

 

 

 

新卒で最初に入社した会社では毎月月初に自己啓発本やビジネス書を一冊指定されて、それを読んで月末までに読んでレポートを提出するという宿題が出されていた。

とにかく論理的思考を鍛えろ!と言われて、セミナーみたいなのも受けろ、みたいなことも言われていたし、会社でもそういうのを斡旋していた。真面目な新卒のひとたちはちゃんと受けてた気がする。

 

自己啓発本もビジネス書も好きではないわたしは、また天邪鬼の発動も相まって約1年間全てそれを無視した。レポートは一回も出したことがない。なんで業務時間外につまんない勉強しなきゃいけないんだよ、休ませろただでさえ残業あんのによ、と悪態をついていた。

もちろんそれをもっとちゃんとしてたら、わたしもまともな社会人というやつになれていたのかもしれないとも思うし、いい意味でも何か変われていたのかもしれない。

 

でもわたしはそんなものを読むなら小説とか、エッセイとか読みたい、一般的な意見じゃなくて、いろんな人の、「その人の」立場の声を知りたかった。(時々、そういう代表された意見がオ、面白いなと感じることももちろんある)

 

そんな不真面目なわたしは上司にはいつも怒られていたが(喧嘩してわたしがキレて帰ります、と言って退社するのが月1のイベントみたいな時あった)、いつか急に全社朝礼で抜き打ちで行われた論理的思考テストみたいなやつで、偶々だとは思うがかなり高得点をとって、全ての部署の責任者を抑えて社内1位をとったら上司も黙った。(わたしって論理的思考備わってんの?正直そんなふうには全く思えないけどな、すぐ感情で物事考えちゃうよ…)

 

その成績上位者をランク付けして、全社朝礼でみんなの前で発表したのも、何の意味があんだよ、と思った(わたしの立場からしたら上司を黙らせるのには効果的だったが)し、こんなもんで人を測んのもキモいな、とも思った。それだけじゃなくて、とにかく前の会社では数字で、定量的な評価をばかりを下していた。あ、わたしはそういうの無理だな、と確信を深めに深めて、そのテストの後わりとすぐ会社を辞めた。

 

リーダーになれる素質あるからやめないで、そしたら昇給もさせてあげられるし、みたいなこと言われてひきとめられたけど(ほんと人手不足だったからてきとうなことを言われているのはわかってたし)、出世とか人の上に立つのはマジで興味ありません!!!あざっした!って感じで去った。

今思うと前の会社ではとにかく上司の話を聞かずに自己が正しいと思うことを貫き通していて、すごい扱いにくかった社員だったと思う。

わたしと喧嘩してた上司の評判は正直社内でも悪く、人事の人にその上司に問題あるんだったら異動とか対応考えるよ、と言ってくれたけど会社の雰囲気自体が嫌いだったので辞めるのは決めていた。

そしてなぞに最後は、その上司のせいで辞めるわけじゃないんで、あの人は悪くないです、と庇ってしまった。わたしも確実にダメな部下だったからな。

 

 

 

転職してから、コツコツ簿記の資格を取っていま1級の勉強を自主的にしてるのは、好きにやりたいことやっていいよ、やりたいって言ってくれたらなんでもできるから〜と言ってくれるありがたい環境があるからでしかないと思う。残業もないので自由な時間が多いから勉強しようという気持ちにもなれる。

もちろん資格はあった方が生きやすいかな、とかそういう打算的な考えもある。事務所で仕事ない時も暇すぎるの嫌だから、勉強してた方がいい。

 

 

 

 

まあただ、頭がいいかどうかということや、実際にどのくらい学べているのか、とか勉強の量などについては置いといてほしい。(簿記一級も来年受験を目標にやってるが、むずくて範囲が広くていまのところ落ちる気配がぷんぷんする)

というかわたしは完璧にはっきりと、自分は地頭が良くないと思っている。記憶力も悪いし。いっつもなにかを常に学んでる、というわけではない。本も読みたくない時は読まない。たぶん人と話してる時は露呈していると思う、わたしのいろんなところの足りなさが。

 

めちゃくちゃ勉強して、ひいひい言いながらギリギリで合格した地方の国立大学では、周りの人たちの頭の良さが羨ましくなって、自分のあたまの軽さを隠すのに必死だった気がする。

 

 

 

勉強が嫌いじゃないけど頭が良くない、っていうのはわりとコンプレックスとして存在はしてる。いくらやってもわからないことが多かったり結果が全然出ない感じがあったのは学生の頃は苦しかったな。

決してものすごく頭が悪いわけじゃないと思うけど、勉強で失敗したことってわたしは割とあるほうだと思う(まあ主には受験かな)。

わたしの受験挫折経験は正直めちゃくちゃ根が深いと思う。ものすごく仲の良い友達にもこのことについて話したことはあるが全ては話していない。苦しすぎる失敗が恥ずかしくて全てを話せない。

 

 

 

 

 

そんなに頭が悪いというわけでもなくて中途半端、っていうのと、もともとの真面目な性格もあって、わたしはもっと頭良くなれるんじゃないか?みたいな理想(幻想に近い)があったから厄介で、わたしはもっとできるんじゃないかとか承認欲求とかも高くていろいろ失敗したんだと思う。

そのたびにわたしはいくら勉強しても理想には追いつけなかったなあという絶望感がある。今思うと努力は一生懸命してたつもりだったけど、効率とかも悪かったよ。まあでも意味がなかった行為を努力とは言えないのかな。

 

受験で失敗したとさっき書いたが、決していい大学に行くとかそういうことだけじゃないけど、例えばみんなと話しててわたしの想像力が追いついていないから無意識に人を傷つけているんじゃないか、とか無知な故にとんちんかんなことを言っているんじゃないか、とか不安になる。今思ったけど頭いい人とか、理解がちゃんとできる人とか、そういうふうに見られたいのかもしれない。

 

 

 

 

文字にするとうまく伝えられないし、なんだかしょうもないことのような気はするけど、わたしよりも偏差値的には下の大学に行ってた人でも、わたしより賢くて素敵だなという人はたくさんいて、わたしはそういうひとに憧れてしまっているのだ。

わたしは一般的には立派な国立大学に合格したことは成功体験なんじゃないの?とともだちや医者に言われることは多いが、自分ではなんとも言えない感情になる。

背伸びをして合格した大学で、わたしは熱心に勉強してたかというと逃げていた部分もかなりあったし、周りと比べて落ち込んだこともあったし、その大学に合格したというプライドだけが無駄に残ってしまった気はする。基本的に根は真面目なんですよ、だから苦しくなる。

 

 

 

 

でも、わたしは人生のほとんどの分岐点で挫折してるからしょうがない。ほかにもおっきい傷はある。思い出すだけで辛い経験がある。それはどう頑張ってもわたしの自己肯定感を低くする。

 

 

 

 

 

包帯クラブ」という本を読んだ。

 

 

 

読もうと思ったきっかけは、宮地尚子の「傷を愛せるか」というエッセイを読んだからだ。

宮地尚子は、トラウマ心理や、ジェンダー論を専門にしている社会学者で精神科医だ。

出版されたのは結構昔みたいだけど、文庫版が最近発売されたことでTwitterで話題になっていて、ずっと読みたいなって思っていたので買った。

 

 

傷を愛せるか、はすごく良い本だった。

著者のさまざまな旅の経験や、映画やアートかの思い出とともに、傷を抱えながら生きることについて語られた本だ。

傷を抱えたすべての人に読んでほしい。そしてこれを読んだら自分以外の人の傷に対しても、優しくなれるような本だ。

 

 

 

「傷の記憶が抹消されていく流れに、もっとささやかなレベルでだが抵抗し、景観を聖別・選別しようとする動きを描いた作品がある。」とその本の中で紹介されていたのが包帯クラブだった。

 

 

包帯クラブという小説の存在は知ってたけど、多分読んだことなかったと思う。映画も見たことがない。読んでみたいと思ったので文庫本を買った。

 

 

 

主人公の女子高生のワラは、ディノという不思議な男子高校生との出会いをきっかけに、「包帯クラブ」を結成する。

傷ついた人からの相談をネットで募って、傷ついた場所に包帯を巻きに行き、「手当てされた風景」をデジタルカメラで撮影し、相手のアドレスに送るという活動をするのが「包帯クラブ」だった。

 

 

小学生の時に理科室で、理科担当の男性教師からうけた性的な行動によって、2度と理科室に入れなくなった子のために、理科室のあらゆるところに包帯を巻いた。

 

中学生最後の大会で、オウンゴールして負けたことを悔やんでいる人からの相談には、中学校のグランドのサッカーゴールのポストに包帯を巻いた。

 

告白してフラれた女の子のために、学校の倉庫の鍵に包帯を巻いた。

 

とある文房具店で何回か万引きをした子は、自分の行為で、店が潰れたんじゃないか、店番のおばあさんを苦しめたんじゃないか、と悔やんでいるというメールを包帯クラブに送った。

要望に応えることで、万引きした人間を許すことになってしまわないかという疑問が出るが、「でも、うちらが、人を捌くこともできないよ」と話し合って、お店に包帯を巻く。

 

 

そうやって彼女たちはあらゆる場所に包帯を巻いた。どんな些細な傷でも、それらを認め、手当てをした。

 

 

「人が受けた深い傷に、わたしたちができることは、ほとんどないように思う。でも、相手の沈む心を想いながら包帯を巻くことで、〈それは傷だと思うよ〉と名前をつけ、〈その傷は痛いでしょ〉と、いたわりを伝えることはできるかもしれない」

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは結構自分では自分のことを傷だらけだと思っているが、世の中の出来事に比べたらかすり傷みたいなもんで、それをはたして本当に認めていいのかみたいな不安は常にあった。

 

 

わたしが高校生の時に、ダサいながらもいろんなことに反抗して生きていたのは、傷を抱えてたからなんだろうなと思う。ひとに話すのは難しいけど、あったよ、確実に傷が。

そして、それに対して誰も包帯を巻いてくれなかったな、と思う。でもそれは自分で自分の傷を、恥じることなく傷と認めて受け入れなかったからなんだろうな。傷だとわかんなければ、手当てができないんだよ。高校生の時にこの本を読んでたら、なんか変わってたのかな。

 

 

わたしは結構最近だけど、わたし以外の全ての人は幸せで、わたしよりは優れている点が絶対にあるから、だからずるい、みたいなことを割と本気で思っていた。

今考えるとなんてひどい考えなんだ、と思う。

わたしがどんな小さな傷でも、蔑ろにされたくないように、他の人も小さな傷をかかえてるということに、何も気が付けなかった。

他者のことをすべて理解しようとすることは暴力だと先週ブログに書いたけど、他者を理解しようとする姿勢をまったく捨ててしまうことも暴力なのかと思う。

 

 

 

 

 

登場人物のディノは少し変わっていて、側から見たら奇行とされることをたくさんしていた。

でもそれらにはちゃんと理由があって、たとえば雪の中を下着一つで走り回ったのは、真冬に着るものがない子が大勢いるっていうことを知ったからだし、生ゴミを入れた制服を着てきたのは、難民になったり、家を失ったりしてゴミ山のそばで暮らす子どもがいると知ったからだし、目隠しをして授業を受けたのは地雷やテロで目が見えなくなった子がいると知ったからだ。

ある場所では、確実にそういう体験をしている子がいる、報道されないだけで今もそういう目にあってる子がいるのなら、実際どんな感じか一億分の一でもわかることができないかと思って、彼はいろいろな行動をした。

それも彼が抱えた傷が行動のきっかけになったんだけど。

 

なんか、わたしがいろいろ知りたいっていう気持ちと似てるのかもなと思った。わたしはディノみたいに行動にすることができなかったけど。

 

 

 

 

 

わたしは読了後にAmazonとかで本のレビューを見るのが好きなんだけど、中高生向けのヤングアダルト小説だから大人には刺さらない、っていう感じのレビューが結構あった。

わたしは大人なはずなのにまだこどものような悩みをしているのかという気持ちと、大人になってもいろんな感性を忘れてないってことなのかも、という二つの気持ちがゆらゆらする。

 

もちろん、中高生にこそ読んでほしい、っていうのはすごいわかる、でも中高生だけの本じゃないしなあ、って思う。

カテゴライジングってときにはどうでもいいなと思う。バルニーとなみちえもカテゴライズ無意味〜みたいな曲を歌ってた気がするし(いやあれは人に関してっていう話だから…)。

 

 

わたしは26歳だけど、多分今森絵都のつきのふねを読み直しても、梨屋アリエピアニッシモを読み直しても、名木田恵子airを読み直しても多分刺さるんだろうな。

 

 

 

まあでもいろんな経験をして、アメリカでも研究して、臨床医としていろんな患者さんと関わって、いま一橋大学で教授をしてる宮地尚子包帯クラブから教えてもらうことがあったんなら、やっぱりそういうことなのかな、とも思うよ。

「そもそも精神医療やトラウマ治療は、包帯クラブのレベルのケアをきちんと提供できているのだろうか」と宮地尚子はいう。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の本でも、わたしにとってはいまを救ってくれる本で、「傷を愛せるか」も「包帯クラブ」もいつもいつも抱きしめて自分の中に取り込みたいくらいだな、と思う。

わたしがいろんなことに影響を受けやすくて単純だからなのかも知らない。

 

 

 

 

 

さいきんインスタのストーリーを昔の投稿を見返したら、ここ一年くらいはまじで同じようなことばっか呟いていた。同じような悩みばかり吐露して自分のことを肯定できないヨ〜ってかんじ。笑っちゃうくらい同じだった。

とおもったけどブログもいつもおんなじこと書いてるよね、ごめんねって思う。

 

わたしはやっぱりずっとわたしの中では時が止まっていて、わたしの外では時がどんどん過ぎているなー、と思う。

 

 

 

 

 

「傷を愛することはかなり難しい。

傷は醜い。傷はみじめである。直視できなくても良い。見えないふりをしてもいい。隠してもいい。

誰もが傷を認め続けられる強さはない、ただ傷を無かったことにはしないでいたい。」

 

 

とわたしもそう思う。

せめて自分の傷を愛せないのなら、誰の、何の、どんな傷でも、包帯を巻いてあげられるような、そんな人になりたいよ。

 

 

 

断片的なものの社会学

 

 

 

 

岸政彦の「断片的なものの社会学」を読んだ。

 

わたしが岸政彦に出会ったのは多分2年前?くらいで、わたしが好きな文芸誌の『文藝』で柴崎友香とふたりで「大阪」というエッセイを連載していてそれを読んだことがきっかけな気がするが、もしかしたらNHKの『猫も杓子も』という番組におはぎという岸政彦が飼っているかわいいかわいい猫と一緒に出たのをのを見たからかもしれない。(再放送だったかも)

 

「大阪」は正直柴崎友香のエッセイが読みたくて読み始めたみたいなところがあったけど、岸政彦の文章もあまりにもすっと自分の中に入ってくるからこの人はどういう人なんだろうかとすぐに興味がわいた。調べてみると社会学者である、ということがわかった。社会学かあ、大学でそういうことを勉強する研究室もわたしの所属していた文学部にはあったな、と思ったけどあまり触れてこなかった学問だと思う。

 

わたしは基本的に日本史(主に浮世絵が挿絵の江戸の出版物について卒論を書いた)か、あとは興味があった現代アートとか、すこしだけ世界史とか、あとは映画とかのカルチャー系の授業を多くとっていた。どれもそこまで熱心になれなかったが、一番ちゃんと勉強していた(というと語弊があるかもしれない、”一番マシだった”といったほうがいい)のは残念ながら専門ではなかった現代アートに関してだったようなきがする。

 

「大阪」は連載が終わったあとにハードカバーの単行本になって、文藝も毎期かっていたわけではなかったので、わたしはそれを購入して、すべてを読んだ。

去年は何冊くらい本を読んだかわからないが、去年読んだ本の中で一番すきだ、と思った本だった。

 

わたしは大阪に住んだことがないけれど、だれかの大阪の記憶を読み取れる、その存在していた時間を認識する、ということが(なんていったらいいんだろう”うれしい”とは違う感情なのだが)気持ち悪い言葉をつかうと「こころに響いた」のかもしれない。

大阪のこの風景が好きだとか、大阪でこういう出来事があったとか、大阪から東京にでてきてこういう気持ちになったとか、柴崎友香ナンバーガールが好きなんだとか、小説家になる直前の話とかも面白くて引き込まれた。

 

去年わたしが悩んでいるとき(いや、いつも悩んでいることがデフォではあるのだが、心身ともに最低、絶不調だったとき)、兄が永井均の「転校生とブラック・ジャック」という哲学書をくれた。

今お兄ちゃんはどんな本をよんでるの?と聞いたら、その流れでじゃあ、と言って兄が手もとにたまたま持っていた本をパッとわたしてくれただけだが。兄は何回も読んでいて内容もだいたい覚えているから、あげるよ、と言った。

わたしが悩んでいたことは多少知っていた(多分親がなんか言ったんだろうな)と思うが、悩んでいたからくれたのか、きまぐれでくれたのかはよくわからない。

 

わたしにとっての兄は、わたしよりも随分頭がよくて、ちゃんと努力ができる人で(勉強も、趣味のオーボエもかなり熱心にしていたイメージがある)、わたしは昔から兄みたいになりたいとおもっていろんなことを真似していたけれど、全然兄みたいにはなれなかったなあと思う。そういう存在だった。

兄は家ではおとなしいほうで、口数も少ないタイプだが、わりと自分の意見とかもはっきりしていて、世のなかを生きていく強さみたいなものを持っているきがする。

といっても、わたしは兄とそこまで仲がいいわけではない、頻繁に連絡をとったりしないし、兄も東京に住んでいるが会うことも少ないし、今の兄の事はわからないことのほうが多いと思う(楳図かずおが好きなことは知っている)。

それでもなんか憧れみたいなものは子どものころから消えないのは不思議だな、と思う。

 

もらった本のお返しにわたしは「大阪」を兄にあげた。「大阪」をよんだわたしは、これは良すぎる、と思って誰かに共有したかったのかもしれないし、兄は大学時代を大阪ですごしたのでなんか面白く読んでくれるかな、と思って渡した。

だからいまわたしの手元には「大阪」はない(文藝ならあるけど)。最近また読み返したいきがして、思い入れのある本なので買おうかなとも思う。

しかし兄はここ数年?(いつからかはわからないが)永井均の本をずっと読んでいて、永井均の私塾にも通っていて、永井均の本が面白くてそれ以外の本は面白いと感じられなくなっているという話も聞いていたので喜んでもらえたかは微妙なところである。(でももしH×Hの新刊が出たら買う?と前に聞いたときは、それは買う、と言っていたので謎に少し安心したが。)

 

感想は聞いていないし、別に聞きたいわけでもないし、兄も何も言わなかった。読まなかったらそれはそれでいいと思う。いま読まなくていつかふとしたときに読んでくれるのでも全然いい。

 

「転校生とブラック・ジャック」はわたしには結構難しい本だったけど、とにかく考えることに集中できた(集中しないと読めなかった)し、自分の知らない世界と発想が拓けたような気がした。

後日、全部を読むのが難しいので少しずつ読みます、と兄にラインしたら、あれは一気に読むものじゃなくて時間をかけて読むもんだから、と言われた。

談話室という章があって、とにかくそこを繰り返して読んだ(まだ難解ではないほうだったので)。

正直、考え抜いた先に答えが出るもんでもなくて、それが哲学なのかなと思った。でも考えることとかその道のりにちゃんと意味があると肯定してもらえている気がしてうれしかった。

 

わたしは本を読むとき、結構急いで読んでしまう癖がある。純粋につづきが気になる、っていうのもあるし、例えば一晩で本を読み終えるとたまらない充実感や満足感があった。決してだらだら走らないマラソンみたいな。だからときどき息がきれる。

駆け抜けたほうが、感情移入もしやすい気がした。そのとき、その瞬間の感情を失いたくないという気持ちがあった。つづけ、つづけこの気持ち、このテンション、とまるなとまるなとまるな、という気持ちで読んでいる。といってもこういう読み方をしているからわたしは本の内容をすぐ忘れてしまうのかもしれないのかも、とも思う。エンタメの消費の仕方としては、どうなんだろうか。

 

じっくり、時間をかけて本を読む人もいると思う。それはものすごく美しい行為だとわたしは思う。

自分のなかで文章をかみしめて、いろいろな解釈や考察をして、自分のそのときの感情をメモしてみたり、その本の中の好きな言葉・文章をこころにためたり、そういう読み方もいいなと思う。

そういう風にものや、ひととの付き合い方が、きちんとできるひとになりたい。

 

そのあと、筒井康隆の「川のほとり」を読むために『新潮』を読んでいた時に(さっき確認したら2021/2月号だった)、岸政彦の小説が載っていたのでそれも読んだ。

岸政彦って小説も書くんだ、と思ってなんとなく読もうかなとなって本屋に行って「リリアン」という小説を買って読んだ。そこにその『新潮』に載っていた「大阪の西は全部海」も収録されていたから。

リリアン」は大阪での、男の人と女の人の話、いろんな思い出の話がつまっていて、やわらかくて、儚い文章だったと思う。

 

時系列がいまいちわたしも思い出せないのでわからない(「リリアン」よりも前かもしれない)が、岸政彦のtwitterをフォローし始めて、「東京の生活史」という分厚い本が出版されることを知った。

岸政彦は社会学者として生活史の聞き取り調査を行っていて、それはその人の人生をそのひとに語ってもらい、調査者は聞き手として個人の人生を記述するという分析方法だった。

「東京の生活史」では、岸政彦が聞き手を募集して、150人もの人が聞き手となってそれぞれ150人の別の相手に東京での人生・生活を語ってもらう、そしてそれを一冊の本にしている。

150人の人生が語られているのだから、分厚いのも当然だ。

 

そのころNHKで「東京の生活史」について岸政彦を特集している番組もあってそれも見た気がする。

記憶はうろ覚えだが、ホームレスの人に聞き取り調査をしている青年の話や、編さんする岸政彦にインタビューをしていた。

面白そうな本だな、読みたいかも、と純粋に思った。「生活史の調査」っていままで触れてこなかったものなので興味はわいた。

 

でもなんでか買おうとしなかったのは、父に、値段も高いし(それはただ高いというわけではなくて、当たり前に内容が濃く厚いものだから値段が高いという意味)図書館で読めばいいんじゃない?と言われたのがなんとなくそう思ったからなのかもしれないし、分厚いから買っても部屋の隅におきっぱになってしまいそうな気がしたからなのかもしれない。

出版された当時はtwitterでいろんな本屋のアカウントが売れています!!と宣伝していたりして、なんとなくふーんと眺めている日が続いた。結局図書館で読んでもいなかった。

 

 

 

 

 

 

最近は結構いろんなことを考えて頭がパンクしてしまっている感じがある。

 

てか気候のせいがデカいと思うが、頭が痛くて、吐き気がして気持ち悪くて、先週はずっとおなかを壊していたようなきがする。肩こりもつらくて、とにかく体がだるくて、気持ちも暗かった。

twitterで”寒暖差疲労”という言葉がトレンドにあがっていたから、同じように苦しんでいる人はきっと多いんだろうなと思った。

 

特に朝と午前中はつらい。自分を整えなきゃいけない、という気持ちと自分を整える行為が何もできていないという気持ちがごちゃ混ぜになって、自分のことしか考えられない状態になる。なんだかあまりにも最悪だな、と思う。

わたしは自律神経が乱れすぎて終わっていて、息苦しさを感じながら、気持ちも落ち込んで、泣きながら生活している。これがわたしの生き方なのかなと思う。

 

 

暗くなってしまうせいで結構”死”について考えることが多くて、それは全く終わりが見えないなと思う。

暗い話になるが、まずは自殺の仕方について、わりと考えていた。

完全自殺マニュアル」という本があって、そのレビューで「いつでも死ねると思うと心が楽になった」と言っているひとが多かったので、ほんとかな?わたしも心楽になりたいと思ってわたしなりにいろいろ調べてみた。

 

でもどう考えてもいつでも死ねる、という気持ちにはならないな、と思った。

 

焼身自殺は苦しみながら自分の体が焼かれていくことに耐えないといけないし、隣人とかに迷惑をかける可能性も高い。

首吊りは賃貸では無理だし、じゃあ一人暮らしの家のほかにどこがあるんだろうと思う(でも完全自殺マニュアル的には首吊りがいちばんおすすめらしい)。

電車に飛び降りるのは残された家族の金銭負担がヤバイらしいし、練炭自殺もする場所がないしあと死ねなかったら脳に障害とかが残るらしい。

刃物で自分の首とかを掻っ切るのはものすごい力でなんのためらいもなくとくかく能動的に思いっきり切らないとどう考えても無理だ、たぶん自分でやるのは難しい。

高層階からの飛び降りは失敗することが多いらしい、死ねなくて体になんらかの後遺症を伴って生きるのは飛び降りたことを後悔する未来しか見えない。

(マイ・ブロークン・マリコを読んでわたしはものすごく心が動かされて、ほろほろと、というかドバドバと涙を流したが、マリコの死因を考えたときに4階という低さから飛び降りて本当に死ねるのか?とも思った。頭から行けば死ねんのかな。)

 

いろいろ考えて一番いいかも、と思ったのはオーバードーズだった。南条あやもカラオケ店でODで亡くなったらしいし。

と思ってODについていろいろ調べてみたけど、わたしとおなじような考えでODが一番いいかもと思ったけど死ねなくて病院に運ばれて地獄をみた、というひとのブログをよんで恐ろしくなった。(オーバードーズ 地獄 で検索すると多分一番上にでてくる。)

 

南条あやODで亡くなったというよりかは、もともと心臓が弱っていたことが大きな原因で、ODはただのきっかけにすぎなかったらしい。

普通にかんがえても市販の薬とか、処方される薬とかを大量服薬して簡単に死ねるわけがない、だったらその薬はどう考えても問題のある薬だと認定されると思うし、自殺志願者はみんなそれで死のうとするだろうし。

もちろん自殺が簡単なわけはない、というのは当たり前のことかもしれない。それでも、それでも自殺をしてしまうひとがいる、ということは、そういうことなんだよ。

 

 

あとは自殺に失敗するかも、という可能性について考えることはわりと重要な気がする。いろいろ後遺症とかが残ったときに、今よりもっと死にたくなって生きていくのかと思うとかなり恐ろしい。あとは自殺をしたやつとして認定をされて他人から見られるものわたしは怖い(それはほかの自殺未遂者がどうという話ではない、わたし自身はその人を絶対変な目で見ない)し、わたしは閉鎖病棟にも入りたくないなと思う。

 

本当に死にたかったら、死ぬときの苦しみとか死んだ後の人のことなんて何も考えず、ただただ今の自分の生きている苦しさを解消したいと願い行動するのだろう。

 

わたしはあたりまえだけどいまは、自殺怖くてできないなと思う。

いつでも死ねるとおもう、ことはできなったのでわたしにはお守りにすらならなかった。

でも生きているだけで苦しいことはめちゃくちゃある、わたしにもあるが他人のそれはわたしの想像をはるかに超えると思う。そしてそれをなんとも思わずに生きることも多分わたしには無理だ。

 

安楽死尊厳死・自殺ほう助についても暇があれば調べまくって、いろんな人の意見をいろんなところで見た。気が付いたらこころがものすごく痛くなっていた、そんな日々が続いた。

文字通り、本当にこころがズキズキと痛く、仕事中も無意識にこころのあたりを抑えてしまう日々が続いた。

 

最近自殺ほう助の事件があって、女子中学生がなくなったが、それに関するtwitterの反応で

「逮捕されたひとはほんとに批判されるべき存在なのか」「遺族はその人を批判するけれど、そんなことをいってる親も子どもからしたら頼れる存在じゃなかったからSNSで出会った人に頼るしかなかったんじゃなないのか」「誰が悪いとかじゃなくて結局この世の中がわるいんだよ」「いくら第三者がことばを並べていろんなことを想像したって殺人でしかないだろ」とかいろんな意見があった。

 

公的な機関として自殺ほう助を行っている団体があって、法的にその行為が認められているスイスでの自殺ほう助にかかわるひとたちのあらゆるインタビューをよんだ。それは主に重い病気(ガンとか筋肉系の)人に対する自殺ほう助だ。

 

スイスでの自殺ほう助で外国人も受け入れている団体があって、日本人も何人かスイスにわたって亡くなった人がいるみたいだった。ある人は満足そうに、落ち着いて亡くなった様子が記されていて、ある人はスイスまで行ってあとは毒薬を飲むってだけのときに、やっぱりもっと家族と過ごしたい、という気持ちが芽生えてきて毒薬を飲めなかった。わからないけど、まったく想像のできないできごとにひたすら苦しく心が痛んだ。

 

安楽死や自殺ほう助を認めるってことは「そうだね、あなたは生に値しない人間だね、と認めること」だと言っている人もいた。「そのひとが困難を乗り越えることを支えられる社会であろうとすることが正しい」と。

 

そもそも安楽死尊厳死はほんとに安楽や尊厳が保たれているのだろうかという意見もあった。死んだあとに「死んでどうだった?」とは聞けないからね。

 

一度安楽死を認めてしまうと坂道をごろごろ転がるみたいに、いままでそういう思想を認めなかったひととかを巻き込んで、いろんなことに歯止めがきかなくなる、という理論があることをしった。それって結構恐ろしいかもしれない。

 

 

とにかくわからないことが多い。亡くなった人の気持ち、自殺ほう助した側の人の気持ち、のこされた家族の気持ち、苦しすぎて全部考えられなかった。別に考えなきゃいけないわけでもないのはわかっている。

 

結局は自分がどういう立場でいればいいのかもわからないし、あらゆる立場の人のことを想像したいという気持ちがあるのに、いろんなことをわかりたくてわたしは必死なのに、結局はわかるよ、理解しているよではなく何もわからない…で終わってしまうことに悲しみを感じていた。

でも苦しんで生きることから解放されたことを、その行動をしたひとのことをすべて否定したくなかった。

 

特にわたしはマイノリティや立場が弱い人たちへの差別を絶対にしたくないと思っていて、その気持ちが強くて、行き場がなくて困っているのかもしれない。

社会が分断されすぎていて、その溝を考えれば考えるほど、生きづらさを感じてしまう。わたしはいまいろんなことに恵まれているのに何もできないことも苦しい。どうやっていきていったらいいんだろ、と考える。

 

 

たまたまインターネットでそういうことを調べているとき、関連記事で岸政彦とヤン・ヨンヒの対談の文章を読んだ。

マイノリティ、マジョリティに関して語っている部分があったりして、わたしはそれも熱心に読んだ。

岸政彦のことをなんとなく知っていたっていうこともあって、せっかくならここの対談でも出てきている「断片的なものの社会学」を読んでみようという気になった。なんかいろいろ考えすぎて疲れた、とにかく疲れた、何も考えずに今読みたいと思った本をよんで、気持ちを整理しようと思った。

 

 

「断片的なものの社会学」は2015年初版の本だった、結構まえかも。仕事帰りに本屋によって本を買った。

そしてまたそれをわたしは一日で読んでしまった。

 

この本のなかでは、岸政彦がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしたい、という気持ちからできた本らしかった。

「この世界のいたるところに転がっている無意味な断片について、あるいはそうした断片が集まってこの世界ができあがっていることについて、そうしてさらにはそうした世界で他の誰かとつながることについて、思いつくままに書いていこう。」と。

 

社会学者としては、その生活史(断片的な人々の状況や記憶)を分析するのがお仕事なのかもしれない(わたしは社会学について知識がないからわからないが)けど、その断片的なものが、ただただそこに存在している、ということを教えてくれるのがこの本だった。

 

いろんなひとの記憶、過去を知った。それはわたしがエッセイを読むのが好きなことと似ているというか、共通する部分がある気がする。

 

岸政彦は、わたしたちは孤独である、といった。いくら仲が良くても、どんなに愛し合っていても、自分も他人の脳の中はわからないし、他人も自分の脳の中はわからない。他人の苦しみを引っ張り出して自分に感じさせるのは無理だ。

 

本の中では「暴力」という言葉やそのようなニュアンスのものがわりとよく出てきていたと思う。

それは物理的な暴力ではなく、他者とつながろうとするときに生まれる「暴力」てきなもの、とわたしは受け取っている。「他者であること」に対してそこに土足で荒らすことなく、一歩踏みとどまる感受性も必要なのだ。

 

”うみのむこうから”という頁で「本人の意思を尊重する、というかたちでの搾取がある。そしてまた、本人を心配するというかたちでのおしつけがましい介入がある。」という文章があった。

ある立場のひとを想像して、断片的で主観的な正しさを振り回すことは暴力だ、と岸政彦は言う。

 

わたしたちはどうしても不完全で、かけたところばかりで苦しいことばかりで、でも夢をもってしまっていて、その夢をかなえるための自分の行動一つがほかのひとを傷つけてしまうこともある。自分の意見に批判がくることもある。

人と出会う、かかわる、壁を超えることで生まれる豊かさや幸せは大きいと思う。けどその壁を乗り越えることがときには暴力にもなってしまう。

 

 

 

つまり、結局どうしていいのかわからないのだ。とはっきり岸政彦も言っている。

この本は何かをおしえてくれるわけではなかったけど確実に、わたしのこころに寄り添ってくれた。

結局はわたしもわからないけど、何か他者を理解することってあまりに傲慢なのかもしれない。

自分のなかには欠けているものがある、そして本来どうしても孤独であるわたしたちは、ゆっくりかんがえながらいろんなものと向き合って、解釈できないいろんなことを知っていけばいいのかもしれない。

 

 

「私たちはそれぞれ、断片的で不充分な自己のなかに閉じ込められ、自分が感じることがほんとうに正しいかどうか確信が持てないまま、それでもやはり他者や社会に対して働きかけていく。それが届くかどうかもわからないまま、果てしなく瓶詰の言葉を海に流していく。」

わたしたちがはっきりと、これが正しいという気持ちを持つことが難しくて、できることは社会に祈ることまでというのならば、わたしもわたしなりの気持ちで祈りながら生きていこうと思う。

 

 

 

だれかの無意味と思われる人生も、意味があるものになるかもしれない。それは生活史の存在意義であると思った。

 

前に朝日新聞の折々のことばで、

『語りというものはいつも、「そういえば」……「話は変わるけど」「関係ないけど」このようにして始まるものが、いちばん面白い。』

という岸政彦のことばが「東京の生活史」から引用されていたのを覚えている。

 

わたしもわたし自身のことを語りたい、からブログをかいているということも多分あるし、様ざまな人の語りを目にしたい。

何かまじめでかたくてこれを知らなきゃ!というものだけを知っていってもつかれてしまう。なるべくいろんなひとの人生・生活・語りを、ゆっくり、丁寧に、時にはてきとうに知っていってもいいと思った。前はあきらめていた「東京の生活史」多分すぐ買いに行くと思う。今だ、たぶん読む時期は。

 

 

わたしは「断片的なものの社会学」もいそいで一日で読んでしまったけど、

でもまた読み返そうと思う。いまだから思えたことがいろいろあった本だった。

特に最後に載っていた2Pのあとがきはすでに何回も読み直した。これはまぎれもなくわたしに必要な本だった。

読み返すたびに最近の鬱々とした気持ちを思い返すかもしれない。

でも、かみしめたかった。

 

 

みんなはわたしの代わりにきょう開設したSUPERCARのyoutubeをみてください

 

 

ここ1週間の涙の量は酷かったと思う。

わたしはとにかく毎日泣いた。朝起きたら二重が変になっていた。目を腫らしたまま会社に行った。

仕事に行きたくなかったけど、普通の生活をしないとという気持ちが強くて、そうじゃないとじぶんをごまかせないと思った。また会社に行けなくなったら実家に戻らないといけないと思ったから、それもめちゃくちゃ嫌だった。逃げ場がどこにもない気がした。

仕事中も悲しくなったらトイレに篭った。とにかく気持ちがボロボロで、気を抜くとすぐに涙が出てきた。お昼休憩も休憩室で泣いてた。なにもかもが悲しかった。

しごと帰りの電車はいつも泣いてた。

中村佳穂のそのいのちの、生きているだけで君が好きさ、っていう歌詞を聞いて泣いた。そんなことあんのかなあ、って思った。

 

 

 

苦しくて心から誰かに助けてもらいたいと思ったけど、誰に助けて貰えばいいかわからなかった。人に頼りたいのに、生きてほしいと言ってほしいのに、誰かの言葉とか行動で、わたし自身が助けてもらえるのかも正直わからなかった。

 

またわたしは生きていくための当たり前のことができなくて、朝ごはんは何も食べなくて、昼ごはんも何も食べなくて、よるごはんは買いだめしてるヨーグルトをすこし食べて、そのあとタバコを二本吸ったら1日が終わった。

なんかたぶん、痩せたかったんだと思う。

痩せてるとわかった方が安心した。でも、ふらふらだった。自分が安心したいためにご飯を食べなかったのに当たり前に体調は悪くなって何も自分のためじゃなくて苦しかった。

風呂に入っても自分が汚い気がして怖かった。体がかゆい気がして、また蕁麻疹が出たら嫌すぎると思ったらめちゃくちゃ怖かった。太ももをかきまくったら赤く腫れた。かき傷ができて血が滲んでいた。汚かった。

 

自分の過去も現実も未来も全部否定してしまった。

布団をかぶってまた泣いて、泣き疲れて寝た。寝られない時はしょうがないから睡眠薬を飲んだ。次の日仕事で睡眠薬を飲めなくて、それでも寝られない時は怖くて長い夜を過ごした。生きるってこんな苦しいの?

 

 

三浦春馬が亡くなった時、母親が「絶対死んじゃダメだよね〜」と悲しんでるふり(に見えた)をしてわたしに言ってきたことを覚えてる。言い方とかぜんぶに、正直すごいイラッとした。

絶対って何?、死んじゃダメってなんでなの?理由を説明してほしかった。その言い方人ごと過ぎないかな。

生きてるときの苦しみなんてどれほどなのか当事者にしかわかんないのに、なんでそんなはっきりと言えるんだろう。すべての死を肯定するわけではないけれど、絶対なんて言えないよ、とわたしは思う。

わたしは中学生の時、三浦春馬のことがすごい好きでファンだったし、もう彼の出る映画とかが見られないのかと思うと悲しみももちろんあった。でも自ら命を絶ったのなら、彼のその選択で彼自身が救われていてほしいと素直に思った。それならいいんじゃないかと思った。ダメな思想なのかなあ。

 

 

 

 

 

わたしは自分の思い通りに自分の人生がいかなくて、苦しんでいるただの我儘な人間なんだろうなと思う。

自分の期待と違うことを言われてしまうと苦しんで、そんなのも相手を困らせていると思う。いつもなら受け入れられることが今は余裕がなくて受け入れられなかった。

どうしても自分に自信が持てなかった。いくらともだちに、○○はいいところがあるよ!と言われても、苦しかった。でも、いいところがあると言われたかった。自分じゃどう考えても認められなかったから。そうじゃないと自分を保てなかった。めんどくさい人間だな。

だから、最近は特に人に頼るのが怖かった。あなたにとって、わたしは1番大事な人じゃないから、と思うとどうしようもなく悲しくて、うまく頼れなかった。わたしは友だちが少ないのも悲しかった。友だちが多ければいいってわけじゃないのも頭ではわかってた。でもとにかく不安だった。でもこれから誰かの1番になることもないんだろうなと思うとそれにも絶望した。誰かの1番になりたかったのか、と思うとあまりにも傲慢すぎてかなり嫌気が差してしまう。

いま仲良くしてくれてる数少ない友だちにも失礼だった。1番って何だよ。最悪だよ。

自分が誰かの大切な人だと思う確信を持つのが今のわたしには難しかったから、わかりやすい関係を求めてたんだとはおもう。

だれかに、「あなたは私の大切な人だよ」と言われると100%泣いてしまった。いまのわたしに必要な言葉だった。その言葉を思い出すだけで泣いてしまう。ほんとかなあ、わたしで大丈夫かなあって思って泣けてきた。

 

 

 

全部全部わたしが悪いんだと思った。わたしの考え全部がわたしの首を絞めて、自分で自分の体を海に沈めてるみたいだった。

人に頼れないのも、消えたくなってしまうのも、何もできずに布団から出られなくてずっと泣いてるのも、ご飯が食べられないのも、誰かの言葉で傷ついても、どう考えても優しい友だちを困らせているのも、全部自分が悪いんだと思った。自分がダメだから、こうなってしまってるんだと思った。自分のやることなすことがどんな小さいことでも全て失敗に思えた。そんな自分もめんどくさい性格すぎて何度でも自己嫌悪になった。自分ってなんか、いわゆるメンヘラだよな、みんなにまた迷惑かけて、嫌がられちゃうな、と思った。

 

 

 

 

 

むかしから音楽とか小説とか、漫画とか映画とか芸術が好きだった。

年々それらに重く、救いを求めてしまっているし、救われたと感じてもその時間が短くなってしまっていて悲しくなる。

この間の野外フェスで、フィッシュマンズと、カネコアヤノと、くるりの岸田と、折坂悠太がみんなでステージに集って歌ったナイトクルージングを見た時は最高だと思ったのに、わたしは次の日にはもう泣きながら生きてた。ショックだった。音楽もわたしを助けてくれないのかなあっておもった。

さまざまなコンテンツはわたしの一生を保証してくれるものじゃなかった。でもそんなのあたりまえなんだよな。自分のことは自分で救うために、それらは少しずつ自分を修正していくためのアイテムでしかない。これがあるからもう少しだけ生きていこう、っていうことの積み重ねであればよかったのに、わたしはそれすらも思う余裕が今はなかった。必死に私を救ってくれるなにか大きなものを探してて、でもそんなの難しい話で、わたしはすべてをややこしくして、でも足掻いていた。苦しみしか生まれなかった。

もうなんか、全部救われたと思ってもほんとにほんとに一瞬だった。

 

 

2週間前くらいに、「私の正しさは誰かの悲しみ、あるいは憎しみ」という展示を見に東京都現代美術館にひとりで行った。

理由はタイトルにものすごく惹かれたからで、これもすこしでもわたしのなかで何か答えが出ればいいと思ったからだ。2週間前はまだギリギリ自分のための行動ができた。

 

4人のアーティストがそれぞれの展示をしてて、とある映像作品がとても興味深かった。

その監督が、自分の日記をビートに乗せてラップに昇華するという行為を追ったドキュメンタリーで、50分くらいの作品だった。

わたしは4年くらい前から日本語ラップが好きになって、特にフリースタイルをみるのが好きだった。いまはあまり見れていないけれど、ビートにのったリリックが韻を踏んで、フロウを乗せて、次々と言葉が紡ぎだされるのを見るのが楽しかった。

そのドキュメンタリーに出ていたラッパーの方が言っていた。「言葉にして発することすべてがラップ」だと。

その人は教会の懺悔室で、懺悔することもラップだと言っていた。自分のなかでぐるぐるしていた思想が、表に出て、変換されて、自分のものだけではなくなる、それに意味がある。

フリースタイルなんて特に、言葉というものが自由にでてきて、時には考えに考えた言葉ではなく、オートマで言葉がでてくるときだってある。韻をふんだりして、関連する別の言葉が急に現れたり、別の意味をつないだりする。

自分の言葉に輪郭をもたせたい、ひとつの作品にしたい、と監督の人は言っていた。その手段がラップだった。

 

なんだかすこししっくりきて、わたしもわたしの考えに言葉に、輪郭を持たせたかったんだなと思った。

だからこうやって暗くて面白くもないダラダラとブログを書いている。わたしが何も発しなくなった時はほんとにほんとに終わってしまった時で、心が完全に死んだ時だと思う。何かを発せなくなってしまったらと思うと、怖い。死ぬのも怖い。けど生きるのも怖くて嫌になる。

どうにか、こういう風に言葉を発して、わたしを生き延びさせてくれないか、と思う。でもそれだけじゃ足りないから悔しくて、つらくて、悲しいよ。