岸政彦の「断片的なものの社会学」を読んだ。
わたしが岸政彦に出会ったのは多分2年前?くらいで、わたしが好きな文芸誌の『文藝』で柴崎友香とふたりで「大阪」というエッセイを連載していてそれを読んだことがきっかけな気がするが、もしかしたらNHKの『猫も杓子も』という番組におはぎという岸政彦が飼っているかわいいかわいい猫と一緒に出たのをのを見たからかもしれない。(再放送だったかも)
「大阪」は正直柴崎友香のエッセイが読みたくて読み始めたみたいなところがあったけど、岸政彦の文章もあまりにもすっと自分の中に入ってくるからこの人はどういう人なんだろうかとすぐに興味がわいた。調べてみると社会学者である、ということがわかった。社会学かあ、大学でそういうことを勉強する研究室もわたしの所属していた文学部にはあったな、と思ったけどあまり触れてこなかった学問だと思う。
わたしは基本的に日本史(主に浮世絵が挿絵の江戸の出版物について卒論を書いた)か、あとは興味があった現代アートとか、すこしだけ世界史とか、あとは映画とかのカルチャー系の授業を多くとっていた。どれもそこまで熱心になれなかったが、一番ちゃんと勉強していた(というと語弊があるかもしれない、”一番マシだった”といったほうがいい)のは残念ながら専門ではなかった現代アートに関してだったようなきがする。
「大阪」は連載が終わったあとにハードカバーの単行本になって、文藝も毎期かっていたわけではなかったので、わたしはそれを購入して、すべてを読んだ。
去年は何冊くらい本を読んだかわからないが、去年読んだ本の中で一番すきだ、と思った本だった。
わたしは大阪に住んだことがないけれど、だれかの大阪の記憶を読み取れる、その存在していた時間を認識する、ということが(なんていったらいいんだろう”うれしい”とは違う感情なのだが)気持ち悪い言葉をつかうと「こころに響いた」のかもしれない。
大阪のこの風景が好きだとか、大阪でこういう出来事があったとか、大阪から東京にでてきてこういう気持ちになったとか、柴崎友香はナンバーガールが好きなんだとか、小説家になる直前の話とかも面白くて引き込まれた。
去年わたしが悩んでいるとき(いや、いつも悩んでいることがデフォではあるのだが、心身ともに最低、絶不調だったとき)、兄が永井均の「転校生とブラック・ジャック」という哲学書をくれた。
今お兄ちゃんはどんな本をよんでるの?と聞いたら、その流れでじゃあ、と言って兄が手もとにたまたま持っていた本をパッとわたしてくれただけだが。兄は何回も読んでいて内容もだいたい覚えているから、あげるよ、と言った。
わたしが悩んでいたことは多少知っていた(多分親がなんか言ったんだろうな)と思うが、悩んでいたからくれたのか、きまぐれでくれたのかはよくわからない。
わたしにとっての兄は、わたしよりも随分頭がよくて、ちゃんと努力ができる人で(勉強も、趣味のオーボエもかなり熱心にしていたイメージがある)、わたしは昔から兄みたいになりたいとおもっていろんなことを真似していたけれど、全然兄みたいにはなれなかったなあと思う。そういう存在だった。
兄は家ではおとなしいほうで、口数も少ないタイプだが、わりと自分の意見とかもはっきりしていて、世のなかを生きていく強さみたいなものを持っているきがする。
といっても、わたしは兄とそこまで仲がいいわけではない、頻繁に連絡をとったりしないし、兄も東京に住んでいるが会うことも少ないし、今の兄の事はわからないことのほうが多いと思う(楳図かずおが好きなことは知っている)。
それでもなんか憧れみたいなものは子どものころから消えないのは不思議だな、と思う。
もらった本のお返しにわたしは「大阪」を兄にあげた。「大阪」をよんだわたしは、これは良すぎる、と思って誰かに共有したかったのかもしれないし、兄は大学時代を大阪ですごしたのでなんか面白く読んでくれるかな、と思って渡した。
だからいまわたしの手元には「大阪」はない(文藝ならあるけど)。最近また読み返したいきがして、思い入れのある本なので買おうかなとも思う。
しかし兄はここ数年?(いつからかはわからないが)永井均の本をずっと読んでいて、永井均の私塾にも通っていて、永井均の本が面白くてそれ以外の本は面白いと感じられなくなっているという話も聞いていたので喜んでもらえたかは微妙なところである。(でももしH×Hの新刊が出たら買う?と前に聞いたときは、それは買う、と言っていたので謎に少し安心したが。)
感想は聞いていないし、別に聞きたいわけでもないし、兄も何も言わなかった。読まなかったらそれはそれでいいと思う。いま読まなくていつかふとしたときに読んでくれるのでも全然いい。
「転校生とブラック・ジャック」はわたしには結構難しい本だったけど、とにかく考えることに集中できた(集中しないと読めなかった)し、自分の知らない世界と発想が拓けたような気がした。
後日、全部を読むのが難しいので少しずつ読みます、と兄にラインしたら、あれは一気に読むものじゃなくて時間をかけて読むもんだから、と言われた。
談話室という章があって、とにかくそこを繰り返して読んだ(まだ難解ではないほうだったので)。
正直、考え抜いた先に答えが出るもんでもなくて、それが哲学なのかなと思った。でも考えることとかその道のりにちゃんと意味があると肯定してもらえている気がしてうれしかった。
わたしは本を読むとき、結構急いで読んでしまう癖がある。純粋につづきが気になる、っていうのもあるし、例えば一晩で本を読み終えるとたまらない充実感や満足感があった。決してだらだら走らないマラソンみたいな。だからときどき息がきれる。
駆け抜けたほうが、感情移入もしやすい気がした。そのとき、その瞬間の感情を失いたくないという気持ちがあった。つづけ、つづけこの気持ち、このテンション、とまるなとまるなとまるな、という気持ちで読んでいる。といってもこういう読み方をしているからわたしは本の内容をすぐ忘れてしまうのかもしれないのかも、とも思う。エンタメの消費の仕方としては、どうなんだろうか。
じっくり、時間をかけて本を読む人もいると思う。それはものすごく美しい行為だとわたしは思う。
自分のなかで文章をかみしめて、いろいろな解釈や考察をして、自分のそのときの感情をメモしてみたり、その本の中の好きな言葉・文章をこころにためたり、そういう読み方もいいなと思う。
そういう風にものや、ひととの付き合い方が、きちんとできるひとになりたい。
そのあと、筒井康隆の「川のほとり」を読むために『新潮』を読んでいた時に(さっき確認したら2021/2月号だった)、岸政彦の小説が載っていたのでそれも読んだ。
岸政彦って小説も書くんだ、と思ってなんとなく読もうかなとなって本屋に行って「リリアン」という小説を買って読んだ。そこにその『新潮』に載っていた「大阪の西は全部海」も収録されていたから。
「リリアン」は大阪での、男の人と女の人の話、いろんな思い出の話がつまっていて、やわらかくて、儚い文章だったと思う。
時系列がいまいちわたしも思い出せないのでわからない(「リリアン」よりも前かもしれない)が、岸政彦のtwitterをフォローし始めて、「東京の生活史」という分厚い本が出版されることを知った。
岸政彦は社会学者として生活史の聞き取り調査を行っていて、それはその人の人生をそのひとに語ってもらい、調査者は聞き手として個人の人生を記述するという分析方法だった。
「東京の生活史」では、岸政彦が聞き手を募集して、150人もの人が聞き手となってそれぞれ150人の別の相手に東京での人生・生活を語ってもらう、そしてそれを一冊の本にしている。
150人の人生が語られているのだから、分厚いのも当然だ。
そのころNHKで「東京の生活史」について岸政彦を特集している番組もあってそれも見た気がする。
記憶はうろ覚えだが、ホームレスの人に聞き取り調査をしている青年の話や、編さんする岸政彦にインタビューをしていた。
面白そうな本だな、読みたいかも、と純粋に思った。「生活史の調査」っていままで触れてこなかったものなので興味はわいた。
でもなんでか買おうとしなかったのは、父に、値段も高いし(それはただ高いというわけではなくて、当たり前に内容が濃く厚いものだから値段が高いという意味)図書館で読めばいいんじゃない?と言われたのがなんとなくそう思ったからなのかもしれないし、分厚いから買っても部屋の隅におきっぱになってしまいそうな気がしたからなのかもしれない。
出版された当時はtwitterでいろんな本屋のアカウントが売れています!!と宣伝していたりして、なんとなくふーんと眺めている日が続いた。結局図書館で読んでもいなかった。
最近は結構いろんなことを考えて頭がパンクしてしまっている感じがある。
てか気候のせいがデカいと思うが、頭が痛くて、吐き気がして気持ち悪くて、先週はずっとおなかを壊していたようなきがする。肩こりもつらくて、とにかく体がだるくて、気持ちも暗かった。
twitterで”寒暖差疲労”という言葉がトレンドにあがっていたから、同じように苦しんでいる人はきっと多いんだろうなと思った。
特に朝と午前中はつらい。自分を整えなきゃいけない、という気持ちと自分を整える行為が何もできていないという気持ちがごちゃ混ぜになって、自分のことしか考えられない状態になる。なんだかあまりにも最悪だな、と思う。
わたしは自律神経が乱れすぎて終わっていて、息苦しさを感じながら、気持ちも落ち込んで、泣きながら生活している。これがわたしの生き方なのかなと思う。
暗くなってしまうせいで結構”死”について考えることが多くて、それは全く終わりが見えないなと思う。
暗い話になるが、まずは自殺の仕方について、わりと考えていた。
「完全自殺マニュアル」という本があって、そのレビューで「いつでも死ねると思うと心が楽になった」と言っているひとが多かったので、ほんとかな?わたしも心楽になりたいと思ってわたしなりにいろいろ調べてみた。
でもどう考えてもいつでも死ねる、という気持ちにはならないな、と思った。
焼身自殺は苦しみながら自分の体が焼かれていくことに耐えないといけないし、隣人とかに迷惑をかける可能性も高い。
首吊りは賃貸では無理だし、じゃあ一人暮らしの家のほかにどこがあるんだろうと思う(でも完全自殺マニュアル的には首吊りがいちばんおすすめらしい)。
電車に飛び降りるのは残された家族の金銭負担がヤバイらしいし、練炭自殺もする場所がないしあと死ねなかったら脳に障害とかが残るらしい。
刃物で自分の首とかを掻っ切るのはものすごい力でなんのためらいもなくとくかく能動的に思いっきり切らないとどう考えても無理だ、たぶん自分でやるのは難しい。
高層階からの飛び降りは失敗することが多いらしい、死ねなくて体になんらかの後遺症を伴って生きるのは飛び降りたことを後悔する未来しか見えない。
(マイ・ブロークン・マリコを読んでわたしはものすごく心が動かされて、ほろほろと、というかドバドバと涙を流したが、マリコの死因を考えたときに4階という低さから飛び降りて本当に死ねるのか?とも思った。頭から行けば死ねんのかな。)
いろいろ考えて一番いいかも、と思ったのはオーバードーズだった。南条あやもカラオケ店でODで亡くなったらしいし。
と思ってODについていろいろ調べてみたけど、わたしとおなじような考えでODが一番いいかもと思ったけど死ねなくて病院に運ばれて地獄をみた、というひとのブログをよんで恐ろしくなった。(オーバードーズ 地獄 で検索すると多分一番上にでてくる。)
南条あやもODで亡くなったというよりかは、もともと心臓が弱っていたことが大きな原因で、ODはただのきっかけにすぎなかったらしい。
普通にかんがえても市販の薬とか、処方される薬とかを大量服薬して簡単に死ねるわけがない、だったらその薬はどう考えても問題のある薬だと認定されると思うし、自殺志願者はみんなそれで死のうとするだろうし。
もちろん自殺が簡単なわけはない、というのは当たり前のことかもしれない。それでも、それでも自殺をしてしまうひとがいる、ということは、そういうことなんだよ。
あとは自殺に失敗するかも、という可能性について考えることはわりと重要な気がする。いろいろ後遺症とかが残ったときに、今よりもっと死にたくなって生きていくのかと思うとかなり恐ろしい。あとは自殺をしたやつとして認定をされて他人から見られるものわたしは怖い(それはほかの自殺未遂者がどうという話ではない、わたし自身はその人を絶対変な目で見ない)し、わたしは閉鎖病棟にも入りたくないなと思う。
本当に死にたかったら、死ぬときの苦しみとか死んだ後の人のことなんて何も考えず、ただただ今の自分の生きている苦しさを解消したいと願い行動するのだろう。
わたしはあたりまえだけどいまは、自殺怖くてできないなと思う。
いつでも死ねるとおもう、ことはできなったのでわたしにはお守りにすらならなかった。
でも生きているだけで苦しいことはめちゃくちゃある、わたしにもあるが他人のそれはわたしの想像をはるかに超えると思う。そしてそれをなんとも思わずに生きることも多分わたしには無理だ。
安楽死・尊厳死・自殺ほう助についても暇があれば調べまくって、いろんな人の意見をいろんなところで見た。気が付いたらこころがものすごく痛くなっていた、そんな日々が続いた。
文字通り、本当にこころがズキズキと痛く、仕事中も無意識にこころのあたりを抑えてしまう日々が続いた。
最近自殺ほう助の事件があって、女子中学生がなくなったが、それに関するtwitterの反応で
「逮捕されたひとはほんとに批判されるべき存在なのか」「遺族はその人を批判するけれど、そんなことをいってる親も子どもからしたら頼れる存在じゃなかったからSNSで出会った人に頼るしかなかったんじゃなないのか」「誰が悪いとかじゃなくて結局この世の中がわるいんだよ」「いくら第三者がことばを並べていろんなことを想像したって殺人でしかないだろ」とかいろんな意見があった。
公的な機関として自殺ほう助を行っている団体があって、法的にその行為が認められているスイスでの自殺ほう助にかかわるひとたちのあらゆるインタビューをよんだ。それは主に重い病気(ガンとか筋肉系の)人に対する自殺ほう助だ。
スイスでの自殺ほう助で外国人も受け入れている団体があって、日本人も何人かスイスにわたって亡くなった人がいるみたいだった。ある人は満足そうに、落ち着いて亡くなった様子が記されていて、ある人はスイスまで行ってあとは毒薬を飲むってだけのときに、やっぱりもっと家族と過ごしたい、という気持ちが芽生えてきて毒薬を飲めなかった。わからないけど、まったく想像のできないできごとにひたすら苦しく心が痛んだ。
安楽死や自殺ほう助を認めるってことは「そうだね、あなたは生に値しない人間だね、と認めること」だと言っている人もいた。「そのひとが困難を乗り越えることを支えられる社会であろうとすることが正しい」と。
そもそも安楽死や尊厳死はほんとに安楽や尊厳が保たれているのだろうかという意見もあった。死んだあとに「死んでどうだった?」とは聞けないからね。
一度安楽死を認めてしまうと坂道をごろごろ転がるみたいに、いままでそういう思想を認めなかったひととかを巻き込んで、いろんなことに歯止めがきかなくなる、という理論があることをしった。それって結構恐ろしいかもしれない。
とにかくわからないことが多い。亡くなった人の気持ち、自殺ほう助した側の人の気持ち、のこされた家族の気持ち、苦しすぎて全部考えられなかった。別に考えなきゃいけないわけでもないのはわかっている。
結局は自分がどういう立場でいればいいのかもわからないし、あらゆる立場の人のことを想像したいという気持ちがあるのに、いろんなことをわかりたくてわたしは必死なのに、結局はわかるよ、理解しているよではなく何もわからない…で終わってしまうことに悲しみを感じていた。
でも苦しんで生きることから解放されたことを、その行動をしたひとのことをすべて否定したくなかった。
特にわたしはマイノリティや立場が弱い人たちへの差別を絶対にしたくないと思っていて、その気持ちが強くて、行き場がなくて困っているのかもしれない。
社会が分断されすぎていて、その溝を考えれば考えるほど、生きづらさを感じてしまう。わたしはいまいろんなことに恵まれているのに何もできないことも苦しい。どうやっていきていったらいいんだろ、と考える。
たまたまインターネットでそういうことを調べているとき、関連記事で岸政彦とヤン・ヨンヒの対談の文章を読んだ。
マイノリティ、マジョリティに関して語っている部分があったりして、わたしはそれも熱心に読んだ。
岸政彦のことをなんとなく知っていたっていうこともあって、せっかくならここの対談でも出てきている「断片的なものの社会学」を読んでみようという気になった。なんかいろいろ考えすぎて疲れた、とにかく疲れた、何も考えずに今読みたいと思った本をよんで、気持ちを整理しようと思った。
「断片的なものの社会学」は2015年初版の本だった、結構まえかも。仕事帰りに本屋によって本を買った。
そしてまたそれをわたしは一日で読んでしまった。
この本のなかでは、岸政彦がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしたい、という気持ちからできた本らしかった。
「この世界のいたるところに転がっている無意味な断片について、あるいはそうした断片が集まってこの世界ができあがっていることについて、そうしてさらにはそうした世界で他の誰かとつながることについて、思いつくままに書いていこう。」と。
社会学者としては、その生活史(断片的な人々の状況や記憶)を分析するのがお仕事なのかもしれない(わたしは社会学について知識がないからわからないが)けど、その断片的なものが、ただただそこに存在している、ということを教えてくれるのがこの本だった。
いろんなひとの記憶、過去を知った。それはわたしがエッセイを読むのが好きなことと似ているというか、共通する部分がある気がする。
岸政彦は、わたしたちは孤独である、といった。いくら仲が良くても、どんなに愛し合っていても、自分も他人の脳の中はわからないし、他人も自分の脳の中はわからない。他人の苦しみを引っ張り出して自分に感じさせるのは無理だ。
本の中では「暴力」という言葉やそのようなニュアンスのものがわりとよく出てきていたと思う。
それは物理的な暴力ではなく、他者とつながろうとするときに生まれる「暴力」てきなもの、とわたしは受け取っている。「他者であること」に対してそこに土足で荒らすことなく、一歩踏みとどまる感受性も必要なのだ。
”うみのむこうから”という頁で「本人の意思を尊重する、というかたちでの搾取がある。そしてまた、本人を心配するというかたちでのおしつけがましい介入がある。」という文章があった。
ある立場のひとを想像して、断片的で主観的な正しさを振り回すことは暴力だ、と岸政彦は言う。
わたしたちはどうしても不完全で、かけたところばかりで苦しいことばかりで、でも夢をもってしまっていて、その夢をかなえるための自分の行動一つがほかのひとを傷つけてしまうこともある。自分の意見に批判がくることもある。
人と出会う、かかわる、壁を超えることで生まれる豊かさや幸せは大きいと思う。けどその壁を乗り越えることがときには暴力にもなってしまう。
つまり、結局どうしていいのかわからないのだ。とはっきり岸政彦も言っている。
この本は何かをおしえてくれるわけではなかったけど確実に、わたしのこころに寄り添ってくれた。
結局はわたしもわからないけど、何か他者を理解することってあまりに傲慢なのかもしれない。
自分のなかには欠けているものがある、そして本来どうしても孤独であるわたしたちは、ゆっくりかんがえながらいろんなものと向き合って、解釈できないいろんなことを知っていけばいいのかもしれない。
「私たちはそれぞれ、断片的で不充分な自己のなかに閉じ込められ、自分が感じることがほんとうに正しいかどうか確信が持てないまま、それでもやはり他者や社会に対して働きかけていく。それが届くかどうかもわからないまま、果てしなく瓶詰の言葉を海に流していく。」
わたしたちがはっきりと、これが正しいという気持ちを持つことが難しくて、できることは社会に祈ることまでというのならば、わたしもわたしなりの気持ちで祈りながら生きていこうと思う。
だれかの無意味と思われる人生も、意味があるものになるかもしれない。それは生活史の存在意義であると思った。
前に朝日新聞の折々のことばで、
『語りというものはいつも、「そういえば」……「話は変わるけど」「関係ないけど」このようにして始まるものが、いちばん面白い。』
という岸政彦のことばが「東京の生活史」から引用されていたのを覚えている。
わたしもわたし自身のことを語りたい、からブログをかいているということも多分あるし、様ざまな人の語りを目にしたい。
何かまじめでかたくてこれを知らなきゃ!というものだけを知っていってもつかれてしまう。なるべくいろんなひとの人生・生活・語りを、ゆっくり、丁寧に、時にはてきとうに知っていってもいいと思った。前はあきらめていた「東京の生活史」多分すぐ買いに行くと思う。今だ、たぶん読む時期は。
わたしは「断片的なものの社会学」もいそいで一日で読んでしまったけど、
でもまた読み返そうと思う。いまだから思えたことがいろいろあった本だった。
特に最後に載っていた2Pのあとがきはすでに何回も読み直した。これはまぎれもなくわたしに必要な本だった。
読み返すたびに最近の鬱々とした気持ちを思い返すかもしれない。
でも、かみしめたかった。