週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

白湯しか飲めない

 

 

何を食べたらいいのかわからない日がある。

何を食べたらいいかわからない。

わからなくて、わからなくて、わからない。

 

食べたいものがない、とかでなく、

本当に何を食べたらいいのわからない。

 

 

帰りの電車に揺られながら、そう思う。

今日はとても暖かかった。

 

 

ラジオを聞く。

誰かの言葉が聞こえていて、

わたしは聞いているようで聞いていないようで、

 

 

帰りにコンビニに寄る。

家になにも食べ物がないから、

なにを食べたらいいかわからないがとりあえず食料を買う。

 

家にかえって冷凍食品をたべる。

おなかが満たされて、でもなにもわらかないままだった。

 

 

 

白湯を飲む。

暖かくて、なにでもないものが喉を通るのを感じると、なぜか安心する。

 

 

 

 

今日は苦しい。

誰かに何かを話したくても、わたしはわたしの気持ちも、考えもなにも言葉にできない気がして悔しくなる。そして、悲しくなる。

 

わたしにはなにもない。

わたしはからっぽで、なにもない人間だと思う。

わたしの意見はペラペラの薄いなにかで、

なにかでしかないから、

そこからなににもならない。

 

ひとがわたしの意見をどうでもいいと思う、わたしを面白みのない、魅力のない人間だと思う。メンヘラだと思う、イタイやつだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはずっと自分が不幸でいればいいとも思う。

自分が幸せになって、だれかの小さな不幸や世界の大きな不幸に気が付けない人間になってしまったらどうしようと思う。

 

 

 

 

 

わたしは誰よりも幸せでありたいと思う。

わたしは幸せに生きたいと思う。幸せに、わたしの思い描く一番の幸せな人間になりたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

わたしはずるくて、怖い生き物だと思う。

希死念慮は一生消えないのかと不思議に思う。

どう生きていったらいいのかわからなくて、これからもどうやって生きていけばいいのかわからないからだと思う。

そしてその答えが一生でないことを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日会社に着ていく服をどうしようと考える。

わたしは気が付くと明日のことを考えていて、

でもほんとうはあしたのことなんて考えたくない。

 

さっき時計をみたときから、もう20分も経っている。

 

 

 

 

 

 

わたしは、ずっとわたしの話ばかりしている。

わたしはずっと、わたしが被害者みたいな顔をしている。

 

 

 

 

 

 

好きな本や映画を見て、もしくは音楽をきいて生きている。

好きな言葉をわたしはかみしめて、たくさんかみしめて、涙がでる。

 

この涙はとても安い気がして、苦しい。

わたしはこの言葉をよいと思って、なにができるんだろうと思う、

なにもできない。わたしだけの言葉たち。わたしだけの。

 

 

 

 

 

だれかがわたしをすぐに抱きしめてくれればいいのにと思う。

どうして自分で自分のことを抱きしめられないんだろう。

悲しいときに、だれかすぐにわたしを抱きしめてくれないかと思う。

でも一緒に泣かないでほしい、わたしのせいで泣かないで、わたしのせいで嫌な思いをしないで、わたしのせいでかなしくならないで、お願い、お願いだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好きな小説やエッセイの言葉を自分で読み上げて携帯で録音して、自分の声で何回も何回も繰り返し聞いている。

わたしの言葉ではないのに、わたしの言葉みたいに聞こえる。

わたしは案外、自分の声が好きかもしれない。

 

 

わたしの言葉でないということを隠している、でも気が付いている。

気が付いているのに、やめることができない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。そうですね、三束さん。なんでもないのに、涙がでるほど、きれいです。

『すべて真夜中の恋人たち』