週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

ごめんねばかり言っている

 

 

最近の東京は雨が続いている。

洗濯物は、部屋に干していて、土曜日からほしているから四日目だ。なかなか乾かなかったけど今日が来たならさすがに乾いてるだろう。

部屋干しのにおいがする。布のにおいと、湿気のにおいと、柔軟剤のにおいが混ざっていて、すこしつめたい、そして嫌いではないにおいだ。これは、生活のにおいだ。

 

 

 

 

部屋に湿度が溜まると、エアコンから「ポコ、ポコ」という音がしはじめる。

窓をあけると解消されるのだが、特に夜に寝るときなどは窓を開けると寒いので

「ポコ、ポコ」という音に耳を澄ませて、聞いているのか聞いていないのかよくわからなくなるころに眠りにつく。

 

 

 

 

 

大学生のとき、一人暮らしをしていたときに、布団を移動させてベットの上ではない場所で寝ていたことがよくあった。

 

 

 

よしもとばななの『キッチン』に影響されたときは、台所に布団をしいて寝た。はじめてよんだ時から本当に大好きな本だった。「冷蔵庫のぶーんという音が、私を孤独な思考から守った。」冷蔵庫は本当に音が鳴っていた。なにかの作業をする場所のあたたかさがある気がした。

(最近、キッチンのコンロの下に座って、インスタントラーメンを食べた。なんか、よしもとばななの『キッチン』のことを思い出すなあとそのときもちょうど思った。わたしも、死ぬときはキッチンで死ぬという考えをもつのも、悪くないかもしれない。)

 

 

 

 

橋本紡の『流れ星がきえないうちに』を読んだときは、玄関に布団をしいて寝ていた。別に好きな本ではなかったなと今思い返すとそんなことを考えるけど、たしか、主人公の女性が玄関に布団を敷いて寝ていたことがやけに印象に残っていた。朝は玄関の外の廊下の音がかすかに聞こえた。となりの人が家を出る音。そしてすこし寒かった。台所で寝るよりも結構続けていた記憶がある。

 

 

 

 

 

静かだけど、何かが生きているみたいに動いている音が、きらいじゃないのかもしれないなと思う。寝るようとするとき、は何もしないから音が聞こえてくる。そんな夜に、明け方に、わたしはいろんなものの音を聞いた。

なにかに安心して寝たくて、理由をつけていろんな場所で寝たっていいんだな、と思う。

誰かと寝るのもいいし、ひとりで寝るのもいいし、薄着でものすごくあったかくて重い布団に押しつぶされながら寝るのもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は誕生日だった。

朝おきたら友だちひとりとおとうさんからおめでとうとラインがきてて、昼間に別の友だちからもラインがきて、夜になったらおかあさんと、また別のともだちからラインがきてた。

いつもと変わらず朝起きて、準備して仕事をしていたから忘れそうになったけど、そんな連絡をもらえるということはいくつになってもうれしい。しかもみんな連絡をくれた時間がバラバラで、時間をおいて嬉しさが毎回湧いてきた、これはなんてお得なんだ!と思った。

 

 

 

 

 

 

 

今日は18:00に仕事が終わって、本屋によって今日発売の欲しかった文芸誌を買って、読みながら電車にのった。

 

 

 

 

「スピン」という季刊誌が大好きだ。

4回、3月・6月・9月・12月に発売される河出書房新社の文芸誌で、今日は第3号の発売日だった。スピン、というのは本についている紐の栞のことで、『日常に「読書」の「栞」を』というコンセプトでこの雑誌を発行をしている。

ちなみにわたしは創刊号から買っているのだが、創刊号をかったとき、はじめてすべて連載小説の第一話が載っていることに、とてつもなくわくわくした。創刊号の雑誌を買ったのは、生まれて初めてだった。

 

 

 

 

もともと文芸誌を買うのは好きだが、分厚かったり毎月買って一生懸命読まないといけなかったりすると、わたしはそれができないのでもったいないなあと思っていた。同じ河出の「文藝」という文芸誌と、翻訳小説などが載っている「MONKEY」は好きなので時々買っているが、毎回ではない。

大学の図書館には、毎月全大手出版社の文芸誌が並んでいて、わたしはそこにいることが大好きだったが、社会人になると、なかなか図書館などにも頻繁にいけないし、時間もそんなにない。

 

 

 

 

「スピン」は発行のタイミングも、分厚さも、連載小説やエッセイや書評などの割合もすごくいい。内容もかなりわたしの好みだ。第16号限定で発売されることが決まっているのもいい、終わりが近くて短いものを一生懸命追いかけることがわたしは大好きだ。(終わりが遠くて長い「ブレイキングバット」と「ベターコウルソウル」もどうにかしてみたいと思っているのだが。ちなみにこれらが見たい理由もスピンにベターコウルソウルがこの世で1番面白いドラマだ、という寄稿があったからだ。)

装丁も良い。紙にもこだわっていて紙質の表紙や、目次も毎回ことなった紙が使われている。

紙をみているだけでうっとりできる本なんてなかなかない。

しかも330円だった。こんなに安くていいんだろうか、といつも思う。でもありがたい。こんなに楽しくてうれしくて、時々涙がちょっとでるようなすてきなことばのかたまりが、330円で、わたしのものになるんだ。

 

 

 

 

 

いつもいったん、エッセイや読みやすいものをすいすい読んでいって、連載小説をじっくりと、ときには時間をおきながら読んで追いかけていくことが好きだ。

いま「スピン」のなかで特に気に入っているのは尾崎世界観と、藤沢周連載だ。

 

 

 

 

 

 

 

今日は永田敬介の「ディズニー」というお笑い芸人のエッセイをよみながら最寄り駅につく。

こんな人の、こんな気持ちはいつもどこかで必ず生きていてほしいような文章だった。

カバンの中にいれると折れたりしてしまいそうだったので、左手で本をもって電車を降りる。

おなかにしょったリュックの上の部分のポケットをあけて右手で定期をとりだして、改札を抜けた。ホームから地上に出ると、もう雨は降っていなかった。すこし肌寒い、雨上がりの夜だった。

 

 

 

 

誕生日だからケーキをかって帰ろうと思った。

家から歩いて10分弱のところに20:00までやっているケーキ屋さんがあって、歩いてそこに行った。

 

歩道を歩く、本を読んでいたのできょうはイヤホンを外している。

 

 

 

 

ケーキ屋に入る。正面に透明でおおきなショーケースがあり。その中に数少なくなったことがわかるケーキがいくつかおかれていた。開店時間のころには、ここがもっとたくさんのケーキで埋め尽くされているのだろうと思うと、その場所でケーキを選ぶ人がいることが急にうらやましくなる。今度は昼の時間に行こう。

 

 

 

バナナパイという看板商品と、期間限定のあまおうとせとかのタルトでまよった結果、後者を選んだ。わたしはフルーツが好きで、タルトも好きで、期間限定も好きなのだ。

カードで支払いを済ませる。

 

 

 

ポイントカードつくりますか?

 

…じゃあ作ろうかな、お願いします

 

500円ごとにポイントが付くんですが、毎週火曜日はポイント二倍なのでふたつ押してきますね

 

あ、そうなんですね…うれしいです

 

せっかくだからね、これ25ポイントたまると500円サービスになるからね

 

わかりました

 

大丈夫?袋いらない?

 

うん、そのケーキの箱のままで大丈夫です、家近いので

 

そっか、じゃあどうぞ、ありがとうございました

 

 

と、店員のおばちゃんがにっこり笑ってそういった。

 

 

 

 

歩いて家に帰る。

時間は19:00ころなので真夜中ではないが、夜に歩くと今月の頭頃によんだ川上未映子の『すべて真夜中の恋人たち』を思い出した。

とてもすてきできれいなことば埋め尽くされた小説で、わたしは圧倒された。とても好きな本になったなあと思う。

 

 

 

最初の1ページ目が大好きで、なんかいも繰り返し、繰り返しよんだので、言葉を覚えてしまった。周りにひとがいないのを確認してから、わたしはその言葉をくちずさみながら歩く。

 

 

 

 

 

「真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。それは、きっと、真夜中には世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思いだしている。」

 

 

 

 

 

わたしの声で、きれいなことばが再生される。自分の口から出たものが、自分の耳から、またわたしのなかに入ってくる。

わたしは、そうやってことばを大切にしているんだ。だれのためでもなく、自分のための、自己満足でしかない、行動なのに。

 

 

 

 

 

 

 

家に帰って、ケーキを冷蔵後にいれる。

服を着替えて、手を洗って、ラジオを流して一息つこうとする。

今日はお昼のお弁当を朝家に忘れてしまったので、それを夜ご飯に食べる。

そのままでいっかとおもって温めずにお弁当をたべる。昨日の夜つくったつめたいカレー味のから揚げもまずくない。お誕生日おめでとう、とラインを送ってくれた友だちに、「今日お誕生日なのに家にお弁当忘れてきちゃった」とラインをしたら「お誕生日にもお弁当つくっててえらい」と言ってくれた。たしかにそうだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近ひとりでいるときに、「ごめんね、ごめんね」と口癖をいってしまう。

自分の失敗を思い出して、嫌な気持ちを少しでもさせたのではないかと思われる人に対して、ごめんね、ごめんねと言ってしまうのだ。ひとりで言っている。ずっと。

 

 

 

 

 

わたしは今週の日曜にも自分が最悪すぎて泣いてしまった。

わたしに目の前で泣かれた相手は申し訳なさそうにしていた、大丈夫?無理しないで、自分をせめないで、と優しい言葉をかけてくれた。

 

わたし、あと二日後に27歳なのに、自分が嫌いでいつも泣いている、とわたしが言う。

年は別に関係ないよ、とその人が言った。

 

 

 

 

そうかなあ、誕生日がくることは好きだけど、年をとるたびに自分の不完全さ、足りなさをどんどん感じてしまうなあと思う。

時間と比例して、自分は豊かになっていくものだと、昔はそう思っていたのに、素敵な経験をたくさんして、素敵な大人になれるんだと思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

勉強道具や、最近読み始めた美術史の分厚い本、積読にしている直木賞の分厚いが美術史のものよりかは分厚くない本、公共料金の支払いの紙などが雑多におかれたそれほどきれいではない机の上のデスクランプを灯して、パソコンの起動させる。

 

冷蔵庫からケーキをもちだしてパソコンのとなりにおく、お湯を沸かして紅茶も淹れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケーキを食べながら、文章でも書こうかなと思いはじめて、わたしはこのブログを書いている。

でももうじつは文章のここまでくるとケーキはほとんど食べ終わって、イチゴだけがひとつ、残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の思う素敵なおとなになれないのは悔しくて悲しいきがどうしてもしてしまうけど、こうやってすこしずつ、何かを読んだり、書いたりしながら、せめて、せめてわたしの記憶が、なにかのことばとともに残っていきますように、と願いながら。また次の誕生日まで。

 

 

 

 

ねこがいちごを狙っている