週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

月明りの下が俺らのラボ

 

 

用事があったので今日は昼頃に実家に戻った。

自分の家から実家に向かう途中、駅近くのちょっとよさげで単価も高めなドーナツ屋さんで、ドーナツをみっつ、アールグレイと、チョコバナナと、チャイくるみの三種類を買った。

母がチョコバナナで、父がアールグレイで、わたしがチャイくるみ、だと思って買った。かなりこのチョイスは自信アリといった感じで満を持して持ち帰ったが、母はアールグレイが食べたいといい、父はチャイくるみが食べたいといった。結局みんなそれぞれたべてみたい気もするということになって、すべてを三等分してそれぞれの味を食べた。

どれが一番おいしかった?とそれぞれに聞いたら、父はチャイくるみがおいしかったといい、母はアールグレイがおいしかったといった。そしてなんと、わたしはチョコバナナがいちばんおいしいと思ったのだった。そういうことだった。

 

 

「梅雨の中休み」とテレビでは言っていた。東京は昨日も今日も雨が降らず、暑い一日だった。二時間目と三時間目の間くらいの、おやすみってことかなあ。

 

母は一週間、友人と、その友人の息子さん(ドイツ在住)と一緒に、ドイツ・ベルギー・フランスに一週間旅行に行っていて、昨日家に帰ってきたらしく、とにかくおしゃべりな母は、わたしに旅行の話を永遠にしてきた。

わたしは、実家ではわりと無口なほうで、父とは比較的対話をすることも多いが、特に母との会話は「うん」が7.5割である。そして、調子の悪い日は8.5割が「…うん」である。あまりにわたしが落ち着きすぎていると、もっとにっこりとかしたら?怒られることもあるが、いやそんなわたし元気っこキャラじゃないから…とそのたびに思う。でも、自分の話をしようとしても、いつのまにか母の話になっているのであきらめることが多いんだろうなと思う。

 

今日はどちらかといえば調子が悪い日だったし、母側も話したいことがいっぱいあったようなので(一週間も旅行に行っていればそうだな)、わたしは母の話を聞きながら「…うん。……うん。」と言い続け、時々「へー…」と言ってみたりもした。

 

お土産も買ってきてくれた。ドイツのビールが入ったチョコレートと、フランスのオルセー美術館で買ったモネの睡蓮のマグネット、すごくおいしいと噂(らしい)のホワイトアスパラの粉末のスープ。職場のひとに配る個包装のベルギーワッフルをいくつか買っていて、おいしいかどうかわからないし味見をしてみて、と言われた。これでおいしくなかったらどうすんねん、と思いつつたべてみた。

わたしは「甘い」と感想をいった。これは残り1.5割の、意思のある発言だ。そしておいしいかおいしくないかが急にはわからなかったので、とりあえず否定的ではないものを言っておいた。実際甘かった。そしてまずいとは思わなかった、でもオイシー!!というかんじでもなかった。

結局半分にわって母に差し出した。「うん、甘いけどまあいいね、普通においしいね」と言っていた。じゃあ大丈夫。

 

ドーナツを食べていたときに、これ、すごくいいって一緒にいた友だちが言ってたんだ!と母が嬉しそうに言っていたハーブティーを入れて飲んだ。でもパッケージに「Maccha」って書いてあって、母がキッチンにいる間に「お父さん、みて、これ抹茶って書いてる…」とわたしはぼそぼそと言った。

なんか結局緑茶だった。しかも、ドラッグストアに売っているような、夏にポットにパックと水をいれといて、冷蔵庫に入っているような緑茶の味がした。

父が「なんか…普通に緑茶だな」と言った。母は「なんだ…」とすこしさみしそうにしていたけど、5秒後くらいにはまあいっか!という顔をしていた。

 

一週間旅行はしんどかった、さすがに60歳すぎたらきついね。という話から、母が急に、ロシアに孫を連れ去られた、ウクライナ人の64歳のおばあちゃんが、孫を連れ戻すためにロシアに行こうとしたけど、過酷な旅路の途中で亡くなってしまったというテレビの番組をみた、という話をし始めた。

 

 

わたしはその話をしらなくて、どういうこと?と詳しくその話をきいていたら、いつの間にかぼろぼろと、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週は結構つらくて、会社を結構何日か休んだりした。会社をやすんでしまった、だれか話をしたい、だれか聞いて、と思ったけど具体的には誰かにラインとかで言えなくなってしまって、インスタで対フォロワーにうっすらと言ってしまったりして、その自分もまたキモくて。でもみんなそんなこといわれても困るし、またかようるさいな勝手にやすんどけと思われてたらいやだしどうしようもないと思った。もともと残り少なかった有給がなくなった。夏休みの分も前がりしていたのでわたしは夏休みが消滅した。民間会社で、普通の正社員として働くのがあまりにも下手すぎる。そしてわたしは他人に代替可能な仕事しかできないような無能人間なのだ。わたしがいなくても会社は全然まわるが、他人の仕事が増える可能性も事実で、そんななにもかもに気が付いてしまうような休みだった。

余裕がないと混乱して焦ってしまうわたしは、有給という安心材料を失ってしまったので、どうしよう、とずっと思っている。とにかくずっと不安だ。

 

 

夜が眠れなかった。睡眠薬は、もうあと片手で数えられるくらいしかない。

睡眠薬を飲んで、すぐ寝られても3時間後に目が覚めて、まじで薬の分しか寝られないんだ、と思って絶望した。いつ飲めばいいかタイミングを逃したり、よくわからなくなっていた。

苦しくて、「苦しい」といいながら枕をたたいた。夜眠れない日が続くと一気に消えてしまいたい気持ちがあふれる。

 

会社をやすんで、昼間も夜もラジオを聞いていた。何をしたらいいかわからなかった。

今週はたまたまニッポン放送スペシャルウィークだったので、すこし助かった。音ではなく、ちゃんと会話として、お話としてわたしの耳に入ってきてくれたから、わたしも完全に終わっていたわけではないんだろうな。

 

 

先週の休日に、数年ぶりに大学の部活のすごい好きな先輩にあって、ラジオの話をして楽しかった。ラジオのこと好きなひとと、ラジオの話をするのが、うれしい。

ラジオってやっぱりどう考えても、聞いている間は自分ひとり対パーソナリティの関係でつくられた時間と空間でだと思っている。というか、そう思い込むことがラジオをきいているということなきがする。わたしにとって。

だから、「ラジオ聞いていることってなんか…コソコソしちゃうんだよね」とその先輩が言っていて、「わかります」となった。ラジオの話とかをすること、以前ブログでも話したので、正直全然隠してるとかではないけど、中高くらいのときはめちゃくちゃコソコソ聞いていたし、いまでも仲いい友だち同士では時々ラジオの話するけど、例えば自分のことをあまり知らない人に「趣味ってなんですか?」と問われても「ラジオを聴くことです」と言ったことは一回もない、と思う。

 

オードリーのオールナイトニッポンで「死んでもやめんじゃねーぞ」というコーナーがあるのだが、これこそまさにコソコソと聞いて、自分ひとりで笑ってしまうだけのコーナーであって、だれかと共感したいものではないと思っている。

深夜に、自分ひとりで聞いて、思わず笑っちゃう記憶があることがどうしようもなくいいんだとおもう。

谷口の会社で、社員さんたちの前でこのコーナーやってたんだけど、いやーちげえんだよなと勝手に一丁前なことを思ったりもした。

うまくいえないけど、ラジオとトークライブは、違うのだ。

 

でもだからこそリスナーとパーソナリティのつながりって深いのだと思う(多分)。くりぃむしちゅーの有田はいままで何回も、いろいろな場所で、結局いつもついてきてくれるのはANNのリスナーで、それはずっと感謝している、ということを言っている。

 

この間、有田脳にゲストで伊集院光さんが来た回がすごい面白かった。

いま誹謗中傷とか、悪口とかの最悪なものって、匿名だからこそ世のなかにはびこっているけど、一方で匿名でめちゃくちゃおもしろいことを何の得のないのに書いてくれているひとがいる。それがラジオなんだ。そして俺たちはそういうひとに助けられているから、匿名がいけないんだ、と決めつけてしまうのはおかしいんだ。

というような話をしていて、とても面白い話だなと思った。

ひとつの新しいことを教えてもらったけど、もともとなんとなくわかっていたようなことを明確に言語化してもらったような気もして、ドキドキした。

 

 

 

だから、かなしくて、眠れない、ずっとひとりな気がするわたしにとってラジオはありがたいコンテンツだった。わたしも、わたしからはなれた匿名の誰かとしてラジオの前に座って、パーソナリティーとの関係を築いているくらいの気持ちでいる。それにすがったまま、よくわからないふわふわとした日々を過ごしたまま、今日になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから自分のメンタルが終わっていることもあって、両親の前でわたしは急に涙をながした。

「なんでこんな悲しい、そして未来のない世のなかを生きていかないといけないんだろう」とわたしは父に聞いた。わたしはわからないことがあると、父になんでも聞いてしまう。

 

「何が悲しいんだ」と父はゆっくりと話す。

「わからない、ニュースをみると悲しい」

「どんなニュースを見ると悲しい?」

「自分の知らないところで勝手に、いくら世間で批判の声が上がっていても…十分な説明とか議論が見えないまま、政治が動いたりしているところが怖くて、とにかく悲しい。ロシアの問題とかに近いことって、日本で絶対ないって言えるんだろうか、と思う。」

「そうか」

「そんなことばっか考えている自分もいやだ。政治的な主張をしたら、いけないんだと思ってる。それが他人への強制の意図がなかったとしても。どの立場からものを言ったらいいのか、よくわからない。いろんな側面があって、わたしはすべてのこともわからない。だから自分が適切な行動をとれているのかもわからない。そんなことを何も考えなかったり、選挙にいっていなかったりしているひとのほうが幸せそうでうらやましい。」

「まあ、自分のことばかり考えているひとは、それは幸せだろうな」と父は言った。

 

でも違うんだ。結局わたしが一番、いつもいつも、自分のことばっかりを考えているんだ、と思ったけど、それは言えなかった。

 

お母さんはこういう時何も言わないが、わたしが「昼寝をしたい」といったら「おかあさんも」と言った。母は机の上を片付けて、自然と自分の部屋に戻っていった。

 

昨日もうまく寝られなかったので、なんだか眠かった。

布団をしくのも面倒だったので、畳の部屋に座布団を二枚敷いて、敷布団にした。最近むくみがひどい。顔も、身体も。靴下を脱いても、靴下の、縦線の跡がいつまでもついていて、気持ちが悪かった。わたしは父が貸してくれたタオルケットをかぶって、一時間だけ、昼寝をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起きたあと、洗い物をして(母は片付けが苦手で洗い物をためることが多いので、几帳面な父によく怒られている)いたら、母が自分の部屋からでてきた。

 

眉毛を書くペンシルを旅行先でなくしてしまったから、買わないといけないと、母は言っていた。父の部屋から、6Bの鉛筆ならあるよと父の声が急に聞こえる。6Bって、、そんな濃い鉛筆のことを生まれてから今はじめて想像した…とわたしは心の中で思った。母は笑っていた。

 

父が村上龍の「半島を出よ 上」をあげると言って、わたしにくれた。

地元の図書館で、リサイクル図書でただでもらってきたから、上巻しかなかったそうだ。おもしろかったら下巻買って読んでみて、と言われた。

 

 

母が、時差ボケか疲れかで買い物に行くのがしんどいと言ったので、わたしが車を運転して一緒にスーパーに行くことになった。スーパーへ行く道も母は旅行の思い出話をずっとわたしにしていた。

 

はやめのお夕飯にして、一緒にお刺身でも食べようと言ってくれたので、お刺身を買ったり、一週間分の家の食材を母がてきぱきと買っていく。わたしはカートをおすだけだった。チョコまみれ買う?と聞かれたけど、いらないといった。うちの母はわたしのことを、めちゃくちゃチョコまみれが好きな人間だと思っている。

 

会計して、駐車場にもどってまた運転して帰る。

そしてなんと帰り道も母はまだ旅行の時の話をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二か月前くらいCHAI自主企画のフェスに行ったときに、一緒に行った友だちがCHAIのことを「ちょっとそろそろ曲というよりは歌詞で感動したい気は少しする」というようなニュアンスのことを言っていて、とても共感してしまった。

N.E.O.という曲をはじめて聞いたときは正直全然ピンと来なくて、コンプレックスも愛そう!あなたの要素すべてが素敵だよ!みたいな曲なのだが、いや、正直自分の身体的コンプレックスはどうがんばっても愛せないと思っている。初めて聞いたときから、わたしはCHAIみたいにはなれないな、とずっと思っている。むしろ弱いところもあっていいから、全部前向きに強くなくていいよ、ウチらもそうだし、てかコンプレックスというものをうみだしてるのはあんたのせいじゃないから、と言ってくれたらわたしは万歳三唱だし、あなたたちはすべてがサイコーだよと思うと思う。この考えはエゴがすぎるだろうか?

ちなみに彼女たちの活動を否定しているわけではないし、CHAIに上記のようになってほしい!と思っているわけでもない。すごいくいいな、とすら思うが、別次元のひとのような気もする。それは彼女たちを憧れや羨望の対象として切り離してしまっているわたしの、悪いところなのかもしれない。

 

CHAIをちゃんと好きになったのは、ライブをみてからだと思う。演奏が強くて、かっこよくて、ただのガールズバンドじゃないと思った。しかもそれが確実に思ったのはライブ終盤に演奏した「N.E.O.」を聞いてからだ。あ、わかった曲自体が、サウンドがめちゃくちゃいいんだ!と思った。とてつもなくカッケー!!といったかんじである。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはクソほど考えて自己分析をずっとしている女なので、悲しみの理由はいろいろとわかっている。

「社会の問題を自分ごとにするということ」と、「社会の問題と自分の問題を一緒に考えてしまうこと」は違うんだろうなと思う。(加筆:これなんか語弊を生みそうだなと思った。自分の問題かと思ったら社会の問題である可能性というのは大いにある、コンプレックスへの意識って自分がどうこうする問題なのかな?と思う時もある。社会の問題を自分の問題にしては行けない気がする、というお話。)

あと、自分のことや、自分の気持ちを小説にしてずっと書いている、それが最悪だなと思っている。ずっと自分、自分、自分で嫌な気持ちになる、

アウトプットができている、ということだけを考えたらいくぶんかマシな気持ちにはなるが、完成するかもずっとわかっていない。

 

 

 

 

 

 

 

三人でお刺身を食べて、まだ明るい時間にそろそろ帰るといった。でももう19時だった。日がどんどん長くなっている。夏至も近い。

ヨーロッパは太陽が昇っている時間がとても長くて、夜の10時くらいに日が暮れ始めて時間感覚がおかしくなったというような話を母がしていた。わたしは「こわい」と思った。

 

 

夕暮れが一番好きな時間だ。夜は寝たいのに眠れないし、朝は眠れなかったことに絶望するし、昼間は明るくてまぶしいから疲れる。一日の終わりが見え始めていて、暑さが逃げていくから涼しくなり始めて、なにより夕焼けがきれいなところが好きだ。

帰る前に、西側に窓がある部屋に入り、自分のおいていた荷物をとった。ここちいい風がふいたので、ふりかえって外を見ると雲がオレンジ色に染まっていて、今日という一日の終わりがまたはじまって、夜がくるんだなと思った。

 

 

帰りたいとずっと思っている。実家にいても、一人暮らしの家にいてもどこかに帰りたいと思っている。はやくどこかに、帰りたい。