週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

氷見に行ってきたよ

 

旅行はどちらかというと結構苦手。旅行だけじゃなくて、イレギュラーなことが基本的には苦手なのだ。とたんに不安になってしまうし、不安が行動にそのまま表れて失敗した(涙)と思ってしまうことが多い。だから旅行はあんまり行かない方だと思う。

いつも同じ生活を送っていた方が自分のだめなところを隠せるからだと思う。わたしは生活の中では実はかなりできないことが多い、けど「慣れていること」をすることによっていろいろなことを隠しながら生きているという自覚がある。失敗なんて結局してしまうのに、失敗しているようなところをひとに見られることがとんでもなく怖いのだ。相手はそんなこと気にしていない、とわかっていても、自分を必死に隠すことをやめることがずっとできない。

 

 

「慣れていること」範囲外のことをすると、自分という存在がいたから悪い方向にいったのだみたいなことを思ってしまう。

だから旅行はめちゃくちゃ人に気を使ってしまう。自分が旅のプランに口を出せば、自分の提案がうまくいかないのではないかとハラハラするし、それがつまらなかったら完全に自分のせいだと思う。逆に何も口出しをしなければ何もしない非協力的なひとだと思われることが嫌だとも思う。そういうことで、自分が他人にどう映るかばかり考えてしまうので旅のことを考えるのは苦しくなってしまうことがよくある。そんなことを思うけど、自分以外の他人が旅行のプランに口出ししようが、非協力的だろうが、そういうことは全然気にしない、ただただ、自分のことだけなのだ、結局わたしは。

 

しかし旅が嫌いかと言われればそんなことはないと思う。

温泉や自然が好きだし、知らない町をたくさん歩くことも大好き。

だからわたしは、旅をするときはすこしだけでも自分の”そのままの生活”を持ち歩く。いつものようにラジオを聞いて、毎週着てるTシャツとジーンズ、毎日履いてる靴で、ほとんどすっぴんで、荷物も軽くして、そしてなによりも、ふらっと外にでるように、たったひとりで旅に出る。

 

 

 

 

氷見に行ってきた。

理由はいろいろあって、まずは北陸に行ってお金を使いたいとぼんやりだけど思ったから。

実際に現地に行ってお金をつかうより、その分を募金したほうがいいのだろうかとかいろいろ考えたけれど、やっぱりいま、行こう、と直感で思った。大きな被害があった地震は今までのわたしの記憶の中でも何回もあったけど、その中でわたしは大人になって、自分で稼いだ自分の好きなように使えるお金が、今は少ないけどある。もちろんなにが正しい行為か、ということはわたしには完全にはわからない。

 

去年、久しぶりにあった人に「元気そうでよかった」と言われたときに、なんだか胸がざわざわしたのを思い出した。わたしが結構つらい時期を過ごしていたことはなんとなく知っていたひとだと思うけど、別にわたしは自分のことを元気じゃないと思ってたし、なんだか勝手にいろいろと終わらせて「元気そうに見えて」安心されていることに違和感を持ってしまった。だからわたしは、わたしは何も知らないままに、後片付けが済んだように見える段階で「元気そうでよかった」とは何かや誰かに対して言いたくないと思った。

 

もちろんこれは自分のエゴで、その人に違和感をもってしまうような自分にも嫌気がさすところがある。考えは人それぞれあるとおもうから、それぞれが好きなようにしていいと思う。その範囲のなかでわたしの場合は、自分自身がなるべく誰かを傷つけたくないという感情と、自分勝手でもわたしの中でなにか納得できる材料をすこしでも増やしたいと思ったのだ。でも、多分後者が強いんだろうな、と思う。いまもまだ、多分毎日落ち込んでいる時間の方が全然多いし、結局自分のためなのかもしれない。

 

被害が大きく、観光がまだできない場所は行くべきではないので、金沢以北かつ、観光可能である場所にしようと思った時、「富山もしんどい」というツイートをたまたま見かけ、じゃあ富山にしようと思った。

あとはなにより、わたしはお刺身ではぶりがほんとうに好きなのだ。

じゃあ、氷見だ!氷見のぶりを食べに行こう!と自分のなかでしっくり来た瞬間にわたしは夜行バスを調べた。東京からの往復で一万円以下、これならいける。わたしはほんとうにただの小さな会社の一般社員なので、お金に余裕があるとは別に言えない。新幹線でお金をつかってしまって、現地で使うお金がなくなってしまったら本末転倒なので、わたしは学生のときぶりに、夜行バスの予約をした。

 

 

 

 

夜行バスのバスターミナルは、なんだかいつも妙な雰囲気があるなあと思う。

寝るだけだからか、みんながなんだか気が抜けているようなきがする。トイレに行くとコンタクトをはずしている女の子がいて、外の待合所では、地べたに座り込んでキャリーケースをあけて荷物の整理をしている女の子がいる。それにしても、夜行バスを使う人って、若い女の子が圧倒的に多い気がする。

 

先月友達から充電式のホットアイピローをプレゼントでもらった。ボタンを押したら目のまわりがじわじわあったかくなって、30分で自動で消えるやつ。

わたしは悲しくも睡眠が苦手なんだけど、これは寝る前に使うとリラックスできるし、満タンに充電していれば二回目もボタンを押せば使えるので、夜中に起きてしまってもまた目があっためられる、めちゃくちゃいい。マジで毎日使っている。ときどき充電を忘れると寝る前に絶望してしまう。

「ゆっきゅんがガチで寝れるって言ってたから買ったよ!たまにはひとの話も聞くもんだな!」とその友達は言っていた。ちょうどそのときわたしはゆっきゅんの「日帰りで」をめちゃくちゃ聞いていた。「日帰りで」はホンマ良曲。

わたしが寝るの苦手なの知っててくれて買ってくれたんだろうな、ありがと!そして夜行バスのいいおともになったよ。

 

 

 

まだ暗い時間にバスは高岡について、高岡から氷見線にのって、氷見に行った。

海側の席に座って、少しずつ明るくなる風景を感じて、海の表面の揺らぎをみた。少しだけ波が立っていた。つめたい風が吹いていることが目でわかる。

当たり前だけれど、移動って簡単にできてしまうなあと思う。飛行機にのったり、電車や新幹線にのったりするといつも思うけど、ひとつずつ乗り継いでいけば本当にどこにでもいけてしまうなあ。自分の意思で選んで、足を動かしてきているはずなのだが、googlemapをひらくと、東京ではない場所が、青い丸で光って動いていることがとても不思議に思えてしまう。でも逆に言えば、googlemapを見ることでしかわたしはいままさに「ここ」にいることが信じられない。

けれどもちろんこれはとても現実であり、わたしは氷見駅に降り立っていた。

 

 

駅から15分くらい歩いたところにある漁港のそばの食堂に行った。

多分7:30くらいについたと思うんだけど、その時間でも満席で、待たないと入れなかった。人気なんだなあ。車で来ているひとが結構多かった。

わたしは外のベンチで文庫本を読みながら、漁港の匂いと、漁港ではたらく人たちの声や、車を運転する音、魚がたくさん入ったかごを運ぶ音を聞いて順番を待った。

 

外はめちゃくちゃ寒くて、寒いなあと思いながらカイロで手をさすっていたら、たまたまわたしの前を通ったおじさんに、お店いっぱいなの?寒くないか?中にストーブあるからはいんな!と言われた。

その漁港の事務所みたいな場所は、ドアに堂々と「関係者以外立ち入り禁止!」と書かれていたから、え…いいのかな…と思いながら入っていった。部屋の真ん中に大きなストーブがあって、みんながそれに手をかざしていた。

大学生のとき海のスポーツしてたからすごくよくわかるのだけれど、寒い時の海って本当に本当に寒いから、ここで毎日働いているひとはすごいなあと感心してしまった。今日よりも寒い日ももちろんあるんだろうなあ。

そうしていたら別のおじさんに、ここは立ち入り禁止だよ!と怒られた。いや、そうだよね!やっぱそうですよね!と思ってごめんなさい…と言って立ち去った。

わたしを招いたおじさんが、ごめんごめん、俺が呼んだんだ、と謝っていた。ごめんね、わたしも一回疑えばよかったよ、だって普通にデカデカと張り紙してあったもん。

でもちょっとおもしろかった。だって毎日ここきっとたくさん人来てるだろうに、外で待っているひとだっていつもいるだろうに、たまたまわたしを招いて、わたしが怒られたという偶然性に、すこし笑ってしまった。

 

 

食堂は繁盛していて、わたしが中に入ったあとも次々に食べ終わったひとが出ていって、新しいお客さんが入ってきた。猫の顔をした配膳ロボットが2台くらいいて、久石譲summerのメロディを流しながら定食を運んでいた。そのせいで頭の中がその曲しか流れなくなってしまったが、そのままごはんを食べた。

そこで食べたぶり丼はほんとうにおいしくて、一枚一枚の刺身がほんとうに分厚くて、わたしはごはんも大盛にしたのだけれど、すぐに完食してしまった。きちんとご飯をたべると、いつもすがすがしい気持ちになれる。

 

 

店を出てからはラジオを聴きながら海辺をあるいて、小さな展望台に上ったりした。氷見は、海もあって、山もあるのが、めちゃくちゃいいなあ。

先週は多分全国的に天気があまりよくなくて、三日前くらいの予報ではもしかしたら雨が降るかもと思ったけど、当日は雲の隙間からだけど太陽が見えた。

氷見の道の駅に行って、実家とともだちと自分に、たくさんのおみやげを買った。干物とか、日本酒とか、お菓子とか。

 

 

一時間くらいかけて歩いて、少し山の方のお湯やに行った。ひとりだと平気でこういうことをしてしまう。バスもあったけど、本数も少ないし携帯で時間を検索して何時のに乗ろうとか考えるのもめんどくさかった。

 

海辺の道の駅付近は結構ひとがいたけど、すこし陸側の方にはいると、外にいるのはわたしひとりだけなのかも、と思うくらいの静かな町がそこにはあった。

 

家が連なっている道を歩くと、それぞれの家には三種類の張り紙が貼ってあった。緑の「調査済」、黄色の「要注意」、そして赤の「危険」。

赤の「危険」が貼られている家は、もうほんとにみるからに、怖いくらい崩れてしまっている家もあった。そしてふと歩いている足元に目をやると、道路が平気にひび割れている。頭の上のスピーカーではり災証明書に関する放送が流れていた。

繁盛していた漁港の食堂や、道の駅とのギャップがすごく、わたしはいつもよりすこしだけ足の裏に力を入れて歩いて、その景色をちゃんと見た。

 

 

行った小さな温泉はすごくすいていた。脱衣所のロッカーのカギはちゃんとしまっているのか、ちゃんと開けられるのかわからないくらいなんだかガタガタと不安定で、ここでひとりですっぽんぽんの状態で鍵あかなくなって荷物取れなくなってしまったらどうしよう…とか一瞬考えたけど、まあいいやと風呂に入った。

おばあちゃんたちが二人いたけど、そのひとたちはずっと内湯にいたから、露天風呂はほとんど貸し切りだった。気持ちよくて、夜行バスでかたまった身体や、たくさん歩いた足がだんだん軽くなっていくような気すらした。

 

 

その休まったはずの足で、また一時間くらい歩く。なんかこうやって書くと、ほんとにこう現代で求められているようなタイパとかコスパとか考えることをまったく無視しているような旅の仕方をしているなあと思う。そういえば脱衣所のロッカーはちゃんと鍵が開いた。よかった。

 

ときどき疲れたら海辺に座って休みつつ、カメラを持って行ったので写真を撮りながら道を進んだ。友達と遊んだり、人と旅行にいったりしても、わたしはあまり写真を撮る方じゃないと思う。というか自分の顔が写る写真が苦手なのだ。自分の外見をわたしが見るのが苦手だから。

一人で、景色の写真ばかりをとる。そらをぐるぐると自由に飛んでいた鳥とか、きらきらと光っている水路とか、もうここにはだれもいないのかもしれないと思った一本道とか。

途中で氷見牛のコロッケを食べたり、また足湯につかったりした。眠すぎてすこしだけだけど公園で昼寝もした。子どもたちがワーッと公園に来る声で起きた。

 

 

夕方くらいになんとなく歩いて入ってみようかなとおもった喫茶店ぽいところのドアを開けてみた。外に看板がでていたのに、中にはいると普通のおうちみたいなところで、奥の小上がりの和室みたいなところでこどもがふたり、男の子と女の子が遊んでいた。客が来たということに全く気が付いていないみたいに、もしくは気が付いているけどそんなこと当たり前だからどうでもいいというふうに、各々が遊んでいた。

 

カウンターの席に座らせてもらって、コーヒーとチーズケーキのセットを頼む。コーヒーの豆の種類がたくさんあった。ブレンド3種類くらい、スペシャリティコーヒーも5種類くらいあった気がする。わたしは深煎りのマンデリンにした。

コーヒーを頼んで、店主の女性が丁寧にハンドドリップでコーヒーを入れてくれる。なんだか少し緊張していたけど、コーヒーの暖かくていい匂いがしたら、少し安心した。

コーヒーを淹れたり、ケーキの準備をしてくれている間にも近所の人が来て、最近の調子はどうだとか、米は必要か?とか、あんたんちの田んぼの被害はどうだったかとか、あそこの地面割れてて危ないから気を付けなよ、とかそういう話をしていた。

 

 

そのうち子どもが店主の女性を呼ぶ、忘れちゃったけどあだ名みたいな呼び名だった。どうやらその店主のかたの子どもではないらしい。コーヒーとケーキをわたしに出したあとに、店主は子どものところに行く。男の子のほうはレゴをやっていたらしくて「なんでわたしがこんなにレゴに命かけなきゃなんないのよ」とそのひとは子どもに向かって言っていた。命をかける、という表現がおもしろくて、笑ってしまった。わたしは邪魔しないようにコーヒーを飲みながら静かに、また文庫本を開いて読んだ。少し経ったあとで子どもの親のような人が迎えに来て、子どもたちは去って行ってしまった。

 

 

店主のひとがカウンターの前まで戻ってきてわたしに話しかけた。

「地元のひと?」

「いえ、東京から来ました。」

「そうかい、氷見へようこそ」

色々なことを聞かれて、一人で来たこと、夜行バスで来た事、朝からぶりたべて温泉に入ったことなどを話した。一人旅いいね~!ぶりのあとのマンデリンは正解だよ!と言われた。そうなんだ笑、ならよかった。

すると座敷の奥からおばあちゃんが子供たちが遊びつくした部屋を見ながら「ばやくそうろうにしてもて…」と言いながら出てきた。

「ばやくそうろうってわかる?」と店主の方に言われた。どうやら氷見弁でごちゃごちゃになってる、散らかっている、という意味らしい。

おばあちゃんも含めて三人で話してて、そしたらまた別の近所のひとがきて、そのひとと話してて、地域のひとたちに愛されてるお店なんだな、きっと。

 

コーヒーがもう少しでなくなるころに、この店はあまり被害がなかった、という話とか、でも少し向こうに行くともう全部建て直さないといけない家もある、どうしても自分の店をたたなまいといけない人たちがいる、斜めになったような家に住み続けないといけない高齢者がいる、とか被災についていろいろ話してくれた。

自分で選んできたのに、突然わたしは、ここにいていいのだろうかと不安になった。だってわかったようなことは絶対に言えないし、東京から来たこんな女のことをどう思うんだろう、って思ったけど、話をしてくれたので、わたしはせめてこころから、真剣に話を聞こうと思った。

 

帰り際に、お会計をしたら「これ帰りのバスで食べな!」とちいさなお菓子をいくつかジップロックに入れて持たせてくれた。

ここまできて、わたしが受け取る側でいいのだろうか、と思ったけど、人のやさしさというのはどういう状況でもうれしくてありがたい。お礼を言って店を出た。

コーヒーもケーキもめちゃくちゃおいしかったな。

 

 

 

わたしは好きな本とかは結構何回も読み直すんだけど、『断片的なものの社会学』を最近また読み直して(また読んでんの…?という感じだ、しかし本当にいい本なのでみんなに読んでほしいと思ったりする)あとがきの言葉のことを振り返った。

 

 

いま、世界から、どんどん寛容さや多様性が失われています。私たちの社会も、ますます排他的に、狭量に、息苦しいものになっています

私たちは、無理強いされたわずかな選択肢から何かを選んだというだけで、自分でそれを選んだのだから自分で責任を取りなさい、と言われます。これはとてもしんどい社会だと思います。

不思議なことに、この社会では、ひとを尊重するということと、ひとと距離を置くということが、一緒になっています。だれか他のひとを大切にしようと思ったときに、私たちはまず何をするかというと、そっとしておく、ほっておく、距離を取る、ということをしてしまいます。

でもたしかに一方で、ひとを安易に理解しようとすることは、ひとのなかに土足で踏み込むようなことでもあります。

そもそも、私たちは本来的にとても孤独な存在です。言葉にすると当たり前すぎるのですが、それでも私にとっては小さいころからの大きな謎なのですが、私たちは、これだけ多くのひとに囲まれて暮らしているのに、脳の中では誰もがひとりきりなのです。

ひとつは、私たちは生まれつきとても孤独だということ。もうひとつは、だからこそもうすこし面と向かって話をしてもよいのではないか、ということ。

 

わたしは今日も安全な場所で、カフェのカウンターの席で、30%オフのクーポンをつかって頼んだチャイをのみながらこの文章を書いている。右にはラテをもちながら自撮りをしている女の子がいて、うしろには小さな男の子に読み聞かせをしているおかあさんがいて、左隣りにはパソコンをかちかちしている男性がいる。

 

いつ恐ろしいことが起こるか、よくわからないような世界で生きていることが、不思議だなあと思う。

きっといつか何かを失うのだろうという前提の世界、そしてその悲しみは誰もが必ずしも出会うことである。でも、大きさもタイミングも平等に訪れるものでもないのだろう。

 

 

なんか本当に、「あなたがそれを選んだのなら、あなたが胸を張って生きないといけないよ」みたいな社会だな思ってしまう。「あなたの受け取り方の問題だよ」とか「あなた自身の問題だよ」みたいな。

 

わたしは誰かの話を聞こうと思う。「普通」や「世のなか一般」というよくわからな基準に当てはめるのではなく、その人が何に苦しんだり困っていたり、どういう背景があって、だからどういう感情になっているのか、みたいなことを、待ちながらできる限りゆっくり聞きたいなと思う。

でもわたしもきっと完璧にはできなくて、今も自分の周りのひとのことで上手に理解できなかったり、イライラしてしまったり、自分のものさしで話を聞いてしまって、結果的に謝ることもしょっちゅうある、難しいし、苦しいなとも思う。自分本位になってしまうことばかりだ。

 

氷見に行って、すこしだけどわかったことは、観光はできるけど、住めないもしくは住むべきではない家も全然あること、ニュースをみてもわかるように当たり前だけどここより北の半島はもっとそれが多いのだろうということ。あと、夜と朝はとても寒かったということ。この震災から二か月間は、今よりきっともっと、寒かったことがあったんだろうなということ。

 

 

 

 

 

 

それにしても、ひろい海を見て、わたしはやっぱり海が好きだなと思った。

恐ろしくて、大きくて、うつくしくて、気持ちがいい。いろいろ自分がうつくしいな、いいな、と思った風景を写真にとったからのせます。いっぱい取ったんだけど、写真へたなので現像してみたら結構失敗してた。

 

 

海は人に所有されていない、少なくとも土地のようには。わたしは地中海を愛しているけれど、それは北海を愛したり、オホーツク海を愛したりするのとまったく同じで、ちょうどいま目のまえにあるこの海を愛しているにすぎない。そこにはほかとの優劣がなく、また起源も誇らない。それが海であるというだけで愛するに足りる——これが海の良いところだ。

『いつかたこぶねになる日』小津夜景

 

 

うつくしいものの話をしよう。いつからだろう。ふと気がつくと、うつくしいということばを、ためらわずに口にすることを、誰もしなくなった。そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。うつくしいものをうつくしいと言おう。

『世界はうつくしいと』長田弘

 

朝の氷見線車内からの海の写真、一番気に入っているかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

おいしかった

 

 

 

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また行きたい。北陸の別のところも。

 

静かで寒い夜

 

「ベットの上で、いつもとは逆の向きで寝転ぶのが好きなんだよね」

と言った人がいた。

 

「枕側を足にするってこと?」

 

「そう、行儀が悪いのはわかってるから、そんなにたくさんやることじゃないんだけど、なんか謎の罪悪感というか…でもそれでも寝転んでごろごろするのがなんかいいんだよね」

 

 

 

 

なんでこんなひとの言葉をいまさら思い出すのだろう、と思う。

相変わらず朝を迎える絶望は深く、悲しく、痛い。

凪の海の中で、顔の上半分だけ水面からだしているような、浸かっている身体のだるさ、でも冴えている眼はしっかりと前が見える。

朝になり身体をおこして、一番最初に思うことは、「疲れた」である。

寝付いても3時間で目が覚めてしまう、3時間かぁ、と意識すればするほど3時間きっかりで起きてしまうようになってしまうこの身体は、どういうことなのだろう。

 

2023年の年末あたりから、次の年が来ることが怖かった。

新しい年が来るという区切りがあまりに恐ろしく、時間というものが次々にわたしのなかに流れ込んで、身体と記憶は、その分どんどんよくわからない何かが蓄積していっている感覚だ。

 

戦争や災害、事件、自殺、誹謗中傷、だれがだれに殺されているのかよくわからない世界になってしまった。その世界を何事もないように生きることが、ときどきとても苦しい。そして何事もないような顔をしているひとたちの幸せそうな顔をみるとうらやましくなる自分にも、辟易としている。

 

 

年末に家にいられなくて、上野をふらふらしているときがあった。

あのときを思い出すと自分でもなにをしたかったのか全然わからなく、悲しかった。ちいさく、だれにも気が付かれないような涙がでたまま、上野にいた。

家に帰るために歩くことや、音楽を聞くことや、そういった当たり前のことよりもなによりも、人が駅に向かってただただ歩いていく人をみつめて、何もせず立ちすくむことが一番楽だった。ずっとそこで、わたしはなにもせずに立っていた。どうしたらいいかわからず、どうすることも間違いのような気がしていたのだ。

なかなか帰ることができなかったけど、優しい友達が電話で、「帰っておいで」と言ってくれたので、あと知らない男のひとに話しかけられるのがもう嫌でこわくなり、とぼとぼと家に帰った。

 

 

 

 

 

 

去年あたりから、本を読まないと、電車に乗るのがこわかった。年々東京の電車が苦手になってきている、苦しくなり電車をおりてしまうこともまだある。

わたしの周りは真っ白で何もない空間に無理やりにでもしたくて、わたしの身体に触れるだれかの感覚や感情は、わたしの中に入ってきてほしくなくて、換気のために空いているあの窓の隙間から、外へ常に流れていてほしかった。

わたしの意識は、わたしのからだや、わたしのからだのまわりではなく、自分の掌で包んでいる冊子の、この小さな世界のなかにずっと収まっていたかった。

行きの電車で本を読み終えてしまったときは、会社のビルの本屋で文庫を買わないと帰れなかった時もあった。読みたい本なんて腐るほどあるはずなのに、上手に見つけられなくて友達にお勧めの本を教えてもらうために電話したり、読みたいのかよくわからない本を無駄に買ってしまって本に集中できなかったり、どうしたらいいかよくわからなくなった時もあった。

 

 

 

 

先日、「会話のない読書会」というものに参加してきた。

それぞれが同じ本を持ち寄り、同じ空間で、同じ時間に、その本を読む。

しかし「会話」はしない、というルールだ。読んでも感想などは伝えず、ただただ黙々と、本を読み続ける。

会を主催しているのは、本を読むための空間を作っているfuzkueというお店だ。

fuzkueのことは前から知っていて、行きたいなとは思っていたのだが、「はじめて」はなんとなくふわふわと気が重かった。もちろんfuzkueはそんなに、入るのに勇気がいるお店という面構えでもないのだが。

「会話のない」というところがわたしにとっては惹かれるポイントだった。わたしはどうでもいい会話はすきだが、自分の思ったことをうまくおしゃべりすることが時々いやになってしまうし、自分の好きな本の話ならさらに、見栄とかがでてきてしまう可能性なんかもあるし、とにかく「会話のない」ことでわたしはいろいろ助かるのだった。

 

 

「会話のない読書会」は2016年から始まっているらしく、fuzkueが対象の本を選定していて、その本を読みたいひとが予約してその日に集まるといったスタイルでやっているみたいだった。

過去のラインナップを見ると、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、劉慈欣『三体』(三体二回やってる!笑 いいな楽しそうだな)、川上未映子『夏物語』、遠野遥『破局』などかなり自分が好きなジャンルというか、自分も読んできた本が多い、気がする。実は去年の『黄色い家』の回に申し込もうかと思ったのだが、ちょうど募集をみたときに、偶々もう既に読み始めてしまっていた状態で、終わりまで三分の一くらいだったので迷ったが結局本を読む手を止めることができず、自分ひとりで読んでしまったということがあり、次はできたら参加したいなあとその時にも思ったのだった。

会話のない読書会 | 本の読める店 fuzkue

 

 

わたしが予約した会は柴崎友香『続きと始まり』。

もともと読んでみたいなと思っていた本だった。いい機会とはこれだろうか、と思い思い切って参加の予約をし、事前にキャッシュレス決済によりネット上での支払いを済ませる。

fuzkueから予約完了のメールが届き、「ではでは、当日のご来店をお待ちしておりますね。」という優しい文が、そこには書いてあった。

 

 

柴崎友香さんのことはもともと好きで、特に以前も岸政彦のことでブログに書いたことがあったが『大阪』を読んでからはもっと好きになった小説家だ。

去年は、文學界で連載されているリレーエッセイ、「私の身体を生きる」という企画に参加していてその文章がとても、素晴らしいと感じていた(20239月号)。

自分の身体のことについてのとらえ方というのは、わたしもとても難しく感じている。身体の感覚や実在とセクシュアリティのつながり、ファッション、身長と体重、生理や妊娠、肉体と精神のつながり、わからなくてただただ嫌だったり怖かったりする、しかし自分とずっと一緒にあって、必要最低限のケアはして、付き合っていかなければならないこの、肉の塊のことを。

 

 

私が「私の身体を生きる」でもっとも書きたいことは、私は私の身体について書きたくないということだ。

 

「身体がなくなってほしい」というのは、今なら、私は「無敵」になりたかったのだと言いかえられる。だから機械になりたかったのだ。

 

 

 

 

しかし柴崎さんは50年生きてきて自分の身体に慣れてきた、ということも書いてあった。

自分の身体の不具合は、身体そのものに起きていることであり、例えば自分の足にあう靴を選ぶことで、自分の身体の違和感も薄れることがある、と。そして靴だけではなく、身体の悩みというものは実に多様であり、カテゴリー分類されるものではない。自分自身の身体の悩みこそが自分の身体として在るもので、自分の身体を認識するものなのだ、と言っている。

数年前から柴崎さんは老眼をはじめとして、これが老化かー、と実感するようなことが身体に起こり始めたことで、”興味深い”という感覚をもたらしたらしい。機械ではなく、生物であるから、身体は衰えるのだ。その感覚で生きるということが、実にいいなと、わたしは深く感じ、今日まで何回もこのエッセイを読み直している。

 

 

私は自分の身体について、五〇年生きていても「わからない」と言ってもいいんじゃないか、と思った。

死ぬまで「クエスチョニング」であり続けてもいい。

「女性」の身体で、「女性」として生活するのに深刻な困難はなく、理由を求めらることもない立場であることも知りつつ。

今日も明日も、ねじではなかったこの身体で、ねじではないから痛いし簡単に部品を取り替えられないこの身体で、生きているのだと思う。

 

 

 

 

 

そういえばわたしは、昨日から、頭と足の向きを逆にして、寝てみている。

この身体との付き合い方を模索していて、案外誰かの言葉やその記憶が、わたしを助けるものになるのかもしれない。そのひとは、そんなことを言ったとは覚えていないのだろうけど。

わたしもそうやって、知らないうちの誰かに影響を(できればいい影響を)与えて生きていけてたら、いいなというか、おもしろいなと思うのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事終わりの金曜日の夜に西荻窪へ行く。

駅から10分ほど、まっすぐ歩いたところにfuzkueはあった。19時過ぎに着いた。

名前を告げ、好きな席に座ってくださいと言われる。すでに3人ほどが各々の席に着席していた。全部が埋まると、10人ちょっとくらいは座れるのだろうか。cozyな空間だ。

カウンターの席は目線の先に沿って本棚がならんでいた。柴崎友香の『公園へ行かないか?火曜日に』が表紙をこちらに向けておいてある場所があった。せっかくだからこの席にしようと思って座る。

読書会の説明の紙があり、一通り目を通す。お腹がものすごくすいてきたのでごはんが食べたいと思い、店員さんのところへこそこそと行き、「すみません…ごはん食べられますか…」と小声で尋ねるとメニューを渡してくれた。後で気が付いたけど、座って待ってたらメニューそのうちくれたのかもだから待ってたらよかったのかもしれないし、別に最低限の会話はしてもよかったからこそこそする必要も小声である必要もなかったという…。

店員さんが白湯を持ってきてくれた。つめたい水ではなく、白湯。うれしい。

メニューにあるチーズとはちみつのトーストを頼み、ついでに携帯を預かってくれるらしいとHPかなにかで見た気がしたので携帯も預かってもらうことにした。この震えたり音が鳴ったりする機器は、ときどきわたしにとってものすごく邪魔なのだ。

それにしても、このメニュー表(お店の案内書きも兼ねていて、ZINEみたいな、ちょっとした冊子になっている)がとてもとてもよくて、これ欲しいな…と思っていたら、最後の方の頁にこのメニュー表も販売していると書いてあった。運命的だ!と思ったので買おうと思ったが、今月はもうあまりお金の余裕がなくて次来た時にしようと思った。つまりその時点で、よし、また絶対来ようと思えた場所であったのだ。

 

ひともだいたい集まり、1930になったのでお店のひとが読書会はじまりのアナウンスをする。みんなが本を開き、指で頁をさする心地よい音が聞こえてきた。周りを見渡さなくても、みんなが、同じ本を読んでいるのがわかる、その安心感がとても心地よかった。

事前に支払っている金額には、ドリンク二杯分が含まれていたので、メニューを見つめる。コーヒーも、レモネードも、ハートランドも良いなと思って迷いつつ、外が寒かったのであったまりたいという気持ちがあり、ジンジャーミルクを頼む。

これがとてもとてもおいしくて、温かくて、甘くて、しょうがの香りが柔らかくて帰り際に思わず、店員さんに「…ジンジャーミルクがめちゃくちゃおいしかったです、、」と言ってしまった。

 

 

『続きと始まり』は、別々の場所で生活をしている3人の日常を、2020年3月から2022年ころまでの時間軸に沿って書き連ねている作品だった。

背景にあるのは、阪神淡路大震災や、東日本大震災の記憶、そしてコロナ渦の現状。

被災者ではないひとたちの、過去に対する静かな後悔や、現在に対するざわめいた気持ち。

 

 

こうして、何かが起きて、画面も見続けるのは自分がこれまで生きてきた中で何度目だろう。

地震があり、事件があり、テロがあり、戦争があり、そのたびにこうしてひたすら画面をみる。

二〇一一年の震災のときからは、流れてくる報道の映像だけでなく、インターネットで情報を探すことも増えた。

しかし、それで何かが変わったことはない。

自分はいつも見ているだけだった。画面越しに、遠く離れた安全な部屋の中で、「情報」を見ているだけ、時間が過ぎていくだけだ。

 

 

 

悲しみとは、忘れたいものでもあり、忘れるべきでないものでもあり、忘れていってしまうものでも、あるのだと思う。

年始に能登の震災があったから、地震に対しての警戒や悲しみが、ある程度近いところにあるけれど(それでももちろん被災者の方々のことを考えると、きっと綺麗ごとであるのかもしれない、と思う)、そうでないときにこの本を読んだら、自分はどう感じたのだろうか。

いまの感情もこうやって書き連ねたり、または誰かの詩や物語を読むことによって、まだ、浮かび上がってきている。だから、言葉は必要なのだろう。人との話をきいたり、ニュースを見続けたり、新聞をよんだりすることも、そうだ。

浮かび上がった自分の感情と向き合ってみても、やっぱり何もできないことを考えるし、それが肯定されたり赦されているわけではないような気がするけど、それでも生活は続くから、向き合っていく必要があるのだと、わたしは思う。

でも何もできない、と開き直ることも私はできないし、言えないとも思う。

普段はあまり更新しないSNSで募金をしたと周りに伝えたり、そうでなくてもわたしに募金をしたよと伝えたり話してくれた友人たちのことをわたしは、やっぱり、誇りにちゃんと思っている。いつもは素直に認められない自分のことも、大きな幅でなくてもときどきはちいさくても認めたい、と思う。

 

きれいごとばかりしか言えない自分の無力さや、飛び交う意見や、何が正しいのかわからない情報を、のみこんで、意図せずに人を傷つけないように、大きな悲しみの存在を確かめるように、「何もできない」ことを何度も、考える。

 

 

 

 

始まりはすべて

続きにすぎない

そして出来事の書はいつも

途中のページが開けられている

——『一目惚れ』ヴィスワヴァ・シンボルスカ

 

 

この物語の終わりは、終わりではなく、続きの、始まりだ。

わたしたちの日常に続く、始まり。

登場人物たちとの共感は、全く途切れたところにあるわけではない、と思う。

世界はきっと、別々の紙がところどころ重なって積み上げられたものではなく、一枚の大きな紙が、複雑に折り重なっているようなものであったりするのだろう。

わたしはこの物語を読み手として俯瞰してみているのではなく、この本の中の世界で、この本の中のひとの隣で、見ているような気がした。

 

 

 

 

21:30(読書会終了時刻の30分前)くらいに、二杯目の飲み物、温かい紅茶を頼んだ。

ティーポットと、ゆのみの形の小さなコップ、ティーポットにすぽっとかぶせる布地の保温カバーもついてきた。

紅茶はそのコップで3杯おかわりできるくらいたっぷりだった。帽子みたいなかたちのかわいい保温カバーを眺めて、あたたかさを喉から流しいれる。

 

 

時間はあっという間に(ほんとうにあっという間だった!)過ぎて22時ころに店員さんから終了の挨拶がある。2230になったら閉店だったので、みんなが各々のタイミングで、ゆっくりと店を出ていった。

わたしはなんだか、帰りがたくて、本棚の本を手に取って眺めてみたり、まわりの人の様子をうかがってみたりして、閉店間際くらいに、お店をでた。

 

中合わせで、反対側に座っていた男性は、付箋をつけながら本をよんでいたが、どういうところに付箋をつけていたのだろうか、なんて想像しながらまた、駅までの寒い道を、歩いた。

 

 

贅沢でおちついた空間、本を読んで生きていたい人の肯定の空間だった。

ずっといることによる気まずさみたいなものがないところもいい。

ここで本を読むことは、わたしの周りは無理やり真っ白になった背景ではなく、それぞれのひとが、自分の世界の中で読書を楽しんでいる世界で、その中にわたしが座っていた。この世界の中心ははっきりとわたしではなく、本の中の人物だった。だから「わたし」を忘れられた。「わたし」に触れたり、関わったりする人間のことも、ここでは一旦忘れられた気がした。そして、さみしくなく、温かい飲み物がたっぷりあった。

 

読書だけではなく誰かにとっての願いをかなえられる優しい空間が他にも日常に、生活の中に、あの街やこの街のどこかに、ひっそりと存在していればいいのになと思う。わたしだけではない、誰かにとっての。

そしてあなたがそこへ向かうことのできる環境が、この世の中に当たり前にあることを、願いたい。

 

 

残念ながら西荻窪店は1月いっぱいで一旦休業してしまったらしい。

ありがたいことにほかの店舗がある下北沢も初台も自分の家からのアクセスが良いので、また行って、本を読んで、そのあとの気持ちをこうやってまた、綴ってみたりしたいものだ。

去年はなんとなく数えてみたけど60冊くらいは本を読んだっぽかった(いつも文芸誌のカウントの方法がわからないなあと思う)。ものすごい読書家というほどではないが、わたしはやっぱり今年も本を読み続けたいなと思う、電車の中のようなネガティブな動機ではなくても。

だってやっぱり、だれかの物語を感じることが、わたしはすきだから。

 

 

 

 

これは水です

 

今日は太陽があつくて、強くて、まぶしい。いそいでカーテンを閉める。カーテンの輪郭を、カーテンの陰で感じる。隙間からもれた日差しが、まっすぐな線で、光と影を分けている。実家の庭の緑の合間にはっていた、蜘蛛の巣が流れ星みたいに一瞬光る。首振りの扇風機は、ときに何もない場所にむかって風を放つ。iPhoneは、また温度が下がったら充電をはじめるらしい。ねこの飲む水の器にさっき入れたはずの氷はもう溶けていた。

 

ねこひらく、を夏の季語として俳句をつくっていた本のことを思い出す。うちのねこは冬でも伸びて身体をひらいて腹をみせているような気もするが、ねこひらく暑い日だ。

(旧暦では、秋になってしまうが)今年ももう七月になっていた。

季節が変わったなと思うときは、たいてい喉の奥がピリピリしていく感覚がある。空気が変わるからだろうか。

 

 

 

あたりまえのように時間がずっと経っている。時間は本当に止まらない。ちょっと待ってほしい、お願いだから、と思っても全然止まってくれなかった。

 

 

 

 

先日いろいろあって元彼と二人でドームで野球観戦に行った。

野球をみるのは案外嫌いではない。元彼のそのひとのようにとくに応援している球団があったりするわけではないが。多分わたしはルールも完全にわかっているわけではない。

能町みねこが前に久保みねヒャダで、「サッカーはタイパ悪すぎ、90分もみて全然点はいんないから」的なことを言っていて、まあたしかにわかると思った。(サッカーファンの方ごめんなさい)。わたしは極論を言えばバスケットボールくらいバカスカ点が入ってほしい。まあ野球も全然点はいらないこともあるか、まあ、なんでだろう。野球観戦はわりと楽しいイベントではある。元彼に感謝…。

 

 

てか死にたいときに元彼に会うのは良くない。前も別の人でそんな経験があった。

このひとはもう、わたしに踏み込んでこないし、踏み込めないんだと思うし、そうさせたのはわたしなんだと再認識するので、さらに死にたくなるからだ。

4回裏ころで急にすべてを悟って死にたくなり、ヤバイ顔をしていたら彼にどうしたと少し心配され、わたしはどこまでも頭が終わっている人間だと自覚した。

 

 

こんなことをかいているが恋愛経験は多くない。わたしはモテないし、かわいくないし、ネガティブだし、愛想もないし、おもしろくないし、センスもないし、人見知りで基本ビクビクしてるし、しゃべるのがうまくないし、人を傷つけてしまわないかいつも不安なのに、自分のことばかり考えて人に期待をしてしまうような傲慢なやつだし、まあ全体的に魅力がないということになる。恋愛というかそもそも人付き合いが年々苦手になっていて、本当に人とお付き合いするのがわりとマジで怖くなっているが、でも恋愛しようとしている自分もおそらくどこかにいて、対男性で嫌な経験をして泣いてしまったことがあって男性を年々苦手になっているのに、恋愛対象が男性な自分もなんか…なあと思う。

でもマッチングアプリを継続的にやっている友達のことをマッチング狂いと言って笑いを含ませていたあの男の子たちはなんていじわるなんだろうと思った、がその人に向かってそのことを口に出しては言えない。これはわたしが勝手におもっているだけで、その子は気にしていないかもしれない。これはひとりよがりの勝手な正義感で、自分だったらそんなことは言われたくないなという気持ちなだけだからな気がしてしまうからだ。

そのひとたちも、そんなつもりでは言っていなくて、わたしが勝手にあやまった解釈をしてひとりで考えているだけなのだろう。そんなことばっかり考えているから、わたしと話すときにきっとひとは気を使うのだろうなと思うし、だからわたしはダメなんだろうなと思う。ジョークが通じないつまらない人間、みたいな。きちんと流しているひとたちのほうが、人といい関係性を築けているんだろうな、とそんな風に思えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

「これは水です。」というDavid Foster Wallaceの有名なスピーチがあるが、わたしはこれを数年前に初めて読んだときから、彼の話したいことのありとあらゆることがわかったような気がしてしまい、助けられたような、つらいような、気がした。

 

j.ktamura.com

 

このスピーチと、このスピーチをした本人がその数年後に自殺してしまったことををセットでいつも考える。そうすると、頭が痛くなり、自分の心臓の位置と形がくっきりとわかりはじめ、親指の爪を人差し指のはらにつよくたてたり、唇の内側を噛むようになる。

 

 

 

わたしたちは、何かを信じているという前提があり、何かを全く信じていない、という傲慢さに気が付いていないことがあるのだ。

「自動的に正しいと信じてきたこと」つまりそれは先天的に自己中心的なデフォルト設定を持っている、ということ。わたしはそれが痛いくらいわかっているはずなのに、そのデフォルト設定から全然抜け出せていない感覚があるから苦しいのだ、と思う。

「自分の頭で考えられること」はとてつもなく大切なことだとはっきりわかっていて、それをもっと細かく考えていったときに、その考えられた先に答えを出して、その答えを信念として、強く生きていくことができないのが、わたしのような人間。

「これは水です」という意識がそもそもないひともいるとは思うが、自分の頭で考え取捨選択し、自分の経験から様々なことを考えてもなお「これは水です」とはっきり言えることが、できないひともまた、生きていくことがつらいことになってしまう、ような気がしている。「考える対象を選択」しているのに、苦しく、自分が保てないこと、そして毎日を乗り越えられない気がしてしまうこと、それは自分の頭に問題があるのではないか、と、思ってしまうこと。

 

「考える対象を選択」できていないひとで、案外幸せそうに生きている人もいるということに、気が付いてしまったりすること。

デフォルト設定でいきることをよしとしている現代社会で、それを疑うことなく、生きているひとたちがいることが目に見えてわかったりしてしまうこと。

 

 

 

 

 

 

これは、ただ相手の立場のことを想像しましょうね、という簡単な話ではないと、わたしはどうしてもそう思えてしまうのだ。

考えに考えてしまうと、自分の自意識の強さに、どうしても嫌気がさす人間の、すこしでも希望につながりたいと、これで希望につながらないはずはないと、思って話しているような文章である気がする。

 

わたしだってはやくこの自意識の海から上がりたいが、みんながさらっと考え終わって(もしくは考えずに)、それかいったん疲れたから、とかいうような理由で、陸に上がって水を飲んだり、シャワーを浴びて着替えていたりするうちに、わたしはまだこの海につかり、海のことを考えている。野球観戦の場所でも、自分のことを考えているくらいなのだ。どう考えてもおかしい。

 

 

そんなことばっかりしていると、様々なことを考えているはずなのに、自分のなかの「最悪な主」を殺してしまいたくなるのだ。幸せになれない気持ちになる。

「あなたのように考えることも悪くはないよ、と陸に上がった人間に軽く言われると、じゃあはやくこっちと変わってよ、こっちに浮き輪を投げてよ、わたしを陸にあげてみてよと思ってしまう自分がいることに、辟易している。

一生懸命生きてるからすごい、たくさん考えていて人間らしいところがすごい、と言われるとお前らは一生懸命生きていないのか、なのになんでそんな、楽しそうなんだ、とうらやましくなり見下されているきがしてはやく死にたくなる。

こっちは一生懸命息継ぎしないと、生きていけない海の中で、生きていくしかないんだよ、と思って泣いてしまう。つまりは自分が最悪なんだ、と思う。

わたしを見下しているなんて、そんなわけなくて、わたしが卑屈すぎてそう思ってしまうだけの、またわたしの自分中心の考えで、自分がどんどん沖に流されていくのを感じる。

 

 

 

 

急激に自分の存在が気持ち悪くなる、意思をもって言葉を放つ個体、飯を食う、排せつをする、物事を考える。27年生きてきたこの身体も、外側の見えることろだけしか知らない、意味の分からない肉の塊。

手足を意図的に動かす、瞬きをする、つばを飲み込む、自分の身体のかたちを認識する。横になって、自分の肌と肌があたるところがあつくなる。

心臓の位置と形がわかるのは、わたしが自分の手で心臓をつかんでいるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは水です。

これは、みずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は夕方にならないと何もうごけない日だった。しかし昨日病院の帰りにあめがふって、自転車を置いてきたので、あるいて取りに行く。

 

みちをひとりで歩く。

たちどまり、考えているあいだに本来の目的と違うことろに考えが行く。

歩道に面したマンションの、共用のゴミ箱の上に食べかけのカレー味のカップヌードルが刺さった状態でおいてある。

その先の一軒家の塀に、アニメのキャラクターのキーホルダーがついた誰かの落とし物のカギがのっかっている。

その先の家の庭に咲いている紫陽花は、もうほとんど紫の部分がなくて、緑色の葉っぱみたいな色にかわっている。

そのまた先の、家ではあさがおがきれいに咲いていて、添え木のようなものにまきついたつるが上に向かって伸びている。

 

そういう目にはいった、変化しているもの、変化の結果であるものをわたしはひとつずつ見てしまって、自分で何かを考えている間に時間がすぎる。

みんなは結婚をしたり、仕事のことを考えたり、つみたてNISAをはじめたり、ともだちと楽しい話が上手にできたり、SNSで人と交流したり、ちゃんと推しているものがあったり、誰かに目に見えて肯定されていたり、パートナーと旅行の計画をたてたり、車を買ったり運転したり、おいしいごはんを食べたり、夜に眠ったりしているのを感じる。

わたしだけ、いつもなにごとにもふわふわしていて、目的地になかなか向かうことができない、ような気がしている。

 

 

 

 

大学生のときに就活で東京にいて、卒論のための史資料を見に、国会図書館に行ったときのことを思い出す。

国立国会図書館は、基本的にカバンの持ち込みが禁止だったので、荷物をロッカーにしまう。透明なビニールバックに必要なものだけをいれて、中に入る。

卒論に必要な資料以外もいろいろ見ていて、いろいろな本を読み、史資料もコピーをとったり、書き写したり、卒論を進めたり。さあかえろうとおもった時に、母から借りた定期付きのICカードがカバンのどこにもないことに気が付く。しかも、オートチャージでかなりの金額が入ったものだった。

ロッカーの中もない、そもそも透明のカバンにいれた覚えもない。どこをさがしてもない。国立国会図書館の落とし物にもなかった。

あるはずのものが全くみつからないことに、身体が一気に熱くなる。何をどうしたらいいか、わからなくなり、ひとつの物事に一個一個意識を向けていかないと、わたしはなにもできないのにそれが全くどこから手を付ければいいのかわからなくなり、過去の自分を追いかけることもできなくなるくらいになにをしたかもわからなくなり、余裕がなくなってパニックになる。外に出る、よくわからず永田町の駅と図書館の間を走ったり、歩いたりする。気が付くと鼻血がでてきて、白いTシャツが汚れる、涙も出てきて、貧血になり、その場に座り込んだ。

 

なぜ、ここまで、ICカードをなくしたくらいで、落ち込み、自分を苦しめてしまうのだろうか。きっと自分がずっと悪者になりたくないと思っているからなんだろうと思う。

わたしは、わたしのことが怖くなり、母に電話してICカードをなくしてしまったかもしれないと伝えて、いつもだったら怒るだろうところをわたしがあまりにも異常な状態であることを察しで、「大丈夫だから、いったんカードは止められるし、返金もできるから、家に帰ってきなさい。」と言われた。

 

半年後くらいに、そのときにつかっていたカバンのちいさなポケットをたまたま開けたときにICカードが入っているのに気が付いた。

わたしは、昔からこういうことが、とても多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、みず、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

STUTSKMCの「Rock The Bells」という曲がもともと好きだったが、武道館で聞いたときに号泣してしまった。

もちろん、その曲をきけたということが感動につながったのだとはおもうが、KMCのパフォーマンスがかっこよすぎて、あまりにヒップホップだったので、勝手に涙がでてきた。

ヒップホップは好きだが、当たり前だがすべてが好きなわけではない。そもそも音源よりもフリーフタイルの、即興で出てくる言葉やその場限りの思いがすきだったが、STUTSと出会ってからは、親しみやすく死ぬほどかっこいいビートで、いろんなヒップホップの音源を知ることができて楽しい。

KMCはわたしと全然違う人間だが、熱く自分自身の言葉を叫んでいる。そしてラップがちゃんと言葉で、メッセージである要素が強かった。しかもそれに共感できなければ、その歌詞ってほんとに聞いていてしんどくなったりしてしまうが、「Rock The Bells」は、ひとりで、聞いているとき、まっすぐなメッセージが胸にどうしても響いた。

「言葉は違っても響くライムとフロウ」がある、ヒップホップには。

だからわたしはずっとこれを聞いている、最近の気持ちに沿った曲で、自分を支えてくれている。

 

自分の弱さも含め、言いたいことをはっきり言えるひとってなんてかっこいいんだろうと思う。そうなりたいとずっと思っているが、年をとる度に苦手になってきている。

そして自分を正当化するために、いい曲を、いいと言うのは、どうなんだろうとかよく思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

父と話す。

最近音楽はなにをきいているのか、くるりか?と聞かれる。くるりも聞くけど、ヒップホップと、あとは音楽よりラジオを最近は聞いている、という話をする。

お父さんはナントカさんという世界的に有名な指揮者が今度日本にきて、演奏会があるから、それにいくんだ、と言っていた。あとは来月に兄のアマチュアオーケストラの定期演奏会を見に行くらしい。

ラジオはなにを聞いているのか、と聞かれニッポン放送を聞いているという話をする。オードリーの話になり、若林ってやつはそういえば国分功一郎の本の帯を書いていたよな、と父が言う。そう、そのひとのラジオを聴いているんだとわたしが言う。『暇と退屈の倫理学』は面白かったよねという話になる。

国分功一郎の他の本は読んだことがあるかと聞かれ、ない、と素直に言う。

能動態でもなく、受動態でもない「中動態」という概念についての本が面白かったという話を聞く。うちに本があったが、兄にあげてしまったらしい。

今度買ってみる、と伝える。

若林は藤沢周とか、村上龍が好きらしいよ、という話になる。

世阿弥最後の花』はめちゃくちゃ面白かったな(これもたしか若林が帯を書いていたような気がする)という話と、スピンで書いている藤沢周の連載を楽しみにしている話を父にする。

ついでに『コインロッカーベイビーズ』の話もする。わたしはずっと、アネモネになりたい。

 

 

 

実家の入り口に飾ってある絵画が変わって、マティスのものになっていた、あの有名な、赤い部屋の絵だ。

前はセザンヌだった。そのまえはシャガールだった。

家の二階の廊下には、ずっとピカソゲルニカのデカい絵が飾ってある。ちいさいころからずっとある。わたしはデカいゲルニカがあるような家で育った女なのだ。

 

パパお月様とって!の絵を飾るのをやめてしまったときは、なんでやめたの!と兄とわたしは残念がった。いまではわたしが引き取り、一人暮らしの家に飾っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまりわたしはまた生活ができなくなって実家に戻っている。

実家でひとりで横になって、また自分のことを考えている。

見栄をずっと張っているような人間なので、あと何年で死ぬ、それまでに死に方をさがす、とまわりに言いふらしていれば追い込まれてその時がくれば死ねるのではないかと思いはじめる。

 

 

あしたも仕事にいけないかもしれなく、家で泣いているかもしれなく、「これは水です」と自分に言い聞かせていたら一日が終わるかもしれない、のだった。

 

 

 

 

月明りの下が俺らのラボ

 

 

用事があったので今日は昼頃に実家に戻った。

自分の家から実家に向かう途中、駅近くのちょっとよさげで単価も高めなドーナツ屋さんで、ドーナツをみっつ、アールグレイと、チョコバナナと、チャイくるみの三種類を買った。

母がチョコバナナで、父がアールグレイで、わたしがチャイくるみ、だと思って買った。かなりこのチョイスは自信アリといった感じで満を持して持ち帰ったが、母はアールグレイが食べたいといい、父はチャイくるみが食べたいといった。結局みんなそれぞれたべてみたい気もするということになって、すべてを三等分してそれぞれの味を食べた。

どれが一番おいしかった?とそれぞれに聞いたら、父はチャイくるみがおいしかったといい、母はアールグレイがおいしかったといった。そしてなんと、わたしはチョコバナナがいちばんおいしいと思ったのだった。そういうことだった。

 

 

「梅雨の中休み」とテレビでは言っていた。東京は昨日も今日も雨が降らず、暑い一日だった。二時間目と三時間目の間くらいの、おやすみってことかなあ。

 

母は一週間、友人と、その友人の息子さん(ドイツ在住)と一緒に、ドイツ・ベルギー・フランスに一週間旅行に行っていて、昨日家に帰ってきたらしく、とにかくおしゃべりな母は、わたしに旅行の話を永遠にしてきた。

わたしは、実家ではわりと無口なほうで、父とは比較的対話をすることも多いが、特に母との会話は「うん」が7.5割である。そして、調子の悪い日は8.5割が「…うん」である。あまりにわたしが落ち着きすぎていると、もっとにっこりとかしたら?怒られることもあるが、いやそんなわたし元気っこキャラじゃないから…とそのたびに思う。でも、自分の話をしようとしても、いつのまにか母の話になっているのであきらめることが多いんだろうなと思う。

 

今日はどちらかといえば調子が悪い日だったし、母側も話したいことがいっぱいあったようなので(一週間も旅行に行っていればそうだな)、わたしは母の話を聞きながら「…うん。……うん。」と言い続け、時々「へー…」と言ってみたりもした。

 

お土産も買ってきてくれた。ドイツのビールが入ったチョコレートと、フランスのオルセー美術館で買ったモネの睡蓮のマグネット、すごくおいしいと噂(らしい)のホワイトアスパラの粉末のスープ。職場のひとに配る個包装のベルギーワッフルをいくつか買っていて、おいしいかどうかわからないし味見をしてみて、と言われた。これでおいしくなかったらどうすんねん、と思いつつたべてみた。

わたしは「甘い」と感想をいった。これは残り1.5割の、意思のある発言だ。そしておいしいかおいしくないかが急にはわからなかったので、とりあえず否定的ではないものを言っておいた。実際甘かった。そしてまずいとは思わなかった、でもオイシー!!というかんじでもなかった。

結局半分にわって母に差し出した。「うん、甘いけどまあいいね、普通においしいね」と言っていた。じゃあ大丈夫。

 

ドーナツを食べていたときに、これ、すごくいいって一緒にいた友だちが言ってたんだ!と母が嬉しそうに言っていたハーブティーを入れて飲んだ。でもパッケージに「Maccha」って書いてあって、母がキッチンにいる間に「お父さん、みて、これ抹茶って書いてる…」とわたしはぼそぼそと言った。

なんか結局緑茶だった。しかも、ドラッグストアに売っているような、夏にポットにパックと水をいれといて、冷蔵庫に入っているような緑茶の味がした。

父が「なんか…普通に緑茶だな」と言った。母は「なんだ…」とすこしさみしそうにしていたけど、5秒後くらいにはまあいっか!という顔をしていた。

 

一週間旅行はしんどかった、さすがに60歳すぎたらきついね。という話から、母が急に、ロシアに孫を連れ去られた、ウクライナ人の64歳のおばあちゃんが、孫を連れ戻すためにロシアに行こうとしたけど、過酷な旅路の途中で亡くなってしまったというテレビの番組をみた、という話をし始めた。

 

 

わたしはその話をしらなくて、どういうこと?と詳しくその話をきいていたら、いつの間にかぼろぼろと、泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週は結構つらくて、会社を結構何日か休んだりした。会社をやすんでしまった、だれか話をしたい、だれか聞いて、と思ったけど具体的には誰かにラインとかで言えなくなってしまって、インスタで対フォロワーにうっすらと言ってしまったりして、その自分もまたキモくて。でもみんなそんなこといわれても困るし、またかようるさいな勝手にやすんどけと思われてたらいやだしどうしようもないと思った。もともと残り少なかった有給がなくなった。夏休みの分も前がりしていたのでわたしは夏休みが消滅した。民間会社で、普通の正社員として働くのがあまりにも下手すぎる。そしてわたしは他人に代替可能な仕事しかできないような無能人間なのだ。わたしがいなくても会社は全然まわるが、他人の仕事が増える可能性も事実で、そんななにもかもに気が付いてしまうような休みだった。

余裕がないと混乱して焦ってしまうわたしは、有給という安心材料を失ってしまったので、どうしよう、とずっと思っている。とにかくずっと不安だ。

 

 

夜が眠れなかった。睡眠薬は、もうあと片手で数えられるくらいしかない。

睡眠薬を飲んで、すぐ寝られても3時間後に目が覚めて、まじで薬の分しか寝られないんだ、と思って絶望した。いつ飲めばいいかタイミングを逃したり、よくわからなくなっていた。

苦しくて、「苦しい」といいながら枕をたたいた。夜眠れない日が続くと一気に消えてしまいたい気持ちがあふれる。

 

会社をやすんで、昼間も夜もラジオを聞いていた。何をしたらいいかわからなかった。

今週はたまたまニッポン放送スペシャルウィークだったので、すこし助かった。音ではなく、ちゃんと会話として、お話としてわたしの耳に入ってきてくれたから、わたしも完全に終わっていたわけではないんだろうな。

 

 

先週の休日に、数年ぶりに大学の部活のすごい好きな先輩にあって、ラジオの話をして楽しかった。ラジオのこと好きなひとと、ラジオの話をするのが、うれしい。

ラジオってやっぱりどう考えても、聞いている間は自分ひとり対パーソナリティの関係でつくられた時間と空間でだと思っている。というか、そう思い込むことがラジオをきいているということなきがする。わたしにとって。

だから、「ラジオ聞いていることってなんか…コソコソしちゃうんだよね」とその先輩が言っていて、「わかります」となった。ラジオの話とかをすること、以前ブログでも話したので、正直全然隠してるとかではないけど、中高くらいのときはめちゃくちゃコソコソ聞いていたし、いまでも仲いい友だち同士では時々ラジオの話するけど、例えば自分のことをあまり知らない人に「趣味ってなんですか?」と問われても「ラジオを聴くことです」と言ったことは一回もない、と思う。

 

オードリーのオールナイトニッポンで「死んでもやめんじゃねーぞ」というコーナーがあるのだが、これこそまさにコソコソと聞いて、自分ひとりで笑ってしまうだけのコーナーであって、だれかと共感したいものではないと思っている。

深夜に、自分ひとりで聞いて、思わず笑っちゃう記憶があることがどうしようもなくいいんだとおもう。

谷口の会社で、社員さんたちの前でこのコーナーやってたんだけど、いやーちげえんだよなと勝手に一丁前なことを思ったりもした。

うまくいえないけど、ラジオとトークライブは、違うのだ。

 

でもだからこそリスナーとパーソナリティのつながりって深いのだと思う(多分)。くりぃむしちゅーの有田はいままで何回も、いろいろな場所で、結局いつもついてきてくれるのはANNのリスナーで、それはずっと感謝している、ということを言っている。

 

この間、有田脳にゲストで伊集院光さんが来た回がすごい面白かった。

いま誹謗中傷とか、悪口とかの最悪なものって、匿名だからこそ世のなかにはびこっているけど、一方で匿名でめちゃくちゃおもしろいことを何の得のないのに書いてくれているひとがいる。それがラジオなんだ。そして俺たちはそういうひとに助けられているから、匿名がいけないんだ、と決めつけてしまうのはおかしいんだ。

というような話をしていて、とても面白い話だなと思った。

ひとつの新しいことを教えてもらったけど、もともとなんとなくわかっていたようなことを明確に言語化してもらったような気もして、ドキドキした。

 

 

 

だから、かなしくて、眠れない、ずっとひとりな気がするわたしにとってラジオはありがたいコンテンツだった。わたしも、わたしからはなれた匿名の誰かとしてラジオの前に座って、パーソナリティーとの関係を築いているくらいの気持ちでいる。それにすがったまま、よくわからないふわふわとした日々を過ごしたまま、今日になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だから自分のメンタルが終わっていることもあって、両親の前でわたしは急に涙をながした。

「なんでこんな悲しい、そして未来のない世のなかを生きていかないといけないんだろう」とわたしは父に聞いた。わたしはわからないことがあると、父になんでも聞いてしまう。

 

「何が悲しいんだ」と父はゆっくりと話す。

「わからない、ニュースをみると悲しい」

「どんなニュースを見ると悲しい?」

「自分の知らないところで勝手に、いくら世間で批判の声が上がっていても…十分な説明とか議論が見えないまま、政治が動いたりしているところが怖くて、とにかく悲しい。ロシアの問題とかに近いことって、日本で絶対ないって言えるんだろうか、と思う。」

「そうか」

「そんなことばっか考えている自分もいやだ。政治的な主張をしたら、いけないんだと思ってる。それが他人への強制の意図がなかったとしても。どの立場からものを言ったらいいのか、よくわからない。いろんな側面があって、わたしはすべてのこともわからない。だから自分が適切な行動をとれているのかもわからない。そんなことを何も考えなかったり、選挙にいっていなかったりしているひとのほうが幸せそうでうらやましい。」

「まあ、自分のことばかり考えているひとは、それは幸せだろうな」と父は言った。

 

でも違うんだ。結局わたしが一番、いつもいつも、自分のことばっかりを考えているんだ、と思ったけど、それは言えなかった。

 

お母さんはこういう時何も言わないが、わたしが「昼寝をしたい」といったら「おかあさんも」と言った。母は机の上を片付けて、自然と自分の部屋に戻っていった。

 

昨日もうまく寝られなかったので、なんだか眠かった。

布団をしくのも面倒だったので、畳の部屋に座布団を二枚敷いて、敷布団にした。最近むくみがひどい。顔も、身体も。靴下を脱いても、靴下の、縦線の跡がいつまでもついていて、気持ちが悪かった。わたしは父が貸してくれたタオルケットをかぶって、一時間だけ、昼寝をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起きたあと、洗い物をして(母は片付けが苦手で洗い物をためることが多いので、几帳面な父によく怒られている)いたら、母が自分の部屋からでてきた。

 

眉毛を書くペンシルを旅行先でなくしてしまったから、買わないといけないと、母は言っていた。父の部屋から、6Bの鉛筆ならあるよと父の声が急に聞こえる。6Bって、、そんな濃い鉛筆のことを生まれてから今はじめて想像した…とわたしは心の中で思った。母は笑っていた。

 

父が村上龍の「半島を出よ 上」をあげると言って、わたしにくれた。

地元の図書館で、リサイクル図書でただでもらってきたから、上巻しかなかったそうだ。おもしろかったら下巻買って読んでみて、と言われた。

 

 

母が、時差ボケか疲れかで買い物に行くのがしんどいと言ったので、わたしが車を運転して一緒にスーパーに行くことになった。スーパーへ行く道も母は旅行の思い出話をずっとわたしにしていた。

 

はやめのお夕飯にして、一緒にお刺身でも食べようと言ってくれたので、お刺身を買ったり、一週間分の家の食材を母がてきぱきと買っていく。わたしはカートをおすだけだった。チョコまみれ買う?と聞かれたけど、いらないといった。うちの母はわたしのことを、めちゃくちゃチョコまみれが好きな人間だと思っている。

 

会計して、駐車場にもどってまた運転して帰る。

そしてなんと帰り道も母はまだ旅行の時の話をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二か月前くらいCHAI自主企画のフェスに行ったときに、一緒に行った友だちがCHAIのことを「ちょっとそろそろ曲というよりは歌詞で感動したい気は少しする」というようなニュアンスのことを言っていて、とても共感してしまった。

N.E.O.という曲をはじめて聞いたときは正直全然ピンと来なくて、コンプレックスも愛そう!あなたの要素すべてが素敵だよ!みたいな曲なのだが、いや、正直自分の身体的コンプレックスはどうがんばっても愛せないと思っている。初めて聞いたときから、わたしはCHAIみたいにはなれないな、とずっと思っている。むしろ弱いところもあっていいから、全部前向きに強くなくていいよ、ウチらもそうだし、てかコンプレックスというものをうみだしてるのはあんたのせいじゃないから、と言ってくれたらわたしは万歳三唱だし、あなたたちはすべてがサイコーだよと思うと思う。この考えはエゴがすぎるだろうか?

ちなみに彼女たちの活動を否定しているわけではないし、CHAIに上記のようになってほしい!と思っているわけでもない。すごいくいいな、とすら思うが、別次元のひとのような気もする。それは彼女たちを憧れや羨望の対象として切り離してしまっているわたしの、悪いところなのかもしれない。

 

CHAIをちゃんと好きになったのは、ライブをみてからだと思う。演奏が強くて、かっこよくて、ただのガールズバンドじゃないと思った。しかもそれが確実に思ったのはライブ終盤に演奏した「N.E.O.」を聞いてからだ。あ、わかった曲自体が、サウンドがめちゃくちゃいいんだ!と思った。とてつもなくカッケー!!といったかんじである。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはクソほど考えて自己分析をずっとしている女なので、悲しみの理由はいろいろとわかっている。

「社会の問題を自分ごとにするということ」と、「社会の問題と自分の問題を一緒に考えてしまうこと」は違うんだろうなと思う。(加筆:これなんか語弊を生みそうだなと思った。自分の問題かと思ったら社会の問題である可能性というのは大いにある、コンプレックスへの意識って自分がどうこうする問題なのかな?と思う時もある。社会の問題を自分の問題にしては行けない気がする、というお話。)

あと、自分のことや、自分の気持ちを小説にしてずっと書いている、それが最悪だなと思っている。ずっと自分、自分、自分で嫌な気持ちになる、

アウトプットができている、ということだけを考えたらいくぶんかマシな気持ちにはなるが、完成するかもずっとわかっていない。

 

 

 

 

 

 

 

三人でお刺身を食べて、まだ明るい時間にそろそろ帰るといった。でももう19時だった。日がどんどん長くなっている。夏至も近い。

ヨーロッパは太陽が昇っている時間がとても長くて、夜の10時くらいに日が暮れ始めて時間感覚がおかしくなったというような話を母がしていた。わたしは「こわい」と思った。

 

 

夕暮れが一番好きな時間だ。夜は寝たいのに眠れないし、朝は眠れなかったことに絶望するし、昼間は明るくてまぶしいから疲れる。一日の終わりが見え始めていて、暑さが逃げていくから涼しくなり始めて、なにより夕焼けがきれいなところが好きだ。

帰る前に、西側に窓がある部屋に入り、自分のおいていた荷物をとった。ここちいい風がふいたので、ふりかえって外を見ると雲がオレンジ色に染まっていて、今日という一日の終わりがまたはじまって、夜がくるんだなと思った。

 

 

帰りたいとずっと思っている。実家にいても、一人暮らしの家にいてもどこかに帰りたいと思っている。はやくどこかに、帰りたい。

 

 

 

 

ショートエッセイら#1

 

最後に負ける

安藤サクラ主演の「100円の恋」が好きだ。

自堕落な生活をしていた32歳の女性が、ボクサーとして成長していく話。

殴り合いの戦いが終わったあとに、相手をたたえる意味で選手同士が肩をたたきあうのが、「なんか、いいな」と思って安藤サクラ演じる一子はボクシングを始める。

アルバイトしている100円ショップで、ステップをふみながらシャドーボクシングをする、河原をはしる、ジムでトレーナーに指導をうける。そしてありえないくらいみるみるかっこよくなっていくのだ。目の前に相手がいなくても確実に誰かと戦っているような姿だった、そんな一子のひたむきさと、意思の強さにとてもあこがれた。

 

映画のラストでの試合で、一子が登場するシーンを見ると震える。そこには確実に努力が強く見える肉体と、本気で戦いに行くと覚悟を決めた顔つきがある。

 

でもその試合で、彼女は負けるのだ。

そして子どものように声をだしてボロボロと泣く。

 

わたしは、わかる。

今までの人生で、自分の中で負けることのみじめさ、くやしさ、恥ずかしさ、つらさを死ぬほど経験してきた。だってわたしの記憶の中のわたしは、すっとみじめで、くやしくて、恥ずかしくて、つらくて泣いているのだ。

負けたことがある人、はいることにはいるとは思うが、わたしほど挫折を苦しんで自分のなかでずっと経験として持っているひとは少ない。それは、正直良いことではないと思う。だっていつもくるしいのだ。思い出すと容易に涙がでてくる。そしてそれはあなたが頑張ってきたからだよ、と何も知らない他人にきれいごとを言われるとクソみたいに腹が立ってしまう。ひねくれすぎている。

 

去年の年末に見た「ケイコ 目を澄ませて」もボクシングの映画だが、ケイコも最後に負ける。ピンチになってふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、と思いながら必死に抗って戦うケイコが一番こころにきた。悔しいよな、まだ闘いたくて、負けたくなくて自分の全部を、全部の力を使って、現実を押しつぶしたくて、叫びたくなる気持ちになるよな。

「最後に負けたところで、わたしはどうしてもグッときてしまった。百円の恋も最後に負けるんだよなあ」一緒にみた人にと言ったら「でも負ければいいって話じゃないよね」と反抗的に言われた。ふざけんな、たくさん勝ってきたお前らに、そもそもひたむきに何かをした気にすらなっていないお前らに、挫折を挫折としてカウントしないお前らに、大きな挫折をしたことがないお前らに何がわかんだよ、お前らはなあ、悲しかったり悔しかったりして一日中泣いたことがあるか?何かに戦おうと思ってでもできなくて自分が無力でどうしようもない気持ちになったことがあんのか?と思いわたしはこころの中で中指をたてた。

どうしても自分を正当化させてほしい、というだけだ。かっこわるいのはわかっている。

負けることが含む美しさをお前らは、絶対わたしよりは知らない。別に自分のなかでそう思っても、そのくらいはいいだろう。

 

 

 

 

 

アラフォーの本たち

父からもらった本は、確実に老いているのを感じる。だからわたしは紙の本が大好きだ。年月を刻んでいることがはっきりとわかるのが、うれしいのだ。

 

具体的にどう歳をとっているのかというと、紙が茶色っぽくなるのだ、特に紙の□の四隅の部分が真ん中に比べてより茶色い。そしてざらざらしたような茶色さは、こんがりちょうどよく焼けた、食パンみたいだと思う。

そして、勿論いい匂いがする。基本的にはすこし甘い匂いで、おばあちゃんちみたいな落ち着いて安心する匂いがする。

村上春樹の「風の歌を聴け」の文庫をひらいてみたら昭和59731日の第8刷発行のものだった。”昭和59年 西暦”で検索する。1984年だった。椎名誠の「インドでわしも考えた」も昭和59年の初版のものだった。

沢木耕太郎の「深夜特急」は1986525日の初版のようだった。たしかに「風の歌を聴け」よりはにおいが薄い気がする。

吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」をひらいた。19821126日の初版だった。

歳を重ねているといってもいまわたしの手元にある本たちはアラウンドフォーティーくらいなんだな、と思う。

今改めて気が付いたが父の本には、発行の情報が描かれているページに父の名前のハンコがおしてあるものが多い。白舟書体というのかなんていうかわからないが、「木」という字を上にも下にも三又のやりがついている棒みたいに書く書体のやつだ(つたわるだろうか)。わたしも自分の本には、自分のハンコをおそうかな。

 

わたしは浪人時代、夏目漱石の「彼岸過迄」が好きで父の漱石全集のうちの一冊を借りていつも持ち歩いていた。読んだり読まなかったりしたので、お守りのようなものだった。古い本だったので、それももちろんいい匂いがして、よくにおいをかいでいた。

しかしそれは持ち歩きすぎてボロボロになった。文庫本よりひとまわりくらいおおきいサイズだが、外側に箱がついていて(辞書等についている外のカバーのようなもののことだ)その箱の背の部分がすこし破けてしまって、焦ったわたしはアラビックヤマトのような液体のりで修復しようとしたがどうにもならなくなって落ち込んだこともあった。液体が古い本の紙にしみついて、また変な色になってしまった。

実家の本棚にずらっと並ぶ漱石全集のなかで、それだけあきらかにボロボロになったことにわたしはずっと罪悪感を抱いていた。ボロボロにしたのはとにかくわたしだったので、わたしは父にそれを返すのをずっとためらっていたが、無事大学に合格して、ごめんなさいときちんと謝って返した。お父さんはなにもわたしを責めることなく許してくれた。ゆみがたくさん読んだことがわかっていいじゃないか、と言ってくれた。

 

古い本のにおいは、小学生の時に友達だったRちゃんの家のにおいに似ているなと思う。わたしは、Rちゃんのお母さんに、「Rちゃんちは良い匂いがするね、・・ていうかなんか古びた椅子みたいなにおいがする。」というクソ失礼な発言をしたことがある。今思うと、少し古い木造の木のにおいが素敵だったんだろうなと思う。

Rゃんはドラえもんがだいすきで、家にデカいドラえもんのぬいぐるみがあった。

二階の部屋にいつもドラえもんはお行儀よく座っていて、彼女はそれを笑顔で抱きしめていた。Rちゃんの家で、粉末ので水に溶かすクリームソーダを飲んだことを妙に覚えている。

おばあちゃんとおじいちゃんの遺影が飾ってある仏壇のようなものがあって、Rちゃんはそれをアボジとオモニというんだよ、と教えてくれた。小学校低学年のわたしはなにもその言葉のいみをわかっていなかったしそもそも韓国語だということを知らなかったが、そうなんだ、いいな~。そんなかっこいい名前のおばあちゃんやおじいちゃんはうちにはいないよ、としゃべっていた。Rちゃんのうちにいくと写真の中のアボジとオモニを絶対に一回は見つめてしまっていた。そんなことを思い出してしまう。

 

 

本にながれる時間の流れが、わたしの歴史を思い出させるのだ。

そんな瞬間、わたしはとてつもなくその記憶たちをいとおしく思う。

 

 

 

 

 

 

名前をつけてやる

自分の記憶や感情や文章に名前をつけることは好きだ。

例えばこのブログの記事のタイトルをつけるのも楽しい。

思ったことをのままつけてしまうこともあるし、文章の中ですきな言葉を使うこともある。

その日の日記にもタイトルをつける、あの日は「金木犀」の日だったな、そしてあの日は「手汗」、そして別の日は「たまごがゆ」。

他にも、自分がもしカフェを開いたらどういう名前にするか、とかを考える。

わたしは決めている。「海岸通り」だ。

もし自分がもう一匹猫をかったら名前をなににする。

わたしは決めている。「みかげ」だ。

もし自分がペンションをはじめたらそのの名前をなににする。

わたしは決めている。「コズミック・サーフィン」だ。

現実的に必要のないところでも名前をつける。名前をつけてやる、名前を付け続けてやるんだ。

わたしは死ぬときには自分の人生に名前をつけられたらいいなと思う。それまでに候補をいくつか決めておこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌いな季節

どう考えても春がいちばん気持ちが悪い季節だと思う。じわじわと寒暖差をくりかえしながらあたたかみを増していくところがとても気持ち悪いと思う。出会いの季節とよく言うが、人見知りなのでひととの出会いが必ずしも楽しいものではなく、疲れてしまうものというイメージのほうが大きい。

 

春は、夜桜と実家の庭に咲いているハナミズキ以外は好きじゃない。

 

札幌に住んでいた時は雪が解けたら足元はべちゃべちゃになるから嫌だったし、東京では花粉が飛ぶから鼻ものどもすべてが終わるし、薬を飲むと体も怠くなるし眠くなる、肌の調子も悪くなるし、わたしは4月ころからこの二か月ずっと顔がかゆい。あたたかくなって虫たちがぞわぞわ湧いてくるのも最悪だ。夕方に暗くなってきて、道の照明たちが光を放つと、そこにちいさく、そしてたいした意思のない虫たちが集まってきているのをみるとぞわっとして鳥肌が立つ、それが春を感じさせるのだ。

そもそも寒暖差や低気圧に弱いので気候の変化が激しいのが苦手なので、はやいところパキっとはっきり夏になってくれないかと思う。

 

春が嫌いなんです、というと、自分の誕生日があるのに嫌いなの?と何回か言われたことがある。たしかにわたしは328日生まれだ。しかしなぜだ、自分の好きな季節と誕生日は必ずしも一致するものなのか?

自分は夏生まれだから夏が好きなんです、と言っているひとはいそうっちゃいそうだし実際なぜかそういうイメージが全くないというわけでもないが、実際にわたしはそんなことを言っている人に会ったことはない。

もはや一般的だと感じられるような意見を経験していないのでそれは一般的ではなく、都市伝説に近いような通説なのにその人たちは気が付いていないのだろうか。

誕生日はもちろんすきだ、しかしそれも自分が生まれてきた日だから好きなのではなく、なんとなくみんなが自分のことをきにしてくれて、おめでとうといってくれたり、ケーキを食べる口実になったり、はたまたプレゼントをくれるからで、その日が何日だろうがいつの季節だろうが特に意味はない。

 

どうせなら逆のことを思う。わたしは自分の好きな季節に死にたい。

一番好きな季節は冬だ。師走の札幌あたりで死にたいと思う。

人がまわりでいそがしくいつも通りの生活をしている、だれかがいる場所の端っこで、暖かい場所でひっそりと小さく、いつのまにか死ねたらいいなと思う。窓の外には雪が降っていて、澄んだ空気が見えている。贅沢だろうか、最後の食事は、寄せ鍋が良い。

 

 

 

 

 

 

 

実学

わたしは大学では、文学部だった。

昔からどう考えても本を読むことがすきだったし、小学校のときからずっと国語が一番すきだったし、中学生からは日本史(とくに芸術史)がとても好きだったので、文学部に進む以外ないな、と思っていた。

よく考えてみると親はふたりとも理系学部の出身だったが、うちの三兄弟は全員文系だった。わたしは兄の影響もあったのかもしれない。兄は哲学科の出身だが。

 

大学選びで実学志向を選ぶ人が増えている、というニュースを今年にはいって読んだ。

そいうニュースは近年わりとよく目にする気がする。わたしが通っていた大学は国立の総合大学だったが、学生の75%が理系だった。理系大学の印象は濃かったので、部活の友達も理系の人が多かった。まあ、わたしはそういうひととも交流がしたかったので、総合大学を選んだのだが。

学ぶことに対する考えが自分とは違うんだなということは多かった。在学中から将来地球環境問題にかかわる仕事がしたい、とか医療関係の仕事がしたいとはっきり決まっているひとも何人かいて、わたしは自分がなにになるかなんてまったく想像がついていなかった。ただ、おもしろいことだけを教えてくれて、知らないことを教えてくれるところが、わたしにとっても大学だった。

 

わたしは、学生の時に学んだことを、今社会人になって全くと言っていいほど使っていない。キュレーターになるひとなどは別だが、一般の民間企業につとめて、日本史や芸術史の知識を使うことなんてそうそうない。

 

でも、わたしは文学部をえらんだことだけは後悔していない。そして、わたしに合っていた場所だったなと確信した瞬間があったことをものすごく覚えている。

 

とある先生の国文学の授業がとてもすきだった。

その先生が選んだ古典を毎週少しずつ読んでいく授業だった。国文学の研究室ではない生徒も受けられて、わたしは古典がすきだったのでよくその先生の授業をとっていた。

さまざまな出版されている現代語訳をまとめたレジュメを先生がもってきて、その現代語訳に対してその先生がイチャモンをつけながら読み進めていく。

どんな有名な人の現代語訳でも「いや~これは違うでしょ」などと自分の意見をビシバシ言っていくのがわたしはなんだか興味深かったのだ。

 

そしてその先生はめちゃくちゃ休講がおおかった。

だいたい休講情報って授業が始まる前に学部棟の掲示板とか、文学部のポータルサイトにその旨を書いて生徒に知らせるのだが、その先生はドタキャンがおおかった。

みんな教室にあつまって、もう授業の時間が始まっているのに先生がなかなかこないな…と思ったらその先生の研究室の院生っぽいひとがやってきて、黒板にデカデカと「本日休講」とかいて、その院生が代わりに「本日先生の都合により休講です~」とやる気のない声でみんなに伝える。またか、と思ってみんなはそそくさと帰り始める。

そして次の週にその先生は「いやあ~先週はごめんね、卒業生と前の日に飲みすぎちゃってサア」と笑いながら言う。おもしろいひとだなあ、と思ってわたしはその先生が大好きだった。

 

いつものように古典を読み解いていく中で、先生が話した言葉がある。わたしはこの言葉にはいつも栞を挟んで持ち歩いているような気分だ。

 

「いや、結局この文章って「手にても」と解釈しても「手も」と解釈して読んでもどっちでもいいんだよね。だって社会にはなんの影響もないんだもの。これによって政治が良くなるわけでもないし、何かの生産性があがるわけでもないし、戦争がおわるわけでもないんだな。でもね、それを真剣に考えるのがいいんだよ。どっちがいいかっていうのを大人たちが議論して、いろんな考えをもちよってああでもないこうでもないと真剣に考えるのがなによりもいいんだよ。文学部ほどね、優雅な学部はないよ。考えてみてほしいんだけど、文学部以外の他の学問って、要素を専門学校で学べることって、多いんじゃないかと思うのね。でも、文学部って基本世のなかの役に立つかわらかないどうでもいいことを勉強している時点で、専門学校とかでは学べないわけなんだよ。その、どうでもいいことに頭をつかう、どうでもいいことにロマンがあることにみんなはは気が付いて勉強していますか?学問はね、ロマンとエロスとポエジーがないとだめなんだよ。」

 

もちろん実学を学んで、それそ仕事に活かして、世のなかに貢献しているひとは立派すぎてまぶしく、素敵だなと思う。

でも結局、わたしはどうでもいいことに本気になるのっていつだって楽しいのだ。

もしかしたらそれは余裕があるからできることなのかもしれない。わたしは恵まれている人間だな、と思う。

どうでもいいけど興味があって知らないことを知りたいし考えたい。学ぶ理由なんて、それで十分だったりする。

そしてその学びは、社会には役に立たないかもしれないけど、自分の人生の選択で役に立つ可能性をはらんでいるというカードを、文学部で勉強したひとたちはこっそりと、したたかに持っているのだ。

 

 

 

 

 

煌めきの

 

 

好きなものの話をたくさんしたいけど、口から音を出して人に説明するのが苦手だ。苦手というか、なんか自分の思った通りに話せないから後悔してしまう。

自分の考えより先行して言葉が出てきて、それはとても薄くて、その場限りの言葉が多くて、無駄な嘘とかもついてしまう気がする。

あとは嘘じゃないのに嘘っぽく見えてしまう、こともある。友だちが自分の感想と全く同じことを言ってて、そうだよね!わかる!わたしもほんとにそう思ってた!といっても、だんだんと自分の気持ちではないような錯覚になってしまう。なんでなんだろう?

しかも相手にも、わたしがほんとうにそう思っていたということは、全然伝わってないんだろうなとおもうし、むしろ疑っているんじゃないか?とさえ思ってしまう。

 

 

わたしはしゃべると、あとからこれも言えばよかったあれも言えばよかったと後悔ばっかりで、何とも言えない気持ちになることは多い。

人と話すのが億劫な時がたくさんある。いまもそうだ。もうなんていうか最近は誰にも会いたくない。でも悲しくて寂しい。やっぱり誰かと会いたくて話したいけど、できない。そんな不安定な気持ちでまいにち生きている。

 

このあいだ、自分の本が人に貸してて全然返ってこないのが急激に悲しくなってひとりで泣いてしまった。いやオイオイ、だいたいお前が読んでほしい、と言っておしつけてんだろう、しかもいままでそんな返ってこなくても全然いいよとか言って貸してたじゃねえかよ。情緒がおかしくなった結果だ。何人かに、本返してほしいといきなりラインした。ごめんね。

とにかく人との話し方、かかわりかたが分からなくなってるが、好きなことの話だけはさせてほしい。

 

 

 

 

 

 

いまは、ひとと話したりするよりも、ひとりで向き合って、考えて、文章を書く方が、なんだか息ができる気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルイス・ノーダンの『オール女子フットボールチーム』がもうもうそれは抜群にすきだという話をこの間たまたま友人に話した。上手に昇華はできなかったので文章に書いてみようと思う。

 

 

 

英文学には正直なじみがない方だと思う。日本の文学ばかり手に取ってしまう。

みんなが知っているような有名なものなら高校生のときとかに読んだことはある。「ライ麦畑でつかまえて」とか「アルジャーノンに花束を」とか。

失われた時を求めて」は途中までしか読んでいない(いやでも実家に化粧箱入りのやつが全巻あるのでいつか読みたい、何しろ長い)。パールバックの「大地」は大学の授業で読んだ。

もっと幼いころは児童文学はよく読んでいた。「長くつ下のピッピ」シリーズとか、ミヒャエルエンデとか、「ナルニア国物語」も。ケストナーの「飛ぶ教室」も大好きだった。ぱっと思いつくものはその程度だろう。

 

 

 

大きくなってからは、わたしを海外文学に誘ってくれるのはいつも柴田元幸岸本佐知子か、村上春樹だった。あんまりわからなかったから、翻訳者で選んでみるというきっかけが多かったのだが、正直そのなかでも岸本佐知子が翻訳したものばかり読んでいる。

 

 

岸本佐知子さんを好きになったのは、高校生のときで『気になる部分』『ねにもつタイプ』という彼女本人のエッセイを初めて読んだときだった。

あ、わたしこんな人になりたい。と思った。そのときから今もずっと思っている。

 

発想が、考えていることがこのひとはとてつもなく面白くて、そして時々いみがわからない。すごい。楽しい、好きだ!この人の文章!といった感じでわたしはキラキラした気持ちになった。

 

 

去年?おととし?くらいにAマッソ加納のエッセイ(『イルカも泳ぐわい。』)を読んだときに、言い得て妙だなと思った岸本佐知子さんへの表現があったのをすごく印象に覚えている。

 

 

 

 

駅前にぺろんと伸びている、閑静な住宅街にありがちな頼りない商店街を歩いていたら、学校帰りの中学生の女の子二人が忍者ごっこをしていた。

 

 

とにかく二人は、夢中だった。一人がお決まりのニンニンポーズで、電柱柱から電柱柱までをふざけた走り方で横切る。

それを見ているもう一人が締まりのない顔でゲヘゲヘと爆笑しながら「くらえ手裏剣~!」と左手に乗せた右手を高速でスライドさせていた。

 

どっちも忍者なんや、内部抗争かな、伊賀VS甲賀かな、と私はこみ上げるニヤけを抑えきれなかったが、それと同時に、一刻もその場から離れたくなって、歩みを速めた。その忍者ごっこの終わりを見ることに耐えられないからだ。私は知っている、その最強の忍者ごっとに必ず終わりは来る。そして五年後、かつて忍者になるために突き立てていた指にネイルが光る。

 

ーーそんな折、岸本佐知子さんの著書に出会った。

おった!まだ忍者ごっこしてるやつおった!

 

 

 

私は「何言うてんねん」が大好きだ。受け手が腹を抱えて笑いながら「何言うてんねん」と言うしかないものに出会ったとき、安い言葉だけど、人生って楽しいなぁと思う。それは文章でも映像でも、実生活でも変わらない。岸本さんの文章を読んで何度「何言うてんねんこの人」と肩を揺らしたことか。

 

 

 

 

わかる、わかるぞ加納。

岸本佐知子はニンニンしてるよなあ!ずっと!

 

 

 

 

岸本さんは自分の好きな文章しか翻訳しないんだろうなと思っていた(実際に本人もそう言っていた)し、それはもちろん「なに言うてんねん」的なものもあれば、素敵な美しい空想の世界に連れて行ってくれるものが多かった。

ずっと忍者ごっこをしている、というのは、現実生活で、空想の美しさ面白さ楽しさを大人になってもずっと疑っていない、ということだと私は思う。

「なに言うてんねん」もつまりは、「んなわきゃねえだろ」的なふわふわしたことを、真面目に言っているような、そんな感じの「なに言うてんねん」なんだ。と、思う。

 

 

 

彼女の文章は、エッセイも、翻訳も、現実と空想の境目を忘れさせる。

空想であることがはっきりとわかっていても、スポイトで液体をたらしたみたいに現実のエッセンスが混ざりこんでいる。

それがとてつもなく、心地よく、でもときどき気持ち悪く、でもくすっと笑ってしまって、時々晴れやかな気持ちになることを、わたしは随分よく知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

柴田元幸編集の「MONKEY」はめちゃくちゃに大好きな文芸誌だ。海外文学が手軽に楽しく、たくさん読めるから。知らない世界をたくさん見せてくれるから好きだ。

 

 

 

 

 

Vol.23 2021春号 特集ここにいいものがある。に「オール女子フットボールチーム」は載っている。もちろん、岸本佐知子さん翻訳。

 

 

 

コテコテの南部の出身(らしい)のアメリカ人が描いた1986年の文章。

男子の恰好をしてフットボールの試合をする同じ学校の女の子をみて、女性の美しさに気が付いた主人公が、その試合でチアリーダーの恰好(つまり女装)をすることになって…。

最初はチアリーダーの恰好をすることをとても嫌で嫌でしょうがないんだけど、途中で魔法がかかったように自分の美しさに気が付いて、こころからキラキラとしたチアリーダーになる、という話。

 

 

最初はほとんどアメフトの恰好をするクラスの女の子を偶像崇拝のような、もはや神格化していて、女の子たちの友情に嫉妬をしていた男の子の話なのに、そのあとに女装をした自分がとても美しくてしょうがないとほとんど興奮のような感情が次々と表現されていて、読んでいて明るくて本当にすがすがしい。

 

 

 

悲しいようなきがするけど、男性が女装をすることは、一般的に罰ゲームとか、気持ち悪いことだとか思われてしまうのがリアリティなきがしてしまう。

遠野遥の『改良』を読んだとき、主人公はただただ美しくなりたくて女装していたのに、心も身体もひどい暴力をうけて、わたしは読んでいてつらかったが、まるであり得てしまうことだろうと考えてしまったことを思い出した。悲しいけど、それがリアルなんだなあと思う。

 

 

 

でも「オール女子フットボールチーム」は男性でも、女性でもそして心がどうでも、身体や見た目がどうでも、自分を美しいと感じた瞬間というのはなによりも素晴らしいものなんだ!!という気持ちを、反論の余地もないほどさわやかに、明るい光で訴えてくるところがすきだ。だって、自分の美しさに気が付いたとき、主人公は「僕は愛の意味を知った」とおもうんだよ。

 

 

 

 

主人公と、お父さんのかかわりも好きだ。

「お父さんはすごく男っぽい男だった。父を一言で言い表すなら”男っぽい”それに尽きた。」といわれているお父さんは、”女のいない結婚式〈ウーマンレス・ウェディング〉”が大好きで、年に一度のこのイベントでいろんな女性の恰好をしていた。

 

しぶしぶチアリーダをやろうとしていた息子に、女装について指導したのはお父さんだった。毛の剃り方を教えて、ブラのホックの留め方を教え、メイクを教えた。

 

彼が素晴らしいチアリーダーになったとき、父にとっての”女のいない結婚式”の意味がわかって、そしてこころのそこから父を誇りに思うようになる描写も好きだ。

 

 

 

…世界中にこう宣言したかった。このひとが僕の父さんなんだ、このひとがいなければ僕の人生はなにも意味がないんだ、

 

 

 

 

 

ジェンダーレスなのが素晴らしい、という表現よりも、女性という存在も、男性という存在も、女装をした男も、そしてその逆も、全部素晴らしいんだ!と言ってくれているようなきがする。文のなかでは、こんなにも性別を行き来しているのに、でも曖昧になっていない。そこには男という性別と、女という性別がたしかにある。

性自認が女性であるわたしにとっても、もうなんだか全部希望じゃん!という文章な気がする。きれいごとかもしれないけど、この文章をよんでいるときは何の疑いもないような気持になる、これも幻想に近い文章なのはわかっている。けど読むたびに元気になって、うれしくなる。

そんな物語だ。

 

 

 

 

 

 

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ほかにも岸本さん関連の好きな本をただただすきだよと言っていくよ。

 

 

 

ニコルソンベイカー『中二階』

岸本佐知子翻訳で初めて手にした英文学。

はいはい岸本さん、あなたの好きな文章なんですね、これが…とパンチを喰らった作品。読んだ時の衝撃はすごい。あまりにも「なに言うてんねん」文学である。

とある中二階にあるオフィスで働いている男性が、昼休みに外に出て、またオフィスに帰ってくるまでに考えたことが、派生に派生してごちゃごちゃの頭の中身をまるっきり見せられたようにかいてある。

1秒を3分にして書いているような文だ。たのしいよ、てかおかしいよ、へんだよ。

 

 

 

 

 

ルシアベルリン『掃除婦のための手引書』

「ルシアベルリンの小説は帯電している」

 

人間らしさが怖く感じても目が離せないような文章で、どんどん追いかけて行きたくなる。

追いかけてる対象はほんの中の登場人物じゃなくて、ルシアベルリン本人なんだ、と気がつく。

本当に色んな気持ちになる、人生って色んな気持ちになることだよなあ、色んな気持ちになる体験をすることだよなあ。

こんなに日本語で読んでもユーモアと悲しさを伴う言葉たちを、地の文でよめないことを悔しく思うくらいの文章だと思う。

「どうかしている」、と「さあ土曜日だ」を何回も読んでしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ショーン・タン『内なる町からきた話』

岸本佐知子きっかけでショーン・タンが大大大好きになって、絵本は何冊か買ったけど、なかでもこれが一番大好き。でもこれは絵本というか、短い短編の文章に素敵な絵が挿してあるというかんじ。

犬の章は、一冊の絵本にもなったのでわたしはそれを去年、犬を飼ってる友達全員(といっても三人)に勝手にプレゼントした(てかおしつけた)。

わたしが一番好きなのは最後の人間の章かなあ。結局、結局ね…。でも全部好きだよ。

 

 

 

 

 

 

 

岸本佐知子『死ぬまでに生きたい海』

岸本佐知子のエッセイ、MONKEYでずっと連載してたやつをまとめて一冊にしたもの。

鬼がつくほどの出不精らしい、岸本さんがいろんなところで見聞きしたところ、感じたことを書いている。

他のエッセイと比べると「何言うてんねん」をうすーくスライスしたものが時々本の合間に挟まってるような感じだけど、岸本さんの、彼女だけの気持ちや思い出が書かれていて、わたしはこの本が本当に好き。この連載を読むためにMONKEYを買ってるみたいな気持ちの時もある。

まだ連載は続いているので、2巻目もきっと出るだろう。たのしみ。てか全然出不精じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

MONKEY vol.3 2014/秋号 特集 こわい絵本

はじめてわたしが買ったMONKEY、という思い入れもあるがこの号がはちゃめちゃに好きだ。好きすぎて布団の中に招き入れて添い寝したこともある。

ちなみに岸本佐知子の「死ぬまでに生きたい海」はバリ島。

穂村弘柴田元幸「怖い絵本はよい絵本」(その通りだ。)

そして村上春樹の「オリジナリティーについて」の文章がすごく、いい。初めて読んだ時に心がかなり煌めいた文章だ。読んでいると、何かを生み出そうと言う気持ちになって、勇気が出てくる。

 

みんなは村上春樹の著作で好きなものは何?わたしはもうここ数年はどう考えても風の歌を聴けになってしまった。学生の時はダンスダンスダンスの方が好きだった。

短編だと4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて、が結局好きだ(これは本当に好き)し、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドアフターダークも、好きだ。今はこう言ってるだけで多分時が過ぎたらあれも好きだったこれも好きだったとなるだろう、私にとって村上春樹ってそんな感じ。新刊は、発売日に本屋で本の前で130秒くらい買うか悩んだけどまだ買ってない、いつか買うから落ち着いたらでいいかーと思ってまだ買ってない。よみます。

 

 

 

 

 

 

ついでに最近の好きな(好きだった)ものも話させて

 

 

 

 

 

あのちゃんのオールナイトニッポン

ゆら帝のオープニングで始まるの大好き。

あのちゃんのラジオを聞いていると、中高時代にあのちゃんと邦楽ロック界を駆け抜け、学校の休み時間ではMUSICAロキノンを開いて音楽の話をし、お小遣いやバイト代をためて一緒にライブに行った思い出がよみがえってくる。(いやあのちゃんは多分そんなかんじの学生ではないのかもしれないけど…)

マヂラブのANNでの村上の選曲と同じ気持ち(わたしは多分村上とも同級生だった)。

 

世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。

その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め。」

 

というニーチェの名言をあのちゃんが言ったすぐ後に春風のイントロが流れたときの美しさ、一生忘れないと思う。

 

 

 

 

 

このあいだの霜降りのオールナイトニッポン

ちなみにわたしはあっちゃんアンチではない。せいやファンなだけ。

 

RGTwitterでのアンサー

わたしはあっちゃんアンチではない。RGファンなだけ…。

 

THE SECOND

(ちなみに)はちゃめちゃよくて、全部よかった。

 

 

 

 

 

 

あちこちオードリー ダイアン回

みんなで韓国旅行行ってよ!!おねがい!!

わたしは有ジェネで、ダイアンがラップバトルしてたの見てからダイアンのこと好きになったんですが、有田も、オードリーもわたしの好きなひとたちなので、その人たちと絡んで一生わたしを笑わせていてほしいという気持ちがかなりある。お願い…定期的に絡んでてほしい…。

 

 

 

 

 

 

 

怪物

公開初日にみた。前情報何もなくて見た。予告編も見なかったし、インタビューとかもあえて読まなかった。

マイクロアグレッションとか、当事者に寄り添ってないとか、こういう映画はそういう話がどうしてもでてきて、そういう人の意見を目にするとまたいろいろ私はかんがえるんだろうなとは思う。意見をシャットアウトしたいわけではない。

違和感はもちろんゼロではない。けどそれを塗り替えるくらい、見た直後はすごくいい映画だとこころから思ったし、映画を見てるとき退屈する瞬間は少しもなかったよ。伝えたいこともちゃんとあったとわたしは思う。

 

誰かにしか手に入らない幸せなんて、幸せとは言えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

AKIRA Layouts&Key Frames1,2 (OTOMO THE COMPLETE WORKS)

値段高すぎる、ひいひい言いながら買っている。先月二冊目を買った。発売が延期になるほど大友さんがこだわっているご様子。

でも手描きのアニメのレイアウトがこんなに細かく見れるなんて、うれしい。眺めているだけでいい。ほんとにきれい、買ってよかった。

 

 

 

くりぃむナンタラ 上田ファン王決定戦

書くの忘れたから今急いで書いてる。くりぃむのANNのハガキ職人四番バッター(とわたしが勝手に思ってる)の復刻版つばめさんが作問した上田のエピソードクイズ、面白すぎてずっと笑ってたしわたしもわりと正解できた。キングコングバンディと猪木のボディスラムマッチみたいになってっけどよ…という衝撃のたとえツッコミ思い出した。上田のエピソードで有田が爆笑してるのを見てるだけでいいみたいなところあんだよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いったんおわり。

 

 

 

すきなものあつめていかないと、生きていけないよ…。

来週はスピッツの映画とリトルマーメイドを見る予定だし、リトルマーメイドはディズニーで一番好きな映画なので、字幕2、吹替1の3回最低みたいと思っている(ほんと?そんな元気ある??無理だ…もうぐちゃぐちゃだよ。なんか焦っているだけなのかもしれない。躁鬱やめてくれよ。)

 

いつも好きなものの数ばかり数えている、それって、うれしいのかかなしいのかわからない。眠くなってきた。でもこのあとはオードリーのオールナイトニッポン。すきな音を聞きながら、今日も寝ようかなあ。

 

 

 

 

 

 

 

人生は続く

 

 

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西加奈子のくもをさがすを読んだ。(焼き鳥食べてビール飲みながら)

たくさんではないが西加奈子の本は何冊か読んだことがある、彼女のインタビューとかもネットで読んだこともあって思ったことだが、結構、自分とはタイプが違う人間だな、とよく思っていた。

 

 

わたしは暗くて自分が嫌いでじめじめした人間だけど、西さんはわりと要領よくいろんなことができて、明るく、自分のことが好きなイメージ(を勝手に持っている)。多分に学校にいたら陽キャのひととも陰キャのひととも仲良くなれるようなイメージ(を勝手に持っている)。

多分、わたしが一番うらやましいなと感じるタイプの人間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

くもをさがす、は西さんがカナダのバンクーバーでがん治療、手術をする話を書いたノンフィクションだった。

 

 

 

西さんの日記のようなものや、その時の出来事、思ったことをそのまま書いていて、文章の中には西さんがチョイスした様々な小説・歌・詩などの言葉が引用されていて、それがすごく、すきだったなと思う。

わたしもよく聞くカネコアヤノとか、あとはzoomgalsの言葉が使われていたりするのも、彼女の感性が感じられて親近感も沸いた。

 

 

 

 

そのなかで、一番最初によんで、一番好きだなと思った言葉が リンディ・ウエストの『私の身体に呪いをかけるな』だった。

 

 

 

 

 

”完璧な体”というものはまやかしである。わたしは長い間、そんなものがあると信じ込んでいて、それが自分の人生を形作るのを許し、人生そのものを小さくしていたーーー

本当の人生は、わたしに現実の体があることによって存在しているのだ。あなたがなすべきことを、架空の存在に言い含められてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは女性の中では比較的身長が高く、細見なのでむかしからよく、「スタイルがいいね」と言われることが多かった。

もちろん誉め言葉だとおもうけれど、うれしいきもちも全くないわけではなかったがわたしは自分の体が素敵な体だとはどうしても思えなかった。

多分顔がかわいくない、というのはデカいと思うけど、丸顔であか抜けないこどもっぽい顔つきが、すらっとした体についていることが、自分の体がちぐはぐに感じられて違和感でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

背がぐんぐん伸びて成長痛に悩まされてた中一の夏から、わたしはずっと猫背だった。

背が高く見えるのが嫌だったからだ。

 

 

 

 

 

 

そんなわたしもいままで何回かすこしふくよかだった時期があった。

太ったときに、誰かに太ったね、と(ネガティブな意味で)指摘されなかった時ってそういえばなかった気がする。わたしが敏感だったということもあるけど。でもこれってわたしだけではなくて、結構みんなそうなんじゃないのかな。当たり前にあるけど、結構最悪なことだと思う。

 

 

 

 

 

「スタイルがいいね」という言葉はわたしにとって、呪いの言葉だった。細いね、と言われると、あ、わたしって細くないとだめなんだ、と思ってた。容姿のほかの部分がすべて終わっているとおもっていたから。

 

わたしは自分の小さい胸もきらいだった、無駄に細長くてきもちの悪い手足も大嫌いだったのに、あ、私って痩せてないといけないんだ、と思ったし、痩せてるほうが安心した。矛盾している。

 

痩せているときは、自分は痩せているんだという最悪なアピールも昔はしていたような気もする。

どんな状態でも、わたしはわたしの見た目が嫌いだった。今思うと痩せてるからとか太ってるからとか、そういう話じゃないなと思う。

他人がどうこうというよりも、わたし自身がわたしの体に呪いをかけていた。

 

 

 

 

二年前くらいに明らかに精神が不安定になったとき、わたしは食事がろくにとれなくてめちゃくちゃに痩せてしまったときは、つらくてつらくてどうしようもなかったが少しの安心感があったことはたしかだ。そう思うと怖いなと思う。

 

さすがにふらふらで、がりがりで気持ちがわるかった。友だちに「これ以上痩せたら消えちゃうよ」と抱きしめられたら、涙がでた。

 

 

 

そのあと飯を食べてなかった反動なのか、過食になり、コンビニでスイーツやらパンやらおにぎりやらを毎日買って食べまくる日々が続いた。

 

自分がこわかった。親に、散歩にいってくる、と言ってコンビニにいってなにかを食べていた。きもちわるくなるくらい、何かを食べて後悔して、めちゃくちゃ泣きながら一人で外を歩いていた時期があった。2か月くらいで20キロ弱太った。

 

 

 

 

いまは通常体型くらいに戻っているけど、時々思う。またあの一番痩せていたころに戻りたいということを。安心しそうだから。

 

 

 

 

 

容姿に、主にその人自身の体のかたちに関する言葉とは、呪いになりかねる、という話で

たとえほめていると思っていても、受け取り方は人それぞれで、わたしみたいにひねくれて受け取ってしまうひともいて、他人と比べてしまうひともいる。

 

 

わたしはなるべく、周りのひとに容姿に関する言葉をなげたくないと思っていて、もしおかしなことを言っていたら、わたしの周りのお友達には指摘してほしいなと…と思っている。多分いままで無意識にわたしもそういう言葉をかけてしまっていたこともあるんだろうな、と思うし心当たりもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西さんは、乳がんの手術で両乳房を切除した。

 

ずっと小さな胸がコンプレックスだった。

 

 

年を経るごとにその思いは強くなったが、長らく自分の身体にかけられていた呪いを解くことはなかなか困難だった。つまり、心のどこかでは、やはり胸に対するコンプレックスは消えていなかった。でも、それらを全て失った今、私はなくした胸に対して、言いようのない愛情を感じた。「どう見えるか」なんて関係なかった。大きさなんて、形なんて、乳首の色なんて、関係なかった。私の胸は、本当に、本当に素敵だった。

 

 

 

身体的な特徴で、自分のジェンダーや、自分が何者であるかを他者に決められる謂れはない。自分が自分のことを女性だと思ったら女性だし、男性だと思ったら男性だし、女性でも男性でもどちらでもないと思ったら、女性でも男性でもない。私は私だ。「見え」は関係ない。自分が、自分自身をどう思うかが大切なのだ。

 

 

私は、私だ。私は女性で、そして最高だ。

 

 

 

 

 

 

 

身体と、性別の関係は深い、という意識はどうしても強く存在している。

でも、ほんとうは関係ないと思いたい。

 

 

自分で自分の身体を、性別を最高だ、と思える人の文章を読んで、わたしは少しだけ、うれしく思った。

 

少しだけ、というのは、自分の身体の話ではないからで、わたしはがん治療をしていないから。

自分が自分をあきらめてしまっているところがあるから。

でも、その小さな嬉しさを、希望を、胸に大事にしまっておくくらいならできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カナダのバンクーバーならではのエピソードが多い、ということもこの話の魅力のひとつだな、と思う。

 

 

 

わたしは数年前、短い間だったけどオーストラリアのメルボルンに留学していた。

お話の中のバンクーバーは、メルボルンに少し似ていると思った。

 

 

 

 

わたしは、メルボルンが大好きだった。

ゆるい時間の流れ、優しいひとたち、大きな公園とたくさんの緑、古くて美しい建物。シティを走る路面電車のトラムもかわいくて好きだった。

日本で人身事故で電車が止まるとため息をつく人が多い気がするが、メルボルンではトラムの運転手が賃上げのためのストライキを起こすことはわりとよくあって、トラムがはしっていないときは、歩いて家まで帰った。みんな急いでなかったから、わたしも急がなかった。(もちろん困ることには困るけど)

 

 

ストライキとかなくて、ちゃんとはしっているときでも、勿論電車もトラムも時間通りにはほとんど来ない。

学校に行く前の子どもを連れた大人が、カフェでコーヒーを飲んでいる朝の風景も好きだった。

 

 

メルボルンの空気にはいい意味での「余裕」が溶け込んでいた。わたしはその空気を目いっぱい吸い込んでいた。(それでも留学の最初のほうにかよっていた語学学校は、どう余裕をもっていってもクラスでわたしや、そのほかの日本人が絶対一番最初に登校していた。)

 

 

 

 

メルボルンバンクーバーと同じように移民が多い都市だったし、わたしみたいな留学生がおおかったから、環境の違いに戸惑って困ったときは助けてくれるひとたちが多かった気がする。

 

 

 

 

留学の初めのころ、まだ現地について一週間くらいしか経っていないときに、学校の課題でだされたレポートをスーパー?のプリンターを使って印刷しないといけなくて、でもやり方がわからずもたもたしていたら、周りのオージーが大丈夫か、どうしたとぞろぞろやってきてくれて、わたしは三人くらいの大人に囲まれながら、あーだこーだとつたない英語で会話しながらなんとかレポートをプリントしたことを覚えている。

 

方向音痴なのでシティで道に迷いまくって、うろうろしていると誰か助けてくれたこともたくさんあった。

 

 

 

 

そういう環境は、自分も自然とそういう風に他人にてを差し伸べることを楽にした。

 

 

 

 

 

トラムでベビーカーをもったひとがいたら、自然と降りるときに手をかせたし、前の人がものを落としたらすぐに追いかけて手渡した。もちろん当たり前のことだけど、その時英語でなんて言えばいいか、とか急いでるから、とか思って一瞬躊躇してしまうことがゼロになった感覚だった。

ありがとうをオージーはカジュアルにcheers!」という。あの乾杯のチアーズだ。

cheers!」といわれるとうれしかった。

 

(話はそれるがオーストラリアの人たちは自分たちのことをlazyだとよく言うが、それが表れている様々な言葉を略するスラングをわたしは面白がってよく教えてもらっていた。Definitely!Defo!だったし、Avocado Avoで、Have an Avocado Avonavoだったし(そんなことある?笑))

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはメルボルンの、ビーガンのカフェレストランで、ボランティアもしていた。

 

現地のひとと、英語を話す機会をゲットできるというメリットももちろんあったけど、人のために、なにかをやってみたいという気持ちも強かった。そのレストランの考えとかも好きだったし、ビーガンメニューだからいろんなひとと食事ができるし、身体に障害があるひとでも、どの年齢のひとでもボランティアに参加できて、いろんなひとと話ができた。

 

 

 

わたしは人見知りでもじもじしてても、きにかけてくれるひとたちがいて、わたしの英語が下手だから、単語を指定されて英語で文章つくって話すゲームを一緒にやりながら料理を運んだりしたし、日本人なの?と話しかけてくれるお客さんも結構いた。東京ってどんなところ?って聞いてくる入れ墨がばちばちに入ったクウェート人のゲイの男の子としゃべっていて、いきなり知ってる日本語あるよと言われ「ボク、マユゲナイ」としゃべりだして笑ったりしたこともあった。(ほんとにそのひとはまゆげなかった。)

 

中国に戻りたくない、中国の政府は最悪だよ、強要するわけじゃないけどね、と自分の意見を英語ではっきり言うチャイニーズの男の子もかっこよく思えたり、めちゃめちゃオーストラリアなまりが強いおじいちゃんとしゃべっててまじで何言ってるかさっぱりわからなくて、???という顔をしていても、その人が描いた絵をたくさんみせてもらったりもした。

 

ウェイトレスとして働いていたけど、どんなにおしゃべりをしても絶対に怒られることはなかったし、むしろあなたは英語を勉強しに来てるんでしょう?しゃべりなよ!と言われた。

 

 

 

 

 

 

わたしは、うまくいかないことももちろんたくさんあって、思っていることがうまく言えなくて英語通じなくて泣いたりとか、オーストラリアのひとがてきとうすぎて返信が帰ってきてほしいメールが帰ってこなくて悲しかったりとか、トイレがきたなくていやだったりとか、ご飯を食べに来たホームレスのひとにちょっと怖い態度をとられたりとか(料理の値段がなくて、寄付制だったからそういう人たちも来た)、日本のなんか料理作ってよと頼まれたので、じゃあこの食材お願いねと伝えて任せろ任せろ!!俺がいるから大丈夫だ、と言われていたキッチンの人がその当日休んでいて死ぬほど困ったり、そういうこともたくさんあったのだが、日本に帰る前日まで、そのカフェでボランティアを続けた。

 

 

 

そしてその最後のボランティアの日、帰る直前わたしはぼろぼろと泣いた。

 

明日日本に帰るんだ、とみんなに言って回っていたとき、最後キッチンのお兄さんにハグされた瞬間に涙が勝手に出てきた。

わたしは英語もつたないし、積極的な性格でもなかったからみんなとめちゃくちゃ仲良くなれたわけではなかったけど、すごく寂しかった。

 

 

 

 

号泣しながら店を出たときに、全然しらない女性が「どうしたの??大丈夫??」と駆け寄ってきて、こうこうこうで、自分はあした日本に帰らないといけなくて、ここでのボランティア今日で最後だったんだ、と言った。

 

そしたら「そうなんだ…。なんていうか、、、ハグしていい?」と言ってくれて、わたしはその人にハグされて、それでまためちゃくちゃ泣いた。全然知らないのに、あなたがハグをしてくれて、わたしは安心して泣いて、とてもありがとうと伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

こういうたぐいのやさしさは、日本にはあまりないと思う。

西さんが「日本人には情があり、カナダ人には愛がある」という話をしていて、わたしはこの経験を思い出した。

 

 

 

 

 

 

情は、意思をもって、そして尊厳のために獲得するものではなく、気が付けば身についているものだ。目の前に困っている人がいれば、愛をもって立ち上がる前に、なんかどうしようもなく(あるいは渋々)手を伸ばしてしまっている。もしかしたら本人は面倒だ、嫌だと思ってしまっているかもしれない。もしかしたら自分の方が困った状況にあるのかもしれない。自分の場所を譲るのは、本当は死活問題で、でも、もうそこにいる困った人を、どうしても、どうしても放っておけないのだ。

 

 

 

愛がいつも良き心、美しい精神からきているのに対して、情は必ずしも良き心や美しい精神からきているとは限らない。

 

 

 

 

 

 

メルボルンに住んでいたのはそんなに長い時間ではなかったので、嫌な経験をしたのも相対的に少ない方だったから、こうやって美化してしまっているのかもしれない。

けど、そのレストランも愛がたくさんあったし、わたしはそこで日本にはない心地よさを感じていた。

 

 

 

 

 

 

たぶん、わたしはメルボルンにいたとき、本当の意味で生きていたような気がする。

はじめて、ちゃんと自分のことが好きになれていた。

誰が、どう思うか、ということを意識しない環境だった。

メルボルンの古着屋で好きな服を買って、安くてかわいいアクセサリーを買って、自分の身体も、行動も、まるごと好きになれていたきがした。

 

 

 

 

 

でも、それは私自身が一瞬の魔法にしてしまったな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

日本に帰ってから、わたしはメルボルンで吸った空気をそのまま体の中で回していたかった。

でも、帰国したあとのわたしは、わたしをさらけ出して、自分の意見を言う強さを持っていなかった。

 

最初はそのままでいたけど、杭がでてしまって、打たれた感覚があったとき、すごくつらくなってしまって、少しづつ楽なほうへ逃げてしまった。

当時のことを、友達に「メルボルンから帰ってきたときはちょっと浮いていたよ」と言われてショックをうけたこともあった。(別の友人のそれって別に悪いことじゃなくない?と言われて、もちろん今思うとたしかにそうだなと思う。)

 

 

 

 

わたしはわたしだと、強くいられたらよかった。

 

 

 

 

 

 

 

私の手も、情で濡れているだろうか。そしてその湿度を、誰かを助けるためにどれほど使うことが出来ているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本が、環境がすべて悪いわけでもない。

自分自身の問題が大きい。

 

もちろんわたしは日本のカルチャーもすきなところがたくさんある、けど過剰にもちあげて排外的になったり、レイシズム的な思想にはなりたくない。

 

 

 

 

なぜかわたしは、こどものころはほかの国と比べて、日本は優しいひとが多くて、四季が豊で素晴らしい、みたいな考えが刷り込まれていた気がする。

でも四季豊かな国は全然ほかにもあるし、日本人よりわたしはオージーのほうが優しかった気もする。これはわたしの実感だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

物語はクライマックスを迎えたとしても、その人の人生は続いていく、というようなことを西さんが言っていた。

様々な経験をして、得たものや失ったものがあっても、その人のその後がある。西さんはがんの治療を終えても西さんの人生は続く。

いま、なかなかわたしは生きている実感をもてずにくすぶっている。

なにかを得たあとのわたしは、そのままで終われなくて、変化しながら生きている、

 

 

 

でも、わたしはいつても、だれかをハグしてあげられるような、暖かい愛をもって生きていきたい。小さくなってしまっているかもしれないが、メルボルンでの経験で得たこの火を絶やすことは、したくない。

 

 

 

 

西さんも言ってたけど、わたしもハグの文化がめちゃくちゃ好きなので、みんなに出会い頭1発ハグしたいといつも思ってる。そしてこれは性別や関係性関係なくだ、もちろん。

 

しなかったときは、なんとなく日本人的な心が出てきちゃったんだな、とか思ってほしい(何もないのにするの迷惑かな、とか思ったりするということ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

ただのがん治療の体験談、というよりも「生きる」ことのお話だと思う。

生き生きと、生きるということは自分の身体を含めて、すこしでも自分をすきになることだ。

わたしも、自分の身体を好きになったり、嫌いになったりしながら生きていきたい。

多分、ずっと一生すきになることは無理な気がする。呪いをとくのは結構むずかしい。

でも、またメルボルンにいったりしても良いと思うし、一瞬の魔法でもいい。

日本もすきなんだ。日本の歴史や文化もすきなところがある。突き放すこともできない。わたしはここで生きてきた。

 

 

 

 

だれかが自分の身体を、簡単に他人に明け渡してしまわないような、世界になれることを、呪いをだれかの身体にかけてしまわないような世界を

 

わたしは心から祈っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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友だちがPodcastをやっていて、聞くのが楽しいからこのブログを読んだ人にも聞いてほしい。ふたりが体験したエンタメをすぐにかみくだいてする話を聞くのは楽しい、自分にはできないことなので…。

あと最初にながれるジングルが好き。国会にクソでかい犬放し飼いにしとけ…

 

この間は「くもをさがす」回だった。わたしが送ったコメントも読んでくれた。おっちーが自分の身体いらない、自分の身体嫌い、って言ってるのはわたしもそう。あといほりがずっと体調わるいって言ってるのも、わたしも基本そう。わかる。

 

(ちなみにわたしをゲストで呼んでくれた回もある(第12回)緊張しすぎて最初はふるえながらしゃべった。でもたのしかった。)

 

 

 

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