2025年6月1日に開催されたCOMITIA152で初めて販売した『馬鹿なのか、生きたくないのに貯金したい』という自費出版本の中に収録していた文章を一部修正したうえで掲載しています。本には載せなかった写真なども一緒に。広島に行ったのは2025年の5月15日らへんでした。
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中学生のときの授業なんて印象に残っていないもののほうが勿論多いし、普通の授業を受けていたとは思うけれど、社会の授業の一部分だけ妙に覚えている。とある先生の歴史の授業が面白いと思っていたからだ。
地元の普通の公立中学だったが、今思えば思想強めというか、意思がはっきりしている先生だったような気もする。男の若い先生で、歴史の授業に力を入れていたので、公民とか地理とかより歴史の授業のほうがかける時間があきらかに長く、内容も濃くやってくれていた。例えば地元の郷土史だったり、あとは被差別部落なんかに関しても、かなりちゃんと授業をしてくれていたと思う。
大学生のときも、わたしは文学部で日本史学の研究室に所属し、日本史で卒論を書いたけれど、多分中学のときの先生の授業が、わたしの歴史に対しての眼差しの根底を作ってくれている。
先生の授業で忘れられない教科書のページがある。太平洋戦争の終戦の部分、原爆が落とされた広島の写真が載っているページだ。
先生がとある生徒に尋ねた。「このページは他のページと決定的に違う箇所があるんだけれど、何が違うかわかるか?」
尋ねられた生徒はすぐに答えた。「男の子と女の子が、何も話していません」
わたしが中学生のときの教科書は、時代のテーマごとの最初のページに、男の子と女の子のイラストが描いてあって、ふきだしでその二人がテーマに関するポイント等を話しているものだった。ただ、その原爆投下後の広島の写真のページだけ、男の子も女の子も難しそうな、悲しそうな顔をしているだけで、ふきだしが一つもなかったのだ。
先生に指名された生徒だけでなく、全員が気が付いていたと思う。他のページとの違いは、それくらいわかりやすいものだった。実際、原爆の写真を見ても、簡単なことばでは言い尽くせないような、自分でもどのように発言してよいかわからない部分がずっとある。
ずっと原爆ドームや広島平和記念資料館へ行きたいという気持ちがあった。恥ずかしながらこの年齢まで行ったことがなかったのだ。
核兵器禁止条約へ参加していない日本や、核抑止論そのものにも違和感がずっとある。ただまだ、行けば誰でも見ることができるものをわたしは見ていない。だから「行かないと」と思い、去年の年末くらいに新千歳空港から広島空港への便を予約した。いままで一番の長距離移動かもしれない。
一人で旅行に行くのは去年の氷見以来だ。あのときは地震の後というきっかけがあったからで、東京から夜行バスで行き、夜行バスで帰った。自分が一人でどこかに行こうとするときは、小さくても何かを見たいとか知りたいという気持ちなのだと思う。
一人旅のときはいつも、旅行の目的達成のハードルは基本的に低い。今回は正直、原爆ドームと平和記念資料館に行ければ目標達成だが、当日にふと思い立って下瀬美術館にも行くことにした。
去年、ヴェルサイユ賞という世界的な賞に選出されたらしく、「世界で最も美しい美術館」として認定されていた。なんとなく気になっていたし、電車を調べてみると広島駅からもそれほど遠くない。最寄りの駅からは二十分くらい歩くみたいだけど、わたしは一人旅のときはいつも平気でたくさん歩いてしまうから良いのだ。
グーグルマップを見ながら下瀬美術館に着いた。
近くに大きな公園があって、子どもの声がたくさん聞こえてくる。花がたくさん咲いていて、きれいな庭のあるぴかぴかの美術館。展示室がひとつひとつ独立した箱みたいな形で、様々な色の外観で海に浮いていた。展示室から隣の展示室へは自動ドアを出て短い廊下でつながっている。展示室の中は壁も床も真っ白で、不思議な感覚だった。海に浮かぶその展示室は可動式らしく、展示によって並び位置が変わったりするらしい。
わたしが見た展示は現代アートの展示だった。若めの複数のアーティストの立体物とか映像作品とかが置いてあって、柵などもなかったので展示物にものすごく近づけた。空間がまるごとアートだった。
ひとつの映像作品が印象に残った。
鄭天依という人の『あなたの塵に映る私の影』というものだ。広島基町のとある倉庫を撮影した映像に、字幕とナレーションがついていた。十五分くらいだったと思う。録画はできなかったのですべてを覚えているわけではない。
その倉庫は埃だらけで、たくさんのものが置いてあった。家具や昔のおもちゃや積み重なった段ボールなど。埃というのは時代の集積で、何層にも重なって積もっていく。歴史は気軽な軽さではなく、埃のように表面にびっしりこびりついたものである。わたしたち自身は、それを通り過ぎる影にしかすぎない、というようなことを表現していたと思う。
それを見たとき、なんとなくしっくり来た。そうか、自分はやっぱり広島に「歴史」を見に来た、と思ったのだ。
朝一番で行ったので最初は人が少なかったが、あっという間に美術館もたくさんの人で混んできた。お土産を買って、外に出る。また歩いて駅まで行く。
海辺に牡蠣小屋があるかと思って行ってみたら、牡蠣は四月いっぱいで終わりだった。もう五月になってしまっていたので、あきらめる。
駅前にあった駅前食堂という店に入り、お昼ご飯に六百円のそば入りお好み焼きを食べた。途中で近所に住んでいるらしいおばあちゃんが入ってきた。他にも席が空いていたのになぜかわたしと相席になるかたちで、向かいの席に座り、持ち帰りのお好み焼きを注文しそこで待った。テレビでやっているNHKののど自慢をみて「日本は歌が歌えるから平和やね」と言った。それを聞いた店主のおじいさんはインドとパキスタンの戦争の話をし始めた。
わたしは歩き疲れていて、このお好み焼きが無性に美味しく感じた。
広島市のほうに戻り、路面電車にのった。
外を見ていたら突然目の前に原爆ドームがぽっと現れて驚いた。こんなにも街中に、急に現れるんだと思った。路面電車を降り、近くまで行く。人がたくさんいた。海外の方も、日本の修学旅行生っぽい人たちも。
橋を渡って平和記念公園まで行くとき、核兵器廃絶を求めて高校生たちが署名活動をしていたので、署名する。スピーカーで流暢に、英語で署名を求めていた高校生もいた。こんなにも街中に、身近に、原爆の怖さを感じる大きなシンボルがある地域で育った子どもたちの存在をとても強く感じた。
そういえば札幌に移住してから、北方領土に関しての意識が東京とは全然違うと思ったこともあったが、学校教育での郷土史はやっぱりとても重要なものなのだろうと思う。
平和記念公園の中を歩いて、広島平和記念資料館に。入館料は二百円だった。かなり人がたくさんいた。
展示内を歩く度に目に入る写真や絵や遺品などが、どこをどう見ても恐ろしくて悲しくて怖かった。たくさんのパネルがあり、展示品があり、キャプションがある。多くの人の原爆体験を語った映像がある。それでもきっと収まらないくらいの出来事なのではないかと思う。こんなにも人が無差別に殺され、生き残った人も苦しめられ、家族が見つからない人もたくさんいたのだ。この歴史があってもなお、核兵器が完全廃絶とならないことを考えると、この世の中はなんて恐ろしいのだろうと思う。広島長崎での凄惨な出来事があっても、原水爆の研究や実験が続けられていて、それが現在につながっていることが一番悲しかった。
平和を望んでいる。多くの人が思いやりをもって、誰かのことを想い、傷つけないような世の中になってほしい。でもわたし自身は正直どうしたらいいのかわからない。わたしは直接的に戦争を止められない。
多分、わたしにできること、というかできそうなことの中で実際にできることは歴史を知ることだと思う。昔から歴史が好きだった。きっかけは歴史を学ぶことが面白かったからだと思うけど、自分が過ちに鈍感になってはいけないから歴史は必要なのだと、強く思う。
わたしは自分のことでいっぱいいっぱいになってしまうこともあるような毎日だけど、もっとたくさんのことをわかりたいし、知識が欲しいし、優しくなりたいし、できるだけ行動もしたい。
大きな権力者たちが、これは不要だと倉庫に投げ捨てたようなものでも、埃被ったそれらから、何かを見つけ出さないといけないことが、現在でもきっとあるのだと、そう感じている。







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ふらっと行ってみた美術館の、とても強烈に記憶に残った作品の、多分もうあのときだけで、どこ行っても簡単には見られないような景色や経験って、すごいよなと思う。そういうことが今まで二回くらいあるのですが、思い出すといまでも憧れのような、夢の中のような、そんなふんわりした妙な気分になります。
あ、拙著はこちらで買えます。おそれいります。
hesperasでは 「ZINEで熊本支援」のキャンペーンが開催されているようです。(~9/30)
※8/19追記『馬鹿なのか、生きたくないのに貯金したい』はhesperasでは完売いたしました。ありがとうございました…!熊本支援はまだやっている様子ですので、他の方の作品もぜひ見ていってください。
札幌では最近fabでも置いていただきました。(通販ではなく店頭)
https://www.instagram.com/fab_sapporo/
うまいカレーを食ったあとうまいコーヒーを飲み、古着を楽しんだあとにお花を買って帰れるという素晴らしい建物にあります。

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戦争反対チャリティイベントは今月末です。
本を買ってみたら募金してたくらいの気持ちで買ってもらえると、いいのかなみたいな…。もちろん腕ぶん回してきていただいても。
最後に昨日家の床におちていたうちの猫の写真を載せます。

武力や核兵器のない世界を望みます。