週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

COMITIA149後記

 

もう二週間ほど前ですが、コミティア149終わりました。買っていただいた方、改めてありがとうございます。

ブログの読者の方や、Twitterのフォロワーの方への郵送分も一旦全部送り終わりまして…。不慣れでいろいろご迷惑をおかけした部分もあったかと思いますが、受け取っていただきましてありがとうございます。

 

yummy-13.hatenablog.com

 

 

ありがたいことに本は完売しました…!ほんまにありがとです。

 

…そしてちょっと考えているのですが、完売後に本欲しいと連絡くださった方もちらっとですがおりまして、増版しようかな…と思っています。もう今後こういったイベントに出るかはわかんないし(出るかもしんないけど)、こんな本でも折角ほしいといってくださった方がいるのであれば、時間がかかってしまうかもしれませんが、ヤマトとか郵送等でお送りしようかな…なーんてことを偉そうに…(ごめんなさい)思っています。

なので、あたらめて欲しいかもな方、興味ある方、せっかくだからやっぱ買っちゃおうかなみたいな方がいらっしゃいましたら、こちら(yahariyappari.ne@gmail.com)までメールください。なるべく発注の冊数も多いほうがいろいろと嬉しいので(すんません)、遠慮なくご連絡ください。でもちょっと時間かかっちゃうかもしれません、ご理解いただけますと大変助かります。あと既に購入の方も、本の感想など(もちろんムリして送んなくてもいい)も…もらえたら超嬉しい(自我出ちゃった)。

 

本の値段は同じく500円、送料は匿名配送とか方法によって変わるかもで最低限くらいはちょびっといただくとは思いますが、よろしくお願いいたします。

人に買っていただくのは本当に心から嬉しい気持ちと、あと急に深夜に急に恥ずかしくなって「わたしの本買ったひと全員記憶なくしてくれ!!」みたいな気持ちが混ぜこぜですが、結局は買ってもらえればHAPPY(当たり前)って感じです。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

以下、どたばたコミティア後記です。いつもと文体違うしわたしの昔のブログみたいな口調が混ざっていますが、悪しからず…。

 

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と、いいますか、完売って…カッコよく言ったって…いやいや、もともとそんな冊数を刷っていないので、当たり前のことかもしれないけど…!しかしながら、コミティアってそんなに売れないイメージを勝手に持っていて、Googleのサジェストで「コミティア」って入れると「売れない」ってでてくるし、相ちゃんも一冊しかうれてないしうららも最後に二冊だったし(でも二人とも冊数の問題ではなかったのよね、もちろんそうですよ!!)。

 

 

しかもわたしは漫画とかステッカーとかポストカードとか、見た目でわかりやすくかわいかったりとかはしないもので、中身をちゃんとじっくり読まないとどんな内容かわからない本だったので、かなり心配だった。

ブログの読者さんやフォロワーも多くない(そもそもTwitterはブログ宣伝用じゃない趣味垢)ため、どうなんだろう…この冊数でも刷りすぎたかな…なんて思っていたり。

 

 

 

 

しかし当日は来た!!

アー!来ちゃった!

わたしが「なんかわたし本作ってみたいかも」と決めたときにはじめてLINEを送った友人がいて、文章を書いてるときもその子にいろいろ相談しながら本を作っていましたが、その子も一緒に売り子をしてくれるとのことで、一緒に朝から国際展示場へ。ずいずい。

前も書きましたが、即売会に出ることは初めて。友人の付きそいでとかなら手伝ったことはありますが、あまり慣れ親しんだものでもないのが正直なところ…。とにかくやってみるしかないぜ!という気持ち(やったる、やったるで~!!)

 

 

 

とりあえずビッグサイトまで走るわたし。

(はしるから写真撮って!!と友人に頼んだ、実際走ったのはもちろん数十メートルです)

 

 

 



 

サークルチケットを渡し、入場、、、。自分のブースに行って隣の方に挨拶を(つーか友人が率先に挨拶してくれてわたしはわたわたと続けてコンニチハって感じだった)。

 

持ってきた布を机にかけたり、本を並べたり、おつりを準備したり、POPを書いてみたりして準備オッケーかと!あゝ緊張。

来栖と宿儺のアクリルスタンドみたいなやつがあるけど、これは先日呪術展のグッズのランダムでひいた二人です。ごめん、わたし脹相が欲しかったんだよね…。

販売する本一種類しかないしさみしいので置いてあるだけ。友人もなんと来栖を持っているので、というかそもそも友人が来栖×2と宿儺飾ろう!!と言ってきたのに、友人は来栖を持ってくるのを忘れていた。わたしは前日からリュックの中に入れていたというのに…。

 

 

 

 

 

 

コミティアが開始の放送が流れるとともに、ぱちぱちと拍手で始まることは「これ描いて死ね」と「メタモルフォーゼの縁側」で予習済み。わたしはアホみたいな顔でぱちぱちしていたところ、入場開始と同時にたくさんのひとがダッシュで入場してきて、わたしはそれははじめてみる光景だったので、いやはや、やはりそういうものなのか...という感情。

 

 

わたしは初参加なので、もちろんのこと狭い道の一角のテーブルでこれまたアホみたいな顔のわりにドキドキしながら座ってた(開場当初は友人はわたしが欲しい本を買いに行ってくれました、感謝)。道を挟んで向いのテーブルでは、世界観がまとまっている感じで、犬猫やクマ等の動物のステッカーや冊子やらアクスタやら、たくさんの種類のかわいらしいものを売っている方々が...。

こういうのは足が止まりやすくて、何を売っているのかわかりやすくていいよな…。そう考えるとわたしの本、買ってくれる人なんて本当にいるのかな!?いや、覚悟はしていたけど(来てくれると約束してくれた人以外で)一冊も売れないなんてこともあるよね!?

 

 

急に不安になるわたしの元に友人がもどってきた…おかえり…。そうしてふたりで並んで椅子に座っていたところ、二人の女性が来てくれて「表紙かわいい!!」と足を止めていただき…。なんと二人とも買ってくれて(一人が買って貸し借りしてくれてもよかったのに(涙))買います、と言われたときは思わず「え…!いいんですか?」と言っちゃった。それはわたしにとってのはじめての購入者に。このときは言わずもがなめちゃくちゃ感動した。

ハア!!!嬉しい!!!!!ここがステージなら全力で喜びの舞を踊っていたことでしょう…と思いながら料金をもらい、おつりを返す。

 

 

表紙をかわいいと言ってくれるかたは結構多く、表紙を描いてくれたなるちゃん(本を読んでくれたかたならわかると思いますが)には感謝です…。

 

そのあとも見本読んでみていいですか?と足をとめて、買ってくれるひともいれば、ありがとうございましたと買わずに去るひと、去ったと思ったらまた戻って買ってくれるひとも。それにしても見本を読まれているときは緊張した…。かなり汗かいちゃった。

 

 

そうやってだんだん売れていき、あと一冊ってなったのが多分13:30くらい。あれ、もしかして完売いける…!?って思っていたら最後はむかいのテーブルの素敵なステッカーを売っていたお兄さんが立ち寄って「せっかくなので…!」買って下さり完売しちゃった。よかったー!!

 

 

 

 

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字も汚いし、馬鹿みたいなかたちの☆と馬鹿みたいなかたちの吹き出しになってしまった。金田マステにも雑なしわが入り、どことなく浮かれている感が見える完売POP。

 

 

売切れたあとは友人とまたコミティアを回っていくつか購入。ついついかわいいものやおもしろそうなものを買い、当初の予定より普通にお金使っちゃった。

 

 

 

↑目当てのものも買えてとても満足…。

 

というわけで、わたしのコミティアは終了した。はあ。

 

 

 

 

 

 

そもそも本を作ろうと思ったきっかけは主にふたつあって、一つ目は↑でもちらほらと書いていたけれど「これ描いて死ね」と「メタモルフォーゼの縁側」を読んで、わたしも即売会に出たい、と思ったから。どっちもものすごく好きな漫画で、どちらも登場人物が、自分で作品を創作して、コミティアに出るシーンがある。

 

 

なんでかはわからないのだけど、わたしは昔からいつでも何かをずっと考えていて、それを吐き出して体の外に出さないととてつもなく辛くなってしまう。といっても、辛いことに気が付く方が遅かったくらい、わたしは昔から文章や言葉で自分の感性や考えたことを、自然と気が付かずに表現していた気がする。小学生のときはとてもとてもはずかしいポエムみたいなものとか、意味の分からない設定の小説とか、そんなものばかりをそのときは恥ずかしがらずにバンバン書いていた。楽しかったから、好きだったからだと思う。そういえば初めて大人に文章をほめられたことも小学生のときだった。小学生のときに通っていた塾で、先生に作文はいつもほめられていたので、調子に乗っていた部分もある。だんだんそれが恥ずかしくなって、自分の文章に自信がなくなって、まわりの目が気になりはじめてきた。それがいま思えば年齢をかさねるということだったのだ。

 

 

何度もこのブログでも、そもそも今回作った本の中でも言っているけど、ずっと本や漫画を読んでいる。べつにたくさんじゃないけど、ずっとやめていないしやめられないことだ。だれかの物語や経験は、自分のものじゃないのに、こんなにもきれいな言葉や、やさしさがこの世に存在していると思うと、自分が慰められるような感覚がするから。

そして幸いにも、わたしの友達はみんな漫画を読んだりすることが好きなひとたちだった。だから、自分がなにかの創作物を語ることに、興味がなさそうな反応をしたり、一定の距離をとったりするひとたちじゃない。年齢や性別も関係なく、好きなものを好きと言うことが絶対的に恥ずかしくない、でもときどきなんだか後ろめたかったり苦しいことがあるということをわかっていたり、理解しようとしているひと、何かを一生懸命に好きなことを自然と肯定してくれるひと。そんな友達の影響もあり、わたしは文字を書き続けている。

 

 

「これ描いて死ね」も「メタモルフォーゼの縁側」も自分の選んだ大事なものを大事にできることで、登場人物が肯定されることが本当にどうしようもなく素敵だと思う。そしてその好きなこと、大事なものを自分自身でも創るということ、創ることで誰かとつながれたり、また誰かに小さくても影響を与えたり、関係や未来が変化していくこと。それは、この最悪な世のなかで、わたしにとってに一筋の希望みたいに見えた。好きだから、わたしも、わたしの手段で何かを創りたいと思った。

 

 

しかしそれにしても書いているときは、(なんか…こんな文章でいいのか…)とか(こんなにお金かけて同人誌作って、しかも自分のことばっかの話、自意識が改めてやばいキモイ)とかずっと考えていたのに、正直書き終わって振り返ってみたら、書くことがきっととても楽しかったのだと思う。うららが、自分で描いた漫画を印刷所に入稿しに行って”楽しかった”と気が付いた気持ちと、自分の気持ちがリンクしたようで、なんだかまんまと創作の楽しさに気が付いて少し照れ臭かった。

 

本が納品されたときは、本当にうれしくて、驚いた。こんなにうれしいんだ、というかこんなにきれいに製本してくれるんだ。すごい。自分でこの厚さ本の文章を書いたんだ、とかなり浮かれてしまいました。全然たいしたことでもないのかもしれないけど、わたしがそう思ったから、いいのだ。

 

 

 

あと、本をつくった理由のもうひとつは、ここ一年くらいでいろんな読者のかたに文章をほめていただいたり、感性をほめていただいたりするコメントやらDMやらをいただいたから…です。それで調子にのったけど、この調子の波にのらないと自分を肯定できなかったから、やってしまいました。でも本を買いたいと連絡くれたり、実際に買いに来てくれた方のおかげです。自分の本、やっぱり作ってみてもおもしろいとか良いとか思ってもらえる自信が本当にないです!でも、楽しくて嬉しい経験ができました。ありがとうございました。

 

 

 

これからもぼちぼち書いたりするかとおもいますが、よろしくおねがいいたします。

 

 

 

(あ、ちなみにこんなこと言っといて、作った本の中でわたしが気に入ってる文章は「ミセスグリーンアップルごめん」です。)

 

 

 

 

 

即売会にでる

 

 

 

 

2024/8/18(日)のCOMTIA149@東京ビックサイトで自分のエッセイを売ります。と思いますが、何かやらかしてしまいそうでびびってる気持ちもあり、ちゃんとやるぞという気持ちもあり、ごちゃごちゃごにょごにょしてます。

 

 

 

www.comitia.co.jp

 

 

はじめての自費出版なので大目に見てください。友人に都度都度励ましてもらいながらなんとか書いているような感じです。

これをすることで結構大きな一区切りになる予感がするというか、なんかもやもやしたものが少なくとも少しは解消されるのではないかという気がしてます。

 

 

 

 



 

 

 

2024年2月~7月くらいまでに考えたこととか思い出したことをぽつぽつひやひやと書いているような感じです。

30007000字くらいのエッセイを15本くらい、まとめられてたらいいんだけどなあ。全部書下ろしというか、ブログに載ってるものじゃない文章です。

(サクカには小説も、って書いてあるけど小説はむりでした、エッセイのみですんません…、でもいつかまた書きたいです。)

 

サークル名のやはりやっぱりはコミティアに申し込んだときに、バレーボールのネーションズリーグがテレビでやっていて、実況のひとが「やはりやっぱり」という言葉を使っていたので、なんかわからんけど面白いなと思ったからです。

もし興味があるかたがいたら、買ってくれますとうれしいです。

 

値段は色々考えたけど500円で行こうかなと思ってます。

もし読んでやってもいいよみたいなひとがいれば連絡ください。Twitterでもメールでもラインでも絵葉書でも手紙でもいいので…。コミティアには行けへんけど買ってやってもええで!みたいなひとも(いるかわかんないけど)連絡ください。別に連絡くれなくてもコミティアにきてくれるのでもうれしいです。メールアドレスは(yahariyappari.ne@gmail.com)です。質問などもどうぞ。

岸川柑というのはペンネームだと思ってください、でも別にリアルな友達も読んでもいいよ。

 

 

全然わたし自身もコミティアを楽しむ感じの予定だから、てきとうに売ってると思います。みんなでいろんな文章よんでだらだらして夏を乗り切りましょう。

場所は東5く29bだそうです。よろしくね!

 

 

 

おたま

 

 

昨日FRUEZINHOに一人で行って、音楽をたくさん聴いて、演奏と演奏の時間は本をよんで、人と会って少しお話をしたり、キッチンカ―のカレーを食べたりをお酒を飲んだりした。

 

すごい楽しかった。このくらいの規模のフェスが一番楽しめて好きだ…。

自由席でどのように音楽を聞いてもよくて、1階はスタンディングで近くで音が聞けるし、階にいればゆっくり座って音楽が聴けるし(座って好きな音楽を生で聞けるのがわたしは本当に本当に好き)、後ろのほうは開放されていてそのまま外につながっていて石畳があり、そこで踊っているひとや寝そべっているこどもたちがいた。

 

 

波² 角銅真実×小暮香帆は石畳の前のほうにぞろぞろとみんなで集まってみた。

HAPPY、折坂、ムラトゥのときは2階にいて座っていた(ムラトゥは1階にいけばよかったかも)。

高木さんは1階で聞いた。そとでは夕立と、雷の音がなっていて、でもあらゆる自然と調和できるような優しいピアノの音だった。

フアナ・モリーナはうしろの石畳でビールを飲みながら、身体をゆらしながら聞いた。

 

なんか先週くらいにストレスが溜まってしまい、突発的にチケットを買ってしまった(突発的に買うにしては高い買い物だよ)。まあええか7月にボーナス入るし…!いっけえ!!!と思った。わたしは大胆なことをするとき(主にお金関係)絶対にいっつけええええ!!!!という時をかける少女(映画)の真琴が階段をたたたたと駆け上がってそのまま空に飛んでいく映像を思い出してしまうし、自分もそういう気持ちだ!!!といった感じでなんかいろいろとやってしまう。

 

そういえばFRUEのグッズでフアナ・モリーナの手ぬぐいを買ったのだが、とってもかわいくてきのうはずっと首に巻いていました。ピース。

 

 

 

 

 

 

折坂悠太はあいずのツアーで4月にライブをみたばかりだった。

そのときのセットリストのなかに「正気」という曲があり、聞いた瞬間から、ものすごく好きだな、と心から思った一節がある。

 

鍋に立てかけたおたまの

取っ手のプラが溶けていく

 

この曲は先月末にリリースされた「呪文」というアルバムに収録されている。わたしはあいずのライブのときに初めて聞いた曲だった。昨日も「正気」を歌ってくれて、あらためて好きなメロディと、好きな歌詞だなとおもって、色々と考えた。

 

言葉として、音声として聞こえてきたけれど、聞いたときからすぐに映像になって自分の中に残った。思い出せば絶対に、実家のおたまの取っ手のプラのところは、溶けていたと思ったから。

 

 

 

正気

正気

  • provided courtesy of iTunes

music.apple.com

 

 

 

わたしは昔から、とても音楽が好きだった。

でも、音楽の聴き方というか、受け取り方はわりと少しずつ変わっていると思う。

中学生のときとかは、歌詞が自分にとって大きな意味をもつような音楽が好きだった。

 

昔はサブスクがなかったから、CDの発売日をチェックして、CDショップに買いに行き、パソコンに取り込んで自分のiPodに音楽をいれていた。

CDを買う意味は、中に入っている歌詞カードを買うという意味もあったと思う。イヤホンを耳にいれて、音楽をながし、アルバムの順序に曲を聞いていく。そのとき手には必ず歌詞カードを。初めて聞く曲は、目で歌詞を追いながら聞いていたのだ。

アーティストのインタビューが載っている雑誌もよく買っていた。作り手の意図を間違って受け取らないように、どういう気持ちで歌詞をかいたのか、この言葉にはどういう意味が含まれているのか、ということを知ることが好きだったのだ。

そしてそのほうがかっこいいと思っていた、気がする。アーティストのことをよく知っていたほうが、かっこいいと思っていた。「理解」をするために、言葉を追う。

 

 

今はそういうことをあまりしなくなった。別にまたたくさん知りたい!と思うことがあるかもしれないけど、とりあえずは一旦、音楽はなんとなく聴いて、なんとなくいいなとか、これこれが自分の中でつながるなあ、とかそういう風に思えればいい気がしている。なんとなく目に入ったら、インタビュー記事を読むこともあるし、読まないこともある。友人から話を聞いてへえ~面白いね、と思ったりすることも。よく言えば、選択肢が増えた感じかもしれない。

ひとつひとつに向き合う時間が良くも悪くも減ったからか、好きな音楽や効くアーティストの数も増えてきた。音楽を聞くのは、やっぱり楽しい。

 

 

 

音楽は、あくまで、音楽だ。

言葉や、小説や、詩とは別のもので、メロディが損なわれることのない表現物だ。それは耳から聞こえたり、ライブでは目で見たり、雰囲気を身体で感じ取るものだ。確実にすべてを言葉で表現できない音楽というものはあると思う。

このあいだ、あのちゃんが粗品ゲスト回のラジオで「言葉にならないから音楽ってあるんだな」と言っていたことも思い出す。

 

文字の情報として認識した歌詞ではなく、耳からわたしの記憶を訪ねてきて、映像を思い起こさせる歌詞だったから、きっとこのおたまの歌詞が好きだと感じたのだ。

耳の中に、そろそろとするすると、しろっぽいおばけみたいなかたちのもやもやが入ってきて、わたしの頭の中をコンコンとノックした。たずねてきたものに対してわたしは、すべてに意味を見出すのではなく、そのときどきのわたしの感情や、日常にあった出来事をおしゃべりをして、迎え入れた感じだった。お茶とお茶菓子をだしてテーブルの上で語り合うような。

それは自分のありのままの状態から、近いところで、その歌詞が存在しているような気にもなる。

 

 

 

 

先月に読んだ柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』で(めちゃくちゃ面白かったです)、”私は小説を読むのは「わからない」のことのストックを増やすことだと思っていて…”という話をしていてとても共感した。そのストックを増やして、何かが関連して「わかる」こともあれば、身近なところで「わからないこと」が起きたときになんか似た経験があったというような気がすると思うこともある、というようなことが書いてあった。

 

音楽の聴き方がかわったのは、年を重ねて、さまざまな情景や経験、そして「わからない」ことさえ、自分の中にいろんな種類の引き出しが増えたことによって、自分で受け取り方を選べるようになったからなのかもしれない。そう考えると、年をとることでどんどん音楽を聞くのがたのしく感じる要素が増えるのなら、わるくないのかも。

わたしにとって何かを「知る」ということは「理解」することよりも「考える」ことにつながる行為になっている。

 

小説もだけれど、受け取り方は様々でいいと思う。よいと思ったり、よくないとおもったり、この表現は嫌だなとかは人それぞれだ。作り手の眼差しは基本的にはひとつの方向しかないが、受けての目はたくさんあり、それが表現物を世のなかに発することだ。

 

 

 

 

 

 

最近たまたま、宮崎智之さんの『平熱のまま、この世界に熱狂したい』(増補新版)を読んだ。おもしろいタイトルだなと思う。

アルコール依存症を経験した著者の決意や願いが記されているエッセイ集だ。

その本の中で、作家の町田康が、酒をやめるという判断を「狂気」、酒を飲み続けるという判断を「正気」と記した本があるということが紹介されていた。(31年間1日も休まず飲み続ける酒徒であった町田が、断酒の経験を綴ったエッセイ集らしい、今度読んでみよっとー)

このままならない人生を受け入れることができない、だから、酒を飲みつづける。

わたしはお酒ではない別の方法でそうするのではあるのだろうけど、ただただつらいことを受け入れる余地がなくて現実逃避をしたい、ということはとても頻繁にあるので、言っていることは理解できる。

 

生活と向き合うこと、それは恐ろしい。

お金を稼がないといけないし、人とかかわる必要がある。天災があり、争いがある。

誰かの生活を助けたいのに助けられないこともあるし、だれかを助けることで自分がすり減ってしまうことも。生きること、生活することが簡単だ、という人ばかりではないのが明らかなのに、そういうことが想像もできない人があまりに多いことも。

目を凝らせば凝らすほどに、恐ろしい。わたしもそんな気がする。

 

著者が「凪の状態」についての話をしていた。

凪というのは沿岸地域で生じる自然現象で、無風の状態のこと。わたしも大学生のときは毎週、部活で海の上に出ていたのでわかる、凪の海を、思い出すことができる。

 

 

変化の激しい世の中で、凪の状態に身を置くこと。それは退屈な人生を意味したり、日常に埋没して思考停止したりすることではないのだ。日常にくまなく目を凝らし、感じられるものの純度を高める。そして切り替わった瞬間の風を全力で、肌で感じ取る。そういう生き方である。

 

何もないことは、思考を停止することではなく、すでにそこにあったものの豊かさに気が付くことのできる環境である、というようなことを言っている。

 

 

 

静寂から掴み取れるものはたくさんある。それはほとんどの場合、すでにあるものを、もしくはあったものを確認する作業であり、「常に正気でい続けることの狂気」を受け入れること、ありのままの世界をありのままに生きること、不確実な現実から確実な切れ端を少しでも掴もうともがくこと、その勇気を持ち続けることでもある。

だから今は、こんなことを心から願っている。

 

僕は平熱のまま、この世界に熱狂したい。

 

「正気でい続けることの狂気」を受け入れるということは、世のなかや人生の不確実性や、不安定さを、受け入れること、ひいては人間というものの愚かさを受け入れることなのではないだろうか。だってもう、わたしたちは、この世の中で、生きていかないといけないのだから。理不尽だし、なんで生まれたかよくわからないし、けど生きちゃっているから、生きていかないといけない。

自分の持っているものを確認する、それはわたしのなかの「わからない」のストックもそう。読んできた小説や、聞いてきた音楽、だれかに影響を受けた言葉、さまざまな経験、失敗や弱さを含めて。そして自分がどうしたいかを、考えて、行動すること(ときには立ち止ることも)がきっと必要なのだ。自分のためにも、きっと誰かのためにも。

 

 

 

 

 

母から昨日、都内のとある駅で友人と待ち合わせをしていた際に、駅前で「絶対に明日選挙に行ってください!」と大きな声で一人でずっと叫んでいた女性がいたという話を聞いた。

その女性のことを知らないから、何とも言えないけど、自分が生きていかないといけないことが決定している、まさにこの世の中のことを考えたときに、いてもたってもいられなかったのかもしれない。しかし、その女性を冷ややかな目で見つめるひとがきっと、たくさんいたのだろうということは容易に想像できる。はたしてどちらが「正気」で、どちらが「狂気」なのだろうか。

 

 

 

 

 

折坂悠太の「正気」は下記のような歌詞で終わる。

 

 

私は本気です

戦争しないです

 

 

強い意思表示の歌詞だ、この言葉を音にのせてくれることに、とてもとてもわたしは感謝している。そしてかつ、この曲の歌詞のなかには、まるでありのままの日常である、おたまの描写が必要だったんではないだろうかと、わたしはそんな気がしているのだ。(わからないけどネ。)

 

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エ…applewatchの文字盤タイテにするの天才なんじゃない…?と思ったけどみんなやってそう  



 

カネコアヤノと寝ると死と

 

先週の水曜日にカネコアヤノのライブにいった。

カネコアヤノのライブを見るのは結構久しぶりで、18:00に退勤して特に急ぎもせず、なんとなくzeepダイバーシティに行った。あのライブハウスは、結構遠い。なんだかんだ誰がどこからどのように行っても遠いんじゃないかと思う(そんなわけない、わたし自身の生活圏から遠いというだけだ、自分の物差しでしかものごとを考えられないとはこういうことである)。

ダイバーシティの中のフードコートを通り抜けて、ライブハウスのほうへ歩く。もう開演5分前くらいだった。横を走る男性が通り過ぎて、ああこのひともきっとライブ見にきたひとなんだろうなと思った。

わたしは、走ることができなかった。

 

 

スタンディングのライブハウスで、特に整理番号が前のほうであったとしても、わたしはひとりでいくときはだいたいうしろのほうで、ドアの近くで、なんとなくかべにもたれかかれそうなところにいる。前のほうに行く元気もあまりないし、四方向全員人間であることは少しつらい。音がきこえれば後ろでいい、目をつぶったっていいし、音楽に合わせて身体をゆらしても、ゆらさなくてもいい。観客の一部になるのではなく、ライブハウスの壁の一部になるくらいの存在感でいたい。ありがと~!!とか、○○(名前)~!!とかももちろん叫べない(しかし去年STUTSの武道館ではじめて感情が高ぶり、退場しようとするCOSAに「COSA!行くな!!!」と言ってしまったけど思い返すとかなり恥ずかしい、多分もう二度としないのだろう)。

 

開演1分前くらい慎重にゆっくりとライブハウスに入る。そういえばグッズの、トートバックを買いたいなとおもっていたけれど、売切れたりしてたらどうしようかな、と思っていたら、空気が変わり、照明が暗くなった。そこからずっと、音楽、音楽、音楽。ずっと音楽が強く響いていて、わたしの前には人がたくさんいたので舞台の上が見えたり、見えなかったりしていた。ただそれだけだった。しかしそれだけでよかった。ライブハウスの右側の壁には、ライトに照らされたカネコアヤノの影がうごいていて、おおきくてかっこよかった。曲の合間にだれかが「最高だよ!」みたいなことをいったときに、ちいさな声でカネコアヤノが「ありがとう」って言っていた瞬間はふと、舞台上の彼女が見えた、ような気がした。覚えているような、覚えていないような風景。そのときは見えた、と思ったけど自分の記憶はどんどん曖昧になって、消えて、忘れて、どこかに行ってしまう。かたちにするために、思い出をこうやって文字に表したり、誰かに話して言葉にするのに、その瞬間に輪郭があいまいになる、それは美しくて嘘みたいな現象にのみきっと起こることなんじゃないかなと思う。嘘みたいなことを、かたちにすると、ほんとうに嘘っぽくなってしまう。

 

 

ライブが終わって、Xを開くと、セトリがものすごく良くてこの曲はなんちゃらかんちゃら、ドラムとベースが変わったので新しいサウンドでなんちゃらかんちゃら、ライブアレンジがなんちゃらかんちゃら。わたしも何かツイートしようと思ったけど、上手に言葉にできなくて、また携帯を閉じる。

電車にのって、家にかえる。りんかい線の車内では、座席の前に誰かが吐いちゃったあとがあって、みんな見えているけど見えていないふりをして、その部分を避けて座ったり立ったりしている。わたしも、そのひとたちの一部になる。リュックから本を出して、開く。山内マリコの『マリリン・トールド・ミー』を読んでいた(おもしろかった、だれかを思いやるときに、学ぶという手段をとることが素晴らしいと思った)。電車を降りる前に本にスピンを丁寧に挟む、また別の電車に乗り継ぎ、本を開く、また電車をおりる。ぼやぼやしながら最寄り駅についた、やっぱり遠い。水曜だし、また明日も仕事かあ。つーか先週は急に高熱でたり、でも仕事休めるような状況じゃなくて出勤したけど死にそうになったり、月曜は用事があって札幌に行ったり、仕事は量は少ないかもしれないけど、地味に頼まれていることの種類が多い感じなので面倒で忙しい、気がする。なんだか疲れているので最近の記憶も薄い。

そしてライブの感想は「すごくよかった」としか言えなくて、「すごくよかった行ってよかったこのまま寝ちゃいたい」みたいなツイートと、「カネコアヤノは名前にネコが入っていてうらやましい」というような類のツイートをして、ポケットに携帯をいれる。でも、みんながいいねをしてくれて、きりふきで噴射したみたいにわたしのさみしさは少しだけ、粒子になって外に発射される。ふわっと空気になじんで、わたしのものではなくなっていく。しかしそれにしても、△△なライブだったから、○○だった、みたいな客観的な言葉が何も出てこない。ただただ、ああ~なんかすごいよかったな、と思いながら家までとぼとぼと歩く。そういえば仕事終わりに行ったのでごはん食べていないし、明日仕事なら帰って風呂にはいんなきゃなと思うけど、わたしはずっとこのまま寝ちゃいたい、はやく寝たい、と思いながら家に帰った。「すごいよかった」のあとに続く言葉は「寝たい」なんだ、と気が付いた。

 

 

 

文學界で「わたしの身体をいきる」というテーマのリレーエッセイが連載していたときに、良いテーマだなこれ単行本化必ずしてほしいなと思っていたら先月末に単行本化されたので、買った、火曜日に買って、金曜日に読み終わった。文芸誌のときは別にすべてを追っていたわけではないので、改めて全員のエッセイを読む。

共感したり、共感しなかったり、共感できないけど自分の中に残しておきたいと思ったりした。物理的な身体そのもののことだけでなく、性や自慰行為についての語りも多い。身体の悩みはそれぞれであるので、全員に共感できないのは当たり前で、でもきっと誰かの一部には、共感できる、それが身体に関して語るということなのだろう。

まえにブログで紹介した柴崎友香に加えて、鈴木涼美「汚してみたくて仕方なかった」、朝吹真理子「てんでばらばら」が特に良いなと思ったけど、一番最後に載っていた児玉雨子の「私の三分の一なる軛」が印象に残っている。

 

 

…睡眠は意識を手放すことから始まる。意識を手放すことは、ちょっとした死だ。「永眠」という言葉があるように、睡眠は死と相性のいい欲求なのだろう。先日、睡眠しない生物はいない、といった内容の記事を読んだのだが、つまり、生物は毎日ちょっと死んでおかないと生きられない、といい感じに解釈してもいいのではないだろうか。

 

 

現実をみたくないとき、とにかく自分の中の嫌な感情も忘れてしまいたいときに、「もう早く寝てしまったほうがいい」みたいなことになるのは、だれにとっても多いと思う。意識を手放すことは、楽だ。現実にあるよくわからない責任感や罪悪感をすべて、寝ている時間はないものにできる。

病院に行き薬を処方してもらったことで、毎日安心して眠られるという状況になると、児玉さんは希死念慮が薄くなったそうだ。んと!そうなんだ、わたしはちょっとびっくりした、自分にはない視点だった。冷静に考えればそうなのかもしれないけど、寝てないと疲れたり健康的な影響もあるから死んじゃいたい、みたいな考えとは、これはまた同じな様でいて別の話だと思う。眠れないと、一日にちゃんと一定の時間死ぬことができていないということだから、起きている時間に死にたくなっちゃうのかな。たしかにいまよりもっと眠れなかった時期は、本当に死にたくて死にたくてしょうがなかった自分の経験も思い出す(最近は思い出すのも苦しいけれど)。

 

わたしがカネコアヤノのライブのあと、このまま寝ちゃいたいと思ったのは、この記憶のまま、自分を保存して、もうこれ以上なにかに自分を揺さぶられたり、自分で自分を苦しめることがないように、ぱたっと意識を失いたいと思ったんだろうと勝手に納得してしまった。それはいわゆる、死にたいという気持ちに近いと思う。

 

 

生きていることになかなか喜びは見いだせなくて、生きる意味なんてないはずなのに、生きる意味みたいなものを持っていそうに見えるひと、というか別に死にたいという感情がほんとうに少しも、みじんもなさそうなひとを見ると聞いてしまう。「なんで生きたいと思うのか」ということを。

これは聞き方がわるくて相手の気を悪くしてしまったとしたら、とても申し訳ないし暴力的な言葉になりうるとおもうのだが、本当に純粋に興味がある。死にたいという気持ちが微塵もないひとの景色はどのように光っているのだろうか。わたしには見えない。

だいたい、多くのひとが言うこととしては、「楽しいことやうれしいことがあるから」みたいな答えが多い。生きていれば嫌なこともあるけど、いいこともある。おいしいものを食べたり、好きな人と心を通わせたり、旅行にいってきれいな景色をみたり温泉にはいったりできる。そして、それでまた頑張ろうと思えるみたいなことを言っている人もいた。

と、こうやってひとまとめにしてしまうことはどうかと思うけれど、それぞれの言葉で、それぞれのひとの気持ちを聞いているつもりなので、その人の感情がそれだけではない、ということももちろんわかってはいる。

そういえばわたしはおいしいごはんを食べたあとや、温泉にはいったあとでも、もうなんか全部終わっちゃいたいな、と思うことが多い。これからもこういうことをもっと経験していきたいというよりも、もう満足したからこの気持ちのままで終わりでもかまいませんよ、というか終わってもらったほうがありがたいですよ、みたいな気持ちになる。さあ、これからも楽しくておいしくてうれしいことにお金を使うために仕事を頑張ろう!みたいな気持ちになったことがあまりない。きっとずるずると恵まれた環境にいるということもあるとは思うけれど、そう考えるとなんだか自分が嫌になってくる。

これからつらいことが起こるのならば、はじめから自分が存在しているのは、とても怖いことだ。ならば、うれしい記憶のまま、急でいいので、終わっちゃってもいいんじゃないかなと思う。

 

 

 

土曜に映画の異国日記を見てきて、朝が槙生ちゃんの家で眠っているシーンをみた。

「死んだように眠る」ということばもあるけれど、その言葉の裏返しのように、だれかが眠っている姿を見ると、わたしは死よりも生を感じてしまった。両親の死を経験しても、でも朝は「生きている」なと思った。

自分にとっての睡眠は死に近いのに、他人の睡眠を客観的にみると、生きているなと感じることは不思議なようで不思議ではない。毎日ちょっとずつ死んで、生きていけばいい。

 

 

 

youtu.be

 

 

感動している 些細なことで

間違ってないよと こちらへおいでと手招き

感動している 君の目の

奥に今日も宇宙がある

 

 

 

―――

きのう友人にサークルカットを作ってもらって、コミティアに申し込みをしたのだけれど、さっそくしょーもないミスをしてしまい、マジでしょうもないのに一気に自己肯定感が下がり、ボロボロと泣いてしまったが客観的に考えても、マジで意味わかんない(昨日のこともあとでエッセイにしてしまおう…)。そうなのだ、こういうことがすぐに起きてしまうから生きているのが嫌なのだ、だから良いことがあれば早く寝てしまいたいのだ、と思った。

 

 

氷見に行ってきたよ

 

旅行はどちらかというと結構苦手。旅行だけじゃなくて、イレギュラーなことが基本的には苦手なのだ。とたんに不安になってしまうし、不安が行動にそのまま表れて失敗した(涙)と思ってしまうことが多い。だから旅行はあんまり行かない方だと思う。

いつも同じ生活を送っていた方が自分のだめなところを隠せるからだと思う。わたしは生活の中では実はかなりできないことが多い、けど「慣れていること」をすることによっていろいろなことを隠しながら生きているという自覚がある。失敗なんて結局してしまうのに、失敗しているようなところをひとに見られることがとんでもなく怖いのだ。相手はそんなこと気にしていない、とわかっていても、自分を必死に隠すことをやめることがずっとできない。

 

 

「慣れていること」範囲外のことをすると、自分という存在がいたから悪い方向にいったのだみたいなことを思ってしまう。

だから旅行はめちゃくちゃ人に気を使ってしまう。自分が旅のプランに口を出せば、自分の提案がうまくいかないのではないかとハラハラするし、それがつまらなかったら完全に自分のせいだと思う。逆に何も口出しをしなければ何もしない非協力的なひとだと思われることが嫌だとも思う。そういうことで、自分が他人にどう映るかばかり考えてしまうので旅のことを考えるのは苦しくなってしまうことがよくある。そんなことを思うけど、自分以外の他人が旅行のプランに口出ししようが、非協力的だろうが、そういうことは全然気にしない、ただただ、自分のことだけなのだ、結局わたしは。

 

しかし旅が嫌いかと言われればそんなことはないと思う。

温泉や自然が好きだし、知らない町をたくさん歩くことも大好き。

だからわたしは、旅をするときはすこしだけでも自分の”そのままの生活”を持ち歩く。いつものようにラジオを聞いて、毎週着てるTシャツとジーンズ、毎日履いてる靴で、ほとんどすっぴんで、荷物も軽くして、そしてなによりも、ふらっと外にでるように、たったひとりで旅に出る。

 

 

 

 

氷見に行ってきた。

理由はいろいろあって、まずは北陸に行ってお金を使いたいとぼんやりだけど思ったから。

実際に現地に行ってお金をつかうより、その分を募金したほうがいいのだろうかとかいろいろ考えたけれど、やっぱりいま、行こう、と直感で思った。大きな被害があった地震は今までのわたしの記憶の中でも何回もあったけど、その中でわたしは大人になって、自分で稼いだ自分の好きなように使えるお金が、今は少ないけどある。もちろんなにが正しい行為か、ということはわたしには完全にはわからない。

 

去年、久しぶりにあった人に「元気そうでよかった」と言われたときに、なんだか胸がざわざわしたのを思い出した。わたしが結構つらい時期を過ごしていたことはなんとなく知っていたひとだと思うけど、別にわたしは自分のことを元気じゃないと思ってたし、なんだか勝手にいろいろと終わらせて「元気そうに見えて」安心されていることに違和感を持ってしまった。だからわたしは、わたしは何も知らないままに、後片付けが済んだように見える段階で「元気そうでよかった」とは何かや誰かに対して言いたくないと思った。

 

もちろんこれは自分のエゴで、その人に違和感をもってしまうような自分にも嫌気がさすところがある。考えは人それぞれあるとおもうから、それぞれが好きなようにしていいと思う。その範囲のなかでわたしの場合は、自分自身がなるべく誰かを傷つけたくないという感情と、自分勝手でもわたしの中でなにか納得できる材料をすこしでも増やしたいと思ったのだ。でも、多分後者が強いんだろうな、と思う。いまもまだ、多分毎日落ち込んでいる時間の方が全然多いし、結局自分のためなのかもしれない。

 

被害が大きく、観光がまだできない場所は行くべきではないので、金沢以北かつ、観光可能である場所にしようと思った時、「富山もしんどい」というツイートをたまたま見かけ、じゃあ富山にしようと思った。

あとはなにより、わたしはお刺身ではぶりがほんとうに好きなのだ。

じゃあ、氷見だ!氷見のぶりを食べに行こう!と自分のなかでしっくり来た瞬間にわたしは夜行バスを調べた。東京からの往復で一万円以下、これならいける。わたしはほんとうにただの小さな会社の一般社員なので、お金に余裕があるとは別に言えない。新幹線でお金をつかってしまって、現地で使うお金がなくなってしまったら本末転倒なので、わたしは学生のときぶりに、夜行バスの予約をした。

 

 

 

 

夜行バスのバスターミナルは、なんだかいつも妙な雰囲気があるなあと思う。

寝るだけだからか、みんながなんだか気が抜けているようなきがする。トイレに行くとコンタクトをはずしている女の子がいて、外の待合所では、地べたに座り込んでキャリーケースをあけて荷物の整理をしている女の子がいる。それにしても、夜行バスを使う人って、若い女の子が圧倒的に多い気がする。

 

先月友達から充電式のホットアイピローをプレゼントでもらった。ボタンを押したら目のまわりがじわじわあったかくなって、30分で自動で消えるやつ。

わたしは悲しくも睡眠が苦手なんだけど、これは寝る前に使うとリラックスできるし、満タンに充電していれば二回目もボタンを押せば使えるので、夜中に起きてしまってもまた目があっためられる、めちゃくちゃいい。マジで毎日使っている。ときどき充電を忘れると寝る前に絶望してしまう。

「ゆっきゅんがガチで寝れるって言ってたから買ったよ!たまにはひとの話も聞くもんだな!」とその友達は言っていた。ちょうどそのときわたしはゆっきゅんの「日帰りで」をめちゃくちゃ聞いていた。「日帰りで」はホンマ良曲。

わたしが寝るの苦手なの知っててくれて買ってくれたんだろうな、ありがと!そして夜行バスのいいおともになったよ。

 

 

 

まだ暗い時間にバスは高岡について、高岡から氷見線にのって、氷見に行った。

海側の席に座って、少しずつ明るくなる風景を感じて、海の表面の揺らぎをみた。少しだけ波が立っていた。つめたい風が吹いていることが目でわかる。

当たり前だけれど、移動って簡単にできてしまうなあと思う。飛行機にのったり、電車や新幹線にのったりするといつも思うけど、ひとつずつ乗り継いでいけば本当にどこにでもいけてしまうなあ。自分の意思で選んで、足を動かしてきているはずなのだが、googlemapをひらくと、東京ではない場所が、青い丸で光って動いていることがとても不思議に思えてしまう。でも逆に言えば、googlemapを見ることでしかわたしはいままさに「ここ」にいることが信じられない。

けれどもちろんこれはとても現実であり、わたしは氷見駅に降り立っていた。

 

 

駅から15分くらい歩いたところにある漁港のそばの食堂に行った。

多分7:30くらいについたと思うんだけど、その時間でも満席で、待たないと入れなかった。人気なんだなあ。車で来ているひとが結構多かった。

わたしは外のベンチで文庫本を読みながら、漁港の匂いと、漁港ではたらく人たちの声や、車を運転する音、魚がたくさん入ったかごを運ぶ音を聞いて順番を待った。

 

外はめちゃくちゃ寒くて、寒いなあと思いながらカイロで手をさすっていたら、たまたまわたしの前を通ったおじさんに、お店いっぱいなの?寒くないか?中にストーブあるからはいんな!と言われた。

その漁港の事務所みたいな場所は、ドアに堂々と「関係者以外立ち入り禁止!」と書かれていたから、え…いいのかな…と思いながら入っていった。部屋の真ん中に大きなストーブがあって、みんながそれに手をかざしていた。

大学生のとき海のスポーツしてたからすごくよくわかるのだけれど、寒い時の海って本当に本当に寒いから、ここで毎日働いているひとはすごいなあと感心してしまった。今日よりも寒い日ももちろんあるんだろうなあ。

そうしていたら別のおじさんに、ここは立ち入り禁止だよ!と怒られた。いや、そうだよね!やっぱそうですよね!と思ってごめんなさい…と言って立ち去った。

わたしを招いたおじさんが、ごめんごめん、俺が呼んだんだ、と謝っていた。ごめんね、わたしも一回疑えばよかったよ、だって普通にデカデカと張り紙してあったもん。

でもちょっとおもしろかった。だって毎日ここきっとたくさん人来てるだろうに、外で待っているひとだっていつもいるだろうに、たまたまわたしを招いて、わたしが怒られたという偶然性に、すこし笑ってしまった。

 

 

食堂は繁盛していて、わたしが中に入ったあとも次々に食べ終わったひとが出ていって、新しいお客さんが入ってきた。猫の顔をした配膳ロボットが2台くらいいて、久石譲summerのメロディを流しながら定食を運んでいた。そのせいで頭の中がその曲しか流れなくなってしまったが、そのままごはんを食べた。

そこで食べたぶり丼はほんとうにおいしくて、一枚一枚の刺身がほんとうに分厚くて、わたしはごはんも大盛にしたのだけれど、すぐに完食してしまった。きちんとご飯をたべると、いつもすがすがしい気持ちになれる。

 

 

店を出てからはラジオを聴きながら海辺をあるいて、小さな展望台に上ったりした。氷見は、海もあって、山もあるのが、めちゃくちゃいいなあ。

先週は多分全国的に天気があまりよくなくて、三日前くらいの予報ではもしかしたら雨が降るかもと思ったけど、当日は雲の隙間からだけど太陽が見えた。

氷見の道の駅に行って、実家とともだちと自分に、たくさんのおみやげを買った。干物とか、日本酒とか、お菓子とか。

 

 

一時間くらいかけて歩いて、少し山の方のお湯やに行った。ひとりだと平気でこういうことをしてしまう。バスもあったけど、本数も少ないし携帯で時間を検索して何時のに乗ろうとか考えるのもめんどくさかった。

 

海辺の道の駅付近は結構ひとがいたけど、すこし陸側の方にはいると、外にいるのはわたしひとりだけなのかも、と思うくらいの静かな町がそこにはあった。

 

家が連なっている道を歩くと、それぞれの家には三種類の張り紙が貼ってあった。緑の「調査済」、黄色の「要注意」、そして赤の「危険」。

赤の「危険」が貼られている家は、もうほんとにみるからに、怖いくらい崩れてしまっている家もあった。そしてふと歩いている足元に目をやると、道路が平気にひび割れている。頭の上のスピーカーではり災証明書に関する放送が流れていた。

繁盛していた漁港の食堂や、道の駅とのギャップがすごく、わたしはいつもよりすこしだけ足の裏に力を入れて歩いて、その景色をちゃんと見た。

 

 

行った小さな温泉はすごくすいていた。脱衣所のロッカーのカギはちゃんとしまっているのか、ちゃんと開けられるのかわからないくらいなんだかガタガタと不安定で、ここでひとりですっぽんぽんの状態で鍵あかなくなって荷物取れなくなってしまったらどうしよう…とか一瞬考えたけど、まあいいやと風呂に入った。

おばあちゃんたちが二人いたけど、そのひとたちはずっと内湯にいたから、露天風呂はほとんど貸し切りだった。気持ちよくて、夜行バスでかたまった身体や、たくさん歩いた足がだんだん軽くなっていくような気すらした。

 

 

その休まったはずの足で、また一時間くらい歩く。なんかこうやって書くと、ほんとにこう現代で求められているようなタイパとかコスパとか考えることをまったく無視しているような旅の仕方をしているなあと思う。そういえば脱衣所のロッカーはちゃんと鍵が開いた。よかった。

 

ときどき疲れたら海辺に座って休みつつ、カメラを持って行ったので写真を撮りながら道を進んだ。友達と遊んだり、人と旅行にいったりしても、わたしはあまり写真を撮る方じゃないと思う。というか自分の顔が写る写真が苦手なのだ。自分の外見をわたしが見るのが苦手だから。

一人で、景色の写真ばかりをとる。そらをぐるぐると自由に飛んでいた鳥とか、きらきらと光っている水路とか、もうここにはだれもいないのかもしれないと思った一本道とか。

途中で氷見牛のコロッケを食べたり、また足湯につかったりした。眠すぎてすこしだけだけど公園で昼寝もした。子どもたちがワーッと公園に来る声で起きた。

 

 

夕方くらいになんとなく歩いて入ってみようかなとおもった喫茶店ぽいところのドアを開けてみた。外に看板がでていたのに、中にはいると普通のおうちみたいなところで、奥の小上がりの和室みたいなところでこどもがふたり、男の子と女の子が遊んでいた。客が来たということに全く気が付いていないみたいに、もしくは気が付いているけどそんなこと当たり前だからどうでもいいというふうに、各々が遊んでいた。

 

カウンターの席に座らせてもらって、コーヒーとチーズケーキのセットを頼む。コーヒーの豆の種類がたくさんあった。ブレンド3種類くらい、スペシャリティコーヒーも5種類くらいあった気がする。わたしは深煎りのマンデリンにした。

コーヒーを頼んで、店主の女性が丁寧にハンドドリップでコーヒーを入れてくれる。なんだか少し緊張していたけど、コーヒーの暖かくていい匂いがしたら、少し安心した。

コーヒーを淹れたり、ケーキの準備をしてくれている間にも近所の人が来て、最近の調子はどうだとか、米は必要か?とか、あんたんちの田んぼの被害はどうだったかとか、あそこの地面割れてて危ないから気を付けなよ、とかそういう話をしていた。

 

 

そのうち子どもが店主の女性を呼ぶ、忘れちゃったけどあだ名みたいな呼び名だった。どうやらその店主のかたの子どもではないらしい。コーヒーとケーキをわたしに出したあとに、店主は子どものところに行く。男の子のほうはレゴをやっていたらしくて「なんでわたしがこんなにレゴに命かけなきゃなんないのよ」とそのひとは子どもに向かって言っていた。命をかける、という表現がおもしろくて、笑ってしまった。わたしは邪魔しないようにコーヒーを飲みながら静かに、また文庫本を開いて読んだ。少し経ったあとで子どもの親のような人が迎えに来て、子どもたちは去って行ってしまった。

 

 

店主のひとがカウンターの前まで戻ってきてわたしに話しかけた。

「地元のひと?」

「いえ、東京から来ました。」

「そうかい、氷見へようこそ」

色々なことを聞かれて、一人で来たこと、夜行バスで来た事、朝からぶりたべて温泉に入ったことなどを話した。一人旅いいね~!ぶりのあとのマンデリンは正解だよ!と言われた。そうなんだ笑、ならよかった。

すると座敷の奥からおばあちゃんが子供たちが遊びつくした部屋を見ながら「ばやくそうろうにしてもて…」と言いながら出てきた。

「ばやくそうろうってわかる?」と店主の方に言われた。どうやら氷見弁でごちゃごちゃになってる、散らかっている、という意味らしい。

おばあちゃんも含めて三人で話してて、そしたらまた別の近所のひとがきて、そのひとと話してて、地域のひとたちに愛されてるお店なんだな、きっと。

 

コーヒーがもう少しでなくなるころに、この店はあまり被害がなかった、という話とか、でも少し向こうに行くともう全部建て直さないといけない家もある、どうしても自分の店をたたなまいといけない人たちがいる、斜めになったような家に住み続けないといけない高齢者がいる、とか被災についていろいろ話してくれた。

自分で選んできたのに、突然わたしは、ここにいていいのだろうかと不安になった。だってわかったようなことは絶対に言えないし、東京から来たこんな女のことをどう思うんだろう、って思ったけど、話をしてくれたので、わたしはせめてこころから、真剣に話を聞こうと思った。

 

帰り際に、お会計をしたら「これ帰りのバスで食べな!」とちいさなお菓子をいくつかジップロックに入れて持たせてくれた。

ここまできて、わたしが受け取る側でいいのだろうか、と思ったけど、人のやさしさというのはどういう状況でもうれしくてありがたい。お礼を言って店を出た。

コーヒーもケーキもめちゃくちゃおいしかったな。

 

 

 

わたしは好きな本とかは結構何回も読み直すんだけど、『断片的なものの社会学』を最近また読み直して(また読んでんの…?という感じだ、しかし本当にいい本なのでみんなに読んでほしいと思ったりする)あとがきの言葉のことを振り返った。

 

 

いま、世界から、どんどん寛容さや多様性が失われています。私たちの社会も、ますます排他的に、狭量に、息苦しいものになっています

私たちは、無理強いされたわずかな選択肢から何かを選んだというだけで、自分でそれを選んだのだから自分で責任を取りなさい、と言われます。これはとてもしんどい社会だと思います。

不思議なことに、この社会では、ひとを尊重するということと、ひとと距離を置くということが、一緒になっています。だれか他のひとを大切にしようと思ったときに、私たちはまず何をするかというと、そっとしておく、ほっておく、距離を取る、ということをしてしまいます。

でもたしかに一方で、ひとを安易に理解しようとすることは、ひとのなかに土足で踏み込むようなことでもあります。

そもそも、私たちは本来的にとても孤独な存在です。言葉にすると当たり前すぎるのですが、それでも私にとっては小さいころからの大きな謎なのですが、私たちは、これだけ多くのひとに囲まれて暮らしているのに、脳の中では誰もがひとりきりなのです。

ひとつは、私たちは生まれつきとても孤独だということ。もうひとつは、だからこそもうすこし面と向かって話をしてもよいのではないか、ということ。

 

わたしは今日も安全な場所で、カフェのカウンターの席で、30%オフのクーポンをつかって頼んだチャイをのみながらこの文章を書いている。右にはラテをもちながら自撮りをしている女の子がいて、うしろには小さな男の子に読み聞かせをしているおかあさんがいて、左隣りにはパソコンをかちかちしている男性がいる。

 

いつ恐ろしいことが起こるか、よくわからないような世界で生きていることが、不思議だなあと思う。

きっといつか何かを失うのだろうという前提の世界、そしてその悲しみは誰もが必ずしも出会うことである。でも、大きさもタイミングも平等に訪れるものでもないのだろう。

 

 

なんか本当に、「あなたがそれを選んだのなら、あなたが胸を張って生きないといけないよ」みたいな社会だな思ってしまう。「あなたの受け取り方の問題だよ」とか「あなた自身の問題だよ」みたいな。

 

わたしは誰かの話を聞こうと思う。「普通」や「世のなか一般」というよくわからな基準に当てはめるのではなく、その人が何に苦しんだり困っていたり、どういう背景があって、だからどういう感情になっているのか、みたいなことを、待ちながらできる限りゆっくり聞きたいなと思う。

でもわたしもきっと完璧にはできなくて、今も自分の周りのひとのことで上手に理解できなかったり、イライラしてしまったり、自分のものさしで話を聞いてしまって、結果的に謝ることもしょっちゅうある、難しいし、苦しいなとも思う。自分本位になってしまうことばかりだ。

 

氷見に行って、すこしだけどわかったことは、観光はできるけど、住めないもしくは住むべきではない家も全然あること、ニュースをみてもわかるように当たり前だけどここより北の半島はもっとそれが多いのだろうということ。あと、夜と朝はとても寒かったということ。この震災から二か月間は、今よりきっともっと、寒かったことがあったんだろうなということ。

 

 

 

 

 

 

それにしても、ひろい海を見て、わたしはやっぱり海が好きだなと思った。

恐ろしくて、大きくて、うつくしくて、気持ちがいい。いろいろ自分がうつくしいな、いいな、と思った風景を写真にとったからのせます。いっぱい取ったんだけど、写真へたなので現像してみたら結構失敗してた。

 

 

海は人に所有されていない、少なくとも土地のようには。わたしは地中海を愛しているけれど、それは北海を愛したり、オホーツク海を愛したりするのとまったく同じで、ちょうどいま目のまえにあるこの海を愛しているにすぎない。そこにはほかとの優劣がなく、また起源も誇らない。それが海であるというだけで愛するに足りる——これが海の良いところだ。

『いつかたこぶねになる日』小津夜景

 

 

うつくしいものの話をしよう。いつからだろう。ふと気がつくと、うつくしいということばを、ためらわずに口にすることを、誰もしなくなった。そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。うつくしいものをうつくしいと言おう。

『世界はうつくしいと』長田弘

 

朝の氷見線車内からの海の写真、一番気に入っているかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

おいしかった

 

 

 

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また行きたい。北陸の別のところも。

 

静かで寒い夜

 

「ベットの上で、いつもとは逆の向きで寝転ぶのが好きなんだよね」

と言った人がいた。

 

「枕側を足にするってこと?」

 

「そう、行儀が悪いのはわかってるから、そんなにたくさんやることじゃないんだけど、なんか謎の罪悪感というか…でもそれでも寝転んでごろごろするのがなんかいいんだよね」

 

 

 

 

なんでこんなひとの言葉をいまさら思い出すのだろう、と思う。

相変わらず朝を迎える絶望は深く、悲しく、痛い。

凪の海の中で、顔の上半分だけ水面からだしているような、浸かっている身体のだるさ、でも冴えている眼はしっかりと前が見える。

朝になり身体をおこして、一番最初に思うことは、「疲れた」である。

寝付いても3時間で目が覚めてしまう、3時間かぁ、と意識すればするほど3時間きっかりで起きてしまうようになってしまうこの身体は、どういうことなのだろう。

 

2023年の年末あたりから、次の年が来ることが怖かった。

新しい年が来るという区切りがあまりに恐ろしく、時間というものが次々にわたしのなかに流れ込んで、身体と記憶は、その分どんどんよくわからない何かが蓄積していっている感覚だ。

 

戦争や災害、事件、自殺、誹謗中傷、だれがだれに殺されているのかよくわからない世界になってしまった。その世界を何事もないように生きることが、ときどきとても苦しい。そして何事もないような顔をしているひとたちの幸せそうな顔をみるとうらやましくなる自分にも、辟易としている。

 

 

年末に家にいられなくて、上野をふらふらしているときがあった。

あのときを思い出すと自分でもなにをしたかったのか全然わからなく、悲しかった。ちいさく、だれにも気が付かれないような涙がでたまま、上野にいた。

家に帰るために歩くことや、音楽を聞くことや、そういった当たり前のことよりもなによりも、人が駅に向かってただただ歩いていく人をみつめて、何もせず立ちすくむことが一番楽だった。ずっとそこで、わたしはなにもせずに立っていた。どうしたらいいかわからず、どうすることも間違いのような気がしていたのだ。

なかなか帰ることができなかったけど、優しい友達が電話で、「帰っておいで」と言ってくれたので、あと知らない男のひとに話しかけられるのがもう嫌でこわくなり、とぼとぼと家に帰った。

 

 

 

 

 

 

去年あたりから、本を読まないと、電車に乗るのがこわかった。年々東京の電車が苦手になってきている、苦しくなり電車をおりてしまうこともまだある。

わたしの周りは真っ白で何もない空間に無理やりにでもしたくて、わたしの身体に触れるだれかの感覚や感情は、わたしの中に入ってきてほしくなくて、換気のために空いているあの窓の隙間から、外へ常に流れていてほしかった。

わたしの意識は、わたしのからだや、わたしのからだのまわりではなく、自分の掌で包んでいる冊子の、この小さな世界のなかにずっと収まっていたかった。

行きの電車で本を読み終えてしまったときは、会社のビルの本屋で文庫を買わないと帰れなかった時もあった。読みたい本なんて腐るほどあるはずなのに、上手に見つけられなくて友達にお勧めの本を教えてもらうために電話したり、読みたいのかよくわからない本を無駄に買ってしまって本に集中できなかったり、どうしたらいいかよくわからなくなった時もあった。

 

 

 

 

先日、「会話のない読書会」というものに参加してきた。

それぞれが同じ本を持ち寄り、同じ空間で、同じ時間に、その本を読む。

しかし「会話」はしない、というルールだ。読んでも感想などは伝えず、ただただ黙々と、本を読み続ける。

会を主催しているのは、本を読むための空間を作っているfuzkueというお店だ。

fuzkueのことは前から知っていて、行きたいなとは思っていたのだが、「はじめて」はなんとなくふわふわと気が重かった。もちろんfuzkueはそんなに、入るのに勇気がいるお店という面構えでもないのだが。

「会話のない」というところがわたしにとっては惹かれるポイントだった。わたしはどうでもいい会話はすきだが、自分の思ったことをうまくおしゃべりすることが時々いやになってしまうし、自分の好きな本の話ならさらに、見栄とかがでてきてしまう可能性なんかもあるし、とにかく「会話のない」ことでわたしはいろいろ助かるのだった。

 

 

「会話のない読書会」は2016年から始まっているらしく、fuzkueが対象の本を選定していて、その本を読みたいひとが予約してその日に集まるといったスタイルでやっているみたいだった。

過去のラインナップを見ると、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、劉慈欣『三体』(三体二回やってる!笑 いいな楽しそうだな)、川上未映子『夏物語』、遠野遥『破局』などかなり自分が好きなジャンルというか、自分も読んできた本が多い、気がする。実は去年の『黄色い家』の回に申し込もうかと思ったのだが、ちょうど募集をみたときに、偶々もう既に読み始めてしまっていた状態で、終わりまで三分の一くらいだったので迷ったが結局本を読む手を止めることができず、自分ひとりで読んでしまったということがあり、次はできたら参加したいなあとその時にも思ったのだった。

会話のない読書会 | 本の読める店 fuzkue

 

 

わたしが予約した会は柴崎友香『続きと始まり』。

もともと読んでみたいなと思っていた本だった。いい機会とはこれだろうか、と思い思い切って参加の予約をし、事前にキャッシュレス決済によりネット上での支払いを済ませる。

fuzkueから予約完了のメールが届き、「ではでは、当日のご来店をお待ちしておりますね。」という優しい文が、そこには書いてあった。

 

 

柴崎友香さんのことはもともと好きで、特に以前も岸政彦のことでブログに書いたことがあったが『大阪』を読んでからはもっと好きになった小説家だ。

去年は、文學界で連載されているリレーエッセイ、「私の身体を生きる」という企画に参加していてその文章がとても、素晴らしいと感じていた(20239月号)。

自分の身体のことについてのとらえ方というのは、わたしもとても難しく感じている。身体の感覚や実在とセクシュアリティのつながり、ファッション、身長と体重、生理や妊娠、肉体と精神のつながり、わからなくてただただ嫌だったり怖かったりする、しかし自分とずっと一緒にあって、必要最低限のケアはして、付き合っていかなければならないこの、肉の塊のことを。

 

 

私が「私の身体を生きる」でもっとも書きたいことは、私は私の身体について書きたくないということだ。

 

「身体がなくなってほしい」というのは、今なら、私は「無敵」になりたかったのだと言いかえられる。だから機械になりたかったのだ。

 

 

 

 

しかし柴崎さんは50年生きてきて自分の身体に慣れてきた、ということも書いてあった。

自分の身体の不具合は、身体そのものに起きていることであり、例えば自分の足にあう靴を選ぶことで、自分の身体の違和感も薄れることがある、と。そして靴だけではなく、身体の悩みというものは実に多様であり、カテゴリー分類されるものではない。自分自身の身体の悩みこそが自分の身体として在るもので、自分の身体を認識するものなのだ、と言っている。

数年前から柴崎さんは老眼をはじめとして、これが老化かー、と実感するようなことが身体に起こり始めたことで、”興味深い”という感覚をもたらしたらしい。機械ではなく、生物であるから、身体は衰えるのだ。その感覚で生きるということが、実にいいなと、わたしは深く感じ、今日まで何回もこのエッセイを読み直している。

 

 

私は自分の身体について、五〇年生きていても「わからない」と言ってもいいんじゃないか、と思った。

死ぬまで「クエスチョニング」であり続けてもいい。

「女性」の身体で、「女性」として生活するのに深刻な困難はなく、理由を求めらることもない立場であることも知りつつ。

今日も明日も、ねじではなかったこの身体で、ねじではないから痛いし簡単に部品を取り替えられないこの身体で、生きているのだと思う。

 

 

 

 

 

そういえばわたしは、昨日から、頭と足の向きを逆にして、寝てみている。

この身体との付き合い方を模索していて、案外誰かの言葉やその記憶が、わたしを助けるものになるのかもしれない。そのひとは、そんなことを言ったとは覚えていないのだろうけど。

わたしもそうやって、知らないうちの誰かに影響を(できればいい影響を)与えて生きていけてたら、いいなというか、おもしろいなと思うのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事終わりの金曜日の夜に西荻窪へ行く。

駅から10分ほど、まっすぐ歩いたところにfuzkueはあった。19時過ぎに着いた。

名前を告げ、好きな席に座ってくださいと言われる。すでに3人ほどが各々の席に着席していた。全部が埋まると、10人ちょっとくらいは座れるのだろうか。cozyな空間だ。

カウンターの席は目線の先に沿って本棚がならんでいた。柴崎友香の『公園へ行かないか?火曜日に』が表紙をこちらに向けておいてある場所があった。せっかくだからこの席にしようと思って座る。

読書会の説明の紙があり、一通り目を通す。お腹がものすごくすいてきたのでごはんが食べたいと思い、店員さんのところへこそこそと行き、「すみません…ごはん食べられますか…」と小声で尋ねるとメニューを渡してくれた。後で気が付いたけど、座って待ってたらメニューそのうちくれたのかもだから待ってたらよかったのかもしれないし、別に最低限の会話はしてもよかったからこそこそする必要も小声である必要もなかったという…。

店員さんが白湯を持ってきてくれた。つめたい水ではなく、白湯。うれしい。

メニューにあるチーズとはちみつのトーストを頼み、ついでに携帯を預かってくれるらしいとHPかなにかで見た気がしたので携帯も預かってもらうことにした。この震えたり音が鳴ったりする機器は、ときどきわたしにとってものすごく邪魔なのだ。

それにしても、このメニュー表(お店の案内書きも兼ねていて、ZINEみたいな、ちょっとした冊子になっている)がとてもとてもよくて、これ欲しいな…と思っていたら、最後の方の頁にこのメニュー表も販売していると書いてあった。運命的だ!と思ったので買おうと思ったが、今月はもうあまりお金の余裕がなくて次来た時にしようと思った。つまりその時点で、よし、また絶対来ようと思えた場所であったのだ。

 

ひともだいたい集まり、1930になったのでお店のひとが読書会はじまりのアナウンスをする。みんなが本を開き、指で頁をさする心地よい音が聞こえてきた。周りを見渡さなくても、みんなが、同じ本を読んでいるのがわかる、その安心感がとても心地よかった。

事前に支払っている金額には、ドリンク二杯分が含まれていたので、メニューを見つめる。コーヒーも、レモネードも、ハートランドも良いなと思って迷いつつ、外が寒かったのであったまりたいという気持ちがあり、ジンジャーミルクを頼む。

これがとてもとてもおいしくて、温かくて、甘くて、しょうがの香りが柔らかくて帰り際に思わず、店員さんに「…ジンジャーミルクがめちゃくちゃおいしかったです、、」と言ってしまった。

 

 

『続きと始まり』は、別々の場所で生活をしている3人の日常を、2020年3月から2022年ころまでの時間軸に沿って書き連ねている作品だった。

背景にあるのは、阪神淡路大震災や、東日本大震災の記憶、そしてコロナ渦の現状。

被災者ではないひとたちの、過去に対する静かな後悔や、現在に対するざわめいた気持ち。

 

 

こうして、何かが起きて、画面も見続けるのは自分がこれまで生きてきた中で何度目だろう。

地震があり、事件があり、テロがあり、戦争があり、そのたびにこうしてひたすら画面をみる。

二〇一一年の震災のときからは、流れてくる報道の映像だけでなく、インターネットで情報を探すことも増えた。

しかし、それで何かが変わったことはない。

自分はいつも見ているだけだった。画面越しに、遠く離れた安全な部屋の中で、「情報」を見ているだけ、時間が過ぎていくだけだ。

 

 

 

悲しみとは、忘れたいものでもあり、忘れるべきでないものでもあり、忘れていってしまうものでも、あるのだと思う。

年始に能登の震災があったから、地震に対しての警戒や悲しみが、ある程度近いところにあるけれど(それでももちろん被災者の方々のことを考えると、きっと綺麗ごとであるのかもしれない、と思う)、そうでないときにこの本を読んだら、自分はどう感じたのだろうか。

いまの感情もこうやって書き連ねたり、または誰かの詩や物語を読むことによって、まだ、浮かび上がってきている。だから、言葉は必要なのだろう。人との話をきいたり、ニュースを見続けたり、新聞をよんだりすることも、そうだ。

浮かび上がった自分の感情と向き合ってみても、やっぱり何もできないことを考えるし、それが肯定されたり赦されているわけではないような気がするけど、それでも生活は続くから、向き合っていく必要があるのだと、わたしは思う。

でも何もできない、と開き直ることも私はできないし、言えないとも思う。

普段はあまり更新しないSNSで募金をしたと周りに伝えたり、そうでなくてもわたしに募金をしたよと伝えたり話してくれた友人たちのことをわたしは、やっぱり、誇りにちゃんと思っている。いつもは素直に認められない自分のことも、大きな幅でなくてもときどきはちいさくても認めたい、と思う。

 

きれいごとばかりしか言えない自分の無力さや、飛び交う意見や、何が正しいのかわからない情報を、のみこんで、意図せずに人を傷つけないように、大きな悲しみの存在を確かめるように、「何もできない」ことを何度も、考える。

 

 

 

 

始まりはすべて

続きにすぎない

そして出来事の書はいつも

途中のページが開けられている

——『一目惚れ』ヴィスワヴァ・シンボルスカ

 

 

この物語の終わりは、終わりではなく、続きの、始まりだ。

わたしたちの日常に続く、始まり。

登場人物たちとの共感は、全く途切れたところにあるわけではない、と思う。

世界はきっと、別々の紙がところどころ重なって積み上げられたものではなく、一枚の大きな紙が、複雑に折り重なっているようなものであったりするのだろう。

わたしはこの物語を読み手として俯瞰してみているのではなく、この本の中の世界で、この本の中のひとの隣で、見ているような気がした。

 

 

 

 

21:30(読書会終了時刻の30分前)くらいに、二杯目の飲み物、温かい紅茶を頼んだ。

ティーポットと、ゆのみの形の小さなコップ、ティーポットにすぽっとかぶせる布地の保温カバーもついてきた。

紅茶はそのコップで3杯おかわりできるくらいたっぷりだった。帽子みたいなかたちのかわいい保温カバーを眺めて、あたたかさを喉から流しいれる。

 

 

時間はあっという間に(ほんとうにあっという間だった!)過ぎて22時ころに店員さんから終了の挨拶がある。2230になったら閉店だったので、みんなが各々のタイミングで、ゆっくりと店を出ていった。

わたしはなんだか、帰りがたくて、本棚の本を手に取って眺めてみたり、まわりの人の様子をうかがってみたりして、閉店間際くらいに、お店をでた。

 

中合わせで、反対側に座っていた男性は、付箋をつけながら本をよんでいたが、どういうところに付箋をつけていたのだろうか、なんて想像しながらまた、駅までの寒い道を、歩いた。

 

 

贅沢でおちついた空間、本を読んで生きていたい人の肯定の空間だった。

ずっといることによる気まずさみたいなものがないところもいい。

ここで本を読むことは、わたしの周りは無理やり真っ白になった背景ではなく、それぞれのひとが、自分の世界の中で読書を楽しんでいる世界で、その中にわたしが座っていた。この世界の中心ははっきりとわたしではなく、本の中の人物だった。だから「わたし」を忘れられた。「わたし」に触れたり、関わったりする人間のことも、ここでは一旦忘れられた気がした。そして、さみしくなく、温かい飲み物がたっぷりあった。

 

読書だけではなく誰かにとっての願いをかなえられる優しい空間が他にも日常に、生活の中に、あの街やこの街のどこかに、ひっそりと存在していればいいのになと思う。わたしだけではない、誰かにとっての。

そしてあなたがそこへ向かうことのできる環境が、この世の中に当たり前にあることを、願いたい。

 

 

残念ながら西荻窪店は1月いっぱいで一旦休業してしまったらしい。

ありがたいことにほかの店舗がある下北沢も初台も自分の家からのアクセスが良いので、また行って、本を読んで、そのあとの気持ちをこうやってまた、綴ってみたりしたいものだ。

去年はなんとなく数えてみたけど60冊くらいは本を読んだっぽかった(いつも文芸誌のカウントの方法がわからないなあと思う)。ものすごい読書家というほどではないが、わたしはやっぱり今年も本を読み続けたいなと思う、電車の中のようなネガティブな動機ではなくても。

だってやっぱり、だれかの物語を感じることが、わたしはすきだから。

 

 

 

 

これは水です

 

今日は太陽があつくて、強くて、まぶしい。いそいでカーテンを閉める。カーテンの輪郭を、カーテンの陰で感じる。隙間からもれた日差しが、まっすぐな線で、光と影を分けている。実家の庭の緑の合間にはっていた、蜘蛛の巣が流れ星みたいに一瞬光る。首振りの扇風機は、ときに何もない場所にむかって風を放つ。iPhoneは、また温度が下がったら充電をはじめるらしい。ねこの飲む水の器にさっき入れたはずの氷はもう溶けていた。

 

ねこひらく、を夏の季語として俳句をつくっていた本のことを思い出す。うちのねこは冬でも伸びて身体をひらいて腹をみせているような気もするが、ねこひらく暑い日だ。

(旧暦では、秋になってしまうが)今年ももう七月になっていた。

季節が変わったなと思うときは、たいてい喉の奥がピリピリしていく感覚がある。空気が変わるからだろうか。

 

 

 

あたりまえのように時間がずっと経っている。時間は本当に止まらない。ちょっと待ってほしい、お願いだから、と思っても全然止まってくれなかった。

 

 

 

 

先日いろいろあって元彼と二人でドームで野球観戦に行った。

野球をみるのは案外嫌いではない。元彼のそのひとのようにとくに応援している球団があったりするわけではないが。多分わたしはルールも完全にわかっているわけではない。

能町みねこが前に久保みねヒャダで、「サッカーはタイパ悪すぎ、90分もみて全然点はいんないから」的なことを言っていて、まあたしかにわかると思った。(サッカーファンの方ごめんなさい)。わたしは極論を言えばバスケットボールくらいバカスカ点が入ってほしい。まあ野球も全然点はいらないこともあるか、まあ、なんでだろう。野球観戦はわりと楽しいイベントではある。元彼に感謝…。

 

 

てか死にたいときに元彼に会うのは良くない。前も別の人でそんな経験があった。

このひとはもう、わたしに踏み込んでこないし、踏み込めないんだと思うし、そうさせたのはわたしなんだと再認識するので、さらに死にたくなるからだ。

4回裏ころで急にすべてを悟って死にたくなり、ヤバイ顔をしていたら彼にどうしたと少し心配され、わたしはどこまでも頭が終わっている人間だと自覚した。

 

 

こんなことをかいているが恋愛経験は多くない。わたしはモテないし、かわいくないし、ネガティブだし、愛想もないし、おもしろくないし、センスもないし、人見知りで基本ビクビクしてるし、しゃべるのがうまくないし、人を傷つけてしまわないかいつも不安なのに、自分のことばかり考えて人に期待をしてしまうような傲慢なやつだし、まあ全体的に魅力がないということになる。恋愛というかそもそも人付き合いが年々苦手になっていて、本当に人とお付き合いするのがわりとマジで怖くなっているが、でも恋愛しようとしている自分もおそらくどこかにいて、対男性で嫌な経験をして泣いてしまったことがあって男性を年々苦手になっているのに、恋愛対象が男性な自分もなんか…なあと思う。

でもマッチングアプリを継続的にやっている友達のことをマッチング狂いと言って笑いを含ませていたあの男の子たちはなんていじわるなんだろうと思った、がその人に向かってそのことを口に出しては言えない。これはわたしが勝手におもっているだけで、その子は気にしていないかもしれない。これはひとりよがりの勝手な正義感で、自分だったらそんなことは言われたくないなという気持ちなだけだからな気がしてしまうからだ。

そのひとたちも、そんなつもりでは言っていなくて、わたしが勝手にあやまった解釈をしてひとりで考えているだけなのだろう。そんなことばっかり考えているから、わたしと話すときにきっとひとは気を使うのだろうなと思うし、だからわたしはダメなんだろうなと思う。ジョークが通じないつまらない人間、みたいな。きちんと流しているひとたちのほうが、人といい関係性を築けているんだろうな、とそんな風に思えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

「これは水です。」というDavid Foster Wallaceの有名なスピーチがあるが、わたしはこれを数年前に初めて読んだときから、彼の話したいことのありとあらゆることがわかったような気がしてしまい、助けられたような、つらいような、気がした。

 

j.ktamura.com

 

このスピーチと、このスピーチをした本人がその数年後に自殺してしまったことををセットでいつも考える。そうすると、頭が痛くなり、自分の心臓の位置と形がくっきりとわかりはじめ、親指の爪を人差し指のはらにつよくたてたり、唇の内側を噛むようになる。

 

 

 

わたしたちは、何かを信じているという前提があり、何かを全く信じていない、という傲慢さに気が付いていないことがあるのだ。

「自動的に正しいと信じてきたこと」つまりそれは先天的に自己中心的なデフォルト設定を持っている、ということ。わたしはそれが痛いくらいわかっているはずなのに、そのデフォルト設定から全然抜け出せていない感覚があるから苦しいのだ、と思う。

「自分の頭で考えられること」はとてつもなく大切なことだとはっきりわかっていて、それをもっと細かく考えていったときに、その考えられた先に答えを出して、その答えを信念として、強く生きていくことができないのが、わたしのような人間。

「これは水です」という意識がそもそもないひともいるとは思うが、自分の頭で考え取捨選択し、自分の経験から様々なことを考えてもなお「これは水です」とはっきり言えることが、できないひともまた、生きていくことがつらいことになってしまう、ような気がしている。「考える対象を選択」しているのに、苦しく、自分が保てないこと、そして毎日を乗り越えられない気がしてしまうこと、それは自分の頭に問題があるのではないか、と、思ってしまうこと。

 

「考える対象を選択」できていないひとで、案外幸せそうに生きている人もいるということに、気が付いてしまったりすること。

デフォルト設定でいきることをよしとしている現代社会で、それを疑うことなく、生きているひとたちがいることが目に見えてわかったりしてしまうこと。

 

 

 

 

 

 

これは、ただ相手の立場のことを想像しましょうね、という簡単な話ではないと、わたしはどうしてもそう思えてしまうのだ。

考えに考えてしまうと、自分の自意識の強さに、どうしても嫌気がさす人間の、すこしでも希望につながりたいと、これで希望につながらないはずはないと、思って話しているような文章である気がする。

 

わたしだってはやくこの自意識の海から上がりたいが、みんながさらっと考え終わって(もしくは考えずに)、それかいったん疲れたから、とかいうような理由で、陸に上がって水を飲んだり、シャワーを浴びて着替えていたりするうちに、わたしはまだこの海につかり、海のことを考えている。野球観戦の場所でも、自分のことを考えているくらいなのだ。どう考えてもおかしい。

 

 

そんなことばっかりしていると、様々なことを考えているはずなのに、自分のなかの「最悪な主」を殺してしまいたくなるのだ。幸せになれない気持ちになる。

「あなたのように考えることも悪くはないよ、と陸に上がった人間に軽く言われると、じゃあはやくこっちと変わってよ、こっちに浮き輪を投げてよ、わたしを陸にあげてみてよと思ってしまう自分がいることに、辟易している。

一生懸命生きてるからすごい、たくさん考えていて人間らしいところがすごい、と言われるとお前らは一生懸命生きていないのか、なのになんでそんな、楽しそうなんだ、とうらやましくなり見下されているきがしてはやく死にたくなる。

こっちは一生懸命息継ぎしないと、生きていけない海の中で、生きていくしかないんだよ、と思って泣いてしまう。つまりは自分が最悪なんだ、と思う。

わたしを見下しているなんて、そんなわけなくて、わたしが卑屈すぎてそう思ってしまうだけの、またわたしの自分中心の考えで、自分がどんどん沖に流されていくのを感じる。

 

 

 

 

急激に自分の存在が気持ち悪くなる、意思をもって言葉を放つ個体、飯を食う、排せつをする、物事を考える。27年生きてきたこの身体も、外側の見えることろだけしか知らない、意味の分からない肉の塊。

手足を意図的に動かす、瞬きをする、つばを飲み込む、自分の身体のかたちを認識する。横になって、自分の肌と肌があたるところがあつくなる。

心臓の位置と形がわかるのは、わたしが自分の手で心臓をつかんでいるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは水です。

これは、みずです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は夕方にならないと何もうごけない日だった。しかし昨日病院の帰りにあめがふって、自転車を置いてきたので、あるいて取りに行く。

 

みちをひとりで歩く。

たちどまり、考えているあいだに本来の目的と違うことろに考えが行く。

歩道に面したマンションの、共用のゴミ箱の上に食べかけのカレー味のカップヌードルが刺さった状態でおいてある。

その先の一軒家の塀に、アニメのキャラクターのキーホルダーがついた誰かの落とし物のカギがのっかっている。

その先の家の庭に咲いている紫陽花は、もうほとんど紫の部分がなくて、緑色の葉っぱみたいな色にかわっている。

そのまた先の、家ではあさがおがきれいに咲いていて、添え木のようなものにまきついたつるが上に向かって伸びている。

 

そういう目にはいった、変化しているもの、変化の結果であるものをわたしはひとつずつ見てしまって、自分で何かを考えている間に時間がすぎる。

みんなは結婚をしたり、仕事のことを考えたり、つみたてNISAをはじめたり、ともだちと楽しい話が上手にできたり、SNSで人と交流したり、ちゃんと推しているものがあったり、誰かに目に見えて肯定されていたり、パートナーと旅行の計画をたてたり、車を買ったり運転したり、おいしいごはんを食べたり、夜に眠ったりしているのを感じる。

わたしだけ、いつもなにごとにもふわふわしていて、目的地になかなか向かうことができない、ような気がしている。

 

 

 

 

大学生のときに就活で東京にいて、卒論のための史資料を見に、国会図書館に行ったときのことを思い出す。

国立国会図書館は、基本的にカバンの持ち込みが禁止だったので、荷物をロッカーにしまう。透明なビニールバックに必要なものだけをいれて、中に入る。

卒論に必要な資料以外もいろいろ見ていて、いろいろな本を読み、史資料もコピーをとったり、書き写したり、卒論を進めたり。さあかえろうとおもった時に、母から借りた定期付きのICカードがカバンのどこにもないことに気が付く。しかも、オートチャージでかなりの金額が入ったものだった。

ロッカーの中もない、そもそも透明のカバンにいれた覚えもない。どこをさがしてもない。国立国会図書館の落とし物にもなかった。

あるはずのものが全くみつからないことに、身体が一気に熱くなる。何をどうしたらいいか、わからなくなり、ひとつの物事に一個一個意識を向けていかないと、わたしはなにもできないのにそれが全くどこから手を付ければいいのかわからなくなり、過去の自分を追いかけることもできなくなるくらいになにをしたかもわからなくなり、余裕がなくなってパニックになる。外に出る、よくわからず永田町の駅と図書館の間を走ったり、歩いたりする。気が付くと鼻血がでてきて、白いTシャツが汚れる、涙も出てきて、貧血になり、その場に座り込んだ。

 

なぜ、ここまで、ICカードをなくしたくらいで、落ち込み、自分を苦しめてしまうのだろうか。きっと自分がずっと悪者になりたくないと思っているからなんだろうと思う。

わたしは、わたしのことが怖くなり、母に電話してICカードをなくしてしまったかもしれないと伝えて、いつもだったら怒るだろうところをわたしがあまりにも異常な状態であることを察しで、「大丈夫だから、いったんカードは止められるし、返金もできるから、家に帰ってきなさい。」と言われた。

 

半年後くらいに、そのときにつかっていたカバンのちいさなポケットをたまたま開けたときにICカードが入っているのに気が付いた。

わたしは、昔からこういうことが、とても多い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、みず、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

STUTSKMCの「Rock The Bells」という曲がもともと好きだったが、武道館で聞いたときに号泣してしまった。

もちろん、その曲をきけたということが感動につながったのだとはおもうが、KMCのパフォーマンスがかっこよすぎて、あまりにヒップホップだったので、勝手に涙がでてきた。

ヒップホップは好きだが、当たり前だがすべてが好きなわけではない。そもそも音源よりもフリーフタイルの、即興で出てくる言葉やその場限りの思いがすきだったが、STUTSと出会ってからは、親しみやすく死ぬほどかっこいいビートで、いろんなヒップホップの音源を知ることができて楽しい。

KMCはわたしと全然違う人間だが、熱く自分自身の言葉を叫んでいる。そしてラップがちゃんと言葉で、メッセージである要素が強かった。しかもそれに共感できなければ、その歌詞ってほんとに聞いていてしんどくなったりしてしまうが、「Rock The Bells」は、ひとりで、聞いているとき、まっすぐなメッセージが胸にどうしても響いた。

「言葉は違っても響くライムとフロウ」がある、ヒップホップには。

だからわたしはずっとこれを聞いている、最近の気持ちに沿った曲で、自分を支えてくれている。

 

自分の弱さも含め、言いたいことをはっきり言えるひとってなんてかっこいいんだろうと思う。そうなりたいとずっと思っているが、年をとる度に苦手になってきている。

そして自分を正当化するために、いい曲を、いいと言うのは、どうなんだろうとかよく思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

父と話す。

最近音楽はなにをきいているのか、くるりか?と聞かれる。くるりも聞くけど、ヒップホップと、あとは音楽よりラジオを最近は聞いている、という話をする。

お父さんはナントカさんという世界的に有名な指揮者が今度日本にきて、演奏会があるから、それにいくんだ、と言っていた。あとは来月に兄のアマチュアオーケストラの定期演奏会を見に行くらしい。

ラジオはなにを聞いているのか、と聞かれニッポン放送を聞いているという話をする。オードリーの話になり、若林ってやつはそういえば国分功一郎の本の帯を書いていたよな、と父が言う。そう、そのひとのラジオを聴いているんだとわたしが言う。『暇と退屈の倫理学』は面白かったよねという話になる。

国分功一郎の他の本は読んだことがあるかと聞かれ、ない、と素直に言う。

能動態でもなく、受動態でもない「中動態」という概念についての本が面白かったという話を聞く。うちに本があったが、兄にあげてしまったらしい。

今度買ってみる、と伝える。

若林は藤沢周とか、村上龍が好きらしいよ、という話になる。

世阿弥最後の花』はめちゃくちゃ面白かったな(これもたしか若林が帯を書いていたような気がする)という話と、スピンで書いている藤沢周の連載を楽しみにしている話を父にする。

ついでに『コインロッカーベイビーズ』の話もする。わたしはずっと、アネモネになりたい。

 

 

 

実家の入り口に飾ってある絵画が変わって、マティスのものになっていた、あの有名な、赤い部屋の絵だ。

前はセザンヌだった。そのまえはシャガールだった。

家の二階の廊下には、ずっとピカソゲルニカのデカい絵が飾ってある。ちいさいころからずっとある。わたしはデカいゲルニカがあるような家で育った女なのだ。

 

パパお月様とって!の絵を飾るのをやめてしまったときは、なんでやめたの!と兄とわたしは残念がった。いまではわたしが引き取り、一人暮らしの家に飾っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つまりわたしはまた生活ができなくなって実家に戻っている。

実家でひとりで横になって、また自分のことを考えている。

見栄をずっと張っているような人間なので、あと何年で死ぬ、それまでに死に方をさがす、とまわりに言いふらしていれば追い込まれてその時がくれば死ねるのではないかと思いはじめる。

 

 

あしたも仕事にいけないかもしれなく、家で泣いているかもしれなく、「これは水です」と自分に言い聞かせていたら一日が終わるかもしれない、のだった。