週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

ショートエッセイら#1

 

最後に負ける

安藤サクラ主演の「100円の恋」が好きだ。

自堕落な生活をしていた32歳の女性が、ボクサーとして成長していく話。

殴り合いの戦いが終わったあとに、相手をたたえる意味で選手同士が肩をたたきあうのが、「なんか、いいな」と思って安藤サクラ演じる一子はボクシングを始める。

アルバイトしている100円ショップで、ステップをふみながらシャドーボクシングをする、河原をはしる、ジムでトレーナーに指導をうける。そしてありえないくらいみるみるかっこよくなっていくのだ。目の前に相手がいなくても確実に誰かと戦っているような姿だった、そんな一子のひたむきさと、意思の強さにとてもあこがれた。

 

映画のラストでの試合で、一子が登場するシーンを見ると震える。そこには確実に努力が強く見える肉体と、本気で戦いに行くと覚悟を決めた顔つきがある。

 

でもその試合で、彼女は負けるのだ。

そして子どものように声をだしてボロボロと泣く。

 

わたしは、わかる。

今までの人生で、自分の中で負けることのみじめさ、くやしさ、恥ずかしさ、つらさを死ぬほど経験してきた。だってわたしの記憶の中のわたしは、すっとみじめで、くやしくて、恥ずかしくて、つらくて泣いているのだ。

負けたことがある人、はいることにはいるとは思うが、わたしほど挫折を苦しんで自分のなかでずっと経験として持っているひとは少ない。それは、正直良いことではないと思う。だっていつもくるしいのだ。思い出すと容易に涙がでてくる。そしてそれはあなたが頑張ってきたからだよ、と何も知らない他人にきれいごとを言われるとクソみたいに腹が立ってしまう。ひねくれすぎている。

 

去年の年末に見た「ケイコ 目を澄ませて」もボクシングの映画だが、ケイコも最後に負ける。ピンチになってふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、と思いながら必死に抗って戦うケイコが一番こころにきた。悔しいよな、まだ闘いたくて、負けたくなくて自分の全部を、全部の力を使って、現実を押しつぶしたくて、叫びたくなる気持ちになるよな。

「最後に負けたところで、わたしはどうしてもグッときてしまった。百円の恋も最後に負けるんだよなあ」一緒にみた人にと言ったら「でも負ければいいって話じゃないよね」と反抗的に言われた。ふざけんな、たくさん勝ってきたお前らに、そもそもひたむきに何かをした気にすらなっていないお前らに、挫折を挫折としてカウントしないお前らに、大きな挫折をしたことがないお前らに何がわかんだよ、お前らはなあ、悲しかったり悔しかったりして一日中泣いたことがあるか?何かに戦おうと思ってでもできなくて自分が無力でどうしようもない気持ちになったことがあんのか?と思いわたしはこころの中で中指をたてた。

どうしても自分を正当化させてほしい、というだけだ。かっこわるいのはわかっている。

負けることが含む美しさをお前らは、絶対わたしよりは知らない。別に自分のなかでそう思っても、そのくらいはいいだろう。

 

 

 

 

 

アラフォーの本たち

父からもらった本は、確実に老いているのを感じる。だからわたしは紙の本が大好きだ。年月を刻んでいることがはっきりとわかるのが、うれしいのだ。

 

具体的にどう歳をとっているのかというと、紙が茶色っぽくなるのだ、特に紙の□の四隅の部分が真ん中に比べてより茶色い。そしてざらざらしたような茶色さは、こんがりちょうどよく焼けた、食パンみたいだと思う。

そして、勿論いい匂いがする。基本的にはすこし甘い匂いで、おばあちゃんちみたいな落ち着いて安心する匂いがする。

村上春樹の「風の歌を聴け」の文庫をひらいてみたら昭和59731日の第8刷発行のものだった。”昭和59年 西暦”で検索する。1984年だった。椎名誠の「インドでわしも考えた」も昭和59年の初版のものだった。

沢木耕太郎の「深夜特急」は1986525日の初版のようだった。たしかに「風の歌を聴け」よりはにおいが薄い気がする。

吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」をひらいた。19821126日の初版だった。

歳を重ねているといってもいまわたしの手元にある本たちはアラウンドフォーティーくらいなんだな、と思う。

今改めて気が付いたが父の本には、発行の情報が描かれているページに父の名前のハンコがおしてあるものが多い。白舟書体というのかなんていうかわからないが、「木」という字を上にも下にも三又のやりがついている棒みたいに書く書体のやつだ(つたわるだろうか)。わたしも自分の本には、自分のハンコをおそうかな。

 

わたしは浪人時代、夏目漱石の「彼岸過迄」が好きで父の漱石全集のうちの一冊を借りていつも持ち歩いていた。読んだり読まなかったりしたので、お守りのようなものだった。古い本だったので、それももちろんいい匂いがして、よくにおいをかいでいた。

しかしそれは持ち歩きすぎてボロボロになった。文庫本よりひとまわりくらいおおきいサイズだが、外側に箱がついていて(辞書等についている外のカバーのようなもののことだ)その箱の背の部分がすこし破けてしまって、焦ったわたしはアラビックヤマトのような液体のりで修復しようとしたがどうにもならなくなって落ち込んだこともあった。液体が古い本の紙にしみついて、また変な色になってしまった。

実家の本棚にずらっと並ぶ漱石全集のなかで、それだけあきらかにボロボロになったことにわたしはずっと罪悪感を抱いていた。ボロボロにしたのはとにかくわたしだったので、わたしは父にそれを返すのをずっとためらっていたが、無事大学に合格して、ごめんなさいときちんと謝って返した。お父さんはなにもわたしを責めることなく許してくれた。ゆみがたくさん読んだことがわかっていいじゃないか、と言ってくれた。

 

古い本のにおいは、小学生の時に友達だったRちゃんの家のにおいに似ているなと思う。わたしは、Rちゃんのお母さんに、「Rちゃんちは良い匂いがするね、・・ていうかなんか古びた椅子みたいなにおいがする。」というクソ失礼な発言をしたことがある。今思うと、少し古い木造の木のにおいが素敵だったんだろうなと思う。

Rゃんはドラえもんがだいすきで、家にデカいドラえもんのぬいぐるみがあった。

二階の部屋にいつもドラえもんはお行儀よく座っていて、彼女はそれを笑顔で抱きしめていた。Rちゃんの家で、粉末ので水に溶かすクリームソーダを飲んだことを妙に覚えている。

おばあちゃんとおじいちゃんの遺影が飾ってある仏壇のようなものがあって、Rちゃんはそれをアボジとオモニというんだよ、と教えてくれた。小学校低学年のわたしはなにもその言葉のいみをわかっていなかったしそもそも韓国語だということを知らなかったが、そうなんだ、いいな~。そんなかっこいい名前のおばあちゃんやおじいちゃんはうちにはいないよ、としゃべっていた。Rちゃんのうちにいくと写真の中のアボジとオモニを絶対に一回は見つめてしまっていた。そんなことを思い出してしまう。

 

 

本にながれる時間の流れが、わたしの歴史を思い出させるのだ。

そんな瞬間、わたしはとてつもなくその記憶たちをいとおしく思う。

 

 

 

 

 

 

名前をつけてやる

自分の記憶や感情や文章に名前をつけることは好きだ。

例えばこのブログの記事のタイトルをつけるのも楽しい。

思ったことをのままつけてしまうこともあるし、文章の中ですきな言葉を使うこともある。

その日の日記にもタイトルをつける、あの日は「金木犀」の日だったな、そしてあの日は「手汗」、そして別の日は「たまごがゆ」。

他にも、自分がもしカフェを開いたらどういう名前にするか、とかを考える。

わたしは決めている。「海岸通り」だ。

もし自分がもう一匹猫をかったら名前をなににする。

わたしは決めている。「みかげ」だ。

もし自分がペンションをはじめたらそのの名前をなににする。

わたしは決めている。「コズミック・サーフィン」だ。

現実的に必要のないところでも名前をつける。名前をつけてやる、名前を付け続けてやるんだ。

わたしは死ぬときには自分の人生に名前をつけられたらいいなと思う。それまでに候補をいくつか決めておこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌いな季節

どう考えても春がいちばん気持ちが悪い季節だと思う。じわじわと寒暖差をくりかえしながらあたたかみを増していくところがとても気持ち悪いと思う。出会いの季節とよく言うが、人見知りなのでひととの出会いが必ずしも楽しいものではなく、疲れてしまうものというイメージのほうが大きい。

 

春は、夜桜と実家の庭に咲いているハナミズキ以外は好きじゃない。

 

札幌に住んでいた時は雪が解けたら足元はべちゃべちゃになるから嫌だったし、東京では花粉が飛ぶから鼻ものどもすべてが終わるし、薬を飲むと体も怠くなるし眠くなる、肌の調子も悪くなるし、わたしは4月ころからこの二か月ずっと顔がかゆい。あたたかくなって虫たちがぞわぞわ湧いてくるのも最悪だ。夕方に暗くなってきて、道の照明たちが光を放つと、そこにちいさく、そしてたいした意思のない虫たちが集まってきているのをみるとぞわっとして鳥肌が立つ、それが春を感じさせるのだ。

そもそも寒暖差や低気圧に弱いので気候の変化が激しいのが苦手なので、はやいところパキっとはっきり夏になってくれないかと思う。

 

春が嫌いなんです、というと、自分の誕生日があるのに嫌いなの?と何回か言われたことがある。たしかにわたしは328日生まれだ。しかしなぜだ、自分の好きな季節と誕生日は必ずしも一致するものなのか?

自分は夏生まれだから夏が好きなんです、と言っているひとはいそうっちゃいそうだし実際なぜかそういうイメージが全くないというわけでもないが、実際にわたしはそんなことを言っている人に会ったことはない。

もはや一般的だと感じられるような意見を経験していないのでそれは一般的ではなく、都市伝説に近いような通説なのにその人たちは気が付いていないのだろうか。

誕生日はもちろんすきだ、しかしそれも自分が生まれてきた日だから好きなのではなく、なんとなくみんなが自分のことをきにしてくれて、おめでとうといってくれたり、ケーキを食べる口実になったり、はたまたプレゼントをくれるからで、その日が何日だろうがいつの季節だろうが特に意味はない。

 

どうせなら逆のことを思う。わたしは自分の好きな季節に死にたい。

一番好きな季節は冬だ。師走の札幌あたりで死にたいと思う。

人がまわりでいそがしくいつも通りの生活をしている、だれかがいる場所の端っこで、暖かい場所でひっそりと小さく、いつのまにか死ねたらいいなと思う。窓の外には雪が降っていて、澄んだ空気が見えている。贅沢だろうか、最後の食事は、寄せ鍋が良い。

 

 

 

 

 

 

 

実学

わたしは大学では、文学部だった。

昔からどう考えても本を読むことがすきだったし、小学校のときからずっと国語が一番すきだったし、中学生からは日本史(とくに芸術史)がとても好きだったので、文学部に進む以外ないな、と思っていた。

よく考えてみると親はふたりとも理系学部の出身だったが、うちの三兄弟は全員文系だった。わたしは兄の影響もあったのかもしれない。兄は哲学科の出身だが。

 

大学選びで実学志向を選ぶ人が増えている、というニュースを今年にはいって読んだ。

そいうニュースは近年わりとよく目にする気がする。わたしが通っていた大学は国立の総合大学だったが、学生の75%が理系だった。理系大学の印象は濃かったので、部活の友達も理系の人が多かった。まあ、わたしはそういうひととも交流がしたかったので、総合大学を選んだのだが。

学ぶことに対する考えが自分とは違うんだなということは多かった。在学中から将来地球環境問題にかかわる仕事がしたい、とか医療関係の仕事がしたいとはっきり決まっているひとも何人かいて、わたしは自分がなにになるかなんてまったく想像がついていなかった。ただ、おもしろいことだけを教えてくれて、知らないことを教えてくれるところが、わたしにとっても大学だった。

 

わたしは、学生の時に学んだことを、今社会人になって全くと言っていいほど使っていない。キュレーターになるひとなどは別だが、一般の民間企業につとめて、日本史や芸術史の知識を使うことなんてそうそうない。

 

でも、わたしは文学部をえらんだことだけは後悔していない。そして、わたしに合っていた場所だったなと確信した瞬間があったことをものすごく覚えている。

 

とある先生の国文学の授業がとてもすきだった。

その先生が選んだ古典を毎週少しずつ読んでいく授業だった。国文学の研究室ではない生徒も受けられて、わたしは古典がすきだったのでよくその先生の授業をとっていた。

さまざまな出版されている現代語訳をまとめたレジュメを先生がもってきて、その現代語訳に対してその先生がイチャモンをつけながら読み進めていく。

どんな有名な人の現代語訳でも「いや~これは違うでしょ」などと自分の意見をビシバシ言っていくのがわたしはなんだか興味深かったのだ。

 

そしてその先生はめちゃくちゃ休講がおおかった。

だいたい休講情報って授業が始まる前に学部棟の掲示板とか、文学部のポータルサイトにその旨を書いて生徒に知らせるのだが、その先生はドタキャンがおおかった。

みんな教室にあつまって、もう授業の時間が始まっているのに先生がなかなかこないな…と思ったらその先生の研究室の院生っぽいひとがやってきて、黒板にデカデカと「本日休講」とかいて、その院生が代わりに「本日先生の都合により休講です~」とやる気のない声でみんなに伝える。またか、と思ってみんなはそそくさと帰り始める。

そして次の週にその先生は「いやあ~先週はごめんね、卒業生と前の日に飲みすぎちゃってサア」と笑いながら言う。おもしろいひとだなあ、と思ってわたしはその先生が大好きだった。

 

いつものように古典を読み解いていく中で、先生が話した言葉がある。わたしはこの言葉にはいつも栞を挟んで持ち歩いているような気分だ。

 

「いや、結局この文章って「手にても」と解釈しても「手も」と解釈して読んでもどっちでもいいんだよね。だって社会にはなんの影響もないんだもの。これによって政治が良くなるわけでもないし、何かの生産性があがるわけでもないし、戦争がおわるわけでもないんだな。でもね、それを真剣に考えるのがいいんだよ。どっちがいいかっていうのを大人たちが議論して、いろんな考えをもちよってああでもないこうでもないと真剣に考えるのがなによりもいいんだよ。文学部ほどね、優雅な学部はないよ。考えてみてほしいんだけど、文学部以外の他の学問って、要素を専門学校で学べることって、多いんじゃないかと思うのね。でも、文学部って基本世のなかの役に立つかわらかないどうでもいいことを勉強している時点で、専門学校とかでは学べないわけなんだよ。その、どうでもいいことに頭をつかう、どうでもいいことにロマンがあることにみんなはは気が付いて勉強していますか?学問はね、ロマンとエロスとポエジーがないとだめなんだよ。」

 

もちろん実学を学んで、それそ仕事に活かして、世のなかに貢献しているひとは立派すぎてまぶしく、素敵だなと思う。

でも結局、わたしはどうでもいいことに本気になるのっていつだって楽しいのだ。

もしかしたらそれは余裕があるからできることなのかもしれない。わたしは恵まれている人間だな、と思う。

どうでもいいけど興味があって知らないことを知りたいし考えたい。学ぶ理由なんて、それで十分だったりする。

そしてその学びは、社会には役に立たないかもしれないけど、自分の人生の選択で役に立つ可能性をはらんでいるというカードを、文学部で勉強したひとたちはこっそりと、したたかに持っているのだ。