週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

みんなはわたしの代わりにきょう開設したSUPERCARのyoutubeをみてください

 

 

ここ1週間の涙の量は酷かったと思う。

わたしはとにかく毎日泣いた。朝起きたら二重が変になっていた。目を腫らしたまま会社に行った。

仕事に行きたくなかったけど、普通の生活をしないとという気持ちが強くて、そうじゃないとじぶんをごまかせないと思った。また会社に行けなくなったら実家に戻らないといけないと思ったから、それもめちゃくちゃ嫌だった。逃げ場がどこにもない気がした。

仕事中も悲しくなったらトイレに篭った。とにかく気持ちがボロボロで、気を抜くとすぐに涙が出てきた。お昼休憩も休憩室で泣いてた。なにもかもが悲しかった。

しごと帰りの電車はいつも泣いてた。

中村佳穂のそのいのちの、生きているだけで君が好きさ、っていう歌詞を聞いて泣いた。そんなことあんのかなあ、って思った。

 

 

 

苦しくて心から誰かに助けてもらいたいと思ったけど、誰に助けて貰えばいいかわからなかった。人に頼りたいのに、生きてほしいと言ってほしいのに、誰かの言葉とか行動で、わたし自身が助けてもらえるのかも正直わからなかった。

 

またわたしは生きていくための当たり前のことができなくて、朝ごはんは何も食べなくて、昼ごはんも何も食べなくて、よるごはんは買いだめしてるヨーグルトをすこし食べて、そのあとタバコを二本吸ったら1日が終わった。

なんかたぶん、痩せたかったんだと思う。

痩せてるとわかった方が安心した。でも、ふらふらだった。自分が安心したいためにご飯を食べなかったのに当たり前に体調は悪くなって何も自分のためじゃなくて苦しかった。

風呂に入っても自分が汚い気がして怖かった。体がかゆい気がして、また蕁麻疹が出たら嫌すぎると思ったらめちゃくちゃ怖かった。太ももをかきまくったら赤く腫れた。かき傷ができて血が滲んでいた。汚かった。

 

自分の過去も現実も未来も全部否定してしまった。

布団をかぶってまた泣いて、泣き疲れて寝た。寝られない時はしょうがないから睡眠薬を飲んだ。次の日仕事で睡眠薬を飲めなくて、それでも寝られない時は怖くて長い夜を過ごした。生きるってこんな苦しいの?

 

 

三浦春馬が亡くなった時、母親が「絶対死んじゃダメだよね〜」と悲しんでるふり(に見えた)をしてわたしに言ってきたことを覚えてる。言い方とかぜんぶに、正直すごいイラッとした。

絶対って何?、死んじゃダメってなんでなの?理由を説明してほしかった。その言い方人ごと過ぎないかな。

生きてるときの苦しみなんてどれほどなのか当事者にしかわかんないのに、なんでそんなはっきりと言えるんだろう。すべての死を肯定するわけではないけれど、絶対なんて言えないよ、とわたしは思う。

わたしは中学生の時、三浦春馬のことがすごい好きでファンだったし、もう彼の出る映画とかが見られないのかと思うと悲しみももちろんあった。でも自ら命を絶ったのなら、彼のその選択で彼自身が救われていてほしいと素直に思った。それならいいんじゃないかと思った。ダメな思想なのかなあ。

 

 

 

 

 

わたしは自分の思い通りに自分の人生がいかなくて、苦しんでいるただの我儘な人間なんだろうなと思う。

自分の期待と違うことを言われてしまうと苦しんで、そんなのも相手を困らせていると思う。いつもなら受け入れられることが今は余裕がなくて受け入れられなかった。

どうしても自分に自信が持てなかった。いくらともだちに、○○はいいところがあるよ!と言われても、苦しかった。でも、いいところがあると言われたかった。自分じゃどう考えても認められなかったから。そうじゃないと自分を保てなかった。めんどくさい人間だな。

だから、最近は特に人に頼るのが怖かった。あなたにとって、わたしは1番大事な人じゃないから、と思うとどうしようもなく悲しくて、うまく頼れなかった。わたしは友だちが少ないのも悲しかった。友だちが多ければいいってわけじゃないのも頭ではわかってた。でもとにかく不安だった。でもこれから誰かの1番になることもないんだろうなと思うとそれにも絶望した。誰かの1番になりたかったのか、と思うとあまりにも傲慢すぎてかなり嫌気が差してしまう。

いま仲良くしてくれてる数少ない友だちにも失礼だった。1番って何だよ。最悪だよ。

自分が誰かの大切な人だと思う確信を持つのが今のわたしには難しかったから、わかりやすい関係を求めてたんだとはおもう。

だれかに、「あなたは私の大切な人だよ」と言われると100%泣いてしまった。いまのわたしに必要な言葉だった。その言葉を思い出すだけで泣いてしまう。ほんとかなあ、わたしで大丈夫かなあって思って泣けてきた。

 

 

 

全部全部わたしが悪いんだと思った。わたしの考え全部がわたしの首を絞めて、自分で自分の体を海に沈めてるみたいだった。

人に頼れないのも、消えたくなってしまうのも、何もできずに布団から出られなくてずっと泣いてるのも、ご飯が食べられないのも、誰かの言葉で傷ついても、どう考えても優しい友だちを困らせているのも、全部自分が悪いんだと思った。自分がダメだから、こうなってしまってるんだと思った。自分のやることなすことがどんな小さいことでも全て失敗に思えた。そんな自分もめんどくさい性格すぎて何度でも自己嫌悪になった。自分ってなんか、いわゆるメンヘラだよな、みんなにまた迷惑かけて、嫌がられちゃうな、と思った。

 

 

 

 

 

むかしから音楽とか小説とか、漫画とか映画とか芸術が好きだった。

年々それらに重く、救いを求めてしまっているし、救われたと感じてもその時間が短くなってしまっていて悲しくなる。

この間の野外フェスで、フィッシュマンズと、カネコアヤノと、くるりの岸田と、折坂悠太がみんなでステージに集って歌ったナイトクルージングを見た時は最高だと思ったのに、わたしは次の日にはもう泣きながら生きてた。ショックだった。音楽もわたしを助けてくれないのかなあっておもった。

さまざまなコンテンツはわたしの一生を保証してくれるものじゃなかった。でもそんなのあたりまえなんだよな。自分のことは自分で救うために、それらは少しずつ自分を修正していくためのアイテムでしかない。これがあるからもう少しだけ生きていこう、っていうことの積み重ねであればよかったのに、わたしはそれすらも思う余裕が今はなかった。必死に私を救ってくれるなにか大きなものを探してて、でもそんなの難しい話で、わたしはすべてをややこしくして、でも足掻いていた。苦しみしか生まれなかった。

もうなんか、全部救われたと思ってもほんとにほんとに一瞬だった。

 

 

2週間前くらいに、「私の正しさは誰かの悲しみ、あるいは憎しみ」という展示を見に東京都現代美術館にひとりで行った。

理由はタイトルにものすごく惹かれたからで、これもすこしでもわたしのなかで何か答えが出ればいいと思ったからだ。2週間前はまだギリギリ自分のための行動ができた。

 

4人のアーティストがそれぞれの展示をしてて、とある映像作品がとても興味深かった。

その監督が、自分の日記をビートに乗せてラップに昇華するという行為を追ったドキュメンタリーで、50分くらいの作品だった。

わたしは4年くらい前から日本語ラップが好きになって、特にフリースタイルをみるのが好きだった。いまはあまり見れていないけれど、ビートにのったリリックが韻を踏んで、フロウを乗せて、次々と言葉が紡ぎだされるのを見るのが楽しかった。

そのドキュメンタリーに出ていたラッパーの方が言っていた。「言葉にして発することすべてがラップ」だと。

その人は教会の懺悔室で、懺悔することもラップだと言っていた。自分のなかでぐるぐるしていた思想が、表に出て、変換されて、自分のものだけではなくなる、それに意味がある。

フリースタイルなんて特に、言葉というものが自由にでてきて、時には考えに考えた言葉ではなく、オートマで言葉がでてくるときだってある。韻をふんだりして、関連する別の言葉が急に現れたり、別の意味をつないだりする。

自分の言葉に輪郭をもたせたい、ひとつの作品にしたい、と監督の人は言っていた。その手段がラップだった。

 

なんだかすこししっくりきて、わたしもわたしの考えに言葉に、輪郭を持たせたかったんだなと思った。

だからこうやって暗くて面白くもないダラダラとブログを書いている。わたしが何も発しなくなった時はほんとにほんとに終わってしまった時で、心が完全に死んだ時だと思う。何かを発せなくなってしまったらと思うと、怖い。死ぬのも怖い。けど生きるのも怖くて嫌になる。

どうにか、こういう風に言葉を発して、わたしを生き延びさせてくれないか、と思う。でもそれだけじゃ足りないから悔しくて、つらくて、悲しいよ。