週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

わたしはわたしのことばかりでいやになるよ

 

いつまでも、自分が生きていると思えるように、生きていきたいです。

 

と、12歳のわたしは言っていた、と思う。小学校を卒業する時に、卒業記念で撮ったビデオレターで。

言ったことに確信をもてないのはそんなもの見返したら、恥ずかしさが大爆発して爆死してしまうから(マジでむかしの思想を語ってる自分が映像で残ってるなんてほんとにほんとにほんとーに恥ずかしい……)だけど、自分がそんなようなことを言ったということはなぜか忘れられず、わたしの記憶の中にある。まあ誰しもそんな恥ずかしい過去のひとつやふたつあるよねって思っていいかな、そのとき影響をうけていた本の言葉を借りたことはたしかだ。(たしか僕の生きる道、か僕と彼女と彼女の生きる道、か僕の歩く道、とにかく橋部敦子のそこらへんのシリーズなきがする)。

 

 

なんでそんなこと言ったんだろうなとちょっと考えてみたけど、わたしは昔から感受性豊かオバケだったので、本から読み取ったものをものすごくかみしめて、どうにかこうにか現実に還元したかったんだと思う。

そのビデオレターを見た同級生のお母さんに、卒業式かなんかで「あなたが〇〇ちゃんね!詩人の!」と言われるくらい(最悪だよ)にオリジナルのポエムらしい言葉たちを垂れ流していたわたしは、過去を恥じながらも、なんだかんだでそのまま大人になってしまったような気がして、時々悶えてしまう苦しさと、今そんなことを思ってしまう小さな寂しさと、でもわたしはそのままでいいのかもなあという気持ちがごちゃ混ぜになって自分のなかに溜まりに溜まっている。

 

 

12才のときの自分の言葉のように、自分自身が「生きている」という実感を持ちながら、果たしてわたしは生きられているだろうか?

 

 

 

 

しょうがないから薬を毎日飲んで生活してるのだけれど、ここ数日で気がついたことは、「薬を飲まないほうが体調がいいこと」だった。通院代も合わせて毎月ちゃんと金払ってるんだけどどういうこと?

朝薬を飲んで仕事に行くと眠たすぎてほとんど仕事にならなくて、11:00くらい、かなりはやめに休憩に行って昼ごはんも食べずにとにかく1時間きっかり睡眠をとって眠気がマシになったら仕事に戻る日々が続いた。前日に22:30くらいに寝て、朝7:30に起きているから、9時間くらい寝ているはずなのにどうかんがえてもおかしい。

この間は11:00まで我慢もできなくて仕事中なのに離席してトイレにこもり30分寝た。携帯のアラームを10分後に設定したのに、無理だったから30分になった。

わたしの隣のデスクのひとは不思議に思っただろうが何も言われなかった。何も言わないでくれてありがとうって思った。

夜は夜で薬を読むと次の日起きられないことが最近増えてきてこの間は2時間遅刻してしまった。本当に朝体がだるくてまた休んでしまった日もあった(ほんとに週5で働けない欠陥人間だよ)。

 

 

試しに薬を飲まないでみたら、午前中もそこまで眠くないし、朝もちゃんと起きられた。薬の副作用で眠くなるってことがおくすり手帳には書いてあったかわかんないし確認するのでさえだるいから絶対に見ない、だって現実に私は薬を飲まない方が調子がいいのだから。言葉で説明できないことだってたまにはある。

 

 

 

 

 

日々は選択の連続だ。

 

いまのわたしは薬をのむ、のまないという選択肢。

 

 

 

わたしという人間はいつも苦しくて、悲しくて、どんなに調子が良くてもそれがずっと続くことなんてないとわかっていて、昔からずっと落ち込みやすい。

原因は人生のあらゆる分岐で挫折してると思ってるから、選択を迫られた時、間違った方を選んで失敗しかしてないと思ってるから、そんな経験が、今のわたしを作ってしまっている。

 

人生は一回きりで、やり直せない。これからも、わたしはいろんな選択を間違えて、失敗ばっかしながら生きていくんじゃないかなっていう気持ちになってしまっている。そんなこと思ったら余計に悲しくなるのに。

そして、わたしはそういった挫折を隠そうと必死だ、失敗を何にも思わなかったと思われようと必死だ。

みんなはわたしの挫折や失敗なんて感じない、なんかあったとしても忘れてるに決まってるのに、わたしはなんでこんなに必死に自分を隠そうとして、隠しきれなくて、変なんだろう、と思う。

 

 

よく人にこの話をすると言われる、そんなの結果論だよ、って。

そら言われるわな。

 

 

 

 

 

 

昔本当に辛い経験をした時に、

「悔しく、悲しかった気持ちは洗い流さなくていい。思い出しただけで奮い立つ経験は一生をかけて自分のエネルギーやブレない軸になってくれる」と教えてくれた人がいる。今でも思い出すだけで泣いてしまいそうになる。

過去の失敗も、いろんなわたしの助けになってくれ、と思う。そうだったら、間違った選択も無駄ではなかったのかもしれない。というのは理想論だろうか。

 

 

 

 

 

どんなささいな選択でも、生きている、という実感を持てるほうを選ぶのがいいのかもしれない。薬のことも多分そうだ。薬をのまないと、ちゃんと生きられる。

小学校の時の恥ずか死ぬ思い出も、少しは今のわたしの助けになってるかなあ。

 

 

 

最寄りのスーパーは大きな坂道

 

 

を自転車で頑張って登らないとたどり着けないけど、そんな土地でわたしは一人暮らしを始めた。

正確にはひとりと一匹暮らし。猫のモモと一緒に住んでいる。

東京に戻ってきてから、実家にずっとすんでいたけれど、なんとなくずっと居心地の悪さを感じていた。親はなにもわるくないが、親とずっと一緒にいることは疲れてしまうときがある。適度な距離感を持っていたかった。一人になりたかった。一人でひたすらに好きなことをしたかった。ただ、一人がさみしいことはわかっているのでモモがいてくれてよかった。

モモは甘えんぼうではあると思うが、適度にわたしと距離をとってくれるところがすきだった。まあ距離を取られすぎて時々わたしの話を聞いてくれないのがほんのすこしだけかなしいと思うこともあるが。われ関せず、みたいな顔が得意な猫らしい猫ではある。

 

 

 

 

一人暮らしをしたら、自分のすきな本にたくさん囲まれてすごしたいと思っていた。本が溜まりに溜まって、腐ってしまうんじゃないかというほどに。なので、とりあえず実家にある自分の本だといってもいいであろうものたちをほぼ全部持ってきた。ちなみに漫画も。おおきなポケット(略しておおポケ)からMONKEYから文藝(文芸誌のね)からPOPEYEから椎名誠から米澤穂信から北杜夫から松本大洋から三浦綾子から宮崎駿からいくえみ綾からさくらももこから村上春樹村上龍ケストナーリンドグレーン、ミヒャエルエンデそのたもろもろ、まで。

ほんとにとりあえず感がすごかったが、それらをかき集めて(あれ、わたしこんなの持ってたっけ?とか、デスノートの3巻が二冊ある!とかハリーポッターはさすがにお兄ちゃんのものだからダメか?とか思ったりした)、友だちに手伝ってもらいながら、実家の軽を運転して新居まで何回も往復したのだった。

 

わたしはわりと読みたいなと思ったら評価・レビューとか関係なく躊躇なく本を買う。これからも蔵書がどんどん増えていくと思ったので、増設できる本棚をつくろう!と思った。あととにかく背が低めの本棚が好みだったのでなんかいい本棚ないかな、とも思っていた。

youtubeで他人のルームツアーの動画を見ていたら、軽量ブロックに、ホームセンターでカットしてもらった板をのせて本棚にしているひとがいたので、わたしもそれにしようと思ってホームセンターにも通ってみた。

軽量ブロックは安くて、重かった。途中で軽量ブロックを大量に買うのが嫌になったりしたが、なんとか本棚が完成した。

 

 

 

 

 

 

増設できる本棚が欲しかったのに、スペース的にこれ以上本を増やせないような本棚になってしまったが、とても良い本棚ができたと思う。でもぜったいにこれからも本を増やしていきたい、だって腐るほどって結構レベルたかくない?

正直写真で見るより生で見たほうが5倍くらいい良い。わたしの友だちはみんなうちに遊びに来てほしいと思う。なんか、この本棚を見ていると自己肯定感が上がったりするなと思って、このブログを書こうという気になった。

わたしは自己肯定がとにかく苦手、自分のことを卑下するのが得意な人間だけど、最近何人かの人にたまたま、蔵書のセンスがいいとか、本を読むところいいところって言ってもらえる機会があったので、なんかそういうことなら、そうなのかな…と少し頑張って思ってみたりする。(でもそれってわたしがすごいんじゃなくて、本自体がすごいんじゃないかな!?と素直に思ったりもするけど)自分のいいところを思ってみることって大事なんだよなあと思う。よっこらしょと重い腰をあげて、読書がつくりあげてくれた、自分のいいところを考えてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはものごころついたときから本を読むのが好きだったと思う。そしていままでずっとつづけてきたことでもある。学生時代は図書館にいるのが大好きだったし、読書感想文なんかもひそかに張り切るタイプだった。

とはいえ、年間100冊とかは読まないし、ときどき訪れるなんでか手が進まない、読めない期間には全然読む気になれない。ほんとに普通のひとよりもちょびっとだけ本を読むことが多いくらいだ。

読みたいときに本をまとめてがばっと買って(それは中古でも新刊でもよくて)密度濃くとことん読むのが好きだった。全体として読む冊数は少なくても、まあ立派な趣味だと思う。

 

それはおとうさんの影響がおおきかった。おとうさんは理系で技術職?(多分)の人間だったのに、とにかくたくさん本をもっていて、おとうさんのへやは地震がきたら本につぶされて死んでしまうのではないだろうかと感じるほどに背の高い本棚に本が山積みになっていた。純文学やミステリ、新書、芸術、古典、洋書、あらゆるジャンルのものがあった。あと岩波書店の「世界」というよくわからない難しそうな月刊誌もずっと定期購読している(ときどき風呂場に置き忘れてる、てか風呂でも読んでんだ…)。おとうさんはかなりの読書家なので、あらゆることを知っていて、わたしがいままで出会った人間で一番賢く、教養のある人間だと思うくらい、それはすごかった。

 

読書によって自分自身のいろんな引き出しが増えることを教えてくれたのは、まぎれもなくおとうさんだった。

 

おとうさんは、よく読み終わった本をわたしにくれた。

わたしはおとうさんみたいに難しい本は読めないので、わたしが好きそうな類の本をくれていたのだろうけど、おとうさんからもらった本はほとんど、お気に入りの本になった。

こんな本が読みたいんだけど…というとその望みに関連する本も貸してくれた(宗教の本が読みたい、とか素敵な詩が読みたいとか)。蔵書の力がすごい。

大学生のときは、ときどき送られてくる仕送りの段ボールの中にお父さんが絶対に一冊は本を入れてくれていた。送られてきた本もやっぱり見事にわたしの好きな話ばかりだった。

 

 

 

 

おとうさんは最近なに読んでるの?とこのあいだきいてみた。

最近は芥川全集を読み直してる。あと直木三十五南国太平記っていうチャンバラ小説だな。とのこと。やはり芥川・直木は原点にして頂点(?)なのか?

 

 

 

 

 

 

自分には救われる読み物というものがある。その出会いにすがりたいから本を読み続けているような気がする。

自分には知らないことがたくさんあって、でもそれらを抱えきれるほど自分は頭がよくない。いろんなことに立ち向かうことができない自分をもどかしく感じる。そんな気持ちはこれからわたしはなにをするべきなんだ?と自分に問いかけてくる。

それはそれで嫌なことではなくて、何かを行おうとする原動力になって、自分をその気にさせてくれるものでもあるけど、自分の心と頭にエネルギーが足りないように感じてしまうときがある。そういうときは自分のことがすっごくいやになって、逃げたくなる。なにからかわよくわからないけど、たぶん現実からなのかなあ。

 

そういうときに本を読む。

とにかく読むと、偶々出会うものに救われたりすると、自分はそれに感動せざるを得ない。

自分の中のもやもやした気持ちはだれにも理解されないと考えてしまうことが少しあるが、その登場人物がすこしだけでも自分に似てて、此の人のように素晴らしく生きられるのではないかと希望が湧いてきたり、この本の中に自分がいたなら、きっと正しい言葉を自分にかけてくれるのではなかろうか、と思ったりしてしまう。

いろんなことを難しく考えすぎてしまうわたしのこころのなかは、かなり混雑しているのに、自分を助けてくれる言葉や状況はとても普通で単純であったりする。でもそれらの表現が自分のなかの隙間にピッタリとはまってしまう、それが自分にとっての救われる読み物なのかな、と思う。

 

そんな文章を読むと自然と涙がでてきて、この涙はきっとあふれ出す気持ちが言葉にならなくて、でも何かを発したかった時にでてきてしまうものなのではないのかな、なんてことを思う。

 

 

 

あれ、やっぱ本を読むわたしが良いんじゃなくて、本がすごいんだなあ。

でも、なるべくいろんなことを吸収して、わたしの中の引き出しをたっくさん増やして、大切なひとが悩んでいるときとかに、その人が救われるような言葉をかけてあげられる、そんな人間でありたいとおもうよ。そういうところがわたしの良いところってことで、いいかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏がきたよ!

 

 

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まじで酔ったら人に電話しちゃうのやめたい。迷惑だと思うから。昨日電話しちゃった人達ごめんね。と思う。お酒飲んだらわたしから携帯をとりあげてくれ。

お酒をたくさん飲んでしまって少し後悔しながら(でもマジハチャメチャ楽しかったからいいかとも思う)なんとなくだらだらと文章を書いている。写真は昨日食べたかき氷。

 

夏になったなあと思う。ことしは梅雨がめちゃくちゃ短かった。

季節がはっきりしてる方が好きなので、夏冬の方が、春秋よりすきだなあ、と思う。

暑がりなので暑すぎることは嫌いだが、ふとした時の涼しい風が、体に触れるような夏は好きだ。半袖も好き。夕涼という言葉も好き。

 

 

夏休みってめちゃくちゃ特別で、大好きだったなあと思う。みんなそうだと思うけど。

わたしにとっては夏休みはものすごく楽しみにしてたイベントがあった。横浜に住んでいた時の幼稚園のOB会のキャンプだ。通称OBキャンプ。

2泊3日のキャンプでその幼稚園を卒園したOB(わたしは途中で東京に引っ越したので厳密に言えば卒園はしてないのだが)が参加できるものだった。8月の第1週に毎年開催されて、わたしはこのキャンプが好きすぎて小1から中2までフルで参加した。

1日目の夜は肝試しをして、2日目の夜はキャンプファイヤー。みんなで決めた献立でご飯を作って(まあたいていカレーだけど)、自分達で火を起こして、食材を切って、お米を炊いた。テントの中で怖い話をしたり、トランプをしたり、UNOをしたり、持ってきたお菓子を食べながら好きな人の話をしたりした。近くに川があったので水遊びもした。あぶくたったー煮えたったーもした。毎年絶対にキャンプ参加者全員でやる、広告で作った剣で戦う宝物取り合い合戦(この遊び名前があったんだけど忘れちゃった)は大人もガチでやるからすごいわくわくした。たくさん走って、宝物をとった人はヒーローだった。

全部が楽しくてサイコーだと思っていた。こんなに楽しいことある?ってくらいわたしはキャンプを全力で楽しんでいて、わたしがキャンプを好きなんじゃなくて、キャンプがわたしの好みに全部合わせに来てるんじゃないかとまで思ってた。

 

 

OBキャンプが好きすぎて、楽しみすぎて、待てなくて、6月くらいからそわそわして、毎日OBキャンプのことを考えていたのを覚えている。キャンプの前にキャンプのしおりが家に届いて、あー嬉しい!今年もあんな楽しいことがあるんだ!と考えたりした。どんな服を持って行こうかな、と考えるのも好きだったし、2日目にお気に入りの服を着るというのも決めていた。なかびだから、気合を入れてかなあ?わかんないけど。

特殊な幼稚園でとっても人数が少なかったたので、縦のつながりが濃かったというのもあって、みんなに久しぶりに会えると考えるのも嬉しかった。キャンプが終わって、キャンプ場から幼稚園に戻ると、親が車で東京から迎えにきてくれていたけど、帰りたくないと泣いてたこともある。

 

 

キャンプの最終日に、白い紙に好きなようにキャンプの思い出を書いた。みんなの感想が一つの冊子になって、キャンプが終わった後に家に郵送されていた。それを読みながら、来年も楽しみだなあと、思ったりするのだった。

 

 

 

 

なんかここまで書いて、冷静になるとそんなに好きだったことが嘘みたいな気がしてきた。まあでもそれくらいわたしはOBキャンプに狂っていたのだ。

 

 

あんなに遊びをめちゃくちゃに楽しめた経験って、ほんと貴重だなと思う。

いま考えるとお風呂もなかったし、トイレは汚かったし、虫はたくさんいたし、あのころほど全力でキャンプを楽しむことって多分できないんじゃないかなと思う。引率してた大人はすごいな、と自分が大人になってから気がつく。

 

 

大きなリュックを背負って、みんなで山道を歩いたなあ。汗と木の混ざった匂いを思い出す。今年も夏がきた。

なんかすごい楽しいことがあっても、あの頃の記憶の中の楽しさには勝てないなあなんてことをすこしだけ思う。大人になって楽しいことって大抵ちょっと恥ずかしさが伴ってる気がするけど、まあそれもいいよね。とりあえず今日は二日酔いだけど、明日には回復してちゃんと仕事に行けるといいなあと思うよ。

 

 

 

週5で会社に通えない

 

2日連続で会社を休んだ。ずっと休んでいた期間があったのでわたしには有給がない。普通に欠勤した。

朝起きたら始業の時間になっていた。身体がだるすぎて涙が出てきそうになって、息苦しさを感じて、無理だ、行けない。と思った。なんのちからもわかなかった。

会社に電話して、友だちには会社を休んじゃった。とラインを送った。

友だちは午前中から、おいしいパン屋でパンを買ってうちに遊びに来てくれた。わたしが好きだと話したことを覚えていてくれたのか、固いパンを買ってくれた。固いパン、マジで好き。ドイツのパンみたいなやつ。くるみとかドライフルーツがいっぱい入っていてずっしりしたパン。

お父さんがダージリンのアイスティーを入れてくれたので2人で飲んだ。

友だちの家まで移動したりして、午後まで一緒にだらだらして、「ちょっくらかき氷でも食いにいくかァ〜」と三回くらい言ったけど、外が暑すぎて結局ずっと家の中にいた。

 

 

 

 

いろんなことがうまくいかなくて、また寝られなくなって、ご飯が食べられなくなって、普通の生活からちょっと外れた状態になってしまった。あんなにちゃんとご飯を食べすぎるくらい食べていたのに、簡単に食べなくてもいい体になってしまうことが恐ろしく感じる。体重を測らなくても体が不自然に痩せていくのがわかるのが苦しい。

 

誰のせいでもなく、完全にわたしのせいでこうなってしまって、一度そうなるとまた抜け出すのに少し時間がかかってしまう。

毎日寝られるか不安なのだが、睡眠薬を飲むと朝がとにかく辛くて、スッキリと起きられない。から極力飲みたくないと思ってる。

睡眠薬を飲むタイミングを間違えると、朝はずっと寝たままになってしまう。から、今日は寝れない!薬を飲むぞ!とスパッと決めないといけなくて、寝れるかなあどうだろうと思ってずるずる12時になる、1時になる、2時になる、今から飲んだら明日の朝起きられない、となってしまうとそれはもうおわりを意味するのだった。

 

 

飯も食えない。のはなんでなのかよくわかんない。

睡眠に関しては寝たいのに寝られないのだが、ごはんに関しては食べたいとならない。固形物をのどにいれて、食道に入れて、胃に入れるのが億劫だ。別に食べなくてもいい。むしろ食べたくない。飲み物だけで生きていけるならそれでいい。

でも、ご飯を食べないと力が出なくて、朝駅まで自転車を漕ぐ気力が湧かなくて、日の光を浴びる気も起きなくなってしまう。

食べないといけない、と思えば思うほど食べられないから難しい。

 

わたしは会社勤めがろくにできない、と思ってて、自分は欠陥がある人間だなあと思う。

誰しも悩むこととかあるのに、わたしは生活に支障をきたしてしまうので、会社に行けなくなる。わたしをよく知る人はわたしがほとんど寝坊をしない人だと知ってると思うけど、そんなわたしが寝坊をしてしまうのは身体のメカニズムがどうにかおかしくなってしまっていることを認めざるを得ない。

なんかもっといい生き方あるのかなあと思うけど、お金がないと生きていけないし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしのこころと身体は、なんて難しいんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいしいごはんが食べられますように」を読んだ。Twitterでいろんな人がこの本を誉めていて、読みたいなと思っていたら芥川賞の候補作になったのでやっぱり読まないとなと思って買いに行った。うちのお父さんはなんとなく、これが芥川賞を受賞するんじゃなかろうかと思っているらしい。N/Aもかなり良かったが、あれは若い人向けかなあ。蹴りたい背中を読んだ時と同じ感じがした。どっちも好きな作品だが。

今年は芥川賞(できれば直木賞もだけど直木賞は長編だからむずいかなあ、、、)候補作を、発表前に全部読んでしまいたいと思う。わたしは新しい本が読みたいと思っているこの気持ちを、無駄にしないようにしたい。それでも家で積読になってる昔の本たちに気まぐれで手をつけるかもしれないが。

 

 

 

 

「おいしいごはんが食べられますように」は、素敵なタイトルから思い浮かぶような、おいしいごはんとほっこりするようなその他の人間関係を書いた本ではない。

これはまさに純文学で、なんていうか、おいしいごはんが食べられなくてもべつにいいような物語だった。

 

 

主人公の二谷は、職場でそつなく仕事をこなして、そこそこうまくやっていて、お腹が空くからご飯を食べるひとで、食べるものはなんだってよくて、カップ麺で十分で、なるべく体にいいものを食べるとか、そういうことを考えたくないような人で、

 

芦川さんは、無理をしない人で、すこしの理由があれば会社を早退したり、休んだりするし、会社の中ではか弱い、みんなが守りたくなるような存在で、料理が上手で、きちんとしたものを食べて、よりきちんと生きるのが好きで、

 

押尾は芦川さんが会社を休んだ時、代わりに仕事を任せられるような存在で、器用貧乏で、真面目でがんばりやで、体育会系で、みんなで食べるものってだいたいまずく感じるって言うし、おいしいってことを人と共有するのが苦手なひとだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなのごはんの価値観があって、自分の中のごはんの価値観をみっつに分けたような登場人物たちだった。いまの状態は二谷に近いかも、でもよりよく生きたいという気持ちとかお菓子作りが好きなのは芦川さんに近いかも、ひとりで好きな食べ物を食べるのが楽なのは押尾に近いかも。

 

誰の気持ちもわかるような気がしたし、芦川さんに嫌悪を抱く押尾の気持ちもめちゃくちゃわかったのに、芦川さんのように仕事を休んでしまったなあと思ったりもした。

本を読んでいた時は芦川さんにイラッとして、押尾の味方でいたいと思っていたが、わたしも芦川さん側の人間であるのかもしれない。まあ、芦川さんも悪い人じゃないけど。

 

 

わたしはいま、おいしいごはんが食べられるような状態じゃないけど、友だちとなら食が進むってこともあって、仲のいい友だちが一緒にご飯を食べてくれることがある。とてもありがたいなあと思うし、これからも一緒にご飯を食べて欲しいと思う。

それでも、押尾が言った言葉がわたしの中で深く、強く残ってしまっていることは、意味があることだ。

 

 

 

「わたしたちは助け合う能力をなくしていってると思うんですよね。昔、多分持っていたものを、手放していっている。その方が生きやすいから。成長として。

誰かと食べるごはんより、1人で食べるごはんがおいしいのも、そのひとつで。力強く生きていくために、みんなで食べるごはんが美味しいって感じる能力は、必要じゃない気がして」

 

 

 

 

1人で生きるのってめちゃくちゃ生きやすい、とは思う。でも1人でごはんを食べてる時のリラックスさで、人ともごはんを食べられたらもっと良いと思う。押尾にとっての二谷みたいに。でもそんな人ってなかなかいない。

ごはんって生きていくために必要なものだから、その価値観って大事にしないといけなくて、ごはんの価値観が合う人も同じように大事にしないといけないと思う。

わたしは1人でいたいと思う時と、1人がほんとうに怖いときがあるけど、ごはんに関してもそうだなあ。

 

 

 

 

 

わたしもわたし自身がおいしいごはんが食べられますように、と願っている。

そうしたら今よりもうちょっとうまく生きられるかもしれない。

 

 

 

さくらももこがすきだ

 

 

 

わたしがさくらももこにハマったのは多分小学校2年生の頃からだと思う。

毎年小学生の頃は家族旅行で夏に伊豆の海に行っていた、いっつも泊まるちいさなちいさなペンションがあった。

ペンションの近くに「怪しい少年少女博物館」という謎の博物館があって、ガキンチョだったので、車で横を通るたびに兄となんだこの博物館ー!指を刺して笑っていた思い出がある。

 

家族でやっているペンションで、とにかくご飯が美味しいところだった。小さい貸切風呂が二つあって、空いていれば自由に入れた。まわりがまるっきり自然、という感じなので一回脱衣所でデカすぎる蜘蛛に遭遇したことがある。人生でいままでみたなかで一番でかい蜘蛛だった。流石にビビってペンションのオーナーに助けを求めた。

 

このペンションこそがわたしとさくらももこの本格的な出会いの場である。

もちろんちびまるこちゃんは知っていたけど、日曜日にやるアニメだなあという印象しかなかったので、本格的…な出会いはそこだった。

 

その小学生2年生の時、ペンションで風呂に入ったあと、夜ご飯まで少し時間があった。わたしはお父さんと一階におりていろんな本やボードゲームが置いてある共有スペースにいった。

そのとき、何気なく手に取った本がさくらももこのエッセイ「たいのおかしら」である。

これ読んで欲しい!と父にいい、父に本を手渡した。

父にひとエピソードずつ読み聞かせてもらった。さくらももこの父ヒロシの話、飼っていたグッピーの話、一円を拾うのに一円以上のエネルギーを使う話、野球狂の詩”狂”の話。

わたしも父も毎回くすくす笑った、ときにはゲラゲラと笑ったのを今でも覚えている。

 

全部を読み切れなったので後日、ブックオフの百円コーナーでたいのおかしらを買って、わたしは食い入るようにその本を読んだ。その後もさくらももこのエッセイを買っては読みまくった。

 

今でもいろんな人のエッセイを読むのがとても大好きだし、エッセイを書きたいという気持ちもある。疑うことない原点が、そのペンションで読んだ、さくらももこの「たいのおかしら」にあったのだ。

 

 

わたしの中学の時のブログは恥ずかしながらさくらももこにかなり影響を受けていたと思う。

日常の些細な出来事をおもしろくオチをつけて書きたがっていた。恥ずかしい。

 

中学3年間保健委員で、保健室が好きなタイプの生徒だったので、保健室にあるさくらももこのエッセイマンガも読んでいた。最終的に借りパクして、卒業式の時に、保健室の先生に全然返してなくてマジごめん、って言ったらもういいよ、いいよ、持ってきなと言われたのは思い出すと笑えてくる。まだ家にある。

 

 

わたしの小学校1年生のときからのおともだちのほのちゃん(このブログ2回目の登場)と意気投合したのもさくらももこのエッセイ好きというところが結構デカかった。

ほのちゃんいわく、わたしたちは小学校の図工の時間、図工室で席が近かった時によくさくらももこのはなしをしてたらしい。悲しいことに図工室の記憶がわたしにはかなりあいまいにしか残っていなかったが、さくらももこの息子幼稚園休みすぎだよね、とか、やっぱ大人になってからじゃなくて幼少期を書いたエッセイの方が面白いよね、とか感想を言い合ったり、自分の持ってないエッセイを貸し借りしていたのは覚えている。

 

一昨年くらいにほのちゃんと期間限定でやっていたさくらももこカフェに行った時は、カフェのメニューも可愛くて、グッズも可愛くて2人とも満足するまで散財した。ほのちゃんがわたしが8000円くらいの支払いをしてる写真をインスタのストーリーに載せて、「夢の対価」と書いていたのをよく覚えている。その通りだ。

 

 

 

この間コジコジ万博という展示会に行ってきた。

さくらももこの漫画、コジコジに出会ったのも小学生で、さくらももこの変なところと面白いところをぎっしり詰めたような物語はまたもやわたしを夢中にさせた。キャラクターが可愛いのも好きだった。

開き直るとそれでいいんだよなあ、と思えることがコジコジにはたくさんあった。コジコジを読むと不思議と元気になれた、気がする。大好きな作品だ。

 

コジコジ万博のなかも世界観が可愛すぎて、おもしろくて、原画を読むと懐かしくて、いろんなキャラクターのことも紹介されてて、アニメも可愛くて、どこからかコジコジの声が聞こえてくるのもふふふと笑ってしまった。

 

コジコジがテストで0点を取って、次郎くんにそんなに羨ましがらないでよ、って言ってるコマがあった。

コジコジを読んでた当時はマジでそんくらいのマインドで生きていきてえ〜と思ってたことを思い出せてよかった。

 

 

一通り展示を見てグッズを買った。今回は9000円くらい使ってしまった。わたしはどうやらさくらももこのことになると財布の紐が緩くなってしまうらしい。

図録はもちろん買ったしフィギュアとか、ポストカードとか、コジコジのイラストが缶に書いてあるお茶も買った。(お茶…ほんとに必要だったのか…?)

 

 

さくらももこは2018年に亡くなってしまった。

あんなにエッセイで自分がやってる健康法のことをかいてたひとが亡くなるなんて信じられなかったしとても悲しかった。

私の中でいろんな思い出が湧き出てくるのがさくらももこで、たまたまあのペンションで、あんなエッセイを書くへんなおばちゃんに出会えたことはほんとによかったなあと今でも思う。

わたしはいろんな本を読んできた方だと思うけど、自分の中で思い出の本を選ぶのなら絶対上位3位にたいのおかしらは入るきがしてる。

いつかさくらももこの地元の清水市に行ってみたい。あんたのおかげで良い思い出があるよと思いを馳せてみてもいいかもしれない。

 

 

夜は短かったので、トルコのリキュールを飲んだ

 

友だちが誘ってくれたので、新宿のバルト9で再上映されていた夜は短し歩けよ乙女を見に行った。

本を読んだのはだいぶ昔になる、中学生の時とかだろうか。映画はまだ見たことなかったが、映画館で上映していた当時はアジカンのエンディングが好きだったので予告だけをyoutubeで何回も見ていたりした。

 

 

18:30からの上映だった。

18:00に仕事が終わるから、普通に行けば間に合うなと思ったけどバルト9新宿駅からは割と遠いことを忘れていたし、なんなら新宿で映画といえばわたしの中ではシネマカリテという映画館のイメージがあるので毎回シネマカリテに行ってしまう、いや、違う違う!バルト9だって!!やべ!!遠いところじゃん間に合わねえ!!!

 

ちなみに武蔵野館に行く時も毎回シネマカリテに行ってしまう。シネマカリテで昔見た勝手に震えてろ、が自分に死ぬほど刺さった映画だったからだろうか。全然武蔵野館に行く回数の方が多いのに。

 

あ、今回は武蔵野館じゃないんだ、じゃああそこだな、と思ってシネマカリテに行ってしまった、いやいや違う違う!!!バルト9だって!!!

 

つまり間に合わなかった。

映画だから最初の予告とかあんだろ、と思ってたけど、友人に聞くと宣伝は全くなくノータイムで映画は始まったらしい。

すみません、すみません…といいながら座席に座っている人の前をよこぎって自分の席にすわる。隣に座っていた友人が小さく手を振った。

 

 

 

夜は短し歩けよ乙女、は「黒髪の乙女」に恋をしてしまった「先輩」が、いろんな出来事に巻き込まれたりしながら少しずつふたりの関係が進展していく物語だ。

 

原作では四つの季節(春、夏、秋、冬)に別れた話なのだが、映画ではそれを一晩にまとめ切っていた。

え、一晩の話なの?!無理あんだろ!?とよくよく考えると思ってしまったけど、次々に現れるユニークな登場人物や、その人らの怒涛の語りがとても心地よいテンポで、そんな違和感を忘れてしまうくらいぐいぐい物語の中にわたしたちを引っ張ってくれていた。

 

不思議な京都の夜の1日。夜は短し、といえど時間はまるで自由に伸び縮しているような、不思議な時間軸での話だった。

 

映画のあとは監督のトークイベントがあって、ニッポン放送のよっぴが司会をしながら湯浅監督の話を聞いた。夜は短しの話とか、最新作犬王の話とか。

よっぴを生で初めて見た。わたしが中学のころからラジオを聞いていたのに、まだまだ見た目すげえ若いなと思った。湯浅監督との話が絶妙にかみ合ってなかったりしてちょっと面白かった。

犬王は絶対に見に行こうと思った。

 

 

 

わたしたちは映画を見終わってトルコ料理屋にいった。

わたしとその友人ふたりの共通点は、たぶん異国料理のような複雑な味のご飯が好きなこと...だとちょっと思ってる。

 

 

トルコ料理屋は、びっくりするくらい空いていた。というかわたしたち以外客がいなかった。

 

 

なにのむー?となってメニューの中でひときわ光を放っていたよくわからないカタカナの羅列のお酒があった。

トルコのリキュールらしい。

映画の中で黒髪の乙女は目一杯お酒を飲んでいたので、それに影響されたのか、わたしたちもこの不思議なお酒を飲んでみたくなった。

 

ソーダ割りにする?水割りにする?と聞かれてよくわかんなかったけど初めて飲むからソーダ割りかな、となった。

 

細長いグラスに透明のお酒が入ってでてきた。

氷をカラカラといれて、ソーダで割ると透明なお酒が白濁した。

不思議なお酒だな、と思って一口飲むと、ウッ、、、濃い…てかキツい!匂いもキツい!全部キツい!一口飲むごとに絶対に顔が変な顔になってしまうくらい我慢のならない味だった。

 

 

これはぱん、奥に見えるのがわたしたちが戦ったトルコのおさけ

 

 

2杯目どうする?となってわたしはもうトルコのリキュールにやられていたので、いやもうつぎは一番搾りにするわ……と言うと友人2人は笑っていた。

 

残りは息を止めながら飲み込んだけどそれがまたおかしくて、そんな夜もまあ悪くはないかなと思った。

 

 

 

 

何だかよくわからないけどペースト状になってるスパイスの効いた味のやつとか、豆のつぶれたやつとか、ヨーグルトのかかった餃子とか、ラムチョップとか、食べたいものをたらふく食べた。

 

バクバクとたべながら、さっきみた映画の話とか、犬の話とか、猫の話とか、昔の話とか、ハートストッパーの話とかストレンジャーシングスの話とか、仕事の話とか、旅行に行きたい場所の話とか色々した。

 

多分(ほんとに多分)トルコ人っぽいお店の店員さんは素敵な好青年といったかんじのひとで、トルコのお酒どうでしたか?と聞かれたけど苦笑いをしてしまった。すいません。

たべものを注文すると毎回わかりました、と丁寧に言ってくれてそれがなんだかよかった。

最後にデザートを頼んだらトルコの紅茶のサービスをしてくれた。

もっと皆行けばいいのに結局最後までわたしたち以外の客は来なかった。

もしかしたらわたしたちだけが行けた異空間だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

好きな人たちとご飯を食べる夜はとても短い。

その短い夜をわたしたちも歩く、映画館までの道のりをトルコ料理屋までの道のりを、駅までの道のりを、家までの道のりを

 

 

おわり

小さな吐息よ

寒暖差が私に影響を与えすぎている

せっかちな気性なので、基本寝坊や遅刻をしないわたしなのだが、今日の朝は遅刻をしてしまった。

予約の時間に医者に行かないといけなかったのに、2時間も遅れた。身体がだるすぎたのだ。午前休だったけど、そのあと会社にも30分くらい遅刻した。

 

 

また朝が辛くなり始めてる。特に寒い日か雨の日は頭も痛いしとにかく言いようのない気持ち悪さが私を襲ってくる。体調が悪いと些細なことでイライラしてしまう。

 

でもそんなのもしかしたら私の思い込みかも知れなくて、低気圧なんてわたしにとっては大したことないもので、わたしによる思い込みが、気持ちが、気持ちから、、、、

 

 

 

 

医者の診察を待つための部屋のことを

待合室っていうけど、待合ってはないんだよな。合いじゃない。と思う。

こっちが勝手に順番を待ってるだけで医者側は別に待ってない。

だから、2時間遅刻しても、医者には何も言われなかった。逆に、「お待たせしました」って言われた。どういうことなんだよ。どういうことでもないか。

 

 

病院の受付に老人夫婦がやってきた。

話が聞こえてきたが、どうやら医者から電話がかかってきたので来たらしい。

受付の看護師に椅子にかけてお待ちください、と言われていた。

 

わたしの行っている病院は、番号札が渡されて、その番号が電光掲示板に表示されたら、先生の部屋に入るというシステムだ。

おばあさんはそわそわして、受付の看護師に、番号とかないんですけどこのまま待ってて大丈夫なんですか?、と言う。

看護師は、大丈夫ですよ、もう少し待っていただければお呼びしますので、と言っても、おばあさんは、でも…と不安そうに話している。するとおじいさんの方がいきなり立ち上がって

 

「いいんだよそんなくだらないこと聞いてないで!!!電話がかかってきたのはわたしです待ってればいいんでしょ!!」とものすごく大きな声でおばあさんに怒っていた。

 

そんな大きな声出さなくてもいいのに…とわたしは少し怖くなった。

 

 

「ええ!!もういいんだろ!!!」と大声が聞こえる。

 

わたしはその光景がこわくて、見たくなくて、一生懸命目を閉じた。

 

 

 

 

診察が終わって、会計をして、また薬を40日分くらいもらった。

治るかよくわかんないことに月5000円も払ってて、それに縋るしかない日々を送ってる。

この間は夜が寂しくて、Twitterのアカウントを新しく作って趣味が合う人と交流したいなと思ったけどどうやっていいかわからなかった。tinderをインストールしたら友だちができるかなと思ったけど、趣味合う人と出会うのなんてむずいし使い方がわからなかったのですぐアンインストールした。

変な状態だなあと思う。

 

 

 

 

極論を言うと、世界の人が、誰も彼も、怒らないでほしいな、と思う。

 

 

 

 

 

でも一昨日、薬をちゃんと飲んだの?としつこく聞いて、ねてるのにわたしの部屋の電気をつけてきた母にわたしは、

「しつこいな…飲んだって言ってんじゃん体調悪いんだからほっといてよ!」とかなりイライラして、親にキレてしまった。26歳なのにね…

 

 

 

わたしの怒りは、あの怖かったおじいさんの怒りとなにも違わないのかもしれない

 

 

 

貴志祐介の『青の炎』という小説があって、わたしはこの本を高校二年生の時に読んだ。

クラスの控えめで色白で上品な女の子がこの本をおすすめしてくれたので、その日にブックオフで文庫本を買った。

 

わたしのなかで印象に残る小説というものはだいたい読む手が止まらなくて、一晩で読み通してしまう本であって、『青の炎』もそのなかの一冊だった。

主人公もその時のわたしと同じ高校二年生で、わたしと同じように「山月記」「こころ」を国語の授業で勉強している描写があったのをよく覚えている。

 

 

小説の中で、「瞋恚は三毒の一つ」と言う言葉がある。

瞋恚とは怒りの心であり、三毒は人間の諸悪・苦しみの根源とされている。ブッダの説いた仏教を通じて広く知られている概念のことらしい。

 

わたしは、理不尽なことに対する怒りや、正当性を求めるための怒りはのこと言っていない。

悲しみや憎しみや恨みをもたらすような怒りのことだ。

 

小説の中で出てくる、無敵の大門、と言うキャラクターがいる。

なぜ無敵かと言うと、決して怒らないので敵を作らないからであるそうだ。

すごい、そんなふうにわたしもなりたい。

ささいなことで怒ったりしたくない。

 

し、みんなも怒らないでいてほしい、と思うのは傲慢だろうか。

 

 

 

午後から出勤して、なんとなくスイッチが入らないまま仕事をして、いつの間にか仕事が終わった。帰りの電車が遅れている。人身事故らしい。

 

たくさんの人がホームにごった返している。

遅れて電車が到着して、人がどんどん乗るから、たちまち満員になる。

わたしは人に押しつぶされていたし、誰かを押しつぶしていたかもしれない。

「パ」、「ア」、と途切れ途切れに変な声を出す若者がいるのに気がついた。

周りの人は怪訝そうにその人を眺めたり、無視したりしている。いろんな人がいる。

 

 

 

あのひとが漏らしている音にはどんな意味があるのだろうか。

 

 

 

 

と、ふと考えることにはなにも意味がない。