週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

お題「高校生の自分に読ませたい本」

 

わたしはわりと知的好奇心がある方だと思う。

結構どんな時でも世の中のいろんなことを知りたい気がするし、常に何かを学んでいたいと言う気はする。それはいろんな自分の引き出しがあるほうが人の助けになるんじゃなかろうかという気持ちと、純粋に知らないことを知るのは面白いという気持ちの二つがある。

だからわたしは本を読んでるみたいなところもあるし、人に何か教えてもらうのも好きだ。新聞を読むのとか、Twitterでいろんな記事を読んだり、いろんな意見を見るのも自分に何かしら蓄えられてると思える。

 

文系脳なので文学的なことや、美術とか歴史とか、哲学的思想とか社会学とかに惹かれてしまうけど、理系的なものももっと知ったら面白いんだろうな〜と思っていろんな勉強ができたらもっといいのになあと思ったりする。

何かを知ることが、いろんなことにつながると思う。いろんなことを知っていた方が、いろんなことに理解ができやすい。ざっくり言うとジャンル問わずいろんなことがわかるひとになりたかった。

 

 

自分の意見も言いたいし、人の意見も聞きたいと思ってる。でもそれが時と場所によっては人を嫌な気持ちにさせてしまうこともあると知ってからうまくは言えないことが多いが。どうしても杭が出てしまってる風に見える時がある、そしてその杭が出てること(浮いてること)を恐れなきゃいいのに、自分を肯定できない自分がいる。

知ってることを振りかざすような人にもなりたくない。

 

 

基本的に議論が好きなので、大学のゼミとかもどちらかといえば好きな方だった。みんなの意見とか質問とか興味深かった。しかしわたしは研究室の中では積極的な方ではなかったし、みんな頭良くてすごいよ…って感じでみんなの話をなるほどなあと聞くことが多かった、議論に参加できていたかはかなり微妙である。

 

 

自分の発表で、卒論執筆しはじめていろいろ難しくて悩んでる時に、先生にボロクソ言われて泣かされた時はもうゼミ発表なんて一生しねえよ!くそが!と思ったが、院生が慰めてくれて心を立て直したこともあった、まあ今思えばこれはいい思い出な気がする。笑

(言っておくとこの先生はわたしの指導教員ではなく、指導教員がサバティカルでいなかった期間に臨時で来ていた近くの女子大の先生だった)

 

 

 

 

ただ天邪鬼なのか勉強しろと言われるのはめちゃくちゃ嫌いで、わたしの家は結構親に勉強をしろと言われてきた家庭だったけど、小学校の時はわざとテストで悪い点を取ったりしていた。

算数のクラスで少人数教室になったとき、勉強が苦手なひとたちの方のクラスに行ったりしていた、そっちの方がわたしにとっては心地よかったりするのだ。スローペースな勉強が好きだった。みんなのびのびとしてたまに教え合って、そんな雰囲気を小学生ながらもその時のわたしは感じていたと思う。

 

 

高校生の時もやる気出した時とやる気出ない時のテストの点数の差は結構あった気がする。親にもまたわりかし小言を言われた。そのたびに勉強することが嫌になった。けど多分ある程度には勉強してたんだと思う。ギリギリ赤点は取らなかったし、いつでも上位に行けるように保険をかけていたところはある。

 

そのころは特になにかに強制されることがとにかく嫌で、校則も破って、スカートも短くして、髪の毛も染めて、ネクタイゆるめて第二ボタンを開け放って(開けてた、ではなく、開け放っていた。笑 今思うとなんであんな開け放ってたんだろうと思う、シャツはちゃんと閉めた方がいい)、いつも遅刻して、体調が悪いと嘘をついて保健室で授業をサボって、というかなり今思えばダサい感じでわたしは高校生だった。不良や問題児とかそこまで振り切れなかった、ダサく抵抗していた高校生。

もっとのびのび勉強できればよかったな、わたしの問題だけど。

 

 

 

でも正直わたしにダサくなくて輝いてた時期なんてないとは思うけどな。

 

 

 

 

新卒で最初に入社した会社では毎月月初に自己啓発本やビジネス書を一冊指定されて、それを読んで月末までに読んでレポートを提出するという宿題が出されていた。

とにかく論理的思考を鍛えろ!と言われて、セミナーみたいなのも受けろ、みたいなことも言われていたし、会社でもそういうのを斡旋していた。真面目な新卒のひとたちはちゃんと受けてた気がする。

 

自己啓発本もビジネス書も好きではないわたしは、また天邪鬼の発動も相まって約1年間全てそれを無視した。レポートは一回も出したことがない。なんで業務時間外につまんない勉強しなきゃいけないんだよ、休ませろただでさえ残業あんのによ、と悪態をついていた。

もちろんそれをもっとちゃんとしてたら、わたしもまともな社会人というやつになれていたのかもしれないとも思うし、いい意味でも何か変われていたのかもしれない。

 

でもわたしはそんなものを読むなら小説とか、エッセイとか読みたい、一般的な意見じゃなくて、いろんな人の、「その人の」立場の声を知りたかった。(時々、そういう代表された意見がオ、面白いなと感じることももちろんある)

 

そんな不真面目なわたしは上司にはいつも怒られていたが(喧嘩してわたしがキレて帰ります、と言って退社するのが月1のイベントみたいな時あった)、いつか急に全社朝礼で抜き打ちで行われた論理的思考テストみたいなやつで、偶々だとは思うがかなり高得点をとって、全ての部署の責任者を抑えて社内1位をとったら上司も黙った。(わたしって論理的思考備わってんの?正直そんなふうには全く思えないけどな、すぐ感情で物事考えちゃうよ…)

 

その成績上位者をランク付けして、全社朝礼でみんなの前で発表したのも、何の意味があんだよ、と思った(わたしの立場からしたら上司を黙らせるのには効果的だったが)し、こんなもんで人を測んのもキモいな、とも思った。それだけじゃなくて、とにかく前の会社では数字で、定量的な評価をばかりを下していた。あ、わたしはそういうの無理だな、と確信を深めに深めて、そのテストの後わりとすぐ会社を辞めた。

 

リーダーになれる素質あるからやめないで、そしたら昇給もさせてあげられるし、みたいなこと言われてひきとめられたけど(ほんと人手不足だったからてきとうなことを言われているのはわかってたし)、出世とか人の上に立つのはマジで興味ありません!!!あざっした!って感じで去った。

今思うと前の会社ではとにかく上司の話を聞かずに自己が正しいと思うことを貫き通していて、すごい扱いにくかった社員だったと思う。

わたしと喧嘩してた上司の評判は正直社内でも悪く、人事の人にその上司に問題あるんだったら異動とか対応考えるよ、と言ってくれたけど会社の雰囲気自体が嫌いだったので辞めるのは決めていた。

そしてなぞに最後は、その上司のせいで辞めるわけじゃないんで、あの人は悪くないです、と庇ってしまった。わたしも確実にダメな部下だったからな。

 

 

 

転職してから、コツコツ簿記の資格を取っていま1級の勉強を自主的にしてるのは、好きにやりたいことやっていいよ、やりたいって言ってくれたらなんでもできるから〜と言ってくれるありがたい環境があるからでしかないと思う。残業もないので自由な時間が多いから勉強しようという気持ちにもなれる。

もちろん資格はあった方が生きやすいかな、とかそういう打算的な考えもある。事務所で仕事ない時も暇すぎるの嫌だから、勉強してた方がいい。

 

 

 

 

まあただ、頭がいいかどうかということや、実際にどのくらい学べているのか、とか勉強の量などについては置いといてほしい。(簿記一級も来年受験を目標にやってるが、むずくて範囲が広くていまのところ落ちる気配がぷんぷんする)

というかわたしは完璧にはっきりと、自分は地頭が良くないと思っている。記憶力も悪いし。いっつもなにかを常に学んでる、というわけではない。本も読みたくない時は読まない。たぶん人と話してる時は露呈していると思う、わたしのいろんなところの足りなさが。

 

めちゃくちゃ勉強して、ひいひい言いながらギリギリで合格した地方の国立大学では、周りの人たちの頭の良さが羨ましくなって、自分のあたまの軽さを隠すのに必死だった気がする。

 

 

 

勉強が嫌いじゃないけど頭が良くない、っていうのはわりとコンプレックスとして存在はしてる。いくらやってもわからないことが多かったり結果が全然出ない感じがあったのは学生の頃は苦しかったな。

決してものすごく頭が悪いわけじゃないと思うけど、勉強で失敗したことってわたしは割とあるほうだと思う(まあ主には受験かな)。

わたしの受験挫折経験は正直めちゃくちゃ根が深いと思う。ものすごく仲の良い友達にもこのことについて話したことはあるが全ては話していない。苦しすぎる失敗が恥ずかしくて全てを話せない。

 

 

 

 

 

そんなに頭が悪いというわけでもなくて中途半端、っていうのと、もともとの真面目な性格もあって、わたしはもっと頭良くなれるんじゃないか?みたいな理想(幻想に近い)があったから厄介で、わたしはもっとできるんじゃないかとか承認欲求とかも高くていろいろ失敗したんだと思う。

そのたびにわたしはいくら勉強しても理想には追いつけなかったなあという絶望感がある。今思うと努力は一生懸命してたつもりだったけど、効率とかも悪かったよ。まあでも意味がなかった行為を努力とは言えないのかな。

 

受験で失敗したとさっき書いたが、決していい大学に行くとかそういうことだけじゃないけど、例えばみんなと話しててわたしの想像力が追いついていないから無意識に人を傷つけているんじゃないか、とか無知な故にとんちんかんなことを言っているんじゃないか、とか不安になる。今思ったけど頭いい人とか、理解がちゃんとできる人とか、そういうふうに見られたいのかもしれない。

 

 

 

 

文字にするとうまく伝えられないし、なんだかしょうもないことのような気はするけど、わたしよりも偏差値的には下の大学に行ってた人でも、わたしより賢くて素敵だなという人はたくさんいて、わたしはそういうひとに憧れてしまっているのだ。

わたしは一般的には立派な国立大学に合格したことは成功体験なんじゃないの?とともだちや医者に言われることは多いが、自分ではなんとも言えない感情になる。

背伸びをして合格した大学で、わたしは熱心に勉強してたかというと逃げていた部分もかなりあったし、周りと比べて落ち込んだこともあったし、その大学に合格したというプライドだけが無駄に残ってしまった気はする。基本的に根は真面目なんですよ、だから苦しくなる。

 

 

 

 

でも、わたしは人生のほとんどの分岐点で挫折してるからしょうがない。ほかにもおっきい傷はある。思い出すだけで辛い経験がある。それはどう頑張ってもわたしの自己肯定感を低くする。

 

 

 

 

 

包帯クラブ」という本を読んだ。

 

 

 

読もうと思ったきっかけは、宮地尚子の「傷を愛せるか」というエッセイを読んだからだ。

宮地尚子は、トラウマ心理や、ジェンダー論を専門にしている社会学者で精神科医だ。

出版されたのは結構昔みたいだけど、文庫版が最近発売されたことでTwitterで話題になっていて、ずっと読みたいなって思っていたので買った。

 

 

傷を愛せるか、はすごく良い本だった。

著者のさまざまな旅の経験や、映画やアートかの思い出とともに、傷を抱えながら生きることについて語られた本だ。

傷を抱えたすべての人に読んでほしい。そしてこれを読んだら自分以外の人の傷に対しても、優しくなれるような本だ。

 

 

 

「傷の記憶が抹消されていく流れに、もっとささやかなレベルでだが抵抗し、景観を聖別・選別しようとする動きを描いた作品がある。」とその本の中で紹介されていたのが包帯クラブだった。

 

 

包帯クラブという小説の存在は知ってたけど、多分読んだことなかったと思う。映画も見たことがない。読んでみたいと思ったので文庫本を買った。

 

 

 

主人公の女子高生のワラは、ディノという不思議な男子高校生との出会いをきっかけに、「包帯クラブ」を結成する。

傷ついた人からの相談をネットで募って、傷ついた場所に包帯を巻きに行き、「手当てされた風景」をデジタルカメラで撮影し、相手のアドレスに送るという活動をするのが「包帯クラブ」だった。

 

 

小学生の時に理科室で、理科担当の男性教師からうけた性的な行動によって、2度と理科室に入れなくなった子のために、理科室のあらゆるところに包帯を巻いた。

 

中学生最後の大会で、オウンゴールして負けたことを悔やんでいる人からの相談には、中学校のグランドのサッカーゴールのポストに包帯を巻いた。

 

告白してフラれた女の子のために、学校の倉庫の鍵に包帯を巻いた。

 

とある文房具店で何回か万引きをした子は、自分の行為で、店が潰れたんじゃないか、店番のおばあさんを苦しめたんじゃないか、と悔やんでいるというメールを包帯クラブに送った。

要望に応えることで、万引きした人間を許すことになってしまわないかという疑問が出るが、「でも、うちらが、人を捌くこともできないよ」と話し合って、お店に包帯を巻く。

 

 

そうやって彼女たちはあらゆる場所に包帯を巻いた。どんな些細な傷でも、それらを認め、手当てをした。

 

 

「人が受けた深い傷に、わたしたちができることは、ほとんどないように思う。でも、相手の沈む心を想いながら包帯を巻くことで、〈それは傷だと思うよ〉と名前をつけ、〈その傷は痛いでしょ〉と、いたわりを伝えることはできるかもしれない」

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは結構自分では自分のことを傷だらけだと思っているが、世の中の出来事に比べたらかすり傷みたいなもんで、それをはたして本当に認めていいのかみたいな不安は常にあった。

 

 

わたしが高校生の時に、ダサいながらもいろんなことに反抗して生きていたのは、傷を抱えてたからなんだろうなと思う。ひとに話すのは難しいけど、あったよ、確実に傷が。

そして、それに対して誰も包帯を巻いてくれなかったな、と思う。でもそれは自分で自分の傷を、恥じることなく傷と認めて受け入れなかったからなんだろうな。傷だとわかんなければ、手当てができないんだよ。高校生の時にこの本を読んでたら、なんか変わってたのかな。

 

 

わたしは結構最近だけど、わたし以外の全ての人は幸せで、わたしよりは優れている点が絶対にあるから、だからずるい、みたいなことを割と本気で思っていた。

今考えるとなんてひどい考えなんだ、と思う。

わたしがどんな小さな傷でも、蔑ろにされたくないように、他の人も小さな傷をかかえてるということに、何も気が付けなかった。

他者のことをすべて理解しようとすることは暴力だと先週ブログに書いたけど、他者を理解しようとする姿勢をまったく捨ててしまうことも暴力なのかと思う。

 

 

 

 

 

登場人物のディノは少し変わっていて、側から見たら奇行とされることをたくさんしていた。

でもそれらにはちゃんと理由があって、たとえば雪の中を下着一つで走り回ったのは、真冬に着るものがない子が大勢いるっていうことを知ったからだし、生ゴミを入れた制服を着てきたのは、難民になったり、家を失ったりしてゴミ山のそばで暮らす子どもがいると知ったからだし、目隠しをして授業を受けたのは地雷やテロで目が見えなくなった子がいると知ったからだ。

ある場所では、確実にそういう体験をしている子がいる、報道されないだけで今もそういう目にあってる子がいるのなら、実際どんな感じか一億分の一でもわかることができないかと思って、彼はいろいろな行動をした。

それも彼が抱えた傷が行動のきっかけになったんだけど。

 

なんか、わたしがいろいろ知りたいっていう気持ちと似てるのかもなと思った。わたしはディノみたいに行動にすることができなかったけど。

 

 

 

 

 

わたしは読了後にAmazonとかで本のレビューを見るのが好きなんだけど、中高生向けのヤングアダルト小説だから大人には刺さらない、っていう感じのレビューが結構あった。

わたしは大人なはずなのにまだこどものような悩みをしているのかという気持ちと、大人になってもいろんな感性を忘れてないってことなのかも、という二つの気持ちがゆらゆらする。

 

もちろん、中高生にこそ読んでほしい、っていうのはすごいわかる、でも中高生だけの本じゃないしなあ、って思う。

カテゴライジングってときにはどうでもいいなと思う。バルニーとなみちえもカテゴライズ無意味〜みたいな曲を歌ってた気がするし(いやあれは人に関してっていう話だから…)。

 

 

わたしは26歳だけど、多分今森絵都のつきのふねを読み直しても、梨屋アリエピアニッシモを読み直しても、名木田恵子airを読み直しても多分刺さるんだろうな。

 

 

 

まあでもいろんな経験をして、アメリカでも研究して、臨床医としていろんな患者さんと関わって、いま一橋大学で教授をしてる宮地尚子包帯クラブから教えてもらうことがあったんなら、やっぱりそういうことなのかな、とも思うよ。

「そもそも精神医療やトラウマ治療は、包帯クラブのレベルのケアをきちんと提供できているのだろうか」と宮地尚子はいう。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の本でも、わたしにとってはいまを救ってくれる本で、「傷を愛せるか」も「包帯クラブ」もいつもいつも抱きしめて自分の中に取り込みたいくらいだな、と思う。

わたしがいろんなことに影響を受けやすくて単純だからなのかも知らない。

 

 

 

 

 

さいきんインスタのストーリーを昔の投稿を見返したら、ここ一年くらいはまじで同じようなことばっか呟いていた。同じような悩みばかり吐露して自分のことを肯定できないヨ〜ってかんじ。笑っちゃうくらい同じだった。

とおもったけどブログもいつもおんなじこと書いてるよね、ごめんねって思う。

 

わたしはやっぱりずっとわたしの中では時が止まっていて、わたしの外では時がどんどん過ぎているなー、と思う。

 

 

 

 

 

「傷を愛することはかなり難しい。

傷は醜い。傷はみじめである。直視できなくても良い。見えないふりをしてもいい。隠してもいい。

誰もが傷を認め続けられる強さはない、ただ傷を無かったことにはしないでいたい。」

 

 

とわたしもそう思う。

せめて自分の傷を愛せないのなら、誰の、何の、どんな傷でも、包帯を巻いてあげられるような、そんな人になりたいよ。