週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

わたしはわたしのことばかりでいやになるよ

 

いつまでも、自分が生きていると思えるように、生きていきたいです。

 

と、12歳のわたしは言っていた、と思う。小学校を卒業する時に、卒業記念で撮ったビデオレターで。

言ったことに確信をもてないのはそんなもの見返したら、恥ずかしさが大爆発して爆死してしまうから(マジでむかしの思想を語ってる自分が映像で残ってるなんてほんとにほんとにほんとーに恥ずかしい……)だけど、自分がそんなようなことを言ったということはなぜか忘れられず、わたしの記憶の中にある。まあ誰しもそんな恥ずかしい過去のひとつやふたつあるよねって思っていいかな、そのとき影響をうけていた本の言葉を借りたことはたしかだ。(たしか僕の生きる道、か僕と彼女と彼女の生きる道、か僕の歩く道、とにかく橋部敦子のそこらへんのシリーズなきがする)。

 

 

なんでそんなこと言ったんだろうなとちょっと考えてみたけど、わたしは昔から感受性豊かオバケだったので、本から読み取ったものをものすごくかみしめて、どうにかこうにか現実に還元したかったんだと思う。

そのビデオレターを見た同級生のお母さんに、卒業式かなんかで「あなたが〇〇ちゃんね!詩人の!」と言われるくらい(最悪だよ)にオリジナルのポエムらしい言葉たちを垂れ流していたわたしは、過去を恥じながらも、なんだかんだでそのまま大人になってしまったような気がして、時々悶えてしまう苦しさと、今そんなことを思ってしまう小さな寂しさと、でもわたしはそのままでいいのかもなあという気持ちがごちゃ混ぜになって自分のなかに溜まりに溜まっている。

 

 

12才のときの自分の言葉のように、自分自身が「生きている」という実感を持ちながら、果たしてわたしは生きられているだろうか?

 

 

 

 

しょうがないから薬を毎日飲んで生活してるのだけれど、ここ数日で気がついたことは、「薬を飲まないほうが体調がいいこと」だった。通院代も合わせて毎月ちゃんと金払ってるんだけどどういうこと?

朝薬を飲んで仕事に行くと眠たすぎてほとんど仕事にならなくて、11:00くらい、かなりはやめに休憩に行って昼ごはんも食べずにとにかく1時間きっかり睡眠をとって眠気がマシになったら仕事に戻る日々が続いた。前日に22:30くらいに寝て、朝7:30に起きているから、9時間くらい寝ているはずなのにどうかんがえてもおかしい。

この間は11:00まで我慢もできなくて仕事中なのに離席してトイレにこもり30分寝た。携帯のアラームを10分後に設定したのに、無理だったから30分になった。

わたしの隣のデスクのひとは不思議に思っただろうが何も言われなかった。何も言わないでくれてありがとうって思った。

夜は夜で薬を読むと次の日起きられないことが最近増えてきてこの間は2時間遅刻してしまった。本当に朝体がだるくてまた休んでしまった日もあった(ほんとに週5で働けない欠陥人間だよ)。

 

 

試しに薬を飲まないでみたら、午前中もそこまで眠くないし、朝もちゃんと起きられた。薬の副作用で眠くなるってことがおくすり手帳には書いてあったかわかんないし確認するのでさえだるいから絶対に見ない、だって現実に私は薬を飲まない方が調子がいいのだから。言葉で説明できないことだってたまにはある。

 

 

 

 

 

日々は選択の連続だ。

 

いまのわたしは薬をのむ、のまないという選択肢。

 

 

 

わたしという人間はいつも苦しくて、悲しくて、どんなに調子が良くてもそれがずっと続くことなんてないとわかっていて、昔からずっと落ち込みやすい。

原因は人生のあらゆる分岐で挫折してると思ってるから、選択を迫られた時、間違った方を選んで失敗しかしてないと思ってるから、そんな経験が、今のわたしを作ってしまっている。

 

人生は一回きりで、やり直せない。これからも、わたしはいろんな選択を間違えて、失敗ばっかしながら生きていくんじゃないかなっていう気持ちになってしまっている。そんなこと思ったら余計に悲しくなるのに。

そして、わたしはそういった挫折を隠そうと必死だ、失敗を何にも思わなかったと思われようと必死だ。

みんなはわたしの挫折や失敗なんて感じない、なんかあったとしても忘れてるに決まってるのに、わたしはなんでこんなに必死に自分を隠そうとして、隠しきれなくて、変なんだろう、と思う。

 

 

よく人にこの話をすると言われる、そんなの結果論だよ、って。

そら言われるわな。

 

 

 

 

 

 

昔本当に辛い経験をした時に、

「悔しく、悲しかった気持ちは洗い流さなくていい。思い出しただけで奮い立つ経験は一生をかけて自分のエネルギーやブレない軸になってくれる」と教えてくれた人がいる。今でも思い出すだけで泣いてしまいそうになる。

過去の失敗も、いろんなわたしの助けになってくれ、と思う。そうだったら、間違った選択も無駄ではなかったのかもしれない。というのは理想論だろうか。

 

 

 

 

 

どんなささいな選択でも、生きている、という実感を持てるほうを選ぶのがいいのかもしれない。薬のことも多分そうだ。薬をのまないと、ちゃんと生きられる。

小学校の時の恥ずか死ぬ思い出も、少しは今のわたしの助けになってるかなあ。