週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

人生は続く

 

 

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西加奈子のくもをさがすを読んだ。(焼き鳥食べてビール飲みながら)

たくさんではないが西加奈子の本は何冊か読んだことがある、彼女のインタビューとかもネットで読んだこともあって思ったことだが、結構、自分とはタイプが違う人間だな、とよく思っていた。

 

 

わたしは暗くて自分が嫌いでじめじめした人間だけど、西さんはわりと要領よくいろんなことができて、明るく、自分のことが好きなイメージ(を勝手に持っている)。多分に学校にいたら陽キャのひととも陰キャのひととも仲良くなれるようなイメージ(を勝手に持っている)。

多分、わたしが一番うらやましいなと感じるタイプの人間である。

 

 

 

 

 

 

 

 

くもをさがす、は西さんがカナダのバンクーバーでがん治療、手術をする話を書いたノンフィクションだった。

 

 

 

西さんの日記のようなものや、その時の出来事、思ったことをそのまま書いていて、文章の中には西さんがチョイスした様々な小説・歌・詩などの言葉が引用されていて、それがすごく、すきだったなと思う。

わたしもよく聞くカネコアヤノとか、あとはzoomgalsの言葉が使われていたりするのも、彼女の感性が感じられて親近感も沸いた。

 

 

 

 

そのなかで、一番最初によんで、一番好きだなと思った言葉が リンディ・ウエストの『私の身体に呪いをかけるな』だった。

 

 

 

 

 

”完璧な体”というものはまやかしである。わたしは長い間、そんなものがあると信じ込んでいて、それが自分の人生を形作るのを許し、人生そのものを小さくしていたーーー

本当の人生は、わたしに現実の体があることによって存在しているのだ。あなたがなすべきことを、架空の存在に言い含められてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは女性の中では比較的身長が高く、細見なのでむかしからよく、「スタイルがいいね」と言われることが多かった。

もちろん誉め言葉だとおもうけれど、うれしいきもちも全くないわけではなかったがわたしは自分の体が素敵な体だとはどうしても思えなかった。

多分顔がかわいくない、というのはデカいと思うけど、丸顔であか抜けないこどもっぽい顔つきが、すらっとした体についていることが、自分の体がちぐはぐに感じられて違和感でしかなかった。

 

 

 

 

 

 

背がぐんぐん伸びて成長痛に悩まされてた中一の夏から、わたしはずっと猫背だった。

背が高く見えるのが嫌だったからだ。

 

 

 

 

 

 

そんなわたしもいままで何回かすこしふくよかだった時期があった。

太ったときに、誰かに太ったね、と(ネガティブな意味で)指摘されなかった時ってそういえばなかった気がする。わたしが敏感だったということもあるけど。でもこれってわたしだけではなくて、結構みんなそうなんじゃないのかな。当たり前にあるけど、結構最悪なことだと思う。

 

 

 

 

 

「スタイルがいいね」という言葉はわたしにとって、呪いの言葉だった。細いね、と言われると、あ、わたしって細くないとだめなんだ、と思ってた。容姿のほかの部分がすべて終わっているとおもっていたから。

 

わたしは自分の小さい胸もきらいだった、無駄に細長くてきもちの悪い手足も大嫌いだったのに、あ、私って痩せてないといけないんだ、と思ったし、痩せてるほうが安心した。矛盾している。

 

痩せているときは、自分は痩せているんだという最悪なアピールも昔はしていたような気もする。

どんな状態でも、わたしはわたしの見た目が嫌いだった。今思うと痩せてるからとか太ってるからとか、そういう話じゃないなと思う。

他人がどうこうというよりも、わたし自身がわたしの体に呪いをかけていた。

 

 

 

 

二年前くらいに明らかに精神が不安定になったとき、わたしは食事がろくにとれなくてめちゃくちゃに痩せてしまったときは、つらくてつらくてどうしようもなかったが少しの安心感があったことはたしかだ。そう思うと怖いなと思う。

 

さすがにふらふらで、がりがりで気持ちがわるかった。友だちに「これ以上痩せたら消えちゃうよ」と抱きしめられたら、涙がでた。

 

 

 

そのあと飯を食べてなかった反動なのか、過食になり、コンビニでスイーツやらパンやらおにぎりやらを毎日買って食べまくる日々が続いた。

 

自分がこわかった。親に、散歩にいってくる、と言ってコンビニにいってなにかを食べていた。きもちわるくなるくらい、何かを食べて後悔して、めちゃくちゃ泣きながら一人で外を歩いていた時期があった。2か月くらいで20キロ弱太った。

 

 

 

 

いまは通常体型くらいに戻っているけど、時々思う。またあの一番痩せていたころに戻りたいということを。安心しそうだから。

 

 

 

 

 

容姿に、主にその人自身の体のかたちに関する言葉とは、呪いになりかねる、という話で

たとえほめていると思っていても、受け取り方は人それぞれで、わたしみたいにひねくれて受け取ってしまうひともいて、他人と比べてしまうひともいる。

 

 

わたしはなるべく、周りのひとに容姿に関する言葉をなげたくないと思っていて、もしおかしなことを言っていたら、わたしの周りのお友達には指摘してほしいなと…と思っている。多分いままで無意識にわたしもそういう言葉をかけてしまっていたこともあるんだろうな、と思うし心当たりもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西さんは、乳がんの手術で両乳房を切除した。

 

ずっと小さな胸がコンプレックスだった。

 

 

年を経るごとにその思いは強くなったが、長らく自分の身体にかけられていた呪いを解くことはなかなか困難だった。つまり、心のどこかでは、やはり胸に対するコンプレックスは消えていなかった。でも、それらを全て失った今、私はなくした胸に対して、言いようのない愛情を感じた。「どう見えるか」なんて関係なかった。大きさなんて、形なんて、乳首の色なんて、関係なかった。私の胸は、本当に、本当に素敵だった。

 

 

 

身体的な特徴で、自分のジェンダーや、自分が何者であるかを他者に決められる謂れはない。自分が自分のことを女性だと思ったら女性だし、男性だと思ったら男性だし、女性でも男性でもどちらでもないと思ったら、女性でも男性でもない。私は私だ。「見え」は関係ない。自分が、自分自身をどう思うかが大切なのだ。

 

 

私は、私だ。私は女性で、そして最高だ。

 

 

 

 

 

 

 

身体と、性別の関係は深い、という意識はどうしても強く存在している。

でも、ほんとうは関係ないと思いたい。

 

 

自分で自分の身体を、性別を最高だ、と思える人の文章を読んで、わたしは少しだけ、うれしく思った。

 

少しだけ、というのは、自分の身体の話ではないからで、わたしはがん治療をしていないから。

自分が自分をあきらめてしまっているところがあるから。

でも、その小さな嬉しさを、希望を、胸に大事にしまっておくくらいならできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カナダのバンクーバーならではのエピソードが多い、ということもこの話の魅力のひとつだな、と思う。

 

 

 

わたしは数年前、短い間だったけどオーストラリアのメルボルンに留学していた。

お話の中のバンクーバーは、メルボルンに少し似ていると思った。

 

 

 

 

わたしは、メルボルンが大好きだった。

ゆるい時間の流れ、優しいひとたち、大きな公園とたくさんの緑、古くて美しい建物。シティを走る路面電車のトラムもかわいくて好きだった。

日本で人身事故で電車が止まるとため息をつく人が多い気がするが、メルボルンではトラムの運転手が賃上げのためのストライキを起こすことはわりとよくあって、トラムがはしっていないときは、歩いて家まで帰った。みんな急いでなかったから、わたしも急がなかった。(もちろん困ることには困るけど)

 

 

ストライキとかなくて、ちゃんとはしっているときでも、勿論電車もトラムも時間通りにはほとんど来ない。

学校に行く前の子どもを連れた大人が、カフェでコーヒーを飲んでいる朝の風景も好きだった。

 

 

メルボルンの空気にはいい意味での「余裕」が溶け込んでいた。わたしはその空気を目いっぱい吸い込んでいた。(それでも留学の最初のほうにかよっていた語学学校は、どう余裕をもっていってもクラスでわたしや、そのほかの日本人が絶対一番最初に登校していた。)

 

 

 

 

メルボルンバンクーバーと同じように移民が多い都市だったし、わたしみたいな留学生がおおかったから、環境の違いに戸惑って困ったときは助けてくれるひとたちが多かった気がする。

 

 

 

 

留学の初めのころ、まだ現地について一週間くらいしか経っていないときに、学校の課題でだされたレポートをスーパー?のプリンターを使って印刷しないといけなくて、でもやり方がわからずもたもたしていたら、周りのオージーが大丈夫か、どうしたとぞろぞろやってきてくれて、わたしは三人くらいの大人に囲まれながら、あーだこーだとつたない英語で会話しながらなんとかレポートをプリントしたことを覚えている。

 

方向音痴なのでシティで道に迷いまくって、うろうろしていると誰か助けてくれたこともたくさんあった。

 

 

 

 

そういう環境は、自分も自然とそういう風に他人にてを差し伸べることを楽にした。

 

 

 

 

 

トラムでベビーカーをもったひとがいたら、自然と降りるときに手をかせたし、前の人がものを落としたらすぐに追いかけて手渡した。もちろん当たり前のことだけど、その時英語でなんて言えばいいか、とか急いでるから、とか思って一瞬躊躇してしまうことがゼロになった感覚だった。

ありがとうをオージーはカジュアルにcheers!」という。あの乾杯のチアーズだ。

cheers!」といわれるとうれしかった。

 

(話はそれるがオーストラリアの人たちは自分たちのことをlazyだとよく言うが、それが表れている様々な言葉を略するスラングをわたしは面白がってよく教えてもらっていた。Definitely!Defo!だったし、Avocado Avoで、Have an Avocado Avonavoだったし(そんなことある?笑))

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしはメルボルンの、ビーガンのカフェレストランで、ボランティアもしていた。

 

現地のひとと、英語を話す機会をゲットできるというメリットももちろんあったけど、人のために、なにかをやってみたいという気持ちも強かった。そのレストランの考えとかも好きだったし、ビーガンメニューだからいろんなひとと食事ができるし、身体に障害があるひとでも、どの年齢のひとでもボランティアに参加できて、いろんなひとと話ができた。

 

 

 

わたしは人見知りでもじもじしてても、きにかけてくれるひとたちがいて、わたしの英語が下手だから、単語を指定されて英語で文章つくって話すゲームを一緒にやりながら料理を運んだりしたし、日本人なの?と話しかけてくれるお客さんも結構いた。東京ってどんなところ?って聞いてくる入れ墨がばちばちに入ったクウェート人のゲイの男の子としゃべっていて、いきなり知ってる日本語あるよと言われ「ボク、マユゲナイ」としゃべりだして笑ったりしたこともあった。(ほんとにそのひとはまゆげなかった。)

 

中国に戻りたくない、中国の政府は最悪だよ、強要するわけじゃないけどね、と自分の意見を英語ではっきり言うチャイニーズの男の子もかっこよく思えたり、めちゃめちゃオーストラリアなまりが強いおじいちゃんとしゃべっててまじで何言ってるかさっぱりわからなくて、???という顔をしていても、その人が描いた絵をたくさんみせてもらったりもした。

 

ウェイトレスとして働いていたけど、どんなにおしゃべりをしても絶対に怒られることはなかったし、むしろあなたは英語を勉強しに来てるんでしょう?しゃべりなよ!と言われた。

 

 

 

 

 

 

わたしは、うまくいかないことももちろんたくさんあって、思っていることがうまく言えなくて英語通じなくて泣いたりとか、オーストラリアのひとがてきとうすぎて返信が帰ってきてほしいメールが帰ってこなくて悲しかったりとか、トイレがきたなくていやだったりとか、ご飯を食べに来たホームレスのひとにちょっと怖い態度をとられたりとか(料理の値段がなくて、寄付制だったからそういう人たちも来た)、日本のなんか料理作ってよと頼まれたので、じゃあこの食材お願いねと伝えて任せろ任せろ!!俺がいるから大丈夫だ、と言われていたキッチンの人がその当日休んでいて死ぬほど困ったり、そういうこともたくさんあったのだが、日本に帰る前日まで、そのカフェでボランティアを続けた。

 

 

 

そしてその最後のボランティアの日、帰る直前わたしはぼろぼろと泣いた。

 

明日日本に帰るんだ、とみんなに言って回っていたとき、最後キッチンのお兄さんにハグされた瞬間に涙が勝手に出てきた。

わたしは英語もつたないし、積極的な性格でもなかったからみんなとめちゃくちゃ仲良くなれたわけではなかったけど、すごく寂しかった。

 

 

 

 

号泣しながら店を出たときに、全然しらない女性が「どうしたの??大丈夫??」と駆け寄ってきて、こうこうこうで、自分はあした日本に帰らないといけなくて、ここでのボランティア今日で最後だったんだ、と言った。

 

そしたら「そうなんだ…。なんていうか、、、ハグしていい?」と言ってくれて、わたしはその人にハグされて、それでまためちゃくちゃ泣いた。全然知らないのに、あなたがハグをしてくれて、わたしは安心して泣いて、とてもありがとうと伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

こういうたぐいのやさしさは、日本にはあまりないと思う。

西さんが「日本人には情があり、カナダ人には愛がある」という話をしていて、わたしはこの経験を思い出した。

 

 

 

 

 

 

情は、意思をもって、そして尊厳のために獲得するものではなく、気が付けば身についているものだ。目の前に困っている人がいれば、愛をもって立ち上がる前に、なんかどうしようもなく(あるいは渋々)手を伸ばしてしまっている。もしかしたら本人は面倒だ、嫌だと思ってしまっているかもしれない。もしかしたら自分の方が困った状況にあるのかもしれない。自分の場所を譲るのは、本当は死活問題で、でも、もうそこにいる困った人を、どうしても、どうしても放っておけないのだ。

 

 

 

愛がいつも良き心、美しい精神からきているのに対して、情は必ずしも良き心や美しい精神からきているとは限らない。

 

 

 

 

 

 

メルボルンに住んでいたのはそんなに長い時間ではなかったので、嫌な経験をしたのも相対的に少ない方だったから、こうやって美化してしまっているのかもしれない。

けど、そのレストランも愛がたくさんあったし、わたしはそこで日本にはない心地よさを感じていた。

 

 

 

 

 

 

たぶん、わたしはメルボルンにいたとき、本当の意味で生きていたような気がする。

はじめて、ちゃんと自分のことが好きになれていた。

誰が、どう思うか、ということを意識しない環境だった。

メルボルンの古着屋で好きな服を買って、安くてかわいいアクセサリーを買って、自分の身体も、行動も、まるごと好きになれていたきがした。

 

 

 

 

 

でも、それは私自身が一瞬の魔法にしてしまったな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

日本に帰ってから、わたしはメルボルンで吸った空気をそのまま体の中で回していたかった。

でも、帰国したあとのわたしは、わたしをさらけ出して、自分の意見を言う強さを持っていなかった。

 

最初はそのままでいたけど、杭がでてしまって、打たれた感覚があったとき、すごくつらくなってしまって、少しづつ楽なほうへ逃げてしまった。

当時のことを、友達に「メルボルンから帰ってきたときはちょっと浮いていたよ」と言われてショックをうけたこともあった。(別の友人のそれって別に悪いことじゃなくない?と言われて、もちろん今思うとたしかにそうだなと思う。)

 

 

 

 

わたしはわたしだと、強くいられたらよかった。

 

 

 

 

 

 

 

私の手も、情で濡れているだろうか。そしてその湿度を、誰かを助けるためにどれほど使うことが出来ているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日本が、環境がすべて悪いわけでもない。

自分自身の問題が大きい。

 

もちろんわたしは日本のカルチャーもすきなところがたくさんある、けど過剰にもちあげて排外的になったり、レイシズム的な思想にはなりたくない。

 

 

 

 

なぜかわたしは、こどものころはほかの国と比べて、日本は優しいひとが多くて、四季が豊で素晴らしい、みたいな考えが刷り込まれていた気がする。

でも四季豊かな国は全然ほかにもあるし、日本人よりわたしはオージーのほうが優しかった気もする。これはわたしの実感だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

物語はクライマックスを迎えたとしても、その人の人生は続いていく、というようなことを西さんが言っていた。

様々な経験をして、得たものや失ったものがあっても、その人のその後がある。西さんはがんの治療を終えても西さんの人生は続く。

いま、なかなかわたしは生きている実感をもてずにくすぶっている。

なにかを得たあとのわたしは、そのままで終われなくて、変化しながら生きている、

 

 

 

でも、わたしはいつても、だれかをハグしてあげられるような、暖かい愛をもって生きていきたい。小さくなってしまっているかもしれないが、メルボルンでの経験で得たこの火を絶やすことは、したくない。

 

 

 

 

西さんも言ってたけど、わたしもハグの文化がめちゃくちゃ好きなので、みんなに出会い頭1発ハグしたいといつも思ってる。そしてこれは性別や関係性関係なくだ、もちろん。

 

しなかったときは、なんとなく日本人的な心が出てきちゃったんだな、とか思ってほしい(何もないのにするの迷惑かな、とか思ったりするということ。)

 

 

 

 

 

 

 

 

ただのがん治療の体験談、というよりも「生きる」ことのお話だと思う。

生き生きと、生きるということは自分の身体を含めて、すこしでも自分をすきになることだ。

わたしも、自分の身体を好きになったり、嫌いになったりしながら生きていきたい。

多分、ずっと一生すきになることは無理な気がする。呪いをとくのは結構むずかしい。

でも、またメルボルンにいったりしても良いと思うし、一瞬の魔法でもいい。

日本もすきなんだ。日本の歴史や文化もすきなところがある。突き放すこともできない。わたしはここで生きてきた。

 

 

 

 

だれかが自分の身体を、簡単に他人に明け渡してしまわないような、世界になれることを、呪いをだれかの身体にかけてしまわないような世界を

 

わたしは心から祈っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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友だちがPodcastをやっていて、聞くのが楽しいからこのブログを読んだ人にも聞いてほしい。ふたりが体験したエンタメをすぐにかみくだいてする話を聞くのは楽しい、自分にはできないことなので…。

あと最初にながれるジングルが好き。国会にクソでかい犬放し飼いにしとけ…

 

この間は「くもをさがす」回だった。わたしが送ったコメントも読んでくれた。おっちーが自分の身体いらない、自分の身体嫌い、って言ってるのはわたしもそう。あといほりがずっと体調わるいって言ってるのも、わたしも基本そう。わかる。

 

(ちなみにわたしをゲストで呼んでくれた回もある(第12回)緊張しすぎて最初はふるえながらしゃべった。でもたのしかった。)

 

 

 

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