週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

はじめてアイドルとチェキを撮った話

 

このあいだはじめてアイドルとチェキを撮った。

 

f:id:yummy_13:20210820170720j:plain

 

 

私には、ほのちゃんという小学校1年生のときからのお友達がいるのだが、彼女が好きなアイドル”リルネード”の新曲「夏のレコードがまわりだす」のリリースイベントに誘われたので行ってきた。

 

 

f:id:yummy_13:20210820170750j:plain

左から、まゆちゃん、きりこちゃん、しどみん…。

 

 

 

私がせっかく伸ばした前髪を、自分の納得のいくように美容師が切ってくれなかったことをきっかけに、最近いいことがマジで続かなかったためめちゃくちゃ落ち込んでいた日があった。(ゴミメンタル…)

美容院から家までの帰り道は土砂降りだった。ズボンのすそが濡れてとにかく気持ち悪かった。

 

 

次の日の朝、髪型のことを考えると悲しくなってしまっていたので、美容室に電話してその日中に手直しをしてもらうことになった。次の日も雨が降っていたので、ほのちゃんが車を出してくれて美容室までいった。

当たり前だが服は全然濡れなくて、体も重くならなかった。昨日は一人で雨の中あるいていたので、悲しみがずぶずぶと自分の中に入り込んできたけど、髪型も、まあ、どうにかなったし、ちょっと元気が出た。

 

 

 

美容院からほのちゃんちに帰り、ほのちゃんが好きなアイドルのライブ配信を見始めたので一緒に見た。それがリルネードの栗原舞優ちゃんという子だった。

 

 

 

「まゆちゃん、かわいーね。私もあってみたいなあ…。」

 

「マジ!?会おう!」

 

 

 

というそのときの二言三言で舞優ちゃんに会うことが決定した。

ちょうどその日から東京の各所でリリースイベントのミニライブと特典会がはじまっていたようで、会える機会があったのだ。

あってみたいな…から実際に会えるまでのスパンが短すぎる。ありがてえ。

 

 

 

 

平日水曜日、ふたりとも在宅勤務だったが、退勤後に頑張って地元から急いで渋谷のヴィレヴァンに行った。

レジでリルネードの一枚1500円のMカードというものが売っていた。CDではなく、曲をダウンロードできるカードみたいなやつだ。

1000円ごとに一枚の特典券がついていて、券の数によって受けられる特典が変わる。

ほのちゃんからはせっかくだから、チェキとろうよ!という提案を受けた。チェキを撮るには特典券が二枚以上必要なので、Mカードを二枚購入する。

 

 

こちらでお待ちください、とヴィレヴァンの金髪の店員に案内された。

19:00からのライブで結構ギリギリだったので、うしろのほうの立見席でまつ。ほのちゃんは眼鏡をかけはじめた。

 

「せっかくゆみちゃんがきてくれるならもっといい席でみせたかったんだけどね…」

 

と残念そうなほのちゃん。実はその日のMカードもずっとおごるよ!!と言ってくれていたけど、いやいや!大丈夫だよ!といい自分で買った。ありがとね…。

 

 

 

ライブが始まって、新曲を3曲を歌ってくれた。

リルネードは三人組なのだが、みんなそれぞれ違うタイプの可愛さで、生でみたほうがやっぱ全然かわいかった。やっぱアイドルだね…。

ファンのひとたちも座りながら、または立ったまま振りをコピーしてて、やっぱそういうのいいよな、と思った。「推し」てるぜ、って感じが伝わってきて。

コロナの関係でコールとかできないんだもんな…と思うとオタクではないのに切なさを感じてしまった。

わたしはというと新規感まるだしで、顔のしたで音が鳴らない手拍子をしながら手のやり場を処理していた。

 

 

 

ライブが終わると、特典会が始まる。三人それぞれ、チェキをとりたい子の前に並ぶ。ほのちゃんと一緒に栗原舞優列に並ぶ。

まじではじめての経験なので、並び始めるとめちゃくちゃドキドキしてきた。

あんなにかわいい20歳の女の子と、25歳普通OL私があんなに近くなるなんて…何話せばいいんだ…。

わたしはまあ正直、人見知りなほうだと思う。初対面の相手と、緊張しているときは特に全然しゃべれない、もしくはかなりそっけない感じになってしまう。

ちゃんと喋らなきゃ…と思うと、また熱くなってきた。

 

 

緊張しているとき、何か頭がてんぱっているときわたしは結構頭の中で音楽を流して落ち着かせようとしがちなのだが、その時流れたのはNUMBER GIRLの「SENTIMENTAL GIRL'S VIOLENT JOKE」だった。なんでこの曲なんだ…!!!!

向井のフェンダーテレキャスターがの音が戦いに向かうオープニングのようにわたしの背中を押しはじめる。先にほのちゃんの番がきて、舞優ちゃんがいる壇上に上がる。

 

ハァ…よし

 

殺人的なジョークで死にたい

殺人的なジョークで死にたい

殺人的なジョークで死にたい

 

という歌詞を三回頭の中で唱えた。完全にヤバイ女だ。いやでもそのくらいドキドキしてしまっていた。

 

 

 

ほのちゃんの番が終わるときに、次の子、わたしが連れてきた友達なの!と舞優ちゃんに伝えくれていた。

 

 

 

「次の方どうぞー」

 

 

ヴィレヴァンの茶髪メッシュの店員がわたしを案内する。

 

 

 

 

ま「ほのかちゃんのおともだちなんだ!きてくれてありがとうね!!」

 

ゆ「あ、はい…。そうなんです。」

ゆ「あの…。こういうの…はじめてで…」

 

ま「あ!そうなんだアイドルのチェキってこと?」

 

ゆ こくこくうなずく

 

ここまででどちらが年上なのかわからない。

 

 

ま「どんなふうにしたいとかある?」

 

ゆ「あの…がんばれって感じで…」

ヒロアカのお茶子ちゃんみたいなことを言ってしまった。

 

 

そして「がんばれって感じ」のガッツポーズでツーショットのチェキをとる。

 

 

ゆ「あの…配信のやつを、ほのちゃんちで一緒に見てました。2位おめでとうございます。」

 

ま「あ!ありがとう! あの噂のおうちで!」

 

ゆ(な…、、、ほのちゃんちに入り浸っていることがバレている…)

後で聞くと、ほのちゃんがおうちで友達とみた、ということを舞優ちゃんに言っていたらしい。

 

ゆ「あの…ライブもよかったです。衣装もかわいくて…。」

 

ま「ありがとう!うれしいー!!!」

 

 

ここまででわかる通り、たぶんわたしはすべての発言の最初に「あの…」をつけていたと思う。とにかくおどおどしていた。

 

 

茶髪メッシュ「はい、次のかたどうぞー」

 

 

 

 

時間になり舞優ちゃんに別れを告げ、駆け足でほのちゃんの元に行く。

これがアイドルとのふれあいか…。

 

 

 

チェキを見ると、舞優ちゃんとのツーショットのチェキに日付と舞優ちゃんのサインが書かれていた。

わたしは自分の見た目がかなり嫌いなので、写真をとられることがすごく苦手だ。チェキを見ると、自分を外見を客観視してしまい、うわわたしやっぱデカいな!!キモ!!と思った。

だが、となりの舞優ちゃんはかわいかったし、直筆サインもくれるし、これはたしかに大好きなひととできるとなると、ファンはたまらないな…と思った。

それにやっぱり普通に楽しかった。

 

 

 

ほのちゃんと調布に帰り、コンビニでごはんを買ってほのちゃんちで食べた。

生春巻きと三ツ矢サイダーという謎の組み合わせにしてしまった。

そのあとほのちゃんとだらだらしながら、よるまで話して家に帰った。

 

 

 

 

わたしは何かにドはまりして、それを一生懸命追いかける、となるほどの趣味がない。いわゆる「いきがい」のようなものだ。

アイドルはファンの「いきがい」を生んでいるようなイメージがある。そのこのために何かしてあげたい、みたいなのがずっとあるひとたちの、少しだけだけど一部になれた気がして、うれしかった。

 

 

 

 

最後に(たぶん)リルネードの代表曲を貼っておこう。

 

 

www.youtube.com

 

わたしがこの曲で好きな部分は

 

 

 そうほら突然、なんかリップの色が違う気がして

 お急ぎ便でも間に合うわけないし、なやむ!

 

 

ってところ。

お急ぎ便で間に合わなくて、悩むことろが良い。

 

 

思うより短い夏に生きる

夏は終わりかけているのだろうか。

今日は暑かったけど、昨日まで大雨がつづいたからか、涼しい日が続いていた。

唐突に夏の終わりの雰囲気をほんの少しだけ感じてしまった。

 

先週新宿のルミネでサンダルを買ったんだけれど、帰るとき店員さんに

「多分これ裸足ではくと思うんですけど、だんだん涼しくなって履けなくなっちゃうから、今のうちにたくさんはかないとですね!」

と言われて エ!と思った。

私の中では結構まだ夏だと思ってた。けどいつの間にか8月も中旬が過ぎて、下旬に差し掛かろうとしている。時がどんどんとたっていることに、気が付けていなかった。

くそー…靴下をはいてでも、サンダルをたくさんはいてやろう。

 

 

 

そんな私が思う夏に、夏らしい映画を見た。

 

 

伊藤万理華主演、「サマーフィルムにのって」だ。

 

 

 

www.youtube.com

 

 

 

伊藤万理華ちゃんのことは、ほのちゃんちで、「トイ」をみてからずっと心の中で気になっていた。

 

 

www.youtube.com

 

 

 

だからこの映画も気になっていたけど、絶対に見てやろうとか、正直そこまでの意気込みはなかった。

ただ、ふと、会社のトイレで、手を洗っているとき、

「あ、今日新宿で映画みて帰ろう。サマーフィルムにのって、を観よう」と思い立った。

そう考えてすぐ携帯で武蔵野館の上映スケジュールを確認した。

 

8/12 () 18:55の回

 

私の会社は18:00が定時。

青山から新宿まで15分くらい。めちゃくちゃちょうどいい。これは見に行くしかない。

 

 

仕事が終わってそそくさと帰り、まっすぐ武蔵野館にむかって、一番右側、一番後ろの席をとった。

一人で行くときによくとる席だった。周りが何も気にならない席が好きで。

 

開場するとわりと平日の夜にしては、席は埋まっていた。

一個空きの席も、もう見慣れた風景になってしまった。

 

仕事帰り風の人は多かった。私のように、ふと今日思い立ってここに来た人もいるんだろうな、どのくらいいるんだろうか、とかよくわからないことをちらちらと考えながら、映画が始まった。

 

 

 

 

ああ、ふと思い立って見に来てよかったな。と思った。

 

 

 

この映画は、高校生たちが、自分たちの好きな脚本で、好きなように映画を撮るひと夏のお話。

作中のある同上人物が、タイムマシーンにのって未来からきて…という設定はヨーロッパ企画の「サマータイムマシーンブルース」を思い出した。(私を伏線大回収映画好きにさせた映画)

高校生が自分たちの好きなように映画をとるという設定は「桐島、部活やめるってよ」を思い出した。(いまだに映画館でみた映画で心に刺さったナンバーワン映画)

ただ、どちらとも違った良さがあった映画だった。(当たり前だけど)

 

基本的にはめちゃくちゃコメディ。設定もすっ飛んでいるところがあるけど、ここまで振り切れていると全然許せるタイプのやつ。

コメディなんだけど、恋も友情も、それに伴う青春も、そしてSFも、時代劇要素も入っている、ほんとにてんこ盛りな映画だった。

 

 

タイムマシーンにのって未来からきた男の子、りんたろうがいうには、未来では”映画”といものはなくなっている(長くても30秒?とかだったけな、たしか)という設定だったが、なんだか遠い未来のことのように思えても、現在の延長線上な気がした。

いまでも画面でスキップしたり、倍速にしながら動画や映画をみたりするひとも少なくはないのではなかろうか。

映画の中の高校生たちがとる映画は、すべてスマートフォンでとられていた。そうだな、それで映画がとれるんだなあ、と思った。

例えば「未来では”8mmフィルムカメラ”がなくなっているんだよ」とか言われてもあり得てしまいそうだしね。

 

 

ネタばれはしたくないが、どう考えても自分が胸を打たれたのはラストのシーンだった。

伊藤万理華演じる、時代劇好きの主人公のある意味での、戦い、決意、強さ、のようなものがすごくよかった、とにかく動きがよかった、伊藤万理華ちゃんすごい。

 

あと、「サマーフィルムにのって」っていうタイトルがどーん!!と出る演出、私あれ効果的なやつはめちゃくちゃすきです。

腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」のラストとか。大好き。チャットモンチーのエンディングが流れたときは鳥肌が立った。

ちなみに、「サマーフィルムにのって」のエンディングは「異星人と熱帯夜」という曲でした。

 

 

主人公含めた仲良し三人組のあだ名が

「ハダシ」

「ビート板」

「ブルーハワイ」

なのもよかった、あだ名が夏だなあ、、、!

どういう由来があってこんなあだ名が付けられたのか、きになる。

その世界に行きたくなった。

 

 

「ビート板」を演じていた女のこ、なんかみたことあるなと思っていたら、「佐々木、イン、マイマイン」に出ていた子だったな。

そう思うと私武蔵野館で見る映画は、こっそりと俳優のリレーをしているのではなかろうか…。

 

his」藤原季節

「佐々木、イン、マイマイン」藤原季節 河合優

「サマーフィルムにのって」河合優実(ビート板ちゃん)

 

 

次に見る映画はなんだろう。金子大地あたりがでてくるのだろうか…。

 

…なんて、どうでもいいね、、、。

 

 

 

 

 

まあ私は病んだり考え込んでしまいがち、といのは周知の事実だが、勿論それを当たり前のように他人から見られたくはないし、でもやっぱり恥ずかしいし、自分の思いを言語化するのが下手なのもきついし悲しい。そして今も例外ではないです。

 

世の中が苦しいし、日本が苦しいし、未来が苦しいなあ…と最近はよく思う。先っぽだけがカシャカシャするおもちゃのナイフでじわじわ自分の体をさしているところをよく想像する。結局なんのダメージもないのにね。そしてそんな自分もめちゃ嫌い。

 

小さな小さなよかったことを、積み重ねてゆっくりいきていくしかねえなあ、と思う。

夕日がきれいだったとか、猫がたくさん撫でさせてくれたとか、肩こりがきょうはマシだったとか、めをつぶったらすぐに寝られたとか、ふと思い立って仕事帰りにみにいった映画がめちゃくちゃよかった、とか。

 

 

 

私はゆっくりにしか生きられない。だから時間の早い経過も見落としてしまうのだろうか。夏の終わりは、自分で決めたい。

 

 

ルックバックを読んだ気持ちを一生忘れたくない

 f:id:yummy_13:20210719220221j:image

 

今日の朝は早かった。

朝5時くらいに猫がみゃーみゃーなき出したので、目が覚めてしまった。

猫の朝ははやい。

まして知らない家にいきなり連れてこられたもんなので、そりゃ存分に寝られないものだ。

 

少しだけねことあそんであげてからまたベットに戻った。

いつも起きる時間より2時間くらいはやい。

とにかく眠いけど私は短時間であまり上質な睡眠をとれるタイプの人間ではなく、ねつきもよくないのでとりあえずねっころがりながらiphoneを触ってtwitterを見てみる。

 

ふとながやまこはるちゃんのツイートが目に入った。

ながやまこはるちゃんのお兄ちゃんが「ルックバック」という読み切りかいているらしい。

 

 

f:id:yummy_13:20210719220321j:image

 

 

寝れないし、読むか。とおもった朝の530だった。

読んでから思ったのは、私はこの漫画を読んだときの気持ちを一生忘れたくないな、と思った。阿部共実の「月曜日の友達」を初めて読んだ時と似ている。

 

 

このブログは私の備忘録でしかない。

 

あるひとが言っていた。

「この世に生きたすべてのひとたちの、言語化もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものがその人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。」と。

私もどうしてもそう思うので、このブログを自己満足で始めているし、毎週日曜日に更新しようとしているけど、昨日も書いたのに今日もまた文章を書いてしまっている。

 

 

 

最初によんで、涙が出たのは、すごく切なさが勝ってしまったからだと思う。

 

こんな気持ちで月曜から会社にいって、考えないわけがなかった。

昼休みもルックバックを読んだ。

朝がはやかったのでめちゃくちゃ眠くて、昼の休みは昼寝したかった。

ルックバックを読んだら会社の休憩所で涙がでてきた。

うつ伏せになって寝ようとすると鼻水が垂れそうだったので、横向きになって目を閉じて寝た。

 

「ルックバック」って回顧する、とか振り返るって意味があるけど、

漫画を描き続ける藤野の”背中”がとにかく希望だったなと思った。

 

ありきたりな感想かもしれないけど、絵を描いている”背中”の描写がよかった。

 

最初はとにかく絵がうまくなりたいと思って絵を練習する。

京本が自分の漫画を喜んでくれているってことが初めてわかったから、雨でびしょびしょになっても帰ったらすぐ机に向かう。

京本が自分の漫画をこれからも喜んでくれるから、一緒に書き続ける。

「京本も私の背中みて成長するんだなー」って藤野が京本に言う。

 

 

あの事件が起きてしまって、自分のせいなのではないかと、それまでの強がりが見られなくなってしまった藤野をみて、苦しかった。

 

でも、自分がその人にどんな影響を与えたにせよ、未来はたいして変わらなかったかもしれない。

それこそやっぱり、漫画を描きつづける意味、原点がはっきりしているから、藤野はまた漫画を描き続けるんだなと思った。

 

 

 

だいたい漫画ってさあ… 私 描くのは全く好きじゃないんだよね

 

じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?

 

 

って言葉のあとにネームを読む京本の顔が、藤野が漫画を描く理由を全部表している気がした。

一人になっても、漫画を描き続けて、アニメ化にもなって、そこまでやってきたのは、京本に信じてもらっていたからだよなと思った。

 

 

 

 

2人で描いた漫画が入選して、100万円もの賞金が入って

10万円おろして二人で遊びに行くときに、じゃんじゃんお金つかったのに5000円しか使えなくて、

ひとが怖かったけど、外に出られてよかった、と思う京本に

藤野は確実にいい影響を与えているってだれがみてもそう思うんだよ。

だから、最後に立ち直って強く、漫画を描き続ける背中が、とてもよかった。

 

 

いろんな考察とかがツイッターにあってなるほどなと思った。

ルックバック」でoasisDon’t look back in angerは私も思い出した。

今日は通勤のときも退勤のときもこの曲をリピートして聞いていた。

(でも時々champagne supernovaも聞いた。私この曲大好きなんだよ…。)

怒りとか、そういうコントロールの難しい感情の炎は、あふれでてしまうといずれ自分をも焼き尽くしてしまう、ということをまた思い出せた。

 

私の感想はいつも、ものすごくありきたりだけど、

10万円を見て、「おうち、買えちゃうよ…」っていう京本がとにかくかわいかったし、

自分の四コマ漫画の大ファンに出会って、うれしすぎて雨のなかで踊りながらかえる藤野もよかった。

 

わたしはすぐにいろんなことわすれちゃうから、

私の感想はいつも自信がないけど、少しでも文章にできてよかった。

かいて載せたあとにまたどんどんいろんな別の気持ちが吹き出てくる気はするけど。

読んだらすこしでも今の感情をおもいだせるのではないだろうか。

 

いろんな人が「ルックバック」が素晴らしいというコメントを残しているけど、私はわたしなりの気持ちを、一生わすれたくない。そう思った。

 

 

 

 

私が信じるものは

 

f:id:yummy_13:20210718230117j:image

 

日本は宗教国家ではないけれど、「祈る」という行為は案外不自然ではない。

私たちは神様にいつも祈っている。

神様が具体的にどの神様か、ということを意識しているの人のほうが少なくて、

正月は当たり前のようにお寺や神社にお参りにいくし、

各地方のパワースポットにいったら、その土地のゆかりの神?に祈るわけだし、

はたまた全然関係ないけどキリスト今日のイベントであるクリスマスを恋人と過ごす一大イベントにして、へらへらケーキを食っているわけだ。

否定はしない、うまいケーキは食わざるを得ない。クリスマスはわたしたちは何かに祈っているのだろうか?

 

私が宗教を意識したのは、斉藤孝先生の「声に出して読みたい日本語」を読みながら般若信教を暗記したとき…ではなく(マジで小学生の時ドはまりしていた)、園子温の「愛のむきだし」を観たときであるし、遠藤周作の「沈黙」を読んだときかなあと思う。要するにキリスト教に関心を持ったのだった。

 

さいころ、奈良のおばあちゃんの家にいったときはついたらまず、ひいおじいちゃんの遺影に挨拶をして、般若信教をよんでいたので、ものすごく当たり前で、それが仏教という”宗教”であることにすら気が付いていなかった。

 

なんとなく、”宗教”と聞くと自分の身近なものではない、という感覚のほうがすごいおおきかった。

そのなかで、キリスト教を意識したのが上記2つの作品だった。

 

しかもそれらをみたわりと直後に、親戚のお葬式にいったのだが、その亡くなったかたがカトリックの方だった。

遺影は真ん中ではなく、左側にあって、真ん中は神様の位置だから…というような理由だった。ものすごく印象にのこったことを覚えている。

お葬式は悲しく、故人とのお別れの場である、という意識が仏教では強いけれど、キリスト教では神の元に近づける、祝福すべきものとしてとらえられていた。

 

だから、とにかくたくさん歌を歌った。

歌詞カードが一人ひとり配られていた。神の元へお送りするための祝福の歌だった。

 

中学高校そこらの私は、歌うのがちょっとはずかしくて、かなり小さい控え目な声で歌っていたら、となりの親戚のじいさんに全然歌ってなかったねと、葬式後に若干馬鹿にされたようにいわれたのをめっちゃ覚えている。うっせえ。

 

ただ、なんかお葬式なのに、よかった、

なにかを信じるということは、死ぬときの気持ちも変わるのか。

 

 

何かを信じるということは、どうやら私にとってたやすいことではない、ということをここ数年感じている。

 

日本人がそうやって、特定の宗教にのみ祈りを捧げないのはなんでか、というのは色々話があると思うけど、私が一番しっくりきた話は

believe in something」ではなく、

respect for something」だからだ、という話。

TEDで昔坊さんが話してた。うーんなるほど、と思った。(私は単純で、バカなので)

 

respect」って割と和製英語的に使われると思うんだけど、○○さんマジリスペクトっす…みたいな…。

そういう意味よりも尊重とか、敬意を払うって意味では、その対象のものを価値のあるものだと認めて大切にしたり、傷つけられないように守ったりする、という意味がここでは強いかな。と思う。パワースポットとか、まさにそうなのかな。

 

 

believe」はもっと頼りにする、救いを求めるという要素が含まれているような気がしている。「respect」との隔たりは意外と広い。

 

 

 

西加奈子の「サラバ!」という小説がめちゃくちゃ大好きで、人に貸してたのが、また最近手元に戻ってきたのでまた読み直した。

この本のテーマは「自分が信じることを他人に決めさせてはいけない」ところが大きいと思う。

私はそのテーマをダイレクトに受け止めてしまって、私にとっての信じるもの、生きていく上での”軸”とはなんなんだろうか、といつも強く強く考えている。

 

何かを信じることで、自分の行動が決まる、のだけれど 

現在の日本ではまさに何を信じて、自分はどのような行動をとるべきかということを常に問いかけられている気がする。

 

私たちが信じるべき指針というものは、一貫してはなくて

人に流されてしまうこともあるし、時には信じていた情報が誤っていたりするし、

かといって文句ばかりも言えなくて、苦しかったりする。

 

私は、結構自分の意見を、このような場ではっきり伝えるのはトラウマがあるのだが、

それも結局人からの視線や意見を気にしてしまっているわけで。

そもそも他人すらも上手に信じられていないのだ。

 

私はとてもとても弱い人間で、ダサい人間なので、だれかに大変好かれることはないのでは、、、ともちろん思っているし、疑ってしまうし、その分死ぬほど苦しんで泣いてしまったりする愚かでかなり後ろ向きな性格だ。自分が本当に嫌いだ。

 

人のことは好きだし、好かれたいし、何かを人に与えたい、助けてあげたいという気持ちと、

結局何もできない、できたことがないという気持ちが、

分離すればいいもの、自分で入念に混ぜてしまっているのでまたも厄介だ。

 

 

もはや宗教を信じている人がうらやましい、と数年前から思っている。

端的に私の欲求を伝えるとするならば、「お祈りしたい」のである。

世間的に認められていない宗教でも、もはや陰謀論でも、信じて自分の軸があるだけ

私よりも何倍もすごいのかもしれないと思う。(個人の見解ですマジで。)

ただ、そういったことを信じていない人を無理やり引きずり込んだり、迷惑をかけることには絶対反対だが。

 

 

サラバ!」にはかなり助けられた。

私にはまだ、心から信じられるものはないが、

自分で自分の信じるものを決めたいし、それによって自分の行動を決めたい。

主人公の圷歩(今橋歩)はかなり後になって、本当に大切なことに気が付いたわけだが、私は圷歩ではないし、この世界に左足から登場したわけでもない。

私は、大切なものを見過ごさないように、生きていける(はず)なのだ。

暑すぎる、夏は嫌いだけど。

youtu.be


わたしの音楽の趣味は、中学生の時にお兄ちゃんからもらったipod classicにすべて影響を受けている。

いわゆる”おふる”で、当時お小遣いの額が同級生の中でも低かった(たしか)私は、CDをかりることも買うこともなかなか簡単にはできなかった。

 

中学生の私はどのくらいお小遣いが少なかったかというと、同級生でディズニーランドに行ったときは、ディズニーの高すぎる食べ物類をたくさんは買うことができなくて、ポテト一つをひたすら噛み続けて一日をしのいでいたくらいだった。正直悲しかった。私だってポップコーンとか、チュロスとか買いたかった。

 

私と同じ額をもらっていたはずのお兄ちゃんたちは、ゲームももっていたし、ipodも持っていたのってなんでなんだろう。私はなんでお小遣い少なく感じていたのだろうか…?不思議だ…。

 

お兄ちゃんからもらったipod classicには中学時代に死ぬほど傾倒したBUMP OF CHICKENや、ASIAN KUNG-FU GENERATIONチャットモンチーから、筋肉少女帯とかNUMBER GIRLも、洋楽はビートルズDeep PurpleOasisなんかも入っていて、わたしは夢中になって音楽を聴いたものだった。

 

夏になると思い出す、くるりの話でもしてみようかと思う。

中学生でipodをもらったときからくるりが大好きで、一番最初に狂ったように聞いていた曲は多分「WORLD'S END SUPERNOVA」だった。

のちのち、2004年の武道館のライブ映像をYOUTUBEで見まくっていたと思う。ドラムがクリストファーのやつ。

アルバム「WORLD'S END SUPERNOVA」が発売されたときの「ROCKIN'ON JAPAN」をブックオフで買って読んだものだった。懐かしい。

昔はROCKIN'ONに乗っているいわゆる邦楽ロックアーティストをロキノン系と呼んでいたことがあったけど、今はもう死語なのかな…。

 

音楽雑誌でいうと、昔は「MUSICA」もよく買っていたなと思う。

今日、ちょうど長時間車を運転していたんだけど、偶々ながしていたFMラジオドレスコーズの志磨遼平がでてきて話をしはじめたので、ウワ!お母さん!志磨遼平だよ!と思わずテンションが上がってしまった。(てか今日初めて首都高運転したんだけどマジで怖すぎた。高速なのにカーブ多すぎ。)

MUSICASWEET LOVE SHOWERという、SPACE SHOWER主催の夏フェスで、何回目かの特集の志摩遼平がかっこよすぎて雑誌を切り抜いてとっておいていたのが、MUSICAの一番の思い出だった。

 

 

夏になんで、くるりを思い出すかというと、私が初めて買ったくるりのCDが「everybody feels the same」だったからかもしれない。そしてはじめてくるりのライブに行ったのも、そのシングルが発売された記念に、代々木公園であったフリーライブだった。

暑い、夏の日だった。

 

2012年だから、高校一年生かな?

やっぱりそのときも一緒に行ける人がいなかったのか、ライブには一人で行った。

広い代々木公園で、平日の夕方なのにたくさんの大人がいるなーと思った気がする。

フリーライブなので、無料。無料のライブなのにがっつり1時間弱くらい、数曲しっかり演奏して、たしかアンコールにもこたえてくれた気がする。

そして、とにかくとにかく「ばらの花」がサイコーによかった。

岸田はめちゃくちゃ嬉しそうだったのを覚えている。ファンファンのトランペットもめちゃくちゃかこっよかった。

 

すごい、とにかく素敵な、夏のフリーライブだった。

外だから、ちいさいフェスみたいな感じで、暑くて、でも楽しくて、日焼けなんてどうでもよくて、汗のにおいがして、音楽はとまらなかった。

 

ライブの帰りに、twitterで知り合った男の子とコンビニで待ち合わせして、アイスをたべながら駅までかえって、ライブの余韻を話し合っていたのもいい思い出だ。(当時の私は意外と大胆にも、twitterで音楽好きなひとと友達になっていたりしていたのだ。)

そのこはNUMBER GIRLも好きだったな。げんきかな。めちゃめちゃ頭のいい高校で、そのあとめちゃめちゃ頭のいい大学に進学していたな…笑

 

 

夏になるとあのフリーライブを思い出して、「everybody feels the same」と「ばらの花」が聞きたくなる。

 

 

 

 

今日はとにかく東京はめちゃくちゃ暑くて、車を運転した帰りにスーパーで、のどが渇きすぎていたので、おかあさんはドクターペッパーを、私はジンジャエール買って飲んだ。ジンジャエールはこんな味だっただろうか。

 

youtu.be

 

ラジオの思い出

f:id:yummy_13:20210704232739j:image

 

私がラジオを聞き始めたのは、たぶん中二の時。

学校の技術の授業で、ラジオをつくったのがきっかけだった。

 

ハンダゴテで、配線をくっつけてつくった防災用ラジオ。

上部にハンドルがついていて、そこをぐるぐるまわすと自家発電して電気がなくとも、

ラジオがきける仕組みになっていた。

 

しかも、携帯電話を接続すれば充電もできるタイプのやつだった。

当時はiPhoneなんで周りのひとは誰も持っていなくて、みんなガラケーだった。

私にいたっては、ガラケーすらもっていなかったので、その部分は全く必要なかったのだが、

docomoausoftbankすべてのタイプの端子に対応していて、それを携帯に接続して、ハンドルをぐるぐるまわすと携帯の充電ができた。

当時、ガラケーをもっていなかったのに、仕組みに感動した。

 

電気ぜんぜんいらねーじゃん!!

とおもった私は当時から、地球温暖化をめちゃくちゃ恐れていて、将来を絶望しまくっていたという、さくらももこのような少女だったので

このラジオを精いっぱい使って生きていこうと思ったのだった。

 

ちなみに節電・エコ思考はいまだにそうで…。マジで意識が高いとはではなくて、ただただ単純にビビりでめちゃくちゃ心の中では恐れいているってだけ。

夏はマジで極力エアコンは使わない、もしくは設定温度が高い。

中学生のときから、部屋に友だちがくるとわりと嫌がられたことがあったので、夏はあまりうちに遊びに来ないほうがいい。

(ときどき来客に気を使ってきちんとエアコンをいれるときもあるよ※)

 

最近こわいなとおもうのは、北極とかの氷がとけまくって、その中に長年眠っていた未知ウイルスとかが、空気中にでてきてしまうというおそれがあるという話。(ごめん、これはまじで所説あると思うのでとりあえず私の言っていることは信じないで。)

パンデミックはマジでファックなコロナでもうさんざんだよ…。二度と起きないでくれ…。

 

カナダで46度とか、47度とかを観測したというニュースが最近流れてきて

去年メルボルン40度の気温で息をするのも苦しくて、熱中症でぶったおれた記憶があるのでほんとうに恐ろしすぎると思う。

 

 

ま、そんなこんなで、私は本当に、全く電気を使わずにほぼ毎日ラジオを聞いていた。

月曜から土曜まで聞いていた。

日曜のラジオは、意味の分からないラジオドラマばかりで死ぬほどつまらねえと思ってきていなかった。(個人の感想です。)

私の家はあまりニュース以外のテレビをあまり積極的に見ない家庭で、その分夜の時間は結構余っていたからなのか、私はラジオにドはまりした。

 

そして、毎日毎日ハンドルをぐるぐる回して、聞いていたのだ。ラジオを。

 

はじまりは午後9時か10時くらいから、一番長いとオールナイトニッポンが終わる午前3時まで聞いていた。

ぐるぐるまわして、だんだん一時間ちょっとくらい経つと、だんだん音が小さくなってくるので、また回して、というのを繰り返していた。

 

だいたい、日本放送を聞いていた。毎日ミューコミプラスを聞いていたし、土曜日の福山雅治魂のラジオも聞いていたし、ミューコミオールナイトニッポンの間のよくわからないKAT-TUN10分くらいの番組もきいてた。

内容は結構覚えていないけど、オールナイトニッポンがあってよかったな…と思うくらいだったので、いきものがかり吉岡聖恵とか、城田優とか、ゆずとか、小栗旬とかきいてた。ちなみに全然ファンでもなんでもなかった。

 

日本放送がつまんなかったら、文化放送を聞いていた。

途中でTBSラジオもおもしろいと気がついたときもあったけど、だいたい日本放送をきいてればまちがいなかった。

 

 

ある日ハンドルを回しすぎて根本から、ボキッとハンドルが折れた。

絶望した私に、優しいクラスメイトが自分のつくったラジオを譲ってくれた。

クラスのなかで、私だけがあのラジオを使い倒していた。

 

さすがにふたつめのラジオのハンドルが折れたときに、ハンドルを回し続けようという心意気も折れた。

あきれたお母さんがコンセントタイプのラジオを私に与えてくれた。

 

 

追加で、ハンドル自家発電ラジオのいいところは、寝た後はラジオが自然と消えるところだった。ハンドルを回さなければ、ラジオをは流れ続けないから。

朝までラジオをつけっぱなしにしているのは、よくお母さんに怒られていたきがする。

 

先ほどオールナイトニッポンをよく聞いていたといったが、結構途中で寝てしまうことが多かった。コンセントにつないだラジオからは、音声が流れ続けるので寝ながら聞いていたことになる。

あのころ、ラジオをつけたまま寝てしまったとき、夜中にふと目が覚めると、絶対に聞こえてくる音声が「くりまんたろうのオールナイトニッポンR」だった。

まじでくりまんたろうって誰だ…とおもいながら再び眠りについてた。

ふと目が覚めると絶対「くりまんたろう」だった。あの経験は何だったのだろう。

 

いまでも毎回そこで絶対目がふと覚める…ということがあって、オードリーのオールナイトニッポンでいうと、「死んでもやめんじゃねーぞ」のコーナーが始まる直前の、ビトタケシ浅草キッドのジングルがそのタイミングだった。本当にいつも同じところで目が覚めるのはなんでなんだろう。

ちなみにオードリーはラジオにはまっているときにちょうど第一回放送があったのをすごい覚えている。もう12年も前だと思うと時の流れは恐ろしい。

 

 

受験が終わって聞く頻度が減って、大学からはあまり聞かなくなってしまった。

興味が他のところに行ってしまったからかなあと思う。

いまではオードリーはまあまあちゃんと聞いてるけど、他はちょくちょくオールナイトニッポンをきくくらいだ。

あのころは、日本放送のオールナイトニッポンと、TBSのJUNKの時間がかぶっていることがもどかしくしょうがないくらいだったのに。

 

 

一番好きなラジオ番組は絶対にくりぃむしちゅーのオールナイトニッポンだった。

ラジオにはまった私に、兄が教えてくれた番組だった。

 

私がラジオを聞き始めたときにはもうすでに終わっている番組だった。

過去の音源をダウンロードしてめちゃめちゃ聞いた。

何回も何回もくりかえして聞いた。高校の通学途中とかに聞いていた。ますだおかだのますががゲストで、ずっとプロレスの話しかしていない回以外、くりかえして聞いた。

この次の次は、この話がくるよな、と内容をすっかり覚えるまでになった。

あれ以上におもしろいラジオ番組はない。

 

 

日本放送の周波数はAM1242で、ツマミを回して合わせていたのをいまでも覚えている。iPhoneで簡単にきけてしまう今ではもうできないことだなあ。

 

セックスエデュケーションと、ヘドウィグと、自分の話

youtu.be

 

セックスエデュケーションと、ヘドウィグと、自分の話

 

 

セックスエデュケーションは、ネットフリックスオリジナルのイギリスのラブコメドラマだ。

主人公のオーティスは、セックスセラピストの母親をもつ高校生で、そのために自分がもっている知識をつかって、同級生の性の悩みを解決するセックスクリニック開く、というのがドラマのだいたいの内容。(ただ、彼はバージンなんだけれど。)

セックスに関してとか、恋愛に悩みを持つ高校生たちを、オーティスがセラピーをして、悩みを解決したり、人それぞれの多様性を尊重して、その先へ導いていくという最高の性教育ドラマだった。

 

今更だけどものすごくドはまりして、シーズン1を見終わった勢いでこの文章を書いてる。

 

私、このドラマかなり好きだ、と思った瞬間が、

オーティスが親友のエリックの誕生日に「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のチケットをプレゼントしたときだ。

 

ここで、私と「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の話を少ししようと思う。

 

私がヘドウィグを知ったのはたぶん1516の時だった。

このころの私がどんな人間だったかというと、ジョゼと虎と魚たちを死ぬほど気にいっていた、家に引きこもりがちな女だった。画面越しのジョゼをみて、人魚みたいに美しいと感じたことはいまでも忘れられない。とにかくいろんな映画を見たい時期だった。

 

あとは、バカな発想だけど、ミランダカーみたいなワンレンの女は全員信用できないと思っていた。このことが伝えているのは、大衆ウケのよい、量産系のものはあんまり好きじゃなくて、自分の好きなものを好きだと感じて生きていきたいというひねくれたやつだった。

 

当時好きだった後藤まりこが、森山未來とヘドウィグの舞台をやったので知ったんだと思う。

 

ふと思い出したので、後藤まりこがボーカルのバンド、ミドリの「愛って悲しいね」を久しぶりに今聞いてみたけど、あれは10代だから、聞けていた音楽なのかもと思った。

昔を思い出したくなくなって開始1分で停止ボタンを押した。

後藤まりこについてのことは、後藤まりこwiki人間性がだいたい書いてあるから気になる人は見てみるといい。

 

母にヘドウィグの舞台見に行きたいと言ってみて、一人じゃいけないから一緒に行こうと誘ったら、これかなりアングラな感じなんじゃない…?と若干ひかれ、あまり興味を持たれなかったので、いけなかった。昔から私と母の趣味は本当に合わない。

 

当時一緒に、舞台を見に行くのを誘える友達もいなかった。いなかったというよりかは、私が誘えなかったのだ。昔からある一定の自分の趣味のことになると、誘いたくてもうまく友達を誘えない。

いまみたいに一人で行けばよかったのかもしれないけど、当時の私は一人で、初めて、大人な舞台を見に行くという勇気がなかった。

いけないとなったので、そのあと映画をTSUTAYAで借りてみた。ヘドウィグは死ぬほどかっこよくて震えたし、私も愛を探し続けたいと思った。

 

 

セックスエデュケーションの話に戻る。

オーティスとエリックも16歳だった。まさに、私がヘドウィグを外には見に行けなかった頃の年齢だった。

二人でヘドウィグの衣装をきて、ウィッグをつけて、待ち合わせをして映画に見に行く。ヘドウィグの恰好っていうのは、長くて大胆できれいな金髪で、派手なロックスターの恰好だ。

 

オーティスは、目立つタイプの高校生ではないし、隅っこにいるような人間のままでいいんだ、というようなことを彼自身ドラマの中で口にしている。

エリックはブラックで、ゲイであることを学校ではカミングアウトしている。派手な格好がすきで、学校に行くときも本当に素敵な服を着ているし、ときにはメイクも楽しむ。

彼のお父さんは保守的な性格で、エリックが派手な格好をすることをあまりよく思っていない。

また、そんな彼が他人に冷ややかな目でみられ、痛めつけられて死ぬほど心が痛くなるシーンもあったけど、自分のアイデンティティーをつらぬく、まっすぐで最高にクールな男の子だった。

 

そんな二人が、ごりごりの仮装をして映画を二人で見に行く

なんていうかめちゃくちゃかわいいとおもうし、すごくあこがれる関係だなとおもった。

 

ただ、この後彼らはすごく大きな喧嘩をしてしまうんだけど。

 

仲直りは学校のダンスパーティーで、その時に流れる曲が、「The Origin Of Love」だったりする。「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の代表曲だった。

このダンスパーティーは、いろいろなひとにとってすごい意味のあるものになってたとおもうんだけど、こんな素敵なシーンに、登場人物の大切な思い出のなかに、自分の思いでをほんの少しでも重ね合わせられたことが、とてもうれしかった。私は単純だから。

 

私は今の自分も大して好きじゃないけど、過去の自分はめちゃくちゃ嫌いで、

あーーー、何も思い出したくないと思うことが頻繁にあるんだけど、

芸術作品とか、文学にまつわる思い出っていうのだけは、大事にしていきたいかもしれない。だからこそ、これからも触れていきたいのだとは思う。

 

 

私はエリックがかなり大好きなキャラクターだったけど、

セラピーの患者の中で好きだったのは、どうしてもはやくバージンを捨てたくて、学校の男子に片っ端から私とセックスしない?と声をかけるリリー。(文面だけみたらヤバイやつ)

 

どうしてそんなにはやくバージンを卒業したいのかわからないな、と問うオーティスに対して、

 

卒業しないまま変わり者の処女になって、だれも相手にしてくれなくなる。

ただ、みんなに取り残されたくないの。と、話すリリー。

 

セラピーといってこんなありのままの話を聞いてくれる男子高校生のオーティスが優しいし素敵すぎる。

みんなに取り残されたくない、っていうのは、バージン云々じゃなくていろんなところで私も感じるよ。

どうしても他人と比較してしまって死ぬほど嫌気がさすけど、

レースじゃないんだから、といったオーティスの言葉を私も時々思い出してみようかな、と少しだけ思った。

 

 

そんな感じで、もうめちゃめちゃ好きなドラマになった。

高校生の恋愛、人間関係についニヤニヤしながら見てしまう面白さもあるし、ナチュラルに同性カップルが描かれているのもよかった。

性にまつわる悩みから見える、いろんな人のいろんな意見をみるのはとても面白かった。

 

 

 

ミランダカーのワンレンの女は信じられなくても(もうそんなやつなかなかいないか…)、セックスエデュケーションのことをただの下ネタドラマではない、良いドラマだと言っているやつは信用できる。

 

 

さて、シーズン2を見始めるか…。