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セックスエデュケーションと、ヘドウィグと、自分の話

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セックスエデュケーションと、ヘドウィグと、自分の話

 

 

セックスエデュケーションは、ネットフリックスオリジナルのイギリスのラブコメドラマだ。

主人公のオーティスは、セックスセラピストの母親をもつ高校生で、そのために自分がもっている知識をつかって、同級生の性の悩みを解決するセックスクリニック開く、というのがドラマのだいたいの内容。(ただ、彼はバージンなんだけれど。)

セックスに関してとか、恋愛に悩みを持つ高校生たちを、オーティスがセラピーをして、悩みを解決したり、人それぞれの多様性を尊重して、その先へ導いていくという最高の性教育ドラマだった。

 

今更だけどものすごくドはまりして、シーズン1を見終わった勢いでこの文章を書いてる。

 

私、このドラマかなり好きだ、と思った瞬間が、

オーティスが親友のエリックの誕生日に「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のチケットをプレゼントしたときだ。

 

ここで、私と「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の話を少ししようと思う。

 

私がヘドウィグを知ったのはたぶん1516の時だった。

このころの私がどんな人間だったかというと、ジョゼと虎と魚たちを死ぬほど気にいっていた、家に引きこもりがちな女だった。画面越しのジョゼをみて、人魚みたいに美しいと感じたことはいまでも忘れられない。とにかくいろんな映画を見たい時期だった。

 

あとは、バカな発想だけど、ミランダカーみたいなワンレンの女は全員信用できないと思っていた。このことが伝えているのは、大衆ウケのよい、量産系のものはあんまり好きじゃなくて、自分の好きなものを好きだと感じて生きていきたいというひねくれたやつだった。

 

当時好きだった後藤まりこが、森山未來とヘドウィグの舞台をやったので知ったんだと思う。

 

ふと思い出したので、後藤まりこがボーカルのバンド、ミドリの「愛って悲しいね」を久しぶりに今聞いてみたけど、あれは10代だから、聞けていた音楽なのかもと思った。

昔を思い出したくなくなって開始1分で停止ボタンを押した。

後藤まりこについてのことは、後藤まりこwiki人間性がだいたい書いてあるから気になる人は見てみるといい。

 

母にヘドウィグの舞台見に行きたいと言ってみて、一人じゃいけないから一緒に行こうと誘ったら、これかなりアングラな感じなんじゃない…?と若干ひかれ、あまり興味を持たれなかったので、いけなかった。昔から私と母の趣味は本当に合わない。

 

当時一緒に、舞台を見に行くのを誘える友達もいなかった。いなかったというよりかは、私が誘えなかったのだ。昔からある一定の自分の趣味のことになると、誘いたくてもうまく友達を誘えない。

いまみたいに一人で行けばよかったのかもしれないけど、当時の私は一人で、初めて、大人な舞台を見に行くという勇気がなかった。

いけないとなったので、そのあと映画をTSUTAYAで借りてみた。ヘドウィグは死ぬほどかっこよくて震えたし、私も愛を探し続けたいと思った。

 

 

セックスエデュケーションの話に戻る。

オーティスとエリックも16歳だった。まさに、私がヘドウィグを外には見に行けなかった頃の年齢だった。

二人でヘドウィグの衣装をきて、ウィッグをつけて、待ち合わせをして映画に見に行く。ヘドウィグの恰好っていうのは、長くて大胆できれいな金髪で、派手なロックスターの恰好だ。

 

オーティスは、目立つタイプの高校生ではないし、隅っこにいるような人間のままでいいんだ、というようなことを彼自身ドラマの中で口にしている。

エリックはブラックで、ゲイであることを学校ではカミングアウトしている。派手な格好がすきで、学校に行くときも本当に素敵な服を着ているし、ときにはメイクも楽しむ。

彼のお父さんは保守的な性格で、エリックが派手な格好をすることをあまりよく思っていない。

また、そんな彼が他人に冷ややかな目でみられ、痛めつけられて死ぬほど心が痛くなるシーンもあったけど、自分のアイデンティティーをつらぬく、まっすぐで最高にクールな男の子だった。

 

そんな二人が、ごりごりの仮装をして映画を二人で見に行く

なんていうかめちゃくちゃかわいいとおもうし、すごくあこがれる関係だなとおもった。

 

ただ、この後彼らはすごく大きな喧嘩をしてしまうんだけど。

 

仲直りは学校のダンスパーティーで、その時に流れる曲が、「The Origin Of Love」だったりする。「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」の代表曲だった。

このダンスパーティーは、いろいろなひとにとってすごい意味のあるものになってたとおもうんだけど、こんな素敵なシーンに、登場人物の大切な思い出のなかに、自分の思いでをほんの少しでも重ね合わせられたことが、とてもうれしかった。私は単純だから。

 

私は今の自分も大して好きじゃないけど、過去の自分はめちゃくちゃ嫌いで、

あーーー、何も思い出したくないと思うことが頻繁にあるんだけど、

芸術作品とか、文学にまつわる思い出っていうのだけは、大事にしていきたいかもしれない。だからこそ、これからも触れていきたいのだとは思う。

 

 

私はエリックがかなり大好きなキャラクターだったけど、

セラピーの患者の中で好きだったのは、どうしてもはやくバージンを捨てたくて、学校の男子に片っ端から私とセックスしない?と声をかけるリリー。(文面だけみたらヤバイやつ)

 

どうしてそんなにはやくバージンを卒業したいのかわからないな、と問うオーティスに対して、

 

卒業しないまま変わり者の処女になって、だれも相手にしてくれなくなる。

ただ、みんなに取り残されたくないの。と、話すリリー。

 

セラピーといってこんなありのままの話を聞いてくれる男子高校生のオーティスが優しいし素敵すぎる。

みんなに取り残されたくない、っていうのは、バージン云々じゃなくていろんなところで私も感じるよ。

どうしても他人と比較してしまって死ぬほど嫌気がさすけど、

レースじゃないんだから、といったオーティスの言葉を私も時々思い出してみようかな、と少しだけ思った。

 

 

そんな感じで、もうめちゃめちゃ好きなドラマになった。

高校生の恋愛、人間関係についニヤニヤしながら見てしまう面白さもあるし、ナチュラルに同性カップルが描かれているのもよかった。

性にまつわる悩みから見える、いろんな人のいろんな意見をみるのはとても面白かった。

 

 

 

ミランダカーのワンレンの女は信じられなくても(もうそんなやつなかなかいないか…)、セックスエデュケーションのことをただの下ネタドラマではない、良いドラマだと言っているやつは信用できる。

 

 

さて、シーズン2を見始めるか…。