週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

東京について考えてみる。

 

東京という街が苦手だ。

人やものが多い場所にいるととにかく疲れてしまうので、混み合っているところには長い時間はいられない。

なにもかもの中心が東京にあるきがするのも生きづらさを感じているし、

大衆的な意見がずっと空気にとけて流れている気がしている。

 

東京では、私は知らない人によく話かけられる。

多分見た目とかで断れなさそうな人だと思われているんだろう。男女とわずナンパとか、何かの勧誘とか、一時期は月1か2くらいのペースで話かけられていた。

その通り、私はそういうひとたちをうまく無視できない。ライン交換が断れなくて、交換してからブロックすることがよくあった。ちゃんと断れ、てか無視しろと友達に怒られたことがある。ごもっともだ。でも全部ちゃんとうまくできなかった。

 

北海道の大学に行ってから、思い返すと東京って苦手だな~と思うことがたくさんあった。札幌は雪がたくさん降ったけど冬が好きな私にとっては住みよい場所だった。

大学に自転車で通っていたこともデカいとおもう。高校の時にあの路線は痴漢が多いとか、そんな話題がでてくるのも最悪だった。

満員電車は人だけじゃなくて、人間のいやなところも詰まっているように見えた、まあ、それもやっぱりただ人がとにかく多いからその分トラブルが多いだけなんだろうと思うが。

 

 

私は大学をでて東京に帰ってきた。

一番の理由は地元の好きな友達とたくさん遊びたかったし、大学で仲良かったひとも何人か関東で働くんだろうなと思っていたからだ。

ようするに場所が理由で帰ってきたのではなく、人が理由で帰ってきたのだ。

 

私の住んでいる場所はそこまで高い建物も多くなく、近くに多摩川があるのでゆっくり昼寝もできる。そこまで東京のいやなところがでてきていない。

まあ、いいかという気持ちで住んでいる。実家もあるし。

思っていた通り、仲のいい友達は家にピンポンしにいけば遊んでくれるし大学で仲良かった人たちも去年関東にやってきた。

 

 

東京について、考えてみる。

私と東京のかかわりはどうだろう?

いままで一番長く住んだ場所であることは確かだ。

 

 

去年「もしも、東京」という漫画の展示を見に東京都現代美術館に行った。

もしも、こんな東京だったら…という発想から、それぞれの東京を描いた作品が展示されていた。それは東京の「いま」をかいていたり「いままで」をかいていたり「いつか」をかいていたり、様々だった。

 

 

 街はいつも生き物のように感じます。

 その中に暮らすたくさんの人の毎日や街の明かりや音がゴウゴウとうねりのように重なって、もの悲しかったり、汚かったりきれいだったり、そんなふうに感じます。

 

と、私の好きな松本大洋は言っていた。

 

 

私も少なからず東京に気持ちを抱いているように、他のひとたちもそれぞれの東京への思いがある、ということが目に見えた。

好きの反対は無関心、という言葉があるように、否定的な感情でもそれ自体に興味が湧いているように私は日々東京という街を感じているのだと思う。

 

東京にはいろんなものが集まっている。

私もその一部になっている。

 

 

よく考えれば、好きなAKIRAの舞台もネオトーキョーだし、くるりも東京という曲をかいてるし、江戸東京博物館もよく行っていたし、大学の時は江戸の書籍文化に関して卒論を書いた。他にも思い出せばたくさんあるだろう、私と東京の肯定的な交わりが。

 

東京に触れているものを見たり、感じたりすることが好きなんだと思う。

それは人が集まってこそ生まれるものだ。

 

東京は色々な場所へのアクセスが容易なように、文化芸術へのアクセスも容易だ。そんな部分が良いものをよいと感じられる私をつくってくれたのかな、とも思う。

人が理由でここに戻ってきたような気がしていたけど、そんなところに私はもしかして惹かれて東京に住んでいるのかもしれない。

 

 

東京という街が苦手だが、東京に魅力があることは知っている。

いつかは離れるんだろうな、と思って生活しているけど、もう少しだけ、私はこの街で年を重ねる。

 

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