週刊モモ

週刊とかあまりにも無理だった

常夜灯

 

みそかが一年で一番好きだ。

実家に帰ってくる兄を車で迎えに行ったのが、昨日(大みそか)の20時くらいだった。

ほかの車はほとんどいなくて、皆がひっそりと家の中で過ごしているのがわかった。

とてもドキドキした。

思えば小さいころも一年で一番、特別に夜更かしした日は大みそかだった。おばあちゃんの家で布団にくるまりながらテレビをみていた。

 

元旦はとても楽しい。おせちが好きだしお雑煮もすきだ。

ただ、初もうでの人混みは嫌いだし、初売りもそんなに心ときめかない。福袋もどうせ余った商品たちが雑多にひとつにされていると思ってしまう。

その商品たちも開発当時は福袋に入れられることなんか考えていなかっただろうに。

元旦はあっという間に終わる。そしたら駅伝が始まって、駅伝が終わって、学校とか仕事がはじまるという事実がじわり、じわりと私に近づいてくる。

日曜日よりも金曜の夜のほうがいいのと同じだ。元旦を待つ日こそが一年で一番楽しい。

 

昨日も年越そばを食べて、しみじみと2021年を終えた。

 

 

去年はあまりいい年ではなかったのかもしれない。

良くも悪くも私は私のことを考えすぎて疲れてしまった。体調が悪くなり気が付いたら頭のてっぺんからつま先まで全身蕁麻疹になった。10月ころだった、一年の中では後ろのほうだなあ。

(地球だって40億年とか前に誕生しているんだから、一年間に換算したら、人間がいる地球も後のほう、12月とかだろう。)

 

薬が全然効かなかったからどんどん薬が増えた。飲み薬を一日15錠くらい飲んで、塗り薬を二時間おきに体に塗りたくる日々が続いた。

朝から夕方まで病院にいって、病院のトイレで倒れたり、点滴をうったりした。

思い出すだけで疲れる。全部がかなり疲れて私は泣きまくった。親を困らせた。

 

疲れたときは休まないといけない。

 

 

幸い私には優しい友だちが何人かいた。私の話をうんうんと聞いてくれて絶対に否定しない人とか、SNSDMでどうしたの?って心配してくれる人とか、東京の東のほうにすんでるのにわざわざ私の家まで会いに来てくれる人とか。

優しい振りをして全然優しくないひとだっていたけど、どうでもいい。私を大事にしてくれる人を私は大事にしないといけない。逆に私のことをどうでもいいと思っている人にはそこまで気持ちを持たなくていい。自分を大切にしないといけないから。

 

優しい友だちがいたから、体調も回復していった。

 

 

 

考えることをやめることはできない。それが私の性格だから。

どんな人間だっていいんだ。とわたしはすべての人を肯定したい。

みんないろんな過去があって、いろんな後悔とか、捨てられない思い出とか、あると思う。そんな時に助けてくれるひとや、ものがある世界であり続てほしい。

 

現実がひどいときこそ、いいひとと出会いたいし、いいものをみたい知りたい。

そしてひとを思いやりたい。ひとだけじゃないかもしれない。

 

ベットの上で、また考えに考える日が続いて思ったことがある。

わたしは何かを信じたいような気持になってしまうことを、前ブログにかいたけど

やっぱり何かに傾倒するのは視野がせまくなってしまうな、ということはひとつの答えかもしれない。

みんな、わたしが変な宗教とかにはまらなくてよかったね。でもはまっていたとしても一個の冒険譚くらいになったらいいのにね。

 

何かの立場から、ひとつのことを主張し続けるのって難しい。

だからいろんな立場を考えられる人になりたい。自分のかっこたる意見をもつのは私は臆病でできないよ、だから主張をもつのではなく、いろんな問いをもてる人になりたい。

 

どうして私は存在しているんだろう?

仮にこの現実は夢の中だとしたら、この認識が自分にもたらすものは何だろう?

死んだら意識はどうなるんだろう?

みんなの見ている赤色はほんとうに赤色なんだろうか?

明日のわたしは本当に今のわたしと同じ人物なんだろうか?

もし違った場合、わたしの意思は継続されないということになるのだろうか?

なぜ夫婦別姓同性婚は認められないのか?なぜルッキズムやフェミサイドが存在しているのか?

 

 

全部わかんなくってそこからはじめたらて、いろんなことを考えられたらいいんじゃないか。

 

今年は自分だけじゃなくてひとのためにも動けたらいいな。

 

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あけましておめでとう。